第3話 化け猫カーラジルト 2
こうなると、助けてくれたお礼を言う雰囲気ではなくなってしまう。
「なぜって? 旅をしているから」
七都は、答えた。
「ひとりでか?」
「そうだけど?」
悪い?
七都は眉を寄せて、若者を睨む。
若者は、あきれた顔をした。
だが、その顔が再び険しくなる。彼は、道の向こうに視線を移した。
グリアモスが、ゆらりと現れる。
一頭。いや、二頭。五頭――。それ以上いる。
次々と姿を現し、道の幅いっぱいに広がっていく。
「グリアモスの群れだ……」
七都は、呟いた。
「違う。群れじゃない。彼らは群れを作らない。引き寄せられているんだ」
「引き寄せられる? 何に?」
「たぶん、きみに」
若者は、ちらりと七都を見た。
「わたしに? なんで?」
「きみ、怪我をしているんだろう。血の匂いがする」
「血? 血は出ていないはずなのに……?」
七都は、胸当ての上に思わず手を乗せる。
グリアモスたちが、いっせいに駆け出した。七都と魔神狩人のほうへ。まるで、合図をされたようだった。
魔神狩人の若者は、再びエヴァンレットの剣を引き抜いた。そして、七都に向かって叫ぶ。
「走れ!」
七都は、地面を蹴って、はじかれたように走った。
(あなたは? あなたはどうするの?)
七都は、一瞬後ろを振り返った。
魔神狩人の若者がグリアモスたちに取り囲まれている。
ざっと見たところ、グリアモスは確実に十頭以上はいた。
いくらあの人が凄腕の魔神狩人だとしても、あれだけのグリアモスを相手にして戦うのは、きついかもしれない。
七都は、走りながら思う。
それにあの人……。
自分が助けようとした女の子が魔神族だと知ったら、落ち込むだろうな。
人間かアヌヴィムの魔法使いだと思って、わたしとグリアモスの間に入ってくれたのだろうから。
だけどやっぱり魔神狩人は、人間に対してはやさしい。
ユードだってそうだし、わたしの指を切ろうとしたあの二人の魔神狩人だって、わたしが魔神族じゃなかったら、きっとやさしい人たちに違いないものね。
あの人。きれいな人だった。
彼の目の色は、白緑。氷河の間に閉じ込められたアイスグリーン。
リビングとこの世界を繋ぐ、あの扉と同じ色……。
髪は、ミルクティーを薄めたような、ふんわりとした色だった。
足が疲れてくる。息切れもする。
相変わらず七都の体は、思うように動かなかった。
七都は、背後を見る。
はるか遠くにグリアモスたちの影が、うねうねと動いていた。
彼らは、こちらに走っている。おそらく七都を目標にして。
「え? あの魔神狩人は、どうなったの?」
七都は、彼らの黒いシルエットを愕然として見つめる。
おそらく殺されたのだ。あれだけの数のグリアモスに勝てるはずもない。
寄ってたかって引き倒され、残酷な食べ方でエディシルを……。
「ああ、やっぱり……」
七都は、再び走り出す。
だが、足がもつれる。息が続かない。
七都の周囲の景色はぴたりと止まって、全く移動していないように見える。
無理だ……。だって、元の世界で、普通の猫と駆けっこしたって勝てないもの。
あの巨大な猫が、どれくらい途方もないスピードを出せるのか、見当もつかない。
グリアモスたちが、次第に近づいてくる。
七都は道からはずれ、魔力を使って、瞬間移動を繰り返した。
だが、降り立つ度にグリアモスの気配が強くなる。
彼らも七都を追いかけ、魔力で移動しているようだ。
使うだけ無駄か。エディシルが減ってしまう。最後には動けなくなるだろう。
七都の周囲で、草がざわざわと音を立て始める。
グリアモスがとても近い。走る黒い影が、七都の両側にちらっと見える。
右には血の色の目。左のグリアモスは、濃い緑色の目だった。丸い宝石の中で燃える、緑色の炎。
彼らの背後からも、当然、他のグリアモスたちの足音が聞こえる。
草を踏んで走る、軽く敏速なたくさんの足音――。
右のグリアモスが、七都に飛びかかった。
七都は思わず身を伏せ、それをかわした。そして、再び走る。
今度は、左の緑の目のグリアモスが、七都に近づく。
七都は、メーベルルの剣の柄を握りしめた。
飛びかかってきたら、タイミングを合わせて剣を抜こう。少しはダメージを与えられるかもしれない。
だが、そのグリアモスは、七都に飛びかかっては来なかった。
さらに七都に近づき、頭を低くする。
七都の足が、地面から浮いた。
やわらかい黒い毛並みの大きな動物の背中が、七都の下に現れる。
それはしなやかに動き、草の上を駆けていた。
七都は、自分がそのグリアモスの背中に乗せられていることに気づく。
「えええっ!?」
(しっかりつかまるんだ! 落ちるぞ!!)
