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Call me  作者: 壬生一葉
第2章
28/45

【9】

「牧野、貸出のノート、接続確認して」

「了解っス」


あたしはプロジェクターの位置を確認し、ブラインドの開閉に頭を悩ませた。ディスプレイを見て作業して貰う以上余り、暗くては困る。

「よっしー、この前の二列は潰して後方に座らせて。事務方は後ろ、上席は前の方。そしたら、半分は暗くても大丈夫だろ。牧野さん、資料の移動を」

「そう、ですね。了解です」

あたしは取引先である若さんの指示に従って、座席を組み直した。牧野も何も言わず上役用の資料と一般社員用の資料を入れ替える。あたしは情けなくもあったが笑みを浮かべ手を動かした。プロジェクターに繋がるマシンを弄っていた若さんの傍に行くと

「お前緊張してんな?」

と彼が笑いながら言った。

そうなのだ。社内研修で、言わば身内相手だと言うのに今日のあたしは酷く緊張していた。先日のホームページのプレゼンの時よりも緊張しているかもしれない。

「…授業参観みたいな感じなんです」

「ぷっ…父親参観か?」

あたしは萎れる様に首を下げた。元上司である若さんが、あたしの仕事振りを見るのだ。殆ど面識のないお客や、縁遠い専務達相手とは訳が違う。


「失礼しまーす」

そんな声が幾つか聞こえて来てミーティングルームのドアが開かれ、営業部の面々が顔を見せる。もう間もなく定刻の十三時半になろうとしていた。


「大丈夫だ。駄目なら渋面作っててやるから」

「最低最悪」

あたしはタッチパッドをなぞる若さんの手の甲を軽く叩いた。

「INCに居たら怒鳴るぜ? どっちが良い?」

あたし達は、まるで昔に戻った様に距離を縮めて小声で言葉を交わす。

「…渋面」

「絶対笑ってない笑顔ってのも有りか」

「…想像しただけで鳥肌立った。本当に止めて…此れ社内研修」

若さんが普段は着る事のない麻のジャケットに身を包み「くくく」と肩を揺らし笑う。彼の笑顔にあたしも思わず、笑みを深くする。

あたしが本当にINCに居て、此れがプレゼン前の雑談だったとしたら”笑顔” なんて絶対に有り得なかった。若さんは、お客が望む以上のモノを作り、プレゼン終了即日にゴーサインを貰うのが常で兎にも角にも完璧主義人間なのだ。


「簡単に説明をして、若さん達を紹介後此処に有る八台で実地に入ります。その時ヘルプをお願いします」

「了解しました」

「それから…ホームページ、楽しみにしてて下さい」

あたしがそう言うと若さんが片眉を器用に上に押し上げた。そしてあたしの後方へ回ったかと思うと、両肩に手を乗せポンと一度叩く。背中から、静かな声が聞こえた。何時もの呪文。

「魅せてやれ」

あぁそうだ。あたしは若さんに何時もこう背中を押されていたっけ。此れは、絶対に仕事の取れる呪文だ。


   ――― 大丈夫、上手くいく


あたしは自分に言い聞かせて伏せていた瞼を押し上げた。ざっと見回してミーティングルームの席が殆ど埋まっている事を確認する。ユキさんの姿を捉えたが、敢えて其処に視線を留まらせず、あたしは開始の挨拶の為マイクを握った。



販売管理ソフトの研修は、説明、実地共に混乱なく終了した。

「以上で研修を終了します。九月より本格導入となりますが、導入後マニュアルを見てもご不明な点がありましたら情報システムの方へご連絡下さい。お疲れ様でした」

そうあたしは締め括り、研修会を解散させた。営業部員が帰り始め、牧野はノートの撤収に入る。

「若さん、打出さん本日は有難うございました」

「お疲れ。良かったんじゃない?」

”良かったんじゃない” 若さんにしては甘い言葉だ。あたしは肩を竦め小さく笑った。

「下迄御一緒します」

そう申し出たあたしを若さんは制して「この後、報告書とかもあるだろ?」と気を遣ってくれる。あたしは元上司には敵わないと、エレベーター前で辞した。

ミーティングルームに戻ると牧野が台車に乗せたボックスの中にノートを丁寧に仕舞い込んでいる所で、あたしは照明を点けブラインドを開け放つ。一気に明るさを取り戻した室内に思わず目を細めた。若さんの反応も上々で、あたしは一つの達成感に包まれていた。

