【4】
「俺ほんっま晴れ男やなっ」
良く晴れた秋の空の下、山本さんは自分を褒め讃えている。あたしとユキさんは、そんな彼の一歩後ろで彼の背を静観していた。
「ほれ混まん内に人気アトラクション制覇すんで」
ユキさんと秋になったら遊園地にでも行こうかと話していて、其れをいざ実行しようとなったらもれなく山本さんが付いてきた。そろそろあたしも本気で山本さん帰らないかな…と思ったのは内緒だ。
「自分、絶叫系平気なん?」
「うん、割と好き。ユキさんは?」
「俺はデカイ船が前後に揺れるんは駄目やねんけど、速いとか回るとか落ちるんは平気」
「あー解るー。胃が持ってかれますよねアレ」
「せやろぉ?」
あたし達の前を歩く山本さんはチケット販売ブースで既にチケットを手にしていた様で「早よしろ!」と怒号を上げている。山本さんの手にはそのチケットが三枚握られていて、ユキさんは山本さんお手製のお弁当が入ったトートバッグを肩に掛けて歩いていた。
「…ほんま死ねあのクソガキっ」
口ではこんな風に山本さんの事を言うけれど、ユキさんが山本さんの事を大事に想っているのが解る。
大阪に居る山本さんのお姉さんと定期的に連絡を取っているのもユキさんで、転職先を其れとなく探しているのもユキさん。あたしが「優しいんだね」と言えば、「俺が落ち着かんだけや」と言う。そうかもしれないけれど、其れだけではない筈だ。そして、そんなユキさんの行動も山本さんは薄々気付いているんじゃないかと思う。
何時だったか、ユキさんのマンションで食べ終えた食器の片付けをしてるあたしの傍で、山本さんがぼそりと言った。
『アーイツ、なーんも言わへんなぁー』って。
何だか二人の友情の厚さが羨ましい。
「何?」
「…え?」
「今、笑うてた」
「何でもない」
あたしは口元を指で覆い、山本さんの方へと歩みを速めた。
絶叫系アトラクションを二つ三つ乗って、園内を歩くキャラクターを写真に収め大盛り上がり。まるで童心に返ったみたいだ。
「意外に並んどんなぁ」
次に乗ろうと思ったのは動物の形をした乗り物で、回転する間に上下に動くと言う物だった。家族連れに人気らしく、結構な行列を作っている。こんな容姿の整った大の男が並んでいるのは、随分と異質な気がするのだが…。
「俺、この象好きっやねん」
山本さんは、高い位置で回り続ける水色の象を嬉しそうな顔で見上げている。其れに倣う様にユキさんも其れを見つめ、微笑んだ。
「すっきやな、お前コレ」
「コレ二人乗りなん知っとる、ユキ?」
「見りゃ判んで」
「せやな、ほなお前譲れや?」
山本さんはそう言うと、ユキさんの肩を勢いよく列の外へと押し出した。
「はぁっ?!」
列に戻ろうとするユキさんに掌を見せ”制止” をする山本さん。あたしは呆然と彼等のやり取りを見つめた。
「ユキ、乗りたいんやったら最後尾に並び」
「てっめ…」
「ちーさい子ぉもちゃーんと並んどんで」
山本さんはそう言ってわざとらしく前後に並ぶ、小さな子達に視線を遣った。
「ユ、ユキさん…」
「芳野、前進むで」
「えっ」
ユキさんに縋る様な視線を送るも、あたしの肩はがっちりと山本さんに掴まれ前へと進まされる。ユキさんは腕を組み、大きく息を吐き出すと僅かに怒りを治めた様で、前に進む様に顎を動かした。
「行けて」
「でも、」
「此処で待っとるから行けて」
ユキさんのその言葉を待っていたかの様に、山本さんの、あたしを抱く手に力が加わった。
抗えずあたしは山本さんと二人、順番を待つ事になった。山本さんは園内マップを開きながら次はどれにしようかと目を輝かせている。
「恥ずかしいやろぉ?」
「え?」
あたしが彼の方に向き直ると、山本さんはマップに視線を向けたまま言葉を続けた。
「大の男が可愛らしい象に一人乗っとったらイタイやん」
あぁそうか。大抵のアトラクションが二人乗りで、さっきからユキさんとあたし、山本さんがシングルライダーだ。流石にこの可愛い象に一人は嫌だったのか。
「え、じゃぁあたしがユキさんと変わる?」
あたしは先程ユキさんと別れた場所を振り返ろうとした。
「阿保か、ちゅーか阿保なんやな自分」
「んなっ」
「大の男が二人ちっさい象に乗っとる方がごっつイタイやろっ」
「あ…」
山本さんが声を上げて笑い「ほんま芳野お前は阿保やな」と言った。
何時の間にか乗車の番になっており、あたし達はスタッフに誘導され、空いている象へと向かう。
「なぁ芳野?」
彼に促され円の内側の方へと乗り、山本さんは外側へと腰を下ろしてベルトを装着する。カチっと音がした後あたしは膝に置いたバッグの持ち手をぎゅっと握った。
「ユキはさ、自分の事ほんまに大事にしてんで。アイツ基本優しいやろ? けどな俺思うねん。アイツ自分をな、ただ甘やかしてるだけとちゃうねや。同い年の俺が言うのんもアレやけど、アイツは自分とおると凄く大人びとる。無理しとんのとちゃう、自分を大事にしたいて気持ちが全部出てんねや」
