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Call me  作者: 壬生一葉
第3章
39/45

【5】

「お疲れー」


そんな声と共にあたしのデスクにビニール袋が置かれ、あたしは右側を見上げた。シバが「ご飯食べよ」と同じ様なサイズのビニール袋を片手で持ち上げている。

あたしは思わず壁に掛けてある時計を確認した。何時の間にか正午を過ぎていた様だ。

「お疲れ様…ありがと」


ビニール袋の中身は、温かいお茶におにぎり、ゆで卵とミニ大福。シバの其れも同じで、おにぎりの具だけが違うらしい。

「ん? 明太子の方が良いのぉ?」

「あ、ううん違うの。あ、お金」

「良いよ良いよ、今度何か奢って?」

あたしはお礼を言ってペットボトルのキャップを開け、一口飲んだ。程良い温かさのお茶が身体に落ちて行く。そして、あぁ随分集中していたのだなと理解した。

「仕事、忙しいの? 社食でも全然会わないから、今日は此処に来たんだけどねぇ」

「うん、月内に上げたい仕事があって」

「ふーん?」

シバは其れ以上は掘り下げるつもりが無いらしく、綺麗におにぎりのフィルムを剥がして小さな口で齧り付く。指先で口元を気にしながら咀嚼し嚥下した後シバが言った。

「主任、大阪出張行くんだって?」


パーテーションの向こう総務部に人の気配を感じるが、課長も牧野もお昼に出ていてうちの部にはあたしとシバ以外誰も居ない。


「そうみたい、お客さんとこの創立祭ってのがあるんだって。で今日から前泊」

「…果歩と主任ってさ、いつ会ってるの?」

あたしはデスクの上にゆで卵を打ち付けていた手を止め、彼女の顔を見る。所謂”阿保な” 顔をしていたと思う。

「んーだってさぁ? 二人ともホントに忙しそうじゃない? 夜だって帰宅時間が合う訳でも無いでしょ? 休日出勤もザラじゃないって言うじゃん」

シバの彼氏の神崎さんは、ユキさんの部下に当たる人だ。ユキさんの多忙さを彼伝いにシバも聞いているのだろう。確かに、此処暫く彼とゆっくり会った記憶が無い。

「…時間が合えば?」

「なーにー其れ。そりゃそうでしょうよ」

シバは呆れた風に笑った。

例のイレギュラーな仕事が入ってから、あたしは随分プライベートな時間を削っていた。ユキさんと会いたいと思う気持ちも、会えなくて寂しいと言う気持ちも勿論有る。でも物理的に難しくて、一生懸命にメールを打っていたりする。ユキさんは、あたしの仕事終わりを待つと言ってくれたり、社内に居ればランチでもと言ってくれるけれど、彼だって夏に取った案件が本格的に動き出して多忙を極めていた。疲労の色を浮かべている事も知っている。お互いが今、我慢の時期なのかなって話していたところだ。


「シバ、こそ、いつ会ってるの?」

「結構? 毎日?」

「え?」

「基樹君一人暮らししてるの。合い鍵も貰ったし、何時来ても良いよって言ってくれてるからほぼ毎日行ってるかな」

そう言うシバの頬が少し赤らみ、幸せそうな笑顔を見せた。


ユキさんの家で、ユキさんの帰りを待つ……何か良い。


あたしは其処でハタと気付いた。大貫さんが既婚者でお子さんも居たと言う事実を知ってから、何だか自分が『結婚』について強く意識し過ぎている事に。


あたしは小さく頭を振って、ツルンと殻を向いたゆで卵を齧った。





   ◇




「芳野さん、管財の大貫さんて人から内線です」

牧野がディスプレイの向こうから些か不機嫌な顔をしてあたしに話し掛けてきた。何でそんな顔するのだと訝しげに見つめ返すと「さっきから何度も呼んでたんスけど」と怒られた。あたしは「ごめん」と口にした後、受話器を上げる。何か問題が有ったのかと構えたあたしに、大貫さんは暢気な声でランチを一緒にと言った。


あたしは酷使した目を何回か瞬いた後「いただきます」と箸を取り上げる。

「シバちゃん、今日は専務と横浜の方なんだって?」

深い交流を重ねた訳でも無いのだが、丁寧語を遣う様な年の開きも無いもので大貫さんとあたしはすっかり砕けた口調で会話を交わした。

「あぁそうみたい、昨日そんな事言ってた」

「大変だよね、あたしなんか内勤だし定時だし気軽だわ」

大貫さんは出産前は秘書課に居たのだけれど、産休明け彼女は現在の管財課へと異動になったらしい。取締役に女性が居るお陰か、出産を考える女性にとっては働きやすい職場だろう。


食事の間、そんな感じで大貫さんとお喋りに興ずる。わざわざランチのお誘いが有ったので何か大事な話でも? と思っていたのはあたしの思い過ごしだったらしい。だったら何で声を掛けたのだろう。何だか妙だな、と感じた。


食事を抜く事が続いて胃が少し小さくなったのか、あたしはお茶碗いっぱいの白米を半分程と豆腐ハンバーグの三分の一を残してしまった。作ってくれた人や、食材に申し訳ない気持ちを抱きながらあたしは箸を置き手を合わせる。