「芳野さん、和田主任って関西弁喋るんスか?」

「え? え?」

突然の質問に戸惑うあたしを余所に牧野は話を続ける。

「派遣の子が居て俺質問されたんで答えてたんスけど、その子イントネーションが関西で。何か可愛かったっス」

イントネーションが、関西。どの子だったんだろ…。

「朝見桃子って名前も可愛くって。あーそうだ、秘書課の柴田さんと雰囲気似てますね」



アサミ、モモコ



「あさみ…」



声にしたら余計に怖くなってしまった。怖いって…何が怖いって…。「へぇそうだったんだ」ってスルー出来ない程に、引っ掛かりが有る事が怖い。





   ◇




「此処、良いですか」


空席だったあたしの前のテーブルにトレイが置かれて、あたしはゆっくりと顔を上げた。其処に居たのは営業部の神崎さんで、あたしは掌で着席を促した。

「昨日はお疲れ様でした。発注画面で在庫が見れる機能アレ良いですね」

席に着くなり彼がそう切り出した。販管ソフトの事かと、あたしは微笑み頷く。

「…疲れてる?」

神崎さんは手に取った箸を止め首を傾けた状態であたしの顔をまじまじと見つめていた。気恥かしさを隠す様にあたしはお味噌汁のお椀を口に寄せながら「少し」と答えてみせる。

「…芳野さん、聖奈に俺の事聞いてます?」

神崎さんの声量が少し落とされたのであたしの注意を引いた。


以前シバが言っていた元カノとの再会の事だろうか。実を言うとあの話をこの社食で聞いて以来、シバとは会ってない。


「元カノ、の事?」

人の恋路をどうこう指南出来る程の経験は無いし、耳年増と言えるほどの知識も無い。けれど神崎さんの顔が余りにも必死に見えて、聞く事位なら出来るかなって思った。

神崎さんは眉根を寄せたが、口元では何とか笑いを零す。シバの言っていたギクシャクよりも、更に状況は悪化したのだろうか。

「”もう気にしてない” って言うんだけど、全然そんな態度じゃないんだ…だから正直困ってる」


あたしの本来の思考からすると、シバが意固地になっている。シバの方が神崎さんに対して歩み寄るべきものだと答えただろう。

けど…ユキさんならば、不安にさせた神崎さんもシバに対して誠意を持って対処すべきと言うのだろう。何故って其れが人を好きになると言う事だから。


そして『過去』がどれ程までに心を侵犯するのかを知ったあたしは、シバの言う”自信が無い” 事を解り過ぎるほど解ってしまった。


「…って芳野さんに言われても困るよね…ごめん」

返す言葉の見当たらないあたしを困っていると判断した彼は、大きく口を開けてご飯粒を頬張った。

「…お役に立てなくて…すみません」

「えっ…いや何で芳野さんが謝るの? ってか…芳野さんて、クールビューティって嘘なんだ」

「へ?」

「会社でクールビューティって言われてるの知ってるでしょ? クールでは、ない、寧ろ真面目一徹?」

そう言って神崎さんは笑った。ユキさん以外の人に面と向かってその呼称を言われたのは初めてであたしは口籠る。

「何か喋れば喋る程、芳野さんの知らない一面を知れる気がする。そういや昨日の研修でも、俺等営業が芳野さん見て何て言ってたと思います?」

想像もつかないあたしが小首を傾げると、神崎さんは得意気に笑みを浮かべた。

「『笑った』って」

「…え? 笑った…?」

「そう笑った。芳野さんってツンと澄ましてるイメージで、笑う姿なんてレアって! スマホ構えた奴も居たしっ」


どんなイメージなんだ…頭を抱えたくなった。あたしは自分がそんな風に呼ばれている事を知ってはいたが、本当の意味での周囲のイメージを把握していなかった様だ。


「…その真面目な芳野さんの優しさに付け込んでお願いがあります。来週末の花火大会、俺等と芳野さん達で、一緒に行って貰えないかな、聖奈の態度も軟化するかな…とか」



花火大会…ユキさんと…一緒に。


一緒に行って、近くにユキさんを感じていられたら、この不安も少しは小さくなっていくのかな。







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