【8】
「果歩ーっ」
「流星君、こんにちわ」
会社が冬季休暇に入った翌日、あたしは菫ちゃん ―― 大貫さんの事だ ―― と彼女の息子の流星君とショッピングモールで待ち合わせをした。
「果歩ちゃん、ごめんねー流星が果歩果歩うるさくって」
「んー良いよ、流星君可愛いし」
「果歩ちゃん良くても、主任が良くないんじゃない? 大丈夫だった?」
本当は『他の男んとこ行くんか自分』とねめつけられたけど、ちょっと拗ねているのが可愛くてあたしは笑って誤魔化した。
「大丈夫大丈夫。あ、でも三時位に約束してるんだけど、其れまでで大丈夫?」
「全然! ランチ迄してくれたら其れで気が済むと思うから」
菫ちゃんが自身の眼前で掌を合わせ謝罪の意を表すから、あたしは小さく手を振った。
あたしと菫ちゃんは社食でランチを一緒にする事が多くなってから、プライベートのお付き合いも始まった。
「果歩、カッコ良いだろー?」
あたしに向かって、手にしていたカードを突き出してくる流星君。身長が未だ一メートルにも満たない彼の視線に合わせるべく、あたしは膝を折ってしゃがみ込む。そのカードには、男の子が好きそうな日本の平和を守るヒーローが描かれていた。確か、あたしが小さい頃からこのシリーズは有った。今は、こんな派手なコスチュームなんだなぁと驚いた。
「うん、恰好良いねー。此れはお友達と交換したりするの?」
「ううん、ゲームー」
「ゲーム?」
其処へ菫ちゃんがあたしと同じ様に流星君の傍に屈んで、ゲームのやり方について簡単に教えてくれた。
「ふーん。じゃぁ流星君がゲーセンに行きたいって言ったのは、このゲームをやる為なの?」
「そう! 果歩もー」
そう言って流星君がその小さな手で、あたしの手を握りゲーセンに引っ張って行こうとする。菫ちゃんが慌てて「流星、三階に行かなくちゃ!」とエスカレーターを指差した。何だか子供の一生懸命さが可愛くて仕方なかった。
エスカレーターで上へと運ばれる途中、菫ちゃんが
「果歩ちゃんって弟とか妹、居るの?」
と聞いてきた。「一人っ子」だと答えると意外そうな顔をされて逆にあたしが何でそう思ったのかと訊ねる。子供の扱いに慣れてる感じがすると言う答えが返ってきた。
「ちゃんと子供の目線に合わせてあげるところとか、子供だからって適当にあしらわないところ」
「そうなのかなー? 分かんないから逆に大人に対するものと同じ様になってるのかも」
「良いママになりそうだね、果歩ちゃん」
何だかニヤニヤとした笑いを貼り付けながらそんな事を言う菫ちゃんに少し身体を引いたら、あたしの手を握っていた流星君が「果歩、ママー?」と目を丸くしていた。
流星君はカードを一枚取り出して、其れを目当てのゲーム機にスキャンさせた。すると先程あたしに見せてくれたヒーローがそのゲーム画面に現れるのだ。手元に半球のボタンがあり、悪と戦う時に其処を連打して相手にダメージを与えるらしい。流星君の顔は真剣そのものだ。
流星君がゲームに夢中の間、菫ちゃんが小さく呟いた。
「こんな時、旦那が居てくれたらって思うんだよね」
菫ちゃんの旦那さんは流星君が一歳になる頃、異動で福岡に単身赴任で行ってしまった。流星君がパパと会えるのは夏休みとお正月の年に二回だそうだ。
「でもお正月帰ってくるんでしょ?」
「元旦にね。向こうは五日が仕事始まりだから四日には帰っちゃう…本当は一緒に付いて行けたら良かったんだけど、あたしもう仕事復帰した後だったし旦那に付いて行くから会社辞めますとは言えなかったんだよね」
「だよね…流星君、寂しがったりする?」
「うちさ、あたしの父親が割と元気だから休日とか一緒に遊んでくれたりするの。だから未だ良い方なんじゃないのかな。其れに小さい時に離れたから、べったりって感じでもないし…逆にあたしが寂しいかも」
流星君の選んだヒーローが勝利したらしい。誇らしげに振り返るその姿が堪らなく可愛くて、あたしは彼の身体をきゅっと抱き締め「流星君、強いんだー」と言うと、流星君は恥ずかしいのか身体を捩った。
「もう一回、ママ、もう一回!」
菫ちゃんは一度、窘める様な視線を送ってから「次が最後だよ?」と彼に百円を手渡した。
あたし達は又、戦う流星君の背中を見つめながらさっきの会話を続ける。
