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Call me  作者: 壬生一葉
第1章
17/45

【17】


充電器に繋いだ携帯には驚くほどの電話とメールの着信数だった。きっとこの小さな端末が力尽きる迄鳴り続けたに違いない。あたしを探し続けたユキさんからのコール。


やらなければいけない事は沢山あるのに、あたしはパソコンを起動してログインを促す画面を映しただけだった。

「芳野さん、INCの若村さんからの研修のメールの返事は」

あたしのデスクに対して牧野のデスクは直角に位置されていて彼がローラー付きの椅子を蹴り、後ろへと下がるとあたしの目の前に移動してくる。

「…あ、あたしやるから」

「あーざーす」

あたしは気持ちを切り替えようと髪の毛を後ろで一纏めに留めると、携帯をデスクの端に追いやった。


INCとの研修の日取りを決定し、営業部に対して掲示を行う。役職付きの人には研修出席のお願いをメールで送っておく。カーボンコピーの中にユキさんの名前。


和田幸成と云う人。


あたしとは関係ないと思っていた王子は、ただの王子じゃなかった。

修哉さんの事があって暫く恋はしたくないと思っていた癖に、彼を知り好意を抱き「好き」だと自覚する迄に大した時間は掛からなかった。あたしの小さな決意など、彼の温かみの前では脆弱なものだった。

それほどあたしにとってユキさんの存在は大きくて、確固たるものだった。なのに…彼を傷付け、彼にあんな顔をさせるなんて。

片手で額を支え首を垂れたあたしは、シャツの下に隠れた胸元のネックレスにもう片方の指で触れた。







「ねぇ果歩、ご飯食べてるの?」

「うん、栄養補助食品は食べてるかな」


一週間以上、シバのランチの誘いを断っていたらシバが情報に乗り込んできた。彼女がこのフロアに入った事で総務部の男性社員が「おぉ」と声を上げていたのが聞こえてちょっと笑う。

シバは不在の牧野の椅子に座り、キャスターを動かすとあたしの目の前へと移動してきた。デスクトップ越しに見えるシバの顔は困惑の色を滲ませて恐る恐ると言った感じで訊ねてくる。

「喧嘩、でもしたの?」

「…ちょっとね…」

「基樹君がね、主任が少し苛々してる様に見えるって言ってた」

「…そっか、何か申し訳ないな…」

シバはじっとあたしの顔を見つめてから溜め息を吐き手にしていたビニール袋の中から野菜ジュースとサンドイッチを二つずつ取り出し、デスクに並べる。

「話す気はないみたいだね」

大事な友人であるシバにも、INCを辞めた理由は体調不良が原因だとしか話していない。その会社に付き合ってた人が居た事だって明らかにしていない。彼女を信頼していないとか、秘密主義を気取る訳じゃない。修哉さんの事は『過去』だと思っていたし、わざわざ其れを蒸し返して話す様な事でも無いと思ったのだ。

ユキさんの事は…自分の行いや想いを口にして『大丈夫だよ』と不確定な言葉で慰められる事を望んでいないから。

シバの不服そうな表情に「ごめん」と言った。

「…抱え込まないでよ。あたしじゃ良いアドバイスも出来ないだろうけど」

何時も恋愛が長続きをしない自覚のあるシバは少し口を尖らせて、パックジュースにストローを挿し込む。あたしも其れに倣いながら

「神崎さんとはうまくいってるんでしょ?」

話の矛先をシバへと向けた。するとシバはパァと顔を輝かせて「そうなのっ」と両手の指先で口元を隠す。一つ年上だと言う神崎さんは包容力があり、意外にそそっかしいシバの事をしっかりとフォロー出来ている様だ。

シバの笑顔がキラキラと眩しく可愛い。幸せなのがこちらにまで伝わってくる。一週間程前のあたしもそんな顔をしていた筈だ。幸せ過ぎて怖いと言ったのはいつだったか。


あれから幸か不幸か社内でもユキさんの姿を確認する事はない。電話もメールも彼からはないし、あたしもしていない。メールで済む内容の話では無い、呼び出して話をすれば良いが忙しい彼を呼び止めるのも忍びない。

なんて。

其れは言い訳なのだけれど。ただ怖いだけ。彼から最後通牒を突き付けられるのが怖いだけ。会ったら終わってしまう、そんな気がしてならない。初めて男の人を怖いと思った。初めて彼の怒りを見た。取り返しのつかない事をしたのだと改めて思う。

別れを切り出されることに怯えて、ただの一歩も踏み出せない弱いあたし。

強がって、でもやっぱり駄目だって、あたしは又脆く崩れるの…?





