五章
第五章
本を、本を少女は読んだ。遥か昔か、それほど遠くない過去か、一冊の本を読んだ。久遠の眠りから覚め永遠の時間を費やす為の戯れに過ぎない作業。広い、とても広大な本の海、まるで書の牢獄だった。実際、少女はその都市に魂を幽閉されていた。誰にも知られず、誰からも想われず、唯一人。その本に出会ったのは、読んだ本を戻すのさえ億劫になった、そんな時の一点。それはある少年の物語だった。少年は裕福な家に育ち、何一つ不自由無く人生を過ごすはずだった。しかし、ある日、家族が音を立てるようにこの世を去り、一人になる。少年の世話をすることになった少年の遠い親類は、少年を疎ましく思い、少年を痛めつけた。少年は痛みに段々と幸せを忘れていく。それでも、少年は痛みに耐え続けた。少年には痛みに耐え、生きる理由を明確には理解していなかった。理由はあったのかもしれないし、初めからなかったのかもいれない。それでも、少年は生き続けた、生きる理由を見つける為に。それこそ、自身がわからなくなるほどに。少女は本を読むのを止めた。この少年の生き様があまりにも愚かしいからだ。生きる理由を見つける為に行き続け、死ぬまで見つからなかったら、ただの道化だと思ったからだ。しかし、少女の現在の姿に重なるものがあり、気に入らなかったが、気にはなった。時を暫く置き、少女が書庫の全てを読み終え、最後に残った本は、やはり道化の少年の本だった。再び少女は本を手に取るが、その最後は呆気ないものだった。少年は痛みで磨り減った自分に耐え切れなくなり、全てから逃げ出し、生きる理由を見つける為に旅に出た。そこで物語は終わっていた。少女は騙された気分になった。本を燃やしてしまおうかと思ったが、それは物語の少年を殺すことになり止めた。冷静に少年の気持ちを考える。生きる理由を探し生きる少年、それは誰よりも生きる事に忠実で、誰よりも生きることに真摯なのではと思う。そう、だから、少年は愚かな道化なのではなく、誰よりも愛おしい存在なのだ。少女はこの少年に会ってみたいという馬鹿げた妄想を抱いた。会って生きる理由は見つかったのかと聞いてみたかったのだ。しかし、少女は何時まで経ってもやはり少年とは会えず、物語を忘れていった。
玄室、天空殲滅城塞ヴィーズの核たる存在、人柱が永劫の時を過ごす荘厳かつ寂寥の間。侵入者を赦さぬ防衛機構は、手始めに城塞の周辺一帯を小型機械兵が囲み、更にそれらを抜けたとしても、堅固なる城壁には指向性の強い光線照射機構が待ち受け、侵入者を一瞬で穴だらけにし、焼却する。城塞の中には千を越す大型機械兵が彷徨い、許可無く入り込んだ侵入者を圧殺する。更に万を越す古代文明の偏りを示す、凶悪な罠が至る所に仕掛けられている。更に城塞の中心、尖塔の最上階を目指す階段は次元層変換を応用した無限循環となり、どれ程に登ったとしても最上階には辿り着かない。辿り着ける人間はヴィーズの仮想意識体に招かれた存在のみ。
玄室は水晶の板張りが幾多に重ねられたような蒼く澄み切った広大な空間。足元には蒼空が広がり、まるで何も無い場所にその間だけが浮いているように錯覚する。
その玄室の中央に座す蒼い結晶体、その周りを光の結晶体が数個浮かぶ、蒼い結晶は底から這い出た赤い文字の羅列の連なりに接続され、不気味にその文字達が点滅する。そして、蒼い結晶体の中、人陰が浮かんだ。
その蒼い結晶体の前に人影が二つ、黒の礼服を着込んだメトッサ、人柱の姿を取ったヴィーズの仮想意識体。仮想意識体は結晶体を背に瞳を閉じている。メトッサは宙に浮く紅い文字によって段上に構成された鍵盤を、紅い石に触れ合わせながら、ヴィーズの核機構を操作している。その背後ではサロアル兵が珍しげに周りを見渡している。
