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Call me  作者: 壬生一葉
第2章
29/45

【10】

「あー何や、先飲んどっても良かったんやで?」

残業を終えたユキさんは、個室の引き戸を開けた瞬間にそう言った。

「あたしも今、来たところだから」

「…ふうん?」

ユキさんの視線が、テーブルの上に並べられた書類とタブレットを捉えている。全く今、来たっぽくないのが露呈されている。あたしはサっと書類を仕舞い、タブレットの画面を切り替えた。

「ビールでええよな」

「はい」

「ねぇユキさん、来週末、花火大会有るの知ってる?」

「あー伊藤君が何や言うてたわ。皆で行きましょうとか何とか」

ボタンで呼ばれた店員さんがオーダーを聞きながら、ユキさんは袖口のボタンを外し捲った。大きくて綺麗な手が生み出す仕草に目を奪われる。その綺麗な手で、これまでどれだけの女性の肩を抱いたのだろう。

「虎なぁ、暫く東京(こっち)に居る事にしてんねんて」

「え…あ、山本さんが?」

「直ぐ向こう帰んのも癪やからて」

「…癪って」

二人掛けの個室で、あたし達は小さなテーブルの角を挟んで座っている。ユキさんはあたしが手にしていたタブレットを奪い、花火大会の詳細を読み始めた。

「三千発かいな、何や結構大きい花火大会なんやなぁ」

「…神崎さんにね、花火大会行きませんかって言われたんだけど」

「お待たせしましたーっっ!」

元気な店員さんが満面の笑みでビールジョッキとお通しをテーブルの上にドンと置いて、スパンと扉を閉め去っていく。

「神崎君に? いつ言われてん?」

あたし達はジョッキを軽く合わせた後、ビールを一口飲んだ。今日も残暑は厳しくて、炭酸の刺激が気持ち良い。

「社食で会って…何かね、シバとちょっとあったらしくて一緒に行って貰えないかって」

「あーそうなんやぁ…其れ難しいかもしれん。営業部で行こかて話が出てんねや? そやから…」


営業部で…そっか、じゃぁ…一緒には行けないんだ。


「あーそうなんだーじゃぁあたしは行けないねぇ?」


面白くも無いのに、あたしは笑いながら残念そうな顔をする。彼からタブレットを返して貰うと電源を落とし、この話は終わりとばかりに直ぐにバッグに仕舞った。


「…柴田さんも誘うて二人も参加したらええやん。同じ会社なんやし遠慮する事ないやろ」

「営業部の親睦を深めようって企画に、部外者はちょっと行きづらいですよ」

あたしはテーブルの端に立て掛けてあったメニューを開き、何を食べようかと視線を巡らせる。するとそのメニューが取り上げられ、あたしはその犯人を見た。

「柴田さんと二人やったらええやないの。俺等が付き合うてる事やて隠してる訳やないんやし…確かに、伊藤君が派遣さんとの親睦を深める為に考えた企画やけど、他の部署の人間かて来ると思うで?」


『派遣さん』 何で普通に名前で言わないのだろう。”朝見さん” と。


「うん…神崎さんにそう言ってみる」

「…何で神崎君?」

そう問い質されてあたしは慌てた。シバと今、不仲の状態なのだと言える訳も無かったから。

「あ…えっと神崎さんに誘われたから?」

「…柴田さん通じてでええやろ、其れ」

「う、うん」

目を見られたら見透かれてしまいそうであたしは視線を下げる。ジョッキを両手で抱えた其れを飲む様に少し首を垂れたのだけれど、其方を見なくとも彼の視線を未だ感じ、あたしは居心地を悪くした。

「果歩?」

嫌な汗が背を伝う。じっとりした視線に負けたあたしは、結局先日の事を告白する事となった。



ユキさんは、オーダーしたサラダ、焼き鳥の盛り合わせ、出汁巻き玉子を突きながら時々相槌を打ってあたしの話を聞いていた。あたしは喉が渇いてちびちびと温くなったビールを口にする。

「あー…そうなんやぁ…話さなければ良かった…かぁ。彼女、多分自分に”大丈夫だよ” て言うて欲しかっただけやない?」

「大丈夫…?」

ユキさんがテーブルの端の方に両腕を重ね合わせ、少しだけ身体を乗り出す様な形になる。

「女の子て、答え求めてる訳やない時ない? 例えば愚痴言うて”其れ違うよ” て言われたらムカつくんちゃう? ”だよねー” て言われた方が胸がスッとなる。…自分は無い? 無いんかなぁ…自分は、答えを探すんやろなぁ。愚痴言う前に、自分の中で昇華させる…違う?」

