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Call me  作者: 壬生一葉
第1章
3/45

【3】


『お電話お待ちしていましたよ、芳野果歩さん』



そう和田主任は言った。驚きの余り何も言葉を返さないでいると、彼がくつくつと笑う声が耳に注がれる。

『知りたいですか? 食事に付き合ってくれたらお教えしますよ?』






よく考えたら解る事だった。

あたしが情報システム部の人間である事はあたし自身が彼に名乗っているのだ。社員名簿から、情報システム部を閲覧し”牧野光”を探す。ところが誰かに「情報には女性社員は一人だけだ」と教えられ、名簿を確認する。すると明らかに女性名と思われる名前が一つ。それが芳野果歩、あたしだ。



なのに、彼があたしの名を呼んだ時あまりに吃驚し過ぎてそんな簡単な答えさえ思い付かず、ほいほいと食事に付き合ってる自分を恨む。最初のメールは彼が仕掛けたトラップだった訳だ。


「イタリアンはお嫌いでしたか?」

「…いえ」


和田主任があたしを連れて来たのは、駅からほど近い人気のイタリアンレストランだった。目の前に座る彼が優雅にワイングラスを口に運ぶ。その姿は、シバや久住さん、その他諸々の女性陣から見れば頬を赤らめるワンシーンだろう。けれどあたしにしてみれば、彼が策士である事が判った以上この男性(ひと)の腹に一物あるといった態度に神経を研ぎ澄ませている最中であり、食事を楽しむ事すらままならなかった。


とにかく、早くこの妙な時間から解放されたい。あたしは白身魚にナイフを入れ、息苦しい思いで食事を続けた。


「くっ、芳野さんて…対外向きじゃない人ですね」

視線を上げると、目を細めた彼が肩を小さく揺らしながら此方を見ていた。

「思った事が顔に出る」

内心しまったと思ったが、この策士相手に繕っても仕方ないと開き直り、脳内で”素直な人”と彼に言われた言葉を変換して「有難うございます」とだけ言った。メインの最後の一口を頬張ると彼の笑い声が聞こえて


「…ほんま、おもろいなぁ自分」


と、その綺麗な顔から関西弁を繰り出した。


ナプキンで口元を吹いていた手が止まり、あたしは目を見開いた。目の前に座る彼はさっきまで隙が無く上品な男の風体だったのに、其れは封印され雄であるセクシャリティーを放ちながらあたしを捉えていた。


「他の女と違うて俺に色目使(つこ)たりせえへんし、俺にすり寄るどころか避けんねんもんなぁ」


開いた口が塞がらなかった。

目の前に居るのは、女性の憧れ和田主任だった筈。この人は…


「誰?」


彼を指差した人差し指が僅かに震えていた。指し向けていた右手首を彼はしっかりと握り、にやりと笑う。


「まぁ仲良うしようや」





   ◇




「あ、メール来てない。良かった、解ってても男から食事の誘いとかちょっと鳥肌でしたもん、俺」

ルーティンワークをこなしていたあたしは、牧野のそんな声に体をビクリと揺らした。

「ちゃんと誤解は解けたって事っスよね?」

「う? うん、解けた、解けた」

解けたんじゃない、其れはトラップだったなんて口が裂けても言えない。


自分が凄く厄介な男に目を付けられた事を未だに受け入れられずにいるあたし。

あの二重人格者曰く「これは万人に受け入れられる為の処世術」とのたまい、何故あたしを構うのかの問いには「俺を特別視しないから」と答えた。


正体を曝け出した二重人格者は、あの後延々東京の人間はスカしてる、何故エスカレーターは右側を歩くのか等と、到底『王子』が発する台詞とは思えない事を話し続け、ワインを三本空けた。

そして彼は


「俺の正体、周りに言うたってもええけど、きっと誰も信じへんで?」


と、甘い笑みを覗かせた。その甘い顔が、王子とかセクシーとか誰が言ったの?

