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Call me  作者: 壬生一葉
第2章
21/45

【2】

『もう家におるん?』

「うん、今日は定時。ユキさんは?」

『家や。商店街で総菜とか買うてこれから食うとこ。虎が風呂入ってる隙に電話してん』

そう言われれば何だかユキさんの声が小さく聞こえる。一人ベッドルームであたしへのコールをしてきた事を想像するのは容易い。

ユキさんの高校時代からの友達が大阪から東京へ遊びに来ていて彼のマンションに泊まっているのだそうだ。

『明日は浅草に行くねんて』

「ベタ」

『せやろ? 俺もそう言うてん』

「でもユキさんも行った事ないんでしょ、タワー二つ観てきたら?」

『俺は東京タワーは観賞済みや』

何処か得意気な話し方で、本当に可愛くて堪らないと思ってしまうあたし。余り母性が強い方だとは思ってなかったけれど、彼の子供っぽい一面に愛しさを覚えるのだからその固定概念は捨てた方が良いのかもしれない。

「じゃぁスカイツリー一緒に行こう?」

『…自分がそう言うんやったら行こか?』

「行きたい行きたい」

『…ぁあ、今出すわっ悪い、虎に呼ばれとんで、切るわ』

「うん、また」

通話を終えた携帯の側面を親指で撫で、この先に繋がっていたユキさんの事を想う。

友達のトラさんにからかわれるのが嫌でコソコソとあたしに電話をくれた事、凄くくすぐったい。


恋愛経験の少ないあたしは、決して恋に「奥手」と言う訳では無いのだと思う。ただシバの様に恰好良い人を見て騒いだりとか、合コンで知り合って翌日に付き合っちゃうとかは出来ないだろう。彼女の様に情熱的では無い。

初めて出来た彼氏は大学に入ってからで、同じサイエンスサークルの人だった。話が合って、趣味も通じて、彼と居ると自然体で居られて「あぁ彼が好きなんだ、あたし」と知り合ってから一年が過ぎた辺りに自覚した。其れは彼も同様だった様で、気付いたら男女の関係に変化していたと言った感じだった。修哉さんもそうだった。尊敬の先に二人のプライベートが在った。



「好き」だと強く感じ、言葉にして、互いの想いを懸命に二人で紡いでいく。


こんな関係はユキさんが初めてで、笑う瞬間も、感動する瞬間も、二人で一緒が良いと思えるの。こんなに強く誰かを好きだと感じるのはユキさんだけだ。

修哉さんの事があって、二人の関係がより深くなった事も関係していると思う。


手の中の携帯がメールの着信を知らせたのでトレイを開くと若さんからのメールだった。

『うちと芳野んとこの会社、相互リンク貼るって広報が言ってた』

だからどうしたの? と言いたい内容のメールにあたしは考え込む。若さんは意味の無い事はしない人だ。あたしは使い古した勉強机に座り、傍らの通勤バッグからタブレットを取り出すとINCのサイトを検索した。表示されたトップページ。

「…恰好良い」

詠嘆の声が漏れる。会社概要から問い合わせのページ迄くまなく目を通した後あたしは、片肘を突き顎を支えて今度は見なれたホームページを同じ様に目を通す。あたしがこの会社に入る前から存在している我が社のサイト。制作会社の誰かが作製した代物。見易いとは思う。悪くは無いと思う。けれど「足りない」と思う。”魅せる” サイトではないと思う。若さんのメールの意図は此処に在るのだとあたしは理解した。

今回の販管ソフト作成に当たって、久し振りに若さんの仕事を傍で見た。正直、ウズウズした。そしてユキさんはユキさんで、売上達成を心配していたのに契約を取りそうだと言う。INCのソフトが稼働する迄、(あと)半月。リンクが貼られるのはそれ以降になるだろうから、一ケ月の猶予と言う所だろうか。

「やってみますか」

そう呟き、あたしはタブレットにキーボードを繋ぐと企画書作成に取り掛かった。アイディアが無かった訳ではないので、指は滑らかに動き日付が変わる頃には企画書が出来上がったのだった。


翌朝、早めに出勤し昨夜の企画書を自分のマシンへと取り込むと校正を済ませプリントアウトをして、始業時間十分前に出社した権藤部長のデスクの上に置いた。

「うちのサイトを全面的に、リニューアルしたいのですが」

部長の視線は企画書とあたしの顔を行き来し、パラパラとページを捲る。仕事に久々の緊張を見たあたしは固唾を飲んで部長の言葉を待った。

「予算はねあんまり無いからね。工程見るとね一ケ月位だね、間に合うの?」

「間に合わせます」

はっきりと断言したあたしに部長が相好を崩す。

「頼もしいね。良いんじゃない、駄目だったらね現状の物を使うだけだからね」

「有難うございますっ」

関係各署に打診して貰う事を取り付けたあたしは頭を下げると直ぐマシンに向かい合った。





「あんまりね根詰めて身体、壊さないでね」

「…はい、お疲れ様です」

掛けられた声に適当に返事をしてあたしはずっとタイピングを続けた。少しずつプログラマだった時の感覚が蘇ってくる様で、楽しかった。コードだった物が、開かれた時に作品の一頁として完成したものを見ると顔が綻ぶ。ずっと頭と手を動かして、目が乾く事すら気にならず作業に没頭した。