彼の言う事が尤も過ぎて、あたしは返事も出来ずビールが半分程残ったジョッキをテーブルに置いた。

「…何か、ユキさんは…ユキさんには敵わないな」

ユキさんは、解ってる。色々な事を多面的に捉え、人の気持ちを汲み取るのが巧い。あたしが持っていない理解力を持っている。


あたしは正に、ユキさんの言う人そのものだ。


自分の中で、問題を解決しようとする。その解決に至る迄の数式は自分の気持ちしか無い訳で、答えもどうしても毎回同じ様な物へと至る。他の数式を使う事が無いのだから、他の答えを知らない。知らないと言う事は、他の答えの理解へとは繋がっていかないのだ。

自分の出した答えだけが『正解』では無いのに。


「丁度ええやん。自分も柴田さんと和解したらええんやないの? 和解言うのとはちゃうかもしれんけど」


シバとの事はこのままで良いとは思ってない。丁度良いのかもしれない、神崎さんにとってもあたしにとっても。


「行っても、大丈夫かな」

「来たらええよ。自分は柴田さん誘うんやで? 神崎君には俺から言っとくさかい」

「…ん、じゃぁそうする」

ユキさんから少しだけ勇気を貰ったあたしはやっと彼と視線を合わせ、口元を緩めた。

「そうせい」




   ◇



「…何で言ってくれないの」

「え…あ…ごめん」

「浴衣着てくるんなら言ってよっ。あたしも果歩に合わせたのに」


シバとの待ち合わせの場所で彼女はあたしの姿を見るなり、その可愛らしい顔を歪めた。

花火大会に行くのだとうっかり母に言ってしまったのがいけなかったのかもしれない。「和田さんに会うんでしょ? 浴衣にしましょ浴衣に」とあたしの意思などお構い無く、母はあたしに白地に黒と紫の金魚が描かれた浴衣を素早く着せた。手先が器用な母は、ただ下ろしていただけのあたしの真っ直ぐな髪を艶っぽく纏め、上出来とばかりにご機嫌な表情を浮かべる。履き慣れない下駄だからと絆創膏を何枚も持たされて家を出されたあたしは、道行く人の視線に戸惑った。「綺麗」と称賛の声が一度ならず二度、三度とあたしの耳に聞こえてきたからだ。今日は花火大会で、駅に向かう人々の中にはあたしの他にも和装の人が何人もいたのだが、これから会う会社の人達はどんな服装でやってくるのだろう。


そして最初の待ち合わせのシバに非難されて、あたしは更に委縮した。

「うっそ、二人並んで浴衣なんて着てたら比べられちゃう…悔しいくらい綺麗だもん、果歩」

ぷうと小さく頬を膨らませるシバも、シフォン素材のネイビーのトップスに白のカプリパンツ、赤のピンヒールと、夏らしいスタイルで可愛らしい。

シバはあたしの腕に彼女の華奢な腕を絡ませると、会場の入口へと歩き出す。足元が覚束ないあたしを連れて歩くシバの歩みには迷いが無い。

「主任に言われてるの。果歩に悪い虫を近寄らせるなって」

「え?」

「…果歩は無自覚だから性質が悪いの。あたしは、男の人があたしをそーゆー目で見るの解ってるし」

当たり前の様に彼女はさらっと言って立ち止まると、あたしを上目遣いで見上げてくる。

「あたし、この前果歩に凄く嫌な態度だった。ごめん」

「シバ…其れはあたしだよ、あの時のあたしは…シバの言う事解ってる様で解ってなかった」

「知ってる。果歩が恋に対して経験が無いのも知ってる筈だった」


何時も可愛いと、まるで小動物の様だと年下の様に思っていた彼女はあたしよりも沢山の『数式』を持ってるに違いない。


「シバ? ”大丈夫だよ” 神崎さんはシバの事、大好きだもの」


あたしがそう言えば、シバは驚いた顔をして直ぐその後に可愛らしい笑顔を覗かせた。



「ありがと果歩」




”大丈夫” だと言われる事は容易いと思ってた。あたし自身”大丈夫” だと言われる事が嫌いだった。其れが『慰め』でしかない事を知っているから。だから、あたしは決して安易に”大丈夫” だと言う事を良しとしてこなかった。

何の根拠もない慰めは余計に人を傷つける様な気がしていた。だからあたしは『正解』を探した。其れこそが正しい解答(こたえ)なら、傷つく事無く理解すれば良いだけの話だと思い込んでいたからだ。


けれどシバに伝えた”大丈夫” はまるでおまじないの様に、彼女を笑顔にさせた。その言葉が人に与える見えない力を、今知った気がする。


あたしに教えを説いた、その人の事を想った。


あたしの根底を揺るがしさえする考察を持つユキさん。




あたしには勿体無い位の男性(ひと)だ―――――。






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