「素晴らしいですねえ、さすがはバベリア王が創造した神を咎める十柱の一つ。空にぼんやり浮かばせておくには惜しい。折角ですから我が主の為に存分に使わせて頂きましょう。ヴィーズ、そちらは未だ人柱の意識を凍結できないんですかね」
声を掛けられた仮想意識体は瞼をうっすらと開ける。
「現在意識の七割程が凍結完了しました。ですが、人柱の意識が命令形態情報を受け付けずらくなっております故に、暫し時間は必要となります」
言葉は玄室に反響する。
「まったく忌々しいものです、何故バベリア王は殲滅機構の可能許可を人柱の権限領域にまで与えたのでしょうねえ。御蔭でわざわざヴィーズの許可だけでは殲滅機構が稼動しないじゃあないですか」
眉の片方を吊り上げ、つま先で床を叩く。石を鍵盤に押し付ける度に紅い文字が飛び跳ねる。すると、突如、メトッサの頭上の空間に四角い線が走り、枠内に異なる場所を映す面が現れる。
「おやあ………どうやら、ラングレン軍が本腰を入れて来たようですねえ」
映ったのは数十の武装艦隊。真っ直ぐに天空都市を目指している。メトッサは邪悪な笑みを浮かべる。
「ヴィーズ、雲霧の障壁を消しなさい。試し撃ちには丁度良い的です」
仮想意識体はメトッサの命令に僅かだが間を置く。メトッサは気が付かない。仮想意識体が高度な精神を持ち合わせ、確かな意思を秘めていることを。
「………了承します」
天空都市を何千年も外界から遮断していた雲霧が剥がれ落ち、空中都市の全景が現れた。同時に玄室からも、ラングレンの武装戦艦が見えることになる。
「さて………ヴィーズ、今現在の出力でいいですから、殲滅機構を使用しなさい」
「あれは我が主の敵たる神とは異なる存在では………?」
口を挟む仮想意識体をメトッサは訝しげに見る。
「今のあなたの主はバベリア王ではなく、この私のはずですよ。それとも寝惚けているのですか? さっさと、あの目障りな子蝿を殲滅しなさい」
メトッサは紅玉を再び輝かせる。仮想意識体はそれに応じるかのように呟く。
「殲滅機構“蒼き航路 ”起動。許可権限領域千内四百占保持。稼動承認。外廓部解放」
同時に巨大な地響きと供に都市の一角が大地毎盛り上がる。木々は薙ぎ倒され、地面は崩壊し、大量の土砂として地上に降り注ぐ。土埃に紛れて現れたのは、見紛う事無き龍の首、得体の知れない金属によって創られた仮初の生命なれど、その姿は雄雄しく意志を持つように鎌首をもたげさせ、咆哮を上げる。あまりにも強烈な産声に衝撃波が発生し、蒼空が穿たれ円状に揺らぐ。
「これが………天空殲滅城塞ヴィーズの真なる姿ですか、いやはや壮観ですねえ」
「現在、稼動値は最大値十の三、黎明の辺を過ぎ、宵骨の窓に安定を迎えています。航路は開き、解放可能ですが………」
「薙ぎ払いなさい」
僅かな逡巡も無くメトッサは命令する。仮想意識体は暫し瞳を閉じ、命令に首肯する。
竜頭の顎が大きく開き、口内に蒼い光が燈り、強烈な光を放ち収束していく。都市全体が揺らぎ、そして、蒼光が臨界を迎え音を立て、周りの空間を軋ませる。
仮想意識体が小さく呟く。何処かその声は悲しそうだった。
「“蒼き航路 ”発動………佳き旅を」