自分の中で一段落と言う所で眼鏡を外し、指を組みうんと身体を伸ばして解す。目頭を揉み数回瞬きした後、壁掛け時計を見上げると二十一時近くで少し驚いた。初日からこんなにやる事もなかったのだが、始めてみたら楽しくて止められなかったのだ。

「ふぅ」

流石に疲れたかな、あたしはデスクの上でフルチャージされた携帯を持ち席を立った。エレベーターに乗り込んで小さな端末を灯らせると電話一件とメール一件の着信を知らせている。どちらもユキさんからのものだった。

「…全然気付かなかった」

デスクの上で振動していたであろう着信に気付かない程、集中していたのかあたしは。


『築地と浅草行って、今から帰るとこ。未だ会社?』


築地も行ったんだ。本当にベタ。あたしが口元を緩めた所で、別の階から他の会社の人がエレベーターに乗り込んで来て思わず表情を引き締めて携帯をバッグに仕舞い込む。

エントランスを抜け外に出るとやけに暗く、あたしは空を仰ぎ見た。月が分厚い雲に覆われて今にも雨が降りそうな空模様で、手持ちの傘が無いあたしは駅に向かって駆け出した。



翌日は、久し振りの雨だった。

「部長、すみません。図書買ってきたいんでちょっと外出してきても良いですか?」

「あぁ構わないよ。あ、この週刊誌も頼んで良いかね」

「…部長ご愛読の週刊誌ですね」

「悪いね」

二年一緒に仕事をしているが、この部長が仕事が出来るのか出来ないのか、未だに掴み切れていない。傘立ての黒い傘を手に取るとあたしはエレベーターホールに向かった。

朝からの雨は小振りになっていたが、パンツの裾が濡れるのは覚悟しないといけない事には変わりない。


あたしは駅ビル内にある書店で目当ての本を二冊購入すると直ぐに社へと戻った。エントランスに入る前に軒下で傘についた水滴を飛ばして、ハンカチでジャケットについた水分を掃う。

「つめたっ」

あたしの直ぐ後ろで声がして振り返る。背の高い男性が其処に居て、顔に付いた雨水を指で拭っていた。

「すみません、掛かりましたか?」

あたしがそう声を掛けるとその男性が顔を上げ、吃驚した表情をしていた。それから右手を左右に振り

「ちゃいますって、持っとった傘に穴開いとって雨粒がめっちゃ垂れてきたんですわっ」

と言った。関西弁に気を取られ過ぎて、黙りこんでしまったあたしを目の前の男性は怪訝そうに見つめてくる。今度慌てたのはあたしだ。

「そ、そうなんですね」

「見て? ほら、これ」

いかにも安物のビニール傘のある一点を指差す彼。直径一センチ程の穴が開いていて、傘だと言うのに役割を全うしていない。男性のサックスカラーのティーシャツの肩口が雨に濡れ色を変えていた。これじゃあ何処へ行くにも困るだろう。

「…会社の傘でも取りにいらしたんですか?」

「え? 会社? あ、ちゃいます。人待ちなんですわ」

じゃぁちゃんとした傘もあるのだろうか。あたしは自分が持っていた ―― 父親のコウモリ ―― 傘に視線を下げた。長く使っていた傘が強風で壊れ、新しい物を買おうと思っていた矢先の雨。仕方なく今日は父親が数本持つ傘の一本を拝借してきたのだった。

「…もし良かったらこれ、どうぞ」

「…これ? でも自分も傘無かったら困るやろ?」

やっぱり”自分” って言うんだな。すっかり耳馴染みの関西弁に顔を綻ばせ、あたしは傘を彼の方へと差し出す。

「置き傘あるし、実はもう捨てようと思ってた傘なんで、それでも良かったら」

「ほんまにええの? 助かるわぁ、おおきに」

「いいえ。じゃぁあたしはこれで」

彼が傘を手にしたのを確認してあたしは軽く頭を下げその場を後にした。歩き出したあたしは先程の男性の関西弁を反芻しエレベーターに乗り込む。親近感を覚えずには居られなかった。



「あんまりね根詰めて身体、壊さないでね」

「…はい、お疲れ様です」

あたしは「ん?」と、手を止めて去っていく権藤部長の背中を見つめた。そして壁掛け時計に目をやると時計の針は十七時半を指している。又夢中になっていたらしい。切りは良くないのだが、明日以降の雨にも備えて新しい傘も買いたいし、今日は上がるとしよう。








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