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第1話 紅目の魔法使い 1

 また、感じる……。

 七都は、立ち止まった。そして、ゆっくりと振り返る。


 太陽は既に沈み、地上が闇に包まれてから、随分時間がたつ。

 月が輝きを増し、その粘つくような銀色の光の膜を夜の景色の上にどっぷりと塗り重ねていた。

 月の光が届かぬところは、真の闇。何かが潜んでいたとしても、決してわからぬ妖しい暗黒の空間。

 人口の光で、深夜でも快適に補足された七都の暮らす世界とは、全く異なっている。

 とはいうものの、魔神族の体を持つ七都の目には、闇も昼間の影のように薄く映り、景色も遠くまで簡単に見渡すことができた。


 誰もいない。

 さっきまでの気配が消えている。

 歩くのをやめたので、素早く隠れたのか。

 七都が歩いてきた道には、月の光が濃く静かにわだかまっているだけだった。

 ただ、風が木の葉をさらさらと、涼しげに揺らして行く。動くものといえば、それくらいしかなかった。

 このあたりは、ますます魔の領域が近い。

 昼間は行きかう旅人も多い道だが、闇が地上を覆い始めると人の姿は消え失せる。

 旅人たちはもちろん、魔神族を怖れているのだ。

 彼らは、太陽が再び顔を出すまで、決して道に姿を現さない。

 ふと、歩いているのが自分だけであることに気づくと、結構あせるものがあった。

 それでも七都は、構わずに歩き続けていた。

 日が沈んでからのほうが快適で、歩く速さも当然増す。

 本当のことを言うと、昼間は日陰で眠って、夜になってから目いっぱい歩きたいくらいだ。

 だが、そのへんで昼間から寝るわけにもいかない。

 七都が道端で寝たりすると、もちろん物凄く目立ってしまうに違いないし、遭遇しなくてもよいトラブルや危険をわざわざ呼び寄せることになる。


 闇が深くなると、七都は木や草の陰で横になり、少し眠った。

 携帯しているカトゥースを飲み、相変わらずどこかから飛んできて髪にとまる蝶の群れから、エディシルをもらう。

 朝になると、街道に姿を現した旅人たちに混じって、マントのフードを深く下ろし、今度は、のろのろと歩き始める。グリアモスの傷のせいですぐ疲れてしまうので、頻繁に休憩しながら。

 そういう行動パターンを続けて、もう三日くらいになるだろうか。

 この調子では、七都の足で魔の領域に到着するには、セレウスが言ったよりも、もっと時間がかかるかもしれない。


 けれども、昨日の晩からだ。

 七都は、何者かの視線を感じるようになった。

 誰かに見られている。それも、あたたかく見守るような視線ではなく、鋭く突き刺すようなものだ。

 氷のように冷たく、明らかに敵意も混じっているような気がする。

 視線を感じて振り向いても、その視線の主は、むろん見つけることはできない。

 その感覚は、太陽が昇る少し前になると突然消え失せた。

 気のせいかと思ってもいたのだが、日が沈んでしばらくすると再び同じ感覚が戻ってきたのだ。

 誰かにじっと見つめられている。氷のような視線で。


(魔神族?)


 七都は誰もいない道を眺めて、不安げに思う。

 太陽をおもいっきり避けて、夜しか現れないなんて。

 やっぱり魔神族なのかもしれない。

 なぜ姿を現さないで、自分をただ見ているだけなのかはわからないが。

 もしかして、アヌヴィムの魔法使いだと思われているのかもしれない。額に銀の輪をしているのだから。


 七都の額の輪に気づくと、さすがに人間たちは近寄っては来なかった。

 七都を見つけて、親しげに話しかけて来ようとした若い男性たちも、しばし押し黙り、結局立ち去ってしまう。

 やはり、アヌヴィムの魔法使いは怖れられているらしい。

 アヌヴィムの主人は魔神族。背後には必ず魔神族が存在するのだ。

 だが、それが効くのは人間に対してだけ。

 魔神族は、どういう反応を示すのだろう?