轟音と共に蒼き咆哮が空間を歪ませ放たれる。放出された一条の蒼光は広がり、極太の放射線となり蒼空を奔る。蒼き光の先端は空間に波紋を穿ちながら、射線上の全てを飲み込んでいく。ラングレン武装戦艦は塵のように掃われ、消滅………しなかった。艦隊の脇を大きく逸れ、曲線を描き、連なる山脈を抉った後、蒼光が破裂する。それだけに収まらず、蒼光が貫いた虚空には穿たれた反動により、歪みを元に戻す力場が発生する。引き込む力が暴風を呼び込み、武装戦艦の集団は紙切れのように巻き込まれ、船体を傾けながら地上へと緩やかに墜落していく。
「ど、どういうことですヴィーズ! 何故、外したのですか!」
メトッサが慌ててヴィーズに言葉を投げつける。仮想意識体は冷静に反応する。
「………どうやら、人柱の意識が機能に干渉したようです」
「………全く嘆かわしいですねえ、たかが人柱の小娘に邪魔されるような兵器とは。まあいいでしょう、最大値の三割でも山脈が吹き飛ぶ威力。これなら我が主もご満足するでしょう」
殲滅機構の傷跡を見つめ、余韻に浸るように目を細める。
「目障りな戦艦は消えたようですから、ヴィーズは人柱の凍結作業を続けなさ………」
突如、透明な床が振動し、破砕音が足元を伝って近づいてくる。サロアル兵士達も動揺を隠せず、それぞれに緊張が走る。
「………なんですか。私達以外にここに辿り着ける人間がいる訳………」
そして、玄室の大扉を破壊し大型機械兵が吹っ飛んで来る。巨大な鉄槌を両手に取り付けた玄室の門番たる機械兵、身の丈は巨木のように大きい、厳格な玄室の守護者。それが、斜めに身を裁断され、機体を構成する部品が弾け飛び、沈黙している。
そしてまず大扉をくぐり、現れたのは大剣を袈裟に振り抜いた姿勢のジギー、それに続き、雷槍を携え、右手を差し出し構えているトリス。
「驚きましたねえ、ええ、驚きましたよ。無法傭兵、金色夜叉、確かにあなた達しかいないとは思いましたが………」
メトッサは探るように、粘りつく視線を送る。
「………どうして、ここに辿り着けたのですか? ここはヴィーズが招かなければ………いえ、まさかヴィーズ!」
メトッサは慌てて振り向き、ヴィーズに是非を求める。ヴィーズは突然の乱入者に驚いた素振りを見せず、否定した。
「………防衛機構に侵入者の反応は確認できません」
「………やはり寝惚けているのですか? 現に目の前にいるじゃあないですか」
メトッサは仮想意識体の機構が破損でもしたのではないかと疑問を抱く。
「さて………それとも、あなた方のどちらかが持っているのですか、このバベリア王が残した“天鍵 ”を」
手に持った紅玉を掲げる。ジギーとトリスはお互いに顔を合わせ、首を傾げる。
「そんな物は持ってねえよ、つうかどうやっても何も、ただ邪魔な機械共を壊して、階段登って来ただけだ、なあ?」
トリスも頷く。
「罠か何かがあると思いましたけど何もありませんから、正直言えば拍子抜けでしたね」
メトッサはこの二人が天鍵の存在を本気で知らないと推測する。おそらく、ヴィーズの機構が長い時間を経て動作不良を起こしたのだと思い込む。
「まあ、いいでしょう。それにしても、今更、何をしにここへ? 私は既にヴィーズの機構の掌握はほぼ済んだところですしねえ」
ジギーは背後を振り向き、誰かに声をかける。
「だってよ、どうするんだ?」
「関係無いですよ。僕は聞きに来ただけですから」
現れたその人影にメトッサは感心する。
「おやおや、わざわざ、少年、君の方から脚を運んでくれるとは、なかなかに殊勝な心意気ですねえ。で、何処で十柱の話を知ったのか教えてもらえますかな?」
黒色の大きめなコートを着込み、髪は真っ白に染まり、布を眼帯の代わりに左目に巻いている小柄な少年、ゼノ。ゼノはメトッサの言葉には耳も貸さず、ただ一点を切なげに見つめる。