「もうお腹いっぱいなの?」

「あー…うーん何かお腹いっぱい」

「わぁー食が細いってホントだったんだねー」

大貫さんが何気なく言ったその一言に、あたしは思う所が有った。


其れ誰から聞いたんだろう? 前にたまたま社食で会った時は残す事無くきちんと食べ切った気がする。だからあたしがこんな風にご飯を受け付けなくなる時が有るのを大貫さんが知り得る訳がないのだ。


あー…シバ…うーん、ユキさんかな。


恐らくあたしの栄養管理を気遣うユキさんが、大方シバにお守りでも頼んだのだろう。だからシバは昨日、あたしの元へと来たんだ。そして今日は、自分で其れが出来ないから大貫さんに代理を頼んだ。そういう事か。

「ふっ」

「ん? どうしたの、笑って」

「ううん、大貫さん今日は誘ってくれて有難う」

社食を出る際、彼女にそう言うと「ううん、又今度一緒に食べよ?」と笑って手を振ってくれた。



過保護なんだなぁ、ユキさん。

此れが山本さんが言う所の、あたしを大事にしてくれてる、って事なのだ。

あたしは締まらない口元を手で隠しながら、午後も頑張りますかと独り言ちた。



その夜、取引先の創立祭を終えて付き合いで飲みにでも行ってしまったかなと思いつつ、ユキさんにコールする。数回呼び出し音を聞いた後、あたしは小さく溜め息を吐いて携帯を切り敷かれた布団の上にぼふっと倒れ込んだ。


一ヶ月離れていた時さえあったし、どうしても都合がつかなくて六日間会えない時だってあった。大阪出張の前々日に僅か三十分程だったけれど一緒にコーヒーを飲んで、それから未だ二日しか経っていない。なのに会いたくて会いたくて仕方なかった。

彼の優しさが身に染みて、胸がきゅってなったからかもしれない。


良いなぁシバは、殆ど毎日会えて…。シバを羨みながら目を瞑ったところ、未だ手の中にあった携帯が着信を知らせ、あたしは勢い良く飛び起きて画面を指で叩いた。


「も、もしもしっ」

『残業無しやったんや? 凄いやん』

機械を通して聞こえる彼の声なのに、其れでも彼を近くに感じられる今、ユキさん欠乏中なのだと改めて認識する。シバに、あたしの事託した? って言ってみようかとも考えたけれど、其れは彼が望む事ではない様な気がした。だから大貫さんと食事をした事だけを伝えて、明日はもっとちゃんと食べるよと心の中で誓う。

特に用事が有った訳ではない電話だが、彼も其れを理解してくれていたのだろう。何て事ない会話をしてから通話を終えた。其れでも高揚する感情は抑えきれず、あたしはニヤニヤとしながら布団に入りユキさんを想った。





   ◇




販管ソフトのトラブルは無いのだが、使い方が解らないと導入から二ヶ月が経っても内線を受ける。あたしは牧野と苦笑いをし合ってから部を出て、呼び出された営業二課に向かった。


「あ、芳野さん、何か変なボタン押しちゃったみたいで」


大抵は、このデジタルに滅法弱い剣持主任に呼び出されている。ユキさんと同じ役職を持つ剣持主任は、もう直ぐ四十後半に突入するらしい恰幅の良い男性だ。何時もニコニコしているし、女性軽視もしない、凄く良い人だがとにかくエンターキーとスペースキー以外のキーは覚えない、其れくらいのアナログ派。同じ様な事を聞かれる事も多々なのだが、何でか嫌じゃない。

あたしの父と同じアナログ派で、質問が終わると必ず、年下のあたしに向かって目を見ながら「有難う」と言ってくれる事に好感を持っているからかもしれない。


「ちょっと見てみますね」


あたしは剣持主任を安心させる様に微笑み掛けてから、ディスプレイを覗いた。


「主任、又ナムロック押しちゃいました?」

「ナムロ? あ、コレかぁあれー俺押したかなぁ」


二課の人達はあたしに同情の眼差しを向けていたが、あたしは剣持主任を微笑ましい気持ちで見ていた。パソコンが使えて当然の昨今だけれど、人差し指でかな入力してる人だっているものだ。


その時だった。

「朝見さん、和田主任からお電話です」

そんな声が一課のデスクからあたしの背に聞こえて来て、いけない事だと承知しながら思わずあたしは聞き耳を立てた。

朝見さんの返答を聞く限り何か確認を要している様だ。何かトラブルでもあったのだろうか。朝見さんが受話器を置くと別の男性社員が

「どうした、主任トラブったか?」

と訊ねて、彼女は「そうかもしれません」と関西のイントネーションで答えた。結局其れ以上の事が解らないまま、あたしは剣持主任にもう一度ナムロックキーを押して下さいと言い営業部を立ち去った。



あたしには到底出来ない事だ。あたしが彼を仕事の上でサポート出来る事は何も無い。しいて言えばパソコンでトラブルが発生したら、あたしでも彼の役に立てるだろう。

営業事務員でない事を悔やんだ所で、どうしようもない事なのは解ってる。解ってはいても、妬いてしまう。


駄目だなぁあたし…そんな事を思いながら廊下を進んでいく。





「会いたいなぁ」


今日大阪から帰ってくる筈のユキさんに想いを馳せた。








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