正体を知った今、悪魔の微笑みにしか見えないその表情があたしの身体を震わせた。




現実を受け入れられずにいるあたしを、彼はお構いなしにメールを寄こし飲みに誘う。無視を決め込もうとするけれど「今から情報(そっち)行こうか」と脅すのだ。ただの文字列に過ぎないメールの文章も何故か彼の関西特有のイントネーション通りに脳に伝わってきて自然と自らの腕を抱いて擦った。

社内の王子様があたしを人前で誘う事をすれば、女性社員からの妬みや嫉みの対象となる事は間違いない。幾ら色恋に疎いあたしでも、その女子の常は知っている。それだけは避けたかった。あたしはただ、マシンやプログラム相手に仕事をひっそりと続けたいだけなのだ。

以前程のやりがいを見出せる仕事ではない。それでも、あたしは又こうして穏やかで居られるのだ。





「なぁ家具とか買いたいねんけど、どっか良い店知らへん?」

彼があたしに正体を暴露してから二人で会うのは二回目。昨今流行りの個室居酒屋で、二人しか座る事の出来ない狭い部屋に通されビールで喉を潤した彼はそう切り出した。

「…今はネットで何でも揃いますよ」

「味気ないなぁ。ソファーとかベッドとか目で見て触って買いたいやん」

「じゃぁネットでその手のお店を検索したら良いんじゃないですか?」

一拍の間が開いて彼はぶっと吹き出す様に笑い出した。

「けんもほろろっちゅうヤツやな、自分」

少しだけネクタイを緩め、大きな口を開けて笑う彼は、シバ達が夢見ている王子様なんかじゃない素の和田幸成と言う人物だった。


何とも複雑な胸中だ。こんな厄介な男に掴まった事を不運と思う反面、この顔を知るのは社内ではあたしだけなのかと言う幸運とも取れるこの事実。屈託のない笑顔だけ見ると、素のこの人と友達にはなれるかもしれない等と気持ちが軟化していた。面倒事は遠慮したいけれど、秘密の共有を少し楽しんでる自分が居る。ギャップに弱い自分に、ちょっと呆れた。


あたしが飲んでいたウーロンハイが空になったのを目にした彼は「同じの?」と尋ねたのであたしは頷いた。彼は、店員を呼ぶ呼び出しボタンを押すとその近くに有った黒色の灰皿を小さなテーブルの下へと片付けた。そう言えば彼はあたしと居る時、煙草を吸っていないなぁと思い返していたら「煙草?」と声がし、あたしは彼に視線を戻す。

「自分、煙草嫌いなんやろ? 物凄い顔に出とったもんね」

彼が何時の事を話しているのかは明らかで、あたしは顔から火の出る思いだった。

初めて彼に会った時、彼のスーツから匂う煙草の匂いに嫌悪感を募らせた。その時彼に気付かれる程、あからさまな態度を取ったつもりはなかったと言うのに。

「俺がパソコン覗いた時、身体、引いたやん自分。俺其れでアレ? て。したらその後、鼻押さえとるし、俺そんな臭いんかぁ思うてショックやったし」

「…臭いって言うか、あたし煙草が本当に苦手で、多分人よりも異常に煙草の匂いに敏感で……お気に触られたのなら謝ります、すみません…」

「あははは、何で自分が謝んねん。ほんま、おもろいなぁ…あの時は部長に付き合って喫煙ルーム入ってな、俺が一本吸うか吸われへんかっちゅう間に、部長(あのひと)二本も吸いよんねんで? そりゃあんな土偶みたいな顔になるわな」

煙草を指で挟み持つ仕草や、少し歪めた顔。土偶と煙草に関連性は見出せないが、彼のノリの良い話し方が話をより面白くしているのか、あたしは営業部長の顔を思い出して声を上げて笑ってしまった。

「言い過ぎ、主任」

「あ、笑たん初めて見たわ」


主任にそう言われて初めて、張っていた気を緩めた自分に気が付いた。この人の考える事が読めなくてがっちがちに構えてたのはあたし。何かを企んでいると言うのではなく、彼は本当に気が置けない同僚が欲しかっただけなのかもしれない。



「ちょっと遠いんですけど、好きな家具屋さんが有るんです、一緒に行きますか?」



もしかしたら酔いも回っていたかもしれない、あたしは彼にそんな事を提案していた。







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