「………モニカ」
玄室の中心、巨大な蒼い結晶体の中、奇跡のような存在が漂い、浮かんでいた。結晶体の中、蒼く澄み切った羊水に浸かるように、一人の少女が眠っている。純白の衣をその幼い肢体に絡ませ、濡れたような艶のある桃髪を靡かせ、そこには穢れという概念が微塵も無い触れ難い存在がいた。
存在を無視されたメトッサは不愉快そうに青筋を立てる。メトッサの足元から影が高速で伸び、面から空間に存在を移し、ゼノに強襲する。だが、影がゼノを捕らえる前に、一筋の電光が横合いから影に絡みつき、影を捉える。
「あなたの影も、結局は私と同じ非極術武装式なのでしょう。初めは面食らいましたが、不意を衝かれなければ、私の來黄石で十分に対処できます」
トリスの指輪が黄色く光を燈し、雷光の帯が影に繋がっている。
「舐めないで頂きたいですねえ………」
雷光に絡まれた部分から先を残して影が切れ、一瞬でトリスの柔らかな体に巻きつき締め付ける。メトッサは口の端を吊り上げ、トリスは女神のような微笑をメトッサに返す。
「あなたこそ、どうして、私が金色夜叉と呼ばれているか知らないんですね」
トリスの指輪が更なる輝きを燈し、雷光がトリスの身体を包み込む。突如、空気が爆ぜ、トリスに巻き付いていた影が一瞬で蒸発する。トリスの身体が黄金に輝き、紫電が蛇のようにトリスの身体を流れる。自由になった両手で雷槍をメトッサに構え、微笑む。
「それと………私は子供を苛める人が大嫌いなんです」
メトッサは舌打ちし、兵士達に叫ぶ。
「なにをしているのですか! さっさとそいつらを排除しなさい。できれば、その少年は生け捕りにするのです」
サロアル兵士達が己の極圧武装を展開する。それぞれ、精錬された動きで武装を構える。油断という言葉はそこからは微塵もなく、一流の人間と伺える。
「ジギー………道を創れ」
ゼノはモニカだけを見ながら、隣のジギーに命令を下す。
「………引き受けたぜ、暫定我が主」
ジギーはその命令を待ちわびていたように、喜悦が声に滲む。大剣を両手に構え直し、柄に嵌められた鋼色の極石が銀色に輝く。
「剣聖騎士団ロークが第四剣ジギー・ジャンド、我が剣、仮初の主が為に振ろう。起きろヴェリト! 我が破断の剣にして金剛の鎧!」
それは誓約の言葉、剣の国アレヴィルの騎士が、己の剣が何の為に振られるかを忘れぬ為の戒律。
大剣を深く何重にも覆っていた外殻が剥がれ始め、まるで意思を持つように刀身を流れ、両腕を伝い、ジギーの全身を覆っていく。まるで、鋼の甲虫がジギーの全身で蠢動しているように。やがて、表層が固まり、ある形に収束していく――騎士甲冑、それに酷似していた。だが、甲冑とは異なり装甲が幾重にも張られ、ただ純粋に戦う為に精製されている。頭蓋は銀色の兜に覆われ、大剣は銀色の光子を吹く。名を装甲騎士。他国の飛空戦艦の火力に対抗する為に攻撃と防御の両方を選択した結果生まれた産物。
重厚な金属音を携え、装甲に包まれたジギーが大剣を片手に掲げる。荘厳なる姿にサロアルの兵士が気圧される。瞬間、その鈍重さとかけ離れた速さで、銀色の騎士が、兵士の間を抜き去る。銀色の軌跡が過ぎ去った後には、上半身と下半身が離れ吹き飛んだ兵士の血飛沫が舞った。
味方が一瞬で蹴散らされた事に動揺せず、即座に兵士達は陣形を作る。一対一の接近戦を危険と判断し、動きながら遠距離から仕留める定石を取り、小銃形式の光弾が一斉にジギーに放たれる。だが、銀色の装甲には傷一つ付かず、ジギーは大剣を振り弾く。
「さあ………通りな我が暫定主」
