【3】
13/09/16 関西弁修正。。。
「芳野さん、さっきから携帯鳴ってますけど?」
ディスプレイの向こうに牧野の顔がひょっこりと現れ、あたしは「え」と間抜けな返事を返した。牧野は「携帯」とだけ言い、椅子を転がしてあたしの前から去った。あたしはデスクの上で震えていた携帯を取り上げ、画面に表示された人の名前に慌てて応答する。
「も、もしもし?」
『何で連絡の一本も寄こさへんの』
電話の向こうのユキさんの声が低く、機嫌の悪さを露呈している。あたしは何が何だか解らず首を傾げた。傾げた先の壁掛け時計が正午を指している。
「…あ、えっと…ごめんなさい?」
『何で疑問形やねん』
”何で連絡しないんだ” ってユキさん言ったよね。あたし…ユキさんにメールの返事してない…? あたしはもう一度ユキさんに謝った。するとユキさんが安堵した様な息を漏らす。
『…前科モンが』
彼の声が、拗ねている。修哉さんと、不意とは言え飲みに行く事をユキさんにしっかり連絡しておけば、あんなに長い期間離れずに済んだ筈。だから、あたしは前科者と言う訳だ。
「返す言葉もございません」
『…このツケは大きいで』
未だ、拗ねている…本当に可愛い人。
「心配掛けて本当にごめんね。今度ね、ホームページのリニューアルをしようかと思って」
牧野の視線が気になったあたしはデスクの引き出しからIDカードを取り出しポケットに収めると、フロアを出て非常階段に身を潜めた。
『ホームページ? うちの?』
「うん。今、公開してるのは他社が作ったものなのね。でも今度はあたしがやってみたいなって」
『へぇ凄いやん…せやけど彼氏にメールの一つも出来へんの?』
「う」
あたしが言葉に詰まると彼は電話の向こうで笑った。彼の笑顔を想像してあたしの気持ちが軽くなる。
『今日は残業なしな? 渡里に十八時半には来れるやろ?』
「…十八時半…んー…」
『虎と三人な。ほなしっかり昼飯食べえよ?』
ユキさんからの電話は一方的に切れた。未だその時間に行けるって返事してないのに…あぁでも定時になったらメールの督促が来るに違いない。
「もうっ」
口でそう言いながらも社食に向かうあたしの足取りは軽い。
◇
「あ」
あたし達は顔を見合わせ、同じ様に驚き瞬きをする。最初に口火を切ったのは彼だった。
「嘘やろっ」
彼のマンションの近くにある美味しい肴を出す居酒屋「渡里」の暖簾を潜り、小上がりにユキさんを見つけ歩み寄る。するとユキさんの目の前に腰を下ろしているのは、数日前父の傘を譲った長身の男性だった。
「…何や?」
「ユキ…この前話した傘くれたっちゅう女や」
「え」
何でもあの雨の日、ユキさんはどうしても必要な書類があり山本さんを連れ立って会社に訪れていたのだそうだ。山本さんは暇を持て余して、雨の中近くをウロウロした後あたしと遭遇したのだと言う。
「あの時は……おおきに」
「いえ、お役に立てた様で良かったです」
あたしは、ユキさんのお友達に善い行いが出来て良かったと顔を綻ばせながら足を崩して座布団に座った。
「…ウーロンハイでええ?」
「あ、うん、有難うございます」
隣に座ったユキさんを見上げ、答える。心なしかユキさんの表情が硬くて「どうしたの」と訊いた。
「あ、や、何でもあらへん。仕事、大丈夫やった?」
定時で上がれって言ったのは彼なのに、今更仕事の心配なんて…あたしは笑みを浮かべて彼を見つめる。
「ん?」
「ううん。あ、ねぎとろ食べたい」
「腹減っとるやろ。他勝手に頼むわ」
ユキさんが手作りのメニューを見ている間にあたし達は簡単に自己紹介をする。対面に座る山本さんは、あたしを盗み見る様な視線を伏せビールを口にした。向けられていた視線が余り心地の良いものではなく、あたしは届いたウーロンハイを手に取った。隣に座るユキさんにも何だか違和感を感じる。
今日はお盆を過ぎた平日の夜でお客の入りが少なく頼んだ料理がテンポ良く運ばれて来る。あたしは余り野菜を摂りたがらないユキさんの為に料理を取り分けて彼の前へと置いた。山本さんも黙々と料理に箸を伸ばしている。やはり不穏な空気が流れていた。
「…果歩」
急に真剣みを帯びた声を出すユキさんに驚きあたしはグラスに伸ばし掛けた手を止めた。するとすかさず山本さんが「ユキっ」と彼の名を呼ぶ。
「お前はちょっと黙ってろや。…あんなぁ、自分何で虎に傘、譲ったりしてん?」
「え?」
あたしはユキさんの質問の意図を理解しようと、じっと彼の目を見つめた。暫しの空中戦に痺れを切らしたのはユキさんだ。
