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Call me  作者: 壬生一葉
第1章
8/45

【8】


「主任っ前、見て下さいっ!」


あたしはフロントガラスと主任の顔を交互に見て大きな声を上げた。その声に我に返ったように主任は顔を前に向ける。あたしは事故への恐怖で一気に荒くした呼吸を整えるように数回ゆっくりと呼吸をし、自分のシートへと背を預け座り直した。

そんなあたしを余所に主任は「くっ」と笑う。笑うとこじゃないっ! 叱ってやろうかと彼に目を戻すと、主任も同じ様に此方を向いた。目尻が下がって、結んだ薄い唇が綺麗に弧を描く。

「…っ」

あたしは言い掛けた言葉を飲み込んだ。主任は一瞬動けなくなったあたしを見ても茶化す事などせず、前方に視線を遣った。


心臓が早鐘を打つあたしはぎゅっと握り締めた両手を膝の上に置いて俯く。


王子の様に綺麗に笑う姿でも、子供みたいにはしゃいで笑う姿でもなくて…ふわりと主任が笑った。その笑顔にあたしの胸が大きな音を立てている。明らかに先程とは毛色の違う鼓動の速さを感じてあたしは戸惑った。


何で突然あんな風に優しく笑ったんだろう? あたしそんな特別な事を言っただろうか。思った事を言っただけのつもりだったのに。そんな事を堂々巡りで考えていた。暫くすると主任がラジオから流れる流行りの洋楽に合わせて小さな声で口ずさむ。ちらりと視線を横に流すと、こっちがドキドキしてるのが馬鹿みたいに彼は至って普通にドライブを楽しんでる風だった。

あたしは「ナンダッタンダ」と肩の力を抜いた。





「ウィークリーのベッドのマットレスが硬くて敵わんのや」

顰めっつらの表情でそう嘆きながら、主任は展示されているマットレスを掌で押し込んだ。

「新しい所にベッドとか搬入したら完全撤退ですか?」

「せや。明日にでもふかふかのベッドで眠りたい」

実家暮らしのあたしの部屋は二階にあって、純和室。元々がお爺ちゃんのおうちで、キッチンやお風呂のリフォームをして暮らしている家で、居室は依然として古い造りなのだ。ベッドを置くと畳が傷むので敷布団。毎朝、押し入れに入れる作業も実は面倒で、ベッドは憧れの代物だった。

スチールパイプの洋風なベッドに腰掛ける。そうするだけで自分の希望がほんの少し満たされた気がして笑みが零れた。いつかあの家を出る時が来て、その時は絶対にベッドで眠ろうと小さな誓いを立てる。

「すんません、此れ欲しいんですけど」

あたしは主任の声に慌てて振り返った。未だショールームは見始めたばっかりで、ベッドだって未だ幾つか展示されているのに即決している主任を驚愕の眼で見つめた。その視線を知ってから知らずか彼は「あと、ソファ探してるんです」と次を促していた。

「早過ぎっ」

彼が購入するのはフレームがブラックのシックなものでダブルサイズだった。確かにあの部屋ならこのサイズを置いても圧迫感はないだろう。そんな想像をしている間に彼と店員さんは歩き出していて、慌ててあたしは彼等の後を追う。


次のソファも先に同じで「じゃぁ此れで」と、ブラックのリアルレザーを指差していた。ショールームの滞在時間は二十分程だ。

「何か上手いもん食って帰るか」

駐車場に向かう彼の足取りは軽い。其れはそうだろう。今し方購入したベッドとソファ、明日新しいマンションへの搬入を店側に強引に約束させたのだから。

「もっと、悩むとかないんですか? 試すとか…ソファ他のも座ったりしました?」

「しぃへんよ。俺自分の直感とか信じとるし」

手の中で携帯を弄っているのか、彼はあたしを振り向きもせずそう答える。あたしは小さく溜め息を吐いた。これじゃ此処に来るまでの道中の方に遥かに時間が掛かってしまった。わざわざ車まで出して貰う程じゃなかった気がする。借りた車は”わ” ナンバー、勿論レンタカーで高速代だって彼が支払った。運転だって彼で、コーヒーだって彼が気を利かせて買ってくれた。