ゼノは聞こえているのか、光弾が乱雑に飛び交う中を優雅に歩く。ゼノに向かう光弾は全てジギーの大剣に叩き落される。
ゼノの後を追おうとした兵士は呻く間も無くジギーの大剣に両断される。ジギーはゼノの背中を視線で追う。
「見せてもらおうじゃねえか………その前に」
ジギーは兵士達を兜越しに睥睨し、獰猛な笑みを浮かべる。
「………アレヴィルの剣をサロアルに叩き込んでやるとすっか」
ゼノの背後で鉄と鉄がぶつかり合う、衝撃音が響く。
「役に立たない奴等ですねえ」
メトッサは眉を寄せ罵詈雑言を吐く。
「それにしても………本当に君はなんなんですかね?」
悠然と歩いてくるゼノをメトッサは見据える。そして、更なる追及をせんとメトッサが口を開く瞬間、その作業は中断される。メトッサの横合いから突如、飛来した電光の塊によって。メトッサは影でその正体、トリスの雷槍による突きを防ぐ。
「………随分と不意を衝くのがお好きなようですね」
メトッサはわざわざ気配を隠しながら横から廻って近づいたトリスに、皮肉を述べる。しかし、その表情には余裕が無い。
「同じつくで掛けたんですか? 少し捻りが足らないような………」
トリスは哀れむような視線でメトッサを見る。
「減らず口を………!」
押し切られると判断し、その場を飛び退くメトッサ、それに追撃するトリス。メトッサは影の刃でトリスを牽制しながら叫ぶ。
「ヴィーズ! そのガキを排除しなさい! 何をしでかすかわかりません!」
仮想意識体は無言で首肯し、手の平をゼノに向ける。周りに浮かぶ光の結晶体が光を収束し、消滅の因子を含む光の曲線を撃つ。
「………モニカ」
光の線は全てゼノを霞め、残滓となり散っていく。モニカの姿を取った仮想意識体が信じられないように手の平を見つめる。
ゼノは仮想意識体のモニカではなく、蒼い結晶体に時間ごと閉じ込められているモニカを見詰め、優しく語りかける。
「………モニカ、聞いてる? まず、最初に謝るね。僕は君の願い、君を忘れる事、君から遠ざかる事、どちらも破るよ」
その声に結晶体に漂うモニカは何も反応も示さない。だがそれでも、ゼノは語りかける事を止めない。
「モニカ、よく聞いて。僕は君のお母さんが君に残した手紙を見つけて、その中身を読んだ。君の一族はね君を見捨てた訳じゃないんだよ。君の人柱の封印を解く方法を探しに旅に出たんだ。一族の人達はね、君が信じていたように、君の事を誰よりも想っていてくれたんだ。君はもう待たなくていいんだ、君が自由に生きることを一族の皆が望んだのだから。そして、君のお母さんも同じ事を望んでいる、愛する娘が幸せに生きることを」
仮想意識体が再び、光に結晶を収束させ、ゼノを打ち抜かんとするが………途中、その動作が止まる。微かに、ほんの僅か、結晶体に漂うモニカの瞼が震えた。
「………何故、凍結はほぼ完了したはず……」
仮想意識体が呆然と呟く。気にせずゼノは続ける。
「君は初めて会った時、目を少し腫らしていたよね。僕は気の所為かと思ったんだ。でも違った。君はあの時、何千年振りかに人と出会えて、嬉しくて泣いていたんだ。それに、君は僕に名前で呼ぶように念を押した、それは、君の存在を誰かに認めてもらいたくて、できるだけ、僕が去る前に名前を呼んで欲しかつたんだね」
そして、仮想意識体の身体がぶれ、存在が消えていく。仮想意識体は消える間際、とても悲しげに呟きを残す。
「………そんな」
ゼノは微笑み、残った右目から涙を流す。
