【1】
申し訳ありません。「なろう」さんへ投稿したつもりだったんですが、ムーンライトさんへアップされてましたっ。
ルビ訂正しました。 13/04/19
「果歩、聞いた? 大阪から異動してくる人すっごい恰好良いらしいよっ!」
安価な食事を提供してくれる社食はとても有難い。あたしは両手を合わせ小さく「いただきます」と呟き、箸を手に取った。
「果歩、聞いてる?」
「…シバ、午後一会議じゃなかった? 早く食べないと間に合わないよ?」
「あっそうだ!」
同い歳のシバ ―― これは彼女の愛称なのだけれども ―― はあたしに促されるままフォークを手にし目の前のスパゲティを巻き取ろうと其処へ差し込んだ。だが、どうしても先程の話をしたいらしく此方に顔を向け「ねぇ彼女とか居るのかなぁ?」と不安そうな顔をする。あたしはそんなシバが堪らなく可愛いと思い、頬杖をつき顔を緩ませた。
「未だ会ってもない内に、そういう事言うの?」
「目の保養が欲しいし、彼氏欲しいし、二十七歳の女としてはがっつきを抑えつつ、喰らいつきたい、微妙なラインなんだよ、果歩!」
「必死過ぎじゃない?」
あたしはそう笑いながら小鉢に箸を伸ばす。
シバの様に恋愛体質では無いあたしにしてみれば、彼女のはしゃぎように少し驚かされるけれど彼女の言う”微妙なライン” と言うのは少し解らないでも無い。
「シバ、こんなに可愛いのにね。何で彼氏と長続きしないのかね?」
ひじきの煮物を口に運びながらあたしは又彼女を見た。シバとは大学時代から知り合いで、あたしはこの会社に中途採用された人間だが彼女は新卒から此処で勤めていて、社内で久し振りの再会を果たした時の驚きようったらなかった。
秘書課在籍だからとかそんな理由以前に、彼女は学生時代から可愛いらしい顔立ちをしていたしお洒落が好きでメイクもネイルも常に気を遣っていた。歳を重ねた事で内面も磨かれて、今の彼女は申し分ない女性だと思う。仕事の方も頑張っているようで、五年目にして専務の第一秘書になった。でも、学生の頃からシバは男と長続きしない女だった。
「解ってたら、苦労しないんだけど」
彼女はやっとスパゲティを口に入れ、もぐもぐと咀嚼を始めた。それがどうも「はぐはぐ」と餌を食べる小動物に見えて仕方ない。笑っちゃいけないのだろうけど、頬を緩めずにはいられない。
「嫁ぎ先が見当たらなかったら、貰ってあげるよ、シバ?」
あたしが笑んでそう言えば、彼女も「是非」と笑った。二人のこんな掛け合いは最近の常で、穏やかな日々を送っている。
そして、シバが言っていた大阪から異動してくる人物が、さざ波の様に凪いでいたあたしの静かな生活を変えてしまう事をこの時のあたしは知る由も無い。
◇
「聞いてくださぁい、芳野さぁん」
その独特の喋り方をする後輩、久住さんが首に掛けるIDカードをはためかせながら、あたしのデスクへと駆け寄ってきた。いわゆる『愛され女子』とは彼女の様な事を言うのだろうか。スタイルに煩くない会社でしか許されそうにない透き通る様な栗色の緩いパーマが掛かった髪にはパールがあしらわれたカチューシャ。シフォンのアイボリーカラーのトップにフラワープリントが施されたフレアースカート。今日も久住さんは眩し過ぎる。
あたしは指先で眼鏡のセルフレームを摘まみ、其れを取ってから彼女を見上げた。
「どうしたの?」
「和田主任に支払一覧、お願いしますって渡されたんですぅ」
彼女の手には数枚の用紙がホチキス留めされた「支払一覧」が握られている。その彼女の目は何だか潤んでいる。あたしは「またですか」と内心、溜め息を吐いた。
「営業部から一覧が回ってくるのは常でしょ、久住さん」
「和田主任ですよぉ? 直接手渡しですよぉ? ほら名前印も有るんですぅ」
役職付きの人は皆、確認印押すよね、とは言えなかった。だって、その和田主任と言うのが件の男性なのだ。
和田幸成、二十九歳。大阪支社での実績を買われ、本社営業部一課の主任に就任。身長は百八十位、独身。黒髪で、とにかく恰好良い。やり手らしいが、部下に仕事を頼む時低姿勢。
此れが今迄にあたしの頭の中に届いたデータである。勿論、勝手に流れ込んできたデータであってわざわざ仕入れたものではない。
「良かったね、と言っておくね、久住さん。あたし仕事の続きをしたいからこの話は此処で終わり。良いかな?」
「…はぁい、失礼しまぁす」
彼女は大事な物の様に用紙を胸に抱き、パーテーションを越えた自席へと戻っていった。其れを確認し、あたしは眼鏡を掛けると溜め息を吐いた。どうも彼女には入社以来、懐かれている気がする。総務に歳が近い人が居ないからかもしれない。
和田主任とやらが本社に来てから一週間ほどだが、あたしの周りの女子がやけに騒がしい。最初にその情報を齎したシバも例外ではない。
「恰好良くて仕事が出来て、優しいって!!」
そうランチの度に熱く語ってくるシバ。頬を赤らめて盛り上がる彼女を可愛いと思えたのは二日目迄で、流石に三日目は聞き流した。
正直どうでも良かった…興味本位で一度位はお目に掛かりたいかな程度には思うけれど、その和田主任と話したい、食事したいとかそういう願望は一切無かった。
秘書課のシバが、役職付きの人間と関わりあう事はあるだろうが何せうちの部署と営業部が関わると言う事は殆どない。だから何となく、恰好良かろうが仕事が出来ようが独身だろうが、どうでも良い事だった。
其れに今は未だ恋愛する力が沸いてこない。
噂の人物をどうでも良いだなんて思うのは、其れが一番の理由かもしれない。
◇
「芳野さん、ヘルプ…」
もう直ぐ定時という間際に舞い込んだエラー。声を掛けて来たのはプログラムコードを入力中の後輩だった。目の下のクマが痛々しい。
「どうしたの?」
立て込んでた仕事が終わったから今日は早く帰りたかったのにな、と心の中だけでぼやく。席を移動し、画面を覗き込む。彼が作製しているのは社内で使用するイントラネット用ソフトウェアだ。現在のイントラは他社の製品だが余り使い勝手が良くない為、情報で作る事になったのだ。
思わず顔を顰め「リグレッション?」と確認の言葉を掛けた。牧野は
「さっきも別のとこでそれあって直したばっかなんスよ」
と眉間を指で摘まみ解す仕草をする。
「ご愁傷様。取り敢えず確認する。牧野は、ちょっと休憩しておいでよ」
「助かります…コーヒー買ってきます、芳野さんも要ります?」
「ううん、大丈夫」
「了解」
あたしは牧野の椅子を引いて座ると、画面をスクロールさせた。
「どうスか?」
カフェイン摂取後の彼から煙草の匂いがして思わず鼻を摘まむ。少し変声して「今のとこは大丈夫だと思うけど」と答え、牧野に席を譲った。
「あからさまっスね」
「あたしが煙草嫌いなの知ってるよね?」
「知ってますけど、止められないんで…あぁ早いな、芳野さん仕事がやっぱ」
疲れているのか妙な日本語を発する牧野は、あたしの作業を確認して満足そうに頷く。フロアに掛けられた時計を確認すればもう直ぐ十九時で、未だ自分の作業も途中だった事に辟易した。
直ぐ傍でうちの部の内線が鳴ったので、あたしは其れに応答する。
「情シスです」
『営一の和田です。スキャンした文書を自分のフォルダに落としたいんですけど…落とし先が見当たらないんです』
「…少々お待ち下さい、解る者に確認します」
あたしは受話器を握っていた左手の人差し指で保留ボタンを押し、あたしに背を向ける牧野を振り返りながら言う。
「牧野、営一のマシン、接続したの貴方じゃなかった?」
「えっ? …あぁ俺っスけど」
「今、営一の和田さんからの内線でスキャンの落とし先が見当たらないって言うんだけど?」
「うげっ?! 俺忘れてた?!」
席を立とうとする彼を無視してあたしは再度、保留ボタンを押した。
「お待たせ致しました。今、其方に向かいます」
『宜しくお願いします』
受話器を置く迄の短い時間に牧野はサーバーを確認し「忘れてたみたいですー複合機にフォルダ作ってませんでしたー」と悪びれもせず言った。
「こっちの方はあたしやるから。貸しだからね、牧野ク・ンっ」
自分のデスクに戻り、サーバー管理者としてログインし営業部と複合機を繋げる。さっきまでの作業に比べれば、たいした事じゃなく直ぐに終えてあたしは立ち上がる。
「あーざーす」
ふざけたお礼に米神がピクリと動いたあたしは、牧野の首から下がっているIDカードを奪い取り自分の首へと掛けた。
「やっぱりコーヒー驕ってもらう」
自販機にこのカードを翳せば、そこからペイされる仕組みのIDカード。社食でも使う此れは、お給料からしっかりと引かれている。
総務部と情報システム部のフロアを出て扉が閉まると、カチリと施錠される。あたしは営業部迄の道のりの自販機を反芻した。「コーヒー十本位は買っても良いかも」と独り言ちてエレベーターに乗り込み、営業部のあるフロアに向かった。
壬生一葉です。。。
ご無沙汰しておりました。「なろう」さんへ帰って参りました。
拙作ではございますが、又お付き合い頂ければ幸いです。
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