「男前やからか?」
「誰がですか?」
ぶっ。横で何かが噴き出される音がして、ユキさんとあたしは其方を見た。案の定、手の甲で口元を拭くのは山本さん。
「誰がって何やっ!」
険しい表情であたしを非難する彼を見て
「あ…山本さんが、ですか? あぁ素敵な人? …ですよね」
と言った。返答らしい返答をしたあたしを見つめるユキさんが肩を揺らし「くっくっ」と堪え切れていない笑いを洩らす。そして徐にあたしの髪を撫でた。すっかり彼を纏う空気も変わり、人前でそんな行動を取られたあたしの身体に朱が差す。
「…怒っとる訳やない。ただ何でなんかなぁて」
「…何で…関西弁だったからです、かね?」
「関西弁?」
「うん。山本さんもあたしの事”自分” て言ったんです。ユキさんと同じだから勝手に親近感が湧いちゃって」
「俺と同じやったから? それだけ?」
「それだけ」
そう言ったらユキさんが満面の笑みを浮かべた。その笑顔が嬉しくてあたしも目を細める。二人っきりの空間を作っていた所山本さんの声がした。
「さぶっ」
その声を聞いた途端ユキさんの温度が一気に冷えたのを感じる。やっぱりユキさんのスイッチって高性能。
「お前なぁ、何やねん。ほんま帰れや」
「五月蠅いわボケ。こっちは美味い飯食いに来とんのや、帰るんやったらお前が帰れ」
「あーそうやんな、そうするわっ果歩、行くで」
「阿保かボケぇ! 何処にゲストほったらかして帰るホストがおんねやっ」
「招いてへんしっ」
「うち泊まったらええ言うたんは何処のどいつや、お前やろうがっ」
「お前が金無い喚いとったから仕方なくやろうがっボケ」
おっと…彼等の間を行き来するあたしの視線に気付いた山本さんがあたしをキッと一睨みする。
「…何や」
あたしだけではない。このお店に居る全ての人間がユキさんと山本さんのやり取りを見ていた。女将なんか顔面蒼白に近い。
「…迫力ですね、関西弁での言葉の応酬は」
とあたしは言った。先に冷静さを取り戻したのはユキさんで、大将や数少ないお客さんに「お騒がせしてすんません」と頭を下げると、ビールグラスに手を伸ばす。ユキさんは手にしたグラスに視線を落とし、迷った挙句其れを飲み干すと、タンと小気味良い音をさせテーブルに置いた。すると当然の様に、空のグラスを満たす為に瓶ビールを傾けたのは山本さんだった。大の男二人が何だかバツが悪そうで、あたしは可笑しくなってしまった。
「ふふふっ」
「笑うな」
勿論そんな言い方をしたのは山本さんの方だ。
「何やユキ、デレデレと。気色悪いわ」
「…果歩、あんな、コイツな?」
「うわーうわーうわーうっさいうっさいうっさいわボケ黙っとれっっ」
ユキさんの話を遮断する様に小さなテーブルへ乗り出し腕を伸ばしてくる山本さん。ユキさんはその手を簡単にかわし
「傘やったやろ? 果歩がな自分に気ぃ有るて自慢げに言うてたんやで? 俺の女とも知らんでっ」
と発言した。
「そら恥ずかしいわなぁ、自慢しとった相手の女やもんなぁ」
テーブルに肘を突きその手に顎を乗せ、ニヤニヤと意地悪な顔を山本さんに向けたユキさん。対して山本さんは顔を歪め歯を食い縛っている。
…いやもう何か、この二人可愛すぎでしょ、小学生かと突っ込みたい位。
さっきの物凄い過激な、子供っぽい口論をしていたと思ったら低レベルな冷やかし…もう駄目笑っちゃおう。
「ぷっ…あははっあはははは」
あたしは口元を覆い隠して笑い出す。
「何笑うてんねんっ」
「二人、とも…あはははは、子供みたいっあははははは」
「知らんっこない女会うてへんっ、女将、ビール!」
ユキさんと山本さんが仲が良いのが良く解った気がする。
それからあたし達は時間の許す限り、美味しいお酒と肴を堪能した。ユキさんが帰る前にお手洗いへと立った際、山本さんがあたしとは視線を合わせずにこう切り出した。
「…アイツの事…裏切る様な事すんなや」
さっきまでのユキさんとふざけ合ってた様子は微塵も無い。そして彼の言う”裏切る様な” と言うのは、ユキさんの年上の彼女の話と繋がっているのだろう。ユキさん曰く、山本さんが居なかったら立ち直れなかった程の出来事なのだ。
彼は”あたしが” 過去の女性の様に”又” ユキさんを傷付ける存在であったら赦さないと苦言を呈している訳か。
「はい」
あたしが整然とそう返答した事に、彼は少し驚いて見せたが直ぐに口の片端を引き上げ笑う。
「そうせい」




