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Call me  作者: 壬生一葉
第1章
9/45

【9】


13/05/01 誤字訂正しました。





正式発注をし、契約を結ぶ為に若さんが見た事のある男性を連れ立ってあたしの会社を訪れた。彼から渡された名刺の名前を見て、別チームに居た人だったなと記憶が蘇る。彼の方もあたしに見覚えが有ったようで笑顔で「お久し振りです」と声を掛けられた。


請負書に目を通し互いに不備が無い事を確認すると、権藤部長は社長印押印の為秘書課へと足を運ぶのに中座した。


「芳野さん此方で働いてらしたんですね。今日、来る時に若さんに芳野さんが居るって聞いて吃驚したんですよ」

INCでは、チームが別だと顔見知り程度なものだが彼は人懐こい性格なのか親しげに話し掛けてくる。あたしは曖昧に笑うだけに留めた。

「そう言えば、ませ」

打出(うちいで)、余計な話はするな、今は仕事中だ」

彼の口から出かかったある名前。若さんが気を利かせて彼を窘めると、肩を竦め彼は黙る。

「仕様書、見たよ。こっちが手を加える事の無いほど良い仕上がりだったな」

出された緑茶に口をつけてから、若さんがそう言う。


INCを辞めてから、この会社に入って情報システム部なんて仰々しい名前の部署に配属されたものの、ルーティンワークがサーバー管理とホームページ管理だ。ホームページの多少の手直しなら難なくこなせる自信はあるが、サーバー異常は自分が手掛けた訳じゃないのでサーバーを配置したシステム会社へと連絡をする仲介役でしかない。

だから久々にプログラマらしい仕事の一端を担う事が出来て力が入っていた部分はある。

其処を育ての親である若さんに認められ、目の奥が熱くなるのを禁じ得なかった。其れを悟ってか、すかさず若さんがダメだしをする。

「誤字は見つかったけどね」

あっと言う間に熱が引き、あたしは「申し訳ありません」とテーブルに額を擦る程頭を下げていた。

条件反射と言っても過言ではないこの行為に、打出さんが「相変わらず芳野さんに厳しい」ぼそりと呟く。フロアであたしが若さんに怒鳴られていたのは他部署でも有名な話らしい。

「俺が育ててあの誤字はない」

がばっと顔を起こしあたしは自分でも解る程情けない顔をした。

「どの誤字ー?」

「敢えて言わないでおくよ」

「言って下さいっ」

此れが何時ものあたし達のやり取りなのだが、若さんの隣に座る彼はぽかんと口を開けている。若さんは其れを理解して彼の肩をポンと叩いた。

「俺とよっしーは、信頼関係築いてるの。俺等のチームに来て半年のお前には解んないだろうけど」

「いや、て言うか若さんにそんな口聞けるの、真関さん以外に居たんで吃驚してますよ!」

若さんが大袈裟に溜め息を吐く。結局は打出さんから彼の名前が語られた。胸が少しざわついたけれど、若さんの仕草が面白くて苦い笑いが零れる。

きっと打出さんはあたしと修哉さんが付き合っていた事を知らないで他意なく口に出しているのかもしれない。


和やかに世間話をしているとミーティングルームのドアがノックされ、秘書課長と権藤部長、そして和田主任が顔を見せた。秘書課長は押印の為に此処へ訪れるのは承知済みだが、何故主任迄。権藤部長が若さん達に秘書課長を紹介した後、このプロジェクトの一員だと和田主任を紹介した。社内に居た所を権藤部長に掴まったのだろうか。

秘書課長は直ぐ座席に座り、押印箇所の確認を始めたので、若さんは立ち上がり和田主任に名刺を差し出した。主任は手慣れた名刺交換をそつなくこなし、あたしの隣に着席する。若さんと打出さんの名刺をテーブルに置くとあたしの方に少し身体を寄せ

「部長に顔見せだけでもって言われた」

と標準語で囁いた。あたしは小さく頷く。両社で押印の確認を済ませ、請負契約を無事に締結した。


「下迄、お送りします」

あたしはエレベーターホールで権藤部長に進言し、彼等の見送りを買って出る。部長は二つ返事でその場を離れて行き、和田主任は少し迷っている様だったが「私は此方で失礼させて頂きます」と頭を下げた。顔を上げた主任が一瞬、あたしに視線を投げ掛ける。何かを言いたそうな雰囲気を感じたけれど彼は何も言わず踵を返した。

乗り込んだエレベーターであたしはパネルを背にして彼等に「これから宜しくお願いします」と笑みを見せる。

「そうだな、よっしーにも弄って貰おうかな」

若さんが判り切った嘘を吐くものだから、あたしも「バグ出しますよ」とお返しをした。エントランスに到着すると若さんは、タクシーを止める為打出さんを先にビルから出る様促す。