「何や? 未だ中、見たいんか?」

いつの間にか足が止まっていたらしく、主任があたしを振り返っていた。首を横に振ってあたしは小走りで彼の隣に並ぶ。

「何かわざわざこんな遠い所ですみません。運転とか疲れましたよね?」

あたしは落とした視線の先の、パンプスの爪先を見ながら言った。

「…何謝っとんねん。謝られる様な事された覚えないけど」

「でもだって、こんなに早くお買い物済まされるんだったらもっと近場のインテリアショップでも良かったですよね。あ、あたし高速代とか払いますから」

そうあたしは一気に捲し立てて手提げバッグの中の財布を探す。

「何やねんて急に。自分が教えてくれた店が良かったから直ぐ欲しいモンが見つかったんやろ?」

「…でも、此処までの距離とか…買い物の時間とか考えると割が合わない様な気がして」

バッグに片手を突っ込んだまま、あたしは彼を見上げる。彼は柳眉を深めながら

「その感性が全然解らへん」

ときっぱり言った。

「聞くけど自分、店、来るまでの間退屈やった?」

あたしは暫し考えて首を横に振る。

「俺も同じやし。寧ろデート出来て俺はラッキーやと思おてる」

デート? 彼の言葉にあたしは目を丸くした。すると彼が笑ったので、あたしをからかったのだと解って「馬鹿っ」と彼の腕を軽く叩いた。益々彼は笑った。


彼は…主任はあたしが引っ込めようとした右手を取るとそのまま広い駐車場を歩き出す。

「芳野、何食いたい?」

繋がれた手の意味が解らずに彼の半歩後ろを歩くあたしに更に困惑の塊が落ちて来た。初めて、主任があたしを”自分” ではなく、”芳野” と呼んだ。呼ばれた事に、驚き以上の不確かな感情が湧き上がった。





   ◇




「うわ、すげーっスね芳野さん。やっぱりバリバリ、プログラマだった人だなぁ」

あたしの斜め後ろに立つ牧野が、あたしが弄るコードの羅列を見ながら感嘆の息を漏らす。あたしは左手で鼻を摘まみながらデスク上のボトルガムを指差した。

「…俺、パワハラで訴えますよ。どんどん失礼度増してますからね?」

あっちへ行けとばかりに手をヒラヒラと振り、煙草臭い牧野を遠ざける。牧野がガムを噛みながら歩き出したのを確認して、もう一度画面に視線を戻した。


そう言えば…土曜日結局夜まで一緒だった和田主任は、あたしと居る間一本も煙草吸わなかったな。


あの後ランチを食べる為に、高速には乗らず一般道を走った。行き当たりばったりで入った定食屋さんが思いの外美味しくて二人で顔を見合わせて、ラジオから流れる昔の曲のタイトルの記憶違いを指摘し合って、少し神奈川まで足を伸ばすドライブをして都内へと戻った。

車内と言う閉鎖的な場所にも関わらず、行きの車でのあの反則的な笑顔と、あたしの手を引き名前を呼んだ事以外は楽しいというだけの時間だった。


自分でそんな事を思い返して小さく頭を振った。何でこのタイミングで彼を思い出してしまったのか。


仕事に集中しようと姿勢を正した時、権藤部長に呼ばれあたしは慌てて立ち上がった。

「芳野君。ソフトの発注先ね、ココにしようと思うんだけどね。君、問題無いよね?」

その質問の仕方が少しおかしいなと感じたが、渡された見積書の表紙を見て合点がいった。


『インテグレート・ネットワークコーポレーション』


「問題が有って辞めた訳じゃないんだよね? いや確認だけどもね?」

「…体調不良が原因で幾らかご迷惑をお掛けしましたが、問題と言うほどの問題はありません」

「そうだよね。良かった、やっぱりね、ある程度実績のある会社にね頼みたいからね」




やけに喉が渇いて、身体が重いと感じた。手にした用紙の表題が微かに揺れた―――――。









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