頭の中に、誰かの声が響いた。
七都は、グリアモスの首に手を回す。
そして、振り落とされないように、その背中に体をくっつけた。
グリアモスは、それを確認したかのように、スピードを上げる。
背後のグリアモスたちも同じように速度を上げ、ぴったりとついてくる。
七都は、グリアモスの背中の毛の中に、何か固いものが埋まっているのを見つけた。
それに七都は、触れてみる。
美しい彫刻が施された剣だった。そのデザインの形式には、見覚えがある。
魔神族の彫刻……。
これは――。エヴァンレットの剣?
並んで走るグリアモスが、七都を落とそうと、前足を伸ばしてくる。
なぜ七都を乗せて駆けているグリアモスが、エヴァンレットの剣を背中にしょっているのか。
そんな疑問を感じる暇もなかった。
七都は、エヴァンレットの剣を抜いた。オレンジ色の光が、ほとばしる。
七都は剣を抜いた勢いで、そのままグリアモスの前足に切りつけた。
グリアモスは、ぎゃっという声を放って一瞬宙に静止し、すぐに背後に流れて行く。
けれども別のグリアモスが、取って代わるように、その位置に現れ、七都を血の色の目で睨んだ。七都を襲うタイミングを計っているようだ。
七都は、グリアモスの背中から落ちないよう、しっかりつかまりながら、エヴァンレットの剣を高く掲げる。
もう少し、右だ。右後ろ……。
そうしたら剣は、このうっとうしいグリアモスに届く。
七都が思うと、七都を乗せたグリアモスは、その通りに動いた。
七都は、襲いかかってきたグリアモスの胸めがけて、エヴァンレットの剣を深く突き入れる。
グリアモスは、黒い塵になって消滅した。
いやな感覚だ。ぞっとする。
七都は、次第に熱を帯びてくる剣の柄を握りしめる。
突き刺した剣から、グリアモスの命の震えのようなものが伝わってきた。
だが、それは瞬く間に黒い粒子となって、空気に溶けてしまったのだ。
はぐれグリアモスとはいえ、魔神族。
同族を消してしまった。エヴァンレットの剣を使って……。
背後から、新たにグリアモスが、襲いかかってくる。
見事なジャンプだった。
思い悩んでいる余裕はなかった。
七都は、グリアモスの下から剣を突き刺した。
そのグリアモスも、分解する。
黒い砂が七都の周囲にざーという音をたてて落ち、風に紛れて散って行く。
(もう無理するな。疲れるぞ)
また誰かが、頭の中で話しかける。
七都は、自分を乗せて走り続ける緑の目のグリアモスの背中を見下ろした。
(喋っているのはあなたなの? あなたは誰?)
七都を乗せたグリアモスは、前方に現れた大木に駆け上る。
前足の先から銀の爪がにょっきりと伸び、グリアモスと七都は、あっという間に木のてっぺんあたりに到着する。
追いかけてきたグリアモスたちも、躊躇することなく幹を上ってきた。
グリアモスは、木の枝から空に向かって飛んだ。
七都は風景の向こう側に、地の都の透明なドームをほんの一瞬だけ垣間見た。
それは、七都とグリアモスを見守るかのように、静かにそこに存在していた。
放物線を描いて地面に着地すると、グリアモスは七都を背中に跨らせたまま、再び走り出す。
背後のグリアモスたちも同じように降り立ち、追ってくる。だがその動きは、明らかに鈍くなっていた。
緑の目のグリアモスは、七都を乗せたまま、地面を何度もジャンプした。
ポーン、ポーンと軽く跳ぶ。
それは、背中に乗せている七都を気遣うような、やさしい跳び方だった。
七都は、後ろを振り返った。
グリアモスたちは、はるか後ろに黒い影の一群となっている。
影の群れはさらに遠くなり、やがて木々の影と区別がつかなくなった。
「追いかけて来ない……?」
(もうすぐ夜が明ける。あきらめたんだろう)
頭の中で声が言った。
確かに空の色が変わってきている。
黒味がかった瑠璃色から、真珠色を帯びた青へ。
山々の向こうは、薄い水色だ。
七都は、グリアモスの首筋に顔をうずめる。
「あなたも、早く避難しないと太陽に溶けちゃうよ」
(もちろん、それは避けたい)
グリアモスはしばらく走り、やがて、ゆっくりと止まった。