   ◇




用意されたお箸を手に取り、習慣の様にお茶碗から白米を一掬いし口に運ぶ。温かいなと舌が感じて、咀嚼し其れを飲み込んだ。

「…果歩?」

母があたしの元へ温めたお味噌汁を運んできていて、そう声を落とす。暫し身体が固まっていたらしい事を理解してあたしは顔を上げ、心配げな表情を浮かべた母を安心させる様に「考え事してた」と言った。

「そう?」

母は、あたしの隣に腰を下ろし缶ビールのプルタブを引いて一口其れを飲む。あたしは驚き彼女の顔を見つめた。

「珍しい…お母さんがビール飲むなんて」

美味しいと思ってる訳では無いのか、眉間に皺を寄せながら二口目を喉に流し込む。

「ん? 何か疲れちゃってね」

「クリニックで何かあった?」

母は現役の看護師で、近所のクリニックで平日五日間働いている。彼女はあたしの質問に首を横に振って

「駅前のスーパーで、知ってる奥さんが居てね」

と切り出した。


仕事帰りに寄ったスーパーで、小学校の時にPTA役員で知り合った初子さんに久し振りに会ったと言う。初子さんのお子さんとは学年が違ったからあたし自身は初子さんがどんな人かは知らなかったが、確かにその名前には聞き覚えが在った。当時未だ総合病院に勤めていた母が、仕事をしながらも初子さんにお世話になって何とか一年間役員を全うできる事が出来たと話していたものだ。

ハツラツ初子さんと通り名がある程の初子さんに覇気が無く、どうしたのかと声を掛けてみれば。

友達を傷付けてしまったのだと言う。

初子さんには、子供が幼稚園時代から仲良くしているママ友の仁美さんと云う友人が居た。母も初子さんを通して仁美さんとは顔見知りらしい。初子さんとは対照的に人見知りをする様な控え目な人なのだとか。

そんな二人が初子さんの悪意のない発言一つで仲違いをした。


「仁美さんもね、初子さんのその発言を人から廻り回って耳にしたって言うじゃない? 其れも溝を深めた原因の一つなのよね」

「初子さんが、仁美さんに謝ったら良いんじゃないの?」

あたしはすっかり冷めてしまったハンバーグに箸を入れ、口に運んだ。

「三十年来の友人だものね。あたしも初子さんにそう言ったのよ。仁美さんならちゃんと解ってくれるわよって。そしたらね、彼女があんな風に怒ったのをあたしは見た事が無いって。だから会いにいくのも怖いって言うの。でもそれじゃあ何時まで経っても仲直り出来ないじゃない? って言ったら、解ってるけど、彼女を怒らせただけでも堪えてるのに彼女に会いたくないって言われたら立ち直れそうにないって」

母のその言葉に飲み込みかけたハンバーグが(つか)える。まるで今のあたしの事かと思ったのだ。

「…でも笑っちゃうの」

「え?」

「さっき初子さんからメールが来てね。無事仁美さんと仲直り出来ましたピースなんてあるのよ? 気を揉んだ二時間を返して欲しい位」

そう母は声を上げて笑って、又ビールを一口飲んだ。

「どうやって仲直りしたの? 一ヶ月も口聞いてなかったんでしょ?」

「二人とも団地住まいなんだけど、偶然にエレベーターで乗り合わせたんですって。最初微妙な雰囲気だったみたいなんだけど、初子さんがね先ず思いっきり頭を下げて、そしたら仁美さんが”もう怒ってないわ” って」

「…え? 其れだけ?」

「そ、其れだけ。仁美さんも段々冷静になって初子さんがそんな事言う人じゃないって解ったんじゃないの? ただ彼女も怒っちゃった手前、意地になっちゃったって言うか…」

あたしは開いた口が塞がらなかった。何て簡単に、丸く納まったのだろう。母もあたしの表情に微苦笑し

「ね? 何か飲みたくなったでしょ?」

と言った。母から聞いただけでも二人は元通りになれるのかと心配した。当の本人から相談を受けた母はあたし以上に気に病んだだろう。

「結局のところ、二人の友情は誤解や時間を超越したって事ね」

初子さんと仁美さんの友情は深く固いものだった、そういう事なのか。

「やっぱりビールは美味しくない。果歩、悪いけど残り飲んで」

母は、半分も飲まなかったビールをあたしに押し付けるとキッチンに立ち玉露を淹れ始めた。




ユキさん、貴方を失う事が怖い。



失いたくない。怖いけど、嫌だけど、気持ちを知って欲しい。伝えたいって思う。








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