 ゼフィーアは、魔神族の前では、この輪はしないほうがいいと言っていたが。


 昨日は、もっと遠くから見つめられていたような感じがする。けれども、きょうはさらに近くなった。

 そう遠くないところから、じっと見られているのを感じる。気配も際立ってきた。

 このまま野宿などしたら、襲ってくるかもしれない。

 グリアモスじゃないなんて、言い切れないのだから。

 とにかく、人間の中に混じってしまったほうがいいかも。七都は思う。

 視線の主も、たくさんの人間と明るい光に囲まれている七都には、接触しにくいに違いない。


 ふと見渡すと、ちょうどそこに、こざっぱりした一軒の宿があった。

 橙色のあたたかい光が、窓からこぼれるくらいに溢れている。旅人も大勢泊まっていそうだ。

 七都は迷うことなく、その扉を開けた。


 途端に七都は、何層にもなった、賑やかな音に包まれる。

 扉の正面にはカウンターがあり、宿屋の主人らしき中年の男性が座っていた。

 カウンター以外の空間には、テーブルと椅子が雑多に並べられ、客たちが飲食をし、陽気に騒いでいる。

 客たちの大声で話す声、笑い声、酔っ払って叫ぶ声。食器の音。そして、そこに渦巻く料理や酒の匂い。

 それは、ほっと出来るものではあった。大勢の人々がそこにいるという証しなのだから。

 けれども、七都は気分が悪くなる。

 魔神族の体は、人間の食べ物をやはりどうしても受け付けない。

 こういう閉ざされた空間にこもった食べ物の強い匂いも、どうやら駄目らしい。

 七都が姿を見せると、客たちはさりげなく七都を観察した。

 だが、額にはめているV字型の銀の輪の意味を理解すると、途端に視線をそらし、それまでの行動を何事もなかったかのように、続けるのだった。


「お泊りですか、アヌヴィムの魔法使いのお嬢さん」


 宿の主人が、七都に話しかけた。


「あ、はい。部屋、空いてます?」

「もちろん、空いてますよ。前払いでお願いしますね」


 主人が、七都を疑り深く、無遠慮に眺める。

 後払いにして、何度も宿代を踏み倒された経験があるのかもしれない。

 七都は上着のポケットから、小さな布袋を取り出した。

 中から金色の硬貨をつまみあげ、宿の主人に手渡す。


「足りますか?」


 主人は、その金貨を手のひらに乗せたまま、あんぐりと口を開けた。


「足りるどころか。十泊されたって、お釣りがたくさんいりますよ」

「そうなんですか。一泊でいいんですけど」

「では、いちばんいい部屋を使っていただかなくてはいけませんね」


 金貨が入った袋は、上着のポケットに、最初から入っていた。

 町を出てしばらく歩いているうちに、七都はポケットにそれが入れられていることに気がついたのだ。

 金貨は、全部で五枚入っていた。

 一枚でこういう宿に十泊以上できるなら、七都にとっては、結構な大金ということになる。

 もちろんゼフィーアが、さりげなくポケットに忍ばせておいてくれたに違いなかった。

 宿に泊まって、あたたかいベッドで眠ること。人間の食べ物も水も買う必要のない七都にとっては、それぐらいしかお金を使うことはない。

 ゼフィーアは、そのことも見越していたのかもしれない。

 夜になったら野宿なんかしないで、きちんとベッドでお眠りなさい。

 彼女にそう言われているような気がした。


(ありがとう、ゼフィーア)


 七都は、改めて彼女に感謝する。

 今夜は宿に泊まるよ。お金は遠慮なく使わせてもらうね。


「お食事は?」


 宿の主人が七都に訊ねた。


「いりません」


 七都は答えたが、ふと考える。

 食事をしなかったら、あやしまれるかな。


「えーと、その。ちょっと疲れすぎて、気分がすぐれないので」


 その時、誰かが、七都の三つ編みをした髪を後ろから、ぐいと引っ張った。


「え?」


 七都は振り向いたが、そこは壁だった。誰も立ってはいない。

 だが、七都が動こうとすると、髪は再び引っ張られる。


 宿の主人が、ひいいっと叫んだ。

 七都の三つ編みの髪の先は、壁の中にめりこんでいた。

 壁の表面から、髪が垂れ下がっているような状態になっている。


(なに、これ……)


 七都は、呆然と、自分の髪を見下ろす。

 引っ張ってみたが、髪は壁から抜けなかった。

 固く、壁の中にぬりこめられている。

 魔法?

 誰かが魔法を使って、ちょっかいをかけている?


「だ、だいじょうぶ、お嬢ちゃん?」


 宿の主人が、あせりまくって七都に訊ねる。


「だいじょうぶじゃないですっ!」


 七都は、叫んだ。そして、客たちをさっと見渡した。

 この中にいる。

 魔法を使って、こんなくだらないいたずらをした誰かが。


 すぐに七都は、ホールの隅で酒の入ったグラスを片手に持って、笑いをこらえている一人の若者を見つけ出した。

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