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Call me  作者: 壬生一葉
第3章
37/45

【3】

帰りの車内であたしはカメラに収められた画像の確認をしていく。映りが明らかに良く無い物は削除した。

「芳野さん、随分と熱心に撮られてましたね」

「あ、はい。素人なので、数打ちゃ当たると言う感じで…」

あたしがそう言うと大間さんは助手席で笑う。ルームミラー越しにユキさんと視線を交わったが、彼の方が先に逸らした。


都内の大間さんの事務所前で彼を下ろすと、あたしは促されて助手席へと移動する。休日の都内はほんの少しだけスムーズに車を動かした。

「会社戻たら、何かするん?」

「カメラを置くのと、データをパソコンに落としたいです」

「…了解」

「…その後、一緒に御飯が食べたいです」

「……了解」

運転席からユキさんの左腕が伸びて来てあたしの髪を乱暴に撫でた。そしてその指の背があたしの右頬にそっと触れるから、あたしは彼へと顔を向ける。あたしは唇を彼の皮膚へそっと押し当てた。

「っ…何さらすねん事故るやろがっ」

ユキさんは慌てて手を引いてハンドルを握り直す。ユキさんの顔が心なしか赤く見えて、あたしは彼の表情を崩せた事に嬉しくなってしまった。

「何笑うてんねん自分っ」

「…ごめ…ふっ」


二人の間に在った蟠りが、あっと言う間に無くなった様に思えた。




二人でエレベーターで八階へと昇りあたしはバッグの中からIDを取り出して、セキュリティボックスにスキャンさせる。土曜日なので、フロアは無人だ。牧野の作業も最終調整段階に入っており、残業も休日出勤も少なくなった。

彼があたしの椅子に座ったのであたしは立ったまま、マシンに手を伸ばす。

「っ!」

メモリカードを挿し込みコピーの完了を待つあたしの腰が、ユキさんに捕らわれ彼の腿の上へとお尻が付いた。

「お重いですよっ」

「重ないよ」

「は恥ずかしいですっ」

「気のせいやろ」

休日で、あたし達の他に誰も居ないとは言え此処はオフィスな訳で、あたしは恥ずかしいから降りようとするのに彼が其れを拒むモノで、暫くあたし達の攻防は続いた。そしてそうこうしている内に、画像のコピーが完了していた。

「もう終わったから、手、退けてユキさんっ」

あたしの腰には彼の力強い腕が巻き付いていて、ビクともしない。マウスに伸ばした手も彼に奪われた。


「なぁ…俺、余裕無いねんよ、みっともない事に」


右手の指が絡め取られる。ギィと椅子が音を鳴らすと、彼の ―― 恐らく ―― 額があたしの肩口へと押し当てられた。

「仕事一生懸命しよる自分は恰好ええよ、尊敬もするよ。せやけど…ちゃんと食うてんのやろかとか、ちゃんと眠ってるんやろかとか…めっちゃ心配になんねん」

「…其れは…あたしだって」

「ちゃうよ。自分のと俺のとはちゃう、きっと」

「…違わ、ない」

違わない。あたしだってユキさんの身体の事は心配だ。自分ではない誰かの事は、心配になる。

「親の事かて、こない心配になった事ないて」


不謹慎かもしれないけれど、彼のその言葉に胸がいっぱいになった。


ユキさんがあたしの身体ごと椅子に凭れかかったので、あたしは彼の胸に背を付ける。あたしの顎をユキさんの指が掬い上げて、視線が交わる。あたしはその瞳に吸い込まれる様に腕を伸ばし、彼の頭を抱えて口付けをした。軽く触れ、直ぐに離れたのに、今度はユキさんから唇を寄せられる。

「…此処…会社…」

「そうやったっけ?」

彼はそんな事をしれっと言って、キスを深くした。



暫くそんな風に戯れた後、あたし達は手を繋いで会社を出た。

「焼き肉行こか」

「昼間っから?」

「ビールも付けたる」

「…ユキさんが飲みたいだけじゃないんですか?」

「嫌なん? 焼き肉にビール」

「行く行く」

あたしがそう答えるとユキさんが穏やかに笑う。この時間がずっとずっと続けば良い。





   ◇




「芳野さん、お久し振りです」

社食でトレイを持ったまま空いた席を探しているあたしに声を掛けて来たのは、何時ぞやあたしが名ばかりの幹事を引き受けた食事会の参加者、管財課の大貫さんだった。彼女は同僚と一緒だったがあたしが一人なのを認めると「ご一緒して良いですか」と言った。二人並びの席を確保してあたし達は同時に手を合わせる。

「社食は結構使うんですか?」

「割と…大貫さんは? 顔見知りになってから今日が会うの初めてですね?」

彼女は「本当」と頷いてから、さつま芋の天ぷらをがぶりと頬張った。あたしはと言うと、にんにく控えめレバニラ定食だ。ユキさんから血となり肉となる物をしっかりと食べろとお達しを受けている。


「シバちゃんと神崎さん、和田主任と芳野さんがあの食事会の後付き合ったじゃないですか」

「…うん」

あの時はシバがユキさんに憧れていて、半ば強引に食事会を開催した訳だけれど…あの食事会が無かったのなら、シバは勿論、あたしもユキさんの彼女になるなんて事無かったんじゃないだろうか。

「お陰であたし、鈴江さんにアプローチされましたよ」

「えっ!」

鈴江さんと言うのは確か、あたしの前の席に座っていた営業部の人で、大貫さん曰く鈴江さんはあたし狙い、とか何とか言っていなかっただろうか。

「あの時は芳野さん狙ってた癖に、芳野さんが決まるとこ決まったら『余りモン同士どう?』とかって。超失礼じゃないですか?」

「うん、超失礼」

「だからね言ってやったんですよ」

あたしは「何て?」と彼女の言葉の先を促した。すると大貫さんは大そう悪い顔で

「あたしには旦那と子供が居るんだよって!」

と言う。まるで啖呵の様な其れに驚いたのはあたしだ。

「…え…本当に?」

「…アレ? シバちゃんから聞いてません? 単身赴任中の旦那と二歳になる息子が居るんですよ、あたし」

どれ程間抜けな顔をしただろうか、大貫さんはあたしを見て吹き出す様に笑う。

「…本当に?」

「本当」

「え…でもよくあの食事会に来れたね…」

旦那さんだって妻を心配するだろうし、何より小さな子供が居るのに、飲み会等に参加出来るものなのだろうか。あたしの質問に対し大貫さんは「今は実家に居候中で、あの時は息抜きすればって母が」と照れ臭そうに口元を緩めた。

「そう、なんだぁ…結婚、してるんだ」

「うん、そう。二十七だと、周りに結構居るでしょ?」

改めてそう聞かれあたしは、学生時代の女友達を思い返す。なかなか会うのは叶わなくてメールでのやり取りばかりの友人達だが、未だその類の吉報は届かない。

「…居ないかな」

「へぇー? じゃぁ芳野さんも含めバリキャリって感じなんですかね?」

彼女は心得顔でそう言って、お味噌汁の椀に口を付けた。それから思い出した様にあたしに身体を寄せて、小さな声で言う。

「和田主任ももう三十なんですよね? 結婚とか考えてるんですか?」



想像した事もない未来を問われ、あたしは肯定も否定も出来ずただただ大貫さんの顔を見つめ続けた。







「結婚、か…」

あたしはお気に入りの入浴剤を溶かしたバスタブに身体を沈め、窓際で揺れるアロマキャンドルの灯に視線をやった。

今迄考えた事もなかった。


何時かはするんだろう、そんな漠然とした形でしかなかった『結婚』。良いんだか悪いんだか、友人達の婚期が遅い事も其れに拍車を掛けているに違いない。でも…。


あたしはユキさんの顔を思い浮かべていた。


彼とは、ずっとずっと一緒に居たいと思う。そのずっとが『結婚』と言う形に繋がるんだろうか。

乳白色の湯の中から、手を持ち上げる。その掌には、彼からプレゼントして貰ったペンダント。石がチェーン部分に付いているからお風呂の時は外すと何気なく言ったら「あかんよ」と怒られた。


『絶対外したらあかんで』


彼が言う『束縛』だって、嬉しい。あたしだってユキさんと同じ様に溺れているのだ。…ずっとずっと、溺れて居られたら良いのだけれど…。










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