「この前は悪かったな、突然」

「全然。若さん、其れ言う為に来てくれたんでしょ?」

「…それと真関な、開発を統括する役職に就いた」

「はい」

「言っちゃ悪いが、こんな小さな仕事にアイツが関わって来る事は絶対に無い」

「はい」

「けど、お前に接触しないとは俺は言い切れない」

「…はい」

「俺は此れ以上お前等の事に首を突っ込む気はない」

「了解です、お気遣い有難うございました」

会釈して頬に掛かった髪を右手で耳に掛け、あたしは若さんに視線を合わせた。若さんの方が苦しそうな顔をしていて、この人は本当にあたしを大事に想っていてくれてるのだなと思える。

「若さん、あたしこの仕事頑張りますね。お手伝い出来る事があれば言って下さい」

「…そうする」


彼等の背にもう一度腰を折る。

修哉さんの顔が頭に浮かんだ。最期の台詞を放った時の苦しげな表情だ。

INCにあたしが居ない事を、彼はどんな想いで聞いたのだろう。あたしの不在の意味をどう捉えたのだろう。


ゆっくりと顔を上げ、ファイルを胸に抱え直して振り返る。直ぐ其処に何かがあるなんて思いもせずに振り返ったものだから、その壁にあたしは驚いて数歩後ろへと退いた。

「今日夜、俺のマンション来い、引越し祝いや。ええな?」

「えっ…ちょっ」

和田主任は自分の言いたい事だけ言うと、ビジネスバッグ片手に颯爽とあたしの横を擦り抜ける。慌てて彼を振り返るも、このエントランスにあたしと同じ様に彼を追う別の女性達が居る事に気付いて口を噤んだ。





   ◇



「酒、買うてきた?」

「…買ってきましたよ!」

「何怒おうてんねん」

開かれたドアを押さえ、不思議そうな顔をしてそんな事を聞いてくる和田主任を憎々しい目付きで見上げる。あたしの左肩には通勤バッグ、左手にはワインが二本、右手にはデリとかそんな類い。

あたしはマンションの狭い玄関に足を踏み入れて、そのワインとデリをずいと突き出す。

「引越し祝いです! ではあたしは帰りますから!」

「おもろいなぁ自分。ま入り」

「主任っ! 聞いてます?」

「靴は脱いでや? 外国と違うねんからな?」

引っ張られた右腕、土足で室内に上がる訳も行かず、あたしはわたわたとパンプスを脱いで短い廊下の先のリビングに通された。



あの後、彼にマンションに来るよう言われた事等失念していたあたしは雑務をこなしていた。定時を過ぎて一本のメール。相手は和田主任で”今日はもう上がるからお前も早く来いよ” と勝手な内容のメールだった。大体、引越し祝いに行くなどと快諾もしていないのに”早く来い” とは何事なのか。あたしは溜め息を吐きつつ、其れを無視して仕事を続行した。

その三十分後位だったろうか。主任から催促のメール。”返事は?” あたしは犬ではない。此れも見事にスルーして仕事に意識を戻す。更に数分後、”酒とつまみ買うてきて” 何故かパシリ扱い。其れもスルーすれば、嫌がらせの如く携帯にメールが着信する。近くに座っている牧野が振り返り

「芳野さん、ブーブーブーブー、五月蠅いんスけど」

と文句を言う。あたしは携帯を取り上げ、電源を落とした。その時勝利したかの様に高揚した自分が浅はかだった。

会社のパソコンに新着メールを知らせるポップが上がる。和田主任があたしの会社のアドレスにメールを送って寄こしたのだ。”早く仕事終われ” 流石にあたしはデスクに突っ伏して白旗を上げるほか無かった。



通されたリビングには一緒に見に行ったレザーソファが毛足の長い白色ラグの上に鎮座していた。引っ越して間もないせいか生活感は薄い。未だ引越し業者の段ボールが二つ部屋の隅に置いてある状況で、テレビさえも無く部屋は無音だ。ソファの前にはガラス板のローテーブル。その上には、ワイングラスが二つとクラッカーとチーズが乗ったプレート、ノートパソコン。


…仕事するなら、会社ですれば良いのに。


恰好だってスーツの下に着ていたであろう白いシャツにスラックスのまま。あたしが来るのを待っていたのがありありと解るこの現状に、彼に対して抱いていた怒りは鎮火してしまった。主任はあたしの視線に気付いてか、パソコンを閉じると其れを持ち別の部屋へと続くドアの向こうに消えた。プレートの上に食べ掛けのチーズが見えた。お腹も空いているんだろうな。

あたしはバッグをソファの横に立て掛けると、キッチンへと先ず向かった。手洗いを済ませ、キッチンカウンターの上に何枚も重ねられているプレートを出して近くのスーパーで買ったデリを盛り付ける。ワインは好みが解らず白と赤を買ったのだが、チーズも出ていた事だし赤を選んでローテーブルへと運んだ。別室から戻った彼が少し驚いた顔をしていた。



「引越し祝いやりますよ、座って下さい」



あたしはぶっきらぼうにそう言った。







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