「モニカ、君のお母さんは、君が強く優しい子だって言ってたよ。それにね………君が本当はとても寂しがりやだって。だからね、僕は君に聞きに来たんだ。君が何千年も溜め込んでいた気持ちを。その言葉を君から聞きたいんだ」
結晶体の中、モニカの瞼から流れ落ちるのは紛れもない涙。メトッサが馬鹿なと叫ぶ。
瞼がとうとう、目にわかるほどに震え、うっすらと、何千年振りかに蒼き瞳が外の世界を映す。そして、その綺麗な薄紅の唇から、声が漏れる。
『………ゼ……ノ……。聞こえた、ゼノの声、しっかりと聞こえたよ』
モニカは漂い、身体を浮かせ、結晶体と外の狭間に手を付ける。ゼノも両手を結晶体につけ、モニカを見詰め返し、頷く。
「………うん」
モニカは震えた声でゼノに問う。
『ゼノ………私、自由に生きていいのかな………、幸せに生きていいのかな………』
ゼノは一生分の微笑みを費やし、優しくあやすように言葉を紡ぐ。
「いいんだよ、幸せに、自由に、モニカは生きていいんだよ………だから、聞かせてよ、君の言葉を、君の気持ちを」
モニカの瞳は真っ赤に腫らし、水晶体の壁面に縋り付き、嗚咽を漏らす。
『わたし、わたし………ずっと』
ゼノはその言葉を一言一句聞き逃さぬように、全てをモニカの声に捧げた。そしてモニカは俯かせた顔を上げ、叫び、哀切が堰を切る。
『ずっと………ずっと寂しかった! 寂しかった………!』
魂にまで響くその叫びをゼノは全身全霊で受け止める。そして………ゼノの全てが変わった。
色が、視界が、温度が、空気が、時間が、肉体が、思考が、理念が、理性が、感情が、精神が、魂が、世界が………変わった。その瞬刻からゼノは初めて生まれ、生き始めた。
生まれたその瞬間に感謝する。生まれて初めて瞳に映ったものがモニカであることを。
そして、ゼノという存在の誕生にゼノの全てが歓喜の声を上げる。乖離していた肉体と精神が歯車のように噛み合い、回り始め、その振動が魂と五感を激震させる。
「聞こえたよ………モニカ、確かに聞こえたよ……君の言葉を、君の気持ちを」
震える声、絶える事の無い涙。
「だから………僕は二度と、二度と君に寂しい思いをさせはしないよ」
ゼノの嘘偽り無い決意の言葉に、モニカは微笑みで返す。
『………わたし、誰かと一緒に、一緒の時間を生きたい』
ゼノはそれに頷く。
「できるよ、絶対にできる。だから………少しだけ待っていて。君の涙が枯れる前に終わらせるから」
モニカは腫らした目を押さえ、微笑みを返す。
『………うん』
モニカの返事にゼノは微笑し、背を向ける。
「いけませんねえ、いけませんよ。ヴィーズの人柱が目覚める事がそもそも異常事態なのに………それが、本体まで目覚めてしまうなんて、どんな悪影響が出るか………」
メトッサは影を何重にも張り、トリスの雷槍を押さえ、ジギーと兵士達の交戦する方向に投げ飛ばす。トリスは空中で雷網を張り、再びメトッサへと肉迫するが突如、床から現れた機兵に遮られる。メトッサの手には紅玉が輝いていた。
「仕方がありませんねえ、手動で機構を操作するのはとても面倒なのですがね………まずは人柱に再び眠ってもらうとしましょう」
紅玉が明滅し、それに反応するかのように、蒼い結晶体の真下、天蓋から紅い文字の羅列が鎖となってモニカの身体へ巻き付く。モニカは呻き声を上げないが、表情を苦悶にして曇らせている。だが、
「消えろ」
ゼノの言葉に従い、紅い文字の羅列は粉々に砕け散る。
メトッサは眼球が飛び出る程に目を剥き、絶句する。慌てふためき、もう一度命令を下し、紅玉が輝き、文字の鎖が飛び出るが、
「消えろ」
モニカの身体に絡む前に砕ける。