山本さんは背をゆっくりと硬質の乗り物へ付けて、進行方向を見ていた目があたしへと向けられる。
「せやから自分は安心して、ユキに全部預け」
「山本さん…」
「自分も、ユキが大事やろ」
スタッフの女性の声で「では出発しまーす」と聞こえ、出発の合図の機械音が鳴った。水色の象がカクンと静かに動きだす。
「うん…大事」
あたしがそう言うと山本さんは、大きく一つ頷いて満足気に微笑う。
「惑わされんな、何にも。これから先何があってもや」
「はい」
あたしは何だかんだと山本さんに励まされている。
「…芳野」
「ん?」
「…怖いから手、繋いどって」
「…は?」
山本さんは、バッグを握っていたあたしの右手を剥がした後ぎゅっと握る。可愛らしい象は上昇しながら前方へと出発した。隣で山本さんが「ぐっ」と妙な声を上げる。眉を寄せ目を瞑っているではないか。
「え、山本さん、さっきまで普通にジェットコースター乗ってましたよね?」
「目瞑っとったし…く…アレ、直ぐ終わるやん…うっ」
「象、好きなんですよねぇ?」
一定の速度を保ち回転と上昇と下降を続ける水色の小象。頬を掠める秋の風は気持ちの良いものだけれど、山本さんは其れすら楽しむ余裕が無いらしい。
「せやから我慢して乗っとんのやないかボケェ」
「わー逆切れー」
そう言って笑うあたしの手を山本さんは又きゅっと握った。あたしはきっと、この水色の象を見る度に恐怖に立ち向かう山本さんを思い出すだろう。
「あははははっ面白ーいっ」
「何笑っとんのじゃ!」
あたしは象を降りる迄ずっと笑っていて、出口を潜った途端山本さんは繋いでいた手を解くと、あたしの両頬をその左手でむぎゅっと挟んだ。
「オイコルラァどの口が俺を笑うとった? あっ?」
「いっいひゃっ」
「コレか、この口か?」
「…止めろや恥ずかしい…ガキかっ」
山本さんの手首を掴み、あたしを解放してくれたのはユキさんで、あたし達を呆れた様に見ていた。
お昼に食べた山本さんお手製のお弁当に「美味しい」を連発したら「やっすい」とやっぱり笑われた。山本さんって、何だか掴み所のない人だな。
秋の日暮は早い。十七時を過ぎると園内には煌びやかなライトが灯され始めた。
「はぁー疲れたわぁーもう三十にもなると厳しいな」
山本さんが腰に手を当て、少し背を逸らして言った。
「夜のパレード迄どっかで休みます?」
「あー…俺もぉ帰るわ」
「…え?」
あたしは驚いて声を上げ、隣に立つユキさんを見上げた。けれど其のユキさんに驚いた様子は無い。
「ユキ、バッグは着払いで俺とこ送っといて」
「切符、買っとんの」
「あー」
二人の会話は成り立っている様だが、あたしはいまいち山本さんの帰るの意味を理解していない様だ。
「え…山本さん…?」
二人の会話に付いていけてないあたしの髪を、ユキさんが優しく撫でる。
「虎、大阪に帰んねや」
山本さんは何時もの様に、人を小馬鹿にした様に笑ってた。
「どうして…急に」
「やりたい事が見つかったんや。せやから帰る」
「やりたい、事…」
「あぁ」
あたしは突然の事に、未だ上手く理解出来ないでいた。ほんの少し、山本さん何時までユキさんの所に居るのかななんて思った癖に、いざ彼が大阪に帰ると聞いたら急に寂しく感じてしまう。
「あぁそうや、喜伊んとこに適当に土産見繕ってくれへん? 其れも俺んとこ送ってな」
「了解」
「ほな行くわ」
バイバイ又明日、其れ位の軽い調子で山本さんは手を上げあたし達に背を向けた。
「や、山本さんっ!」
山本さんは大袈裟に立ち止まり、面倒臭そうな顔をして振り返る。
「何やねん」
「帰るって…そんな急に…」
「何や自分泣いとんのかい。お前は涙もやっすいのぅ」
あたしの頬を涙が伝っていた。意図せず溢れてしまった滴に自分でも少し驚いた。指先で濡れた頬を拭ってあたしは今一度山本さんを真っ直ぐに見つめる。
「…急過ぎ、です」
「やりたい事、さっき思い付いてん」
彼は白い歯を見せて笑った。
切符を既に手配してた癖にそんな事を言って…彼の言う事の真偽を見極めるのはやっぱり難しい。
「…頑張って」
「おぉお前もな」
お土産の一つも持たないで山本さんは、園から…東京から去って行く。
暫くしてユキさんがあたしの肩に手を乗せ、彼へと身体を引き寄せた。あたしが「知ってたの?」と訊くと、ユキさんはあたしを歩く様に促し口を開く。何時もなら部屋の其処ら中に山本さんの服が散乱してるのに其れが無かった事と、キャリーバッグがリビングの壁にきっちりと立て掛けられていたのを見て、大阪に帰るのだなと思っていたと答えた。
「パレードの場所取りしよか」
此れが今生の別れでは無い。
山本さんにしてみれば、此れは始まりなのだ。
「うん」
あたしはバッグの中からハンカチを取り出して目元を抑えると、ユキさんを見上げ微笑った。