「慣れない子育ての中、実家で生活させて貰って恵まれてるとは思ってる。もう寧ろ贅沢だよね。だけどさ、親や友達には言えないけど、旦那には言える事とか、旦那と分かち合いたいと思う事ってやっぱり有るんだよね」
流星君はボタンを力強く叩いて、先程とは違うヒーローを登場させている。
「たまに会うでしょ? そういう事を普段思ってるって話したいとも思うんだけど、何か上手く言えないの。今、思ってる事って今しかないじゃん。例えばさ、流星のこのゲームに夢中な姿とか今、目で見て感じてる事じゃない。此れを一月二日の旦那に『夢中でね』って話しても話半分な気がするの」
「又、三人で此処に来たら?」
「…うん、きっと流星が強請るからそうすると思う。でも其れは一月二日の流星の話なの。流星は日に日に成長していく。明日は一日分成長した流星なんだ。今日の流星の背中を旦那と二人で見ていたいのにって思っちゃうの」
あたしは菫ちゃんの話を聞いて、情緒的な思想だなと感心してしまった。揶揄する気は全くない。確かに、あたしは今このゲーセンに来ていてユキさんも一緒だったらなとは思う。きっと彼も流星君の様に楽しんでしまうだろう。だけど、其れは”何時か” でも良いと思ってしまう。
だから、菫ちゃんの言う”今日の流星君でなければ意味が無い” そんな風に捉えている事にそういう考えも有るのだと驚かされた。
「離れて暮らしてみて、そんな風に考える様になったんだけどね。果歩ちゃんは遠距離とかした事有る?」
あたしは頭を振った。菫ちゃんは「そっか」とだけ呟いて、流星君の背中を見つめる。丁度ゲームが終わったらしく彼が振り返り、満面の笑みを浮かべていた。彼女が、ゲームで勝利した流星君を抱き上げて「本屋さんにでも行く?」と声を掛けると、流星君は「うんっ」と笑顔で答えた。
本屋に行くと、菫ちゃんが流星君に絵本を読んで聞かせる事になって、あたしは適当にさせて貰った。コンピューターと分類された棚に気になる本を見つけ、あたしは其れを広げる。気になるタイトルだったのに、あたしはその中身には集中出来ず、頭の中では先程の菫ちゃんの話を思い返していた。
大切な人に全ての時間を捧げる事は出来ないけれど、この一分一秒が大事なんだ。
何か…会いたくなってしまった。『何やねん自分』って言って貰いたい。
あたしは本を棚に戻すとバッグの中から携帯を取り出して、メールを打ち始めた。今は菫ちゃん達との時間だから会いたいとは打てないけれど、せめて彼の言葉を聞きたいと思った。
流星君とゲーセンで遊んできたよ。今のゲームは凄いんだよ!
今度ユキさんと一緒に行きたいな。
そんな風にメールを送る。彼は未だこの時間は家に居る筈だが、何をしているだろう。有料チャンネルのバスケの試合でも観ているかもしれない。そんな風に思った所で彼の返信が届いた。
今日行こう。他の男と行った場所なんて全部上塗りしたる!
笑った顔の顔文字付きのメールはあたしの心を一瞬にして満たしてくれた。何処までが本気で何処までが冗談なのか判らないけれど、彼らしい言葉に顔が綻んだ。
◇
新しい年をユキさんの家で迎え、この始まりを幸せに思う。
三が日が過ぎて、あたしの住む町の小さな神社へユキさんと二人初詣にやって来た。手を合わせ、あたしは祈る。
――― ユキさんとずっと一緒に居られます様に
年に一度の参拝で図々しいかしら、あたしはそんな事を思いながらあたしよりも長い時間手を合わせていたユキさんを見上げる。目が合うと「何て言うたん?」と訊かれた。
「健康で居られます様にって」
「くっくっ、まぁ何事も身体あっての事やからね」
「ユキさんは?」
「俺も似た様な事や」
伸ばされた手を取りぬくもりを分け合って、境内を歩く。露店で大判焼きを一つ買って半分にした。彼は粉モノには五月蠅くて微妙な顔付きをするものだから、笑ってしまった。
「お正月、ご実家帰らなくて良かったの?」
「…まぁー今回はええかなて。夏は、帰ろかなと思うてるけど」
ユキさんはあたしから視線を逸らし、まるで遠くの誰かを探す様に人混みの向こうを見つめた。何だか其れが知らない横顔に見えて、あたしは彼の名を呼ぶ。ユキさんはゆっくりとあたしを見下ろして「何?」と何時もの口調で言った。
「ユキさん…何か、あった?」
抱えているのなら話して欲しい。あたしはそんな思いで彼の双眸をじっと見つめた。