「そ、そんな、何故………やはり壊れているようでね、そうに決まっています。“天鍵”の命令が書き換えられるなんてある訳が………」
メトッサは動揺を抑えられず、思考を纏めることができない。有り得ない事に対して人は異なる答えを出して誤魔化す、自身の理性を守る為に。ゼノは冷めた声で言い放つ。
「………いい加減に気が付け、自分で言っただろ。“天鍵 ”はバベリア王が臣下に権限を与える為の道具、当然、権限が高い“天鍵 ”が優先されるに決まっているだろう」
「………まさか、少年、あなたも“天鍵 ”を持っているというのですか………!? しかし、例え持っていたとしても、私が持つ“天鍵 ”はサロアルの伝承によれば最上の第一級権限、同じ権限の“天鍵 ”でも先に機構を掌握した私の意志が優先されるはず!」
メトッサは得体の知れない気分に陥り、叫ぶ。
「僕は“天鍵 ”を持ってはいない。それに“天鍵 ”が何故紅いか知らないのかい?」
ゼノは哀れみの視線を送る。
「そんなこと………今は関係が………」
メトッサが言い切る前にゼノが言葉を叩き込む。
「“天鍵 ”の仕組みを考えればすぐわかること、バベリア王が残した遺産は“天鍵 ”の権限をその濃さで判断している………つまり、バベリア王の血だ」
メトッサは血と聞き思考が真っ白に。ゼノはメトッサの動揺を他所に、口調を早める。
「つまり、より濃い血で創られた“天鍵 ”が優先される。そして僕は“天鍵 ”を持ってはいない。わかるかい………その意味が」
「………少年、お前は……いえ、あなた様は………」
玄室に存在する全ての人間が申し合わせたかのように身動きを止め、ゼノの言葉を傾聴する。そして、ゼノはメトッサに極刑を宣告するかの如く、決定的な言葉を言い放つ。
「僕の名前はゼノ、ゼノ・ユルト・ヴァリア。それが、今現在の表の名前。そして過去から、僕の係累に伝わる名に置き換えると………ゼノ・ユルト・バベリア。……そう、僕はバベリア王の直系だ。当然、僕には世界中の誰よりも濃く、バベリア王の忌まわしい系譜が、呪いが、“天鍵 ”が流れている」
静寂が満ち、ゼノが左目の眼帯を毟り取り、投げ捨てる。左目には傷一つ無く、はっきりと視界を捉えていた。
「………何故、何故気が付かなかったんでしょう、その白髪、そしてその異常な再生力、少年、あなたは今世の“神怨”を受け継ぎましたね!」
ゼノは悲しげに目を伏せる。
「………そうさ。僕もさっきまで忘れていた。でも、忘れてはいけない事だった。そして、僕はもう逃げない、立ち向かうと決めた!」
ゼノが一歩を踏み出す、その挙動にメトッサは顔を引き攣らせ、叫ぶ。
「それでもこの“天鍵 ”が無効になったわけではないはずです! あなたを殺せば!」
途端、大量の機械兵が空間から引きずり出る。更に転送されたサロアル兵が数十人。機械兵は全身に極圧武装と思わしき銃口が開き、光の散弾が乱射され、サロアル兵の極圧武装からは、人体を軽く引き千切る真空の斬撃、周りの空気から集めた水蒸気を圧縮した水の団塊砲撃、空気を蒸発させる程の強酸の波、槌を形取る擬似的な岩の雨、怪鳥の姿をした炎撃、様々な極術がゼノに殺到し、轟音と極術同士の交じり合いにより爆発し煙が濃密に立ち込む。
「やりましたか………?」
メトッサの錯覚か、一撃必殺たる極術の雨あられが着弾する寸前、ゼノの黒色のコートが風も無いのにふわりと靡いた気がした。そして、
「惜しいね………極術じゃなくて………普通の弾丸なら殺せたかもしれないのに」
煙が晴れ、ゼノはなんら変わりなく、平然と佇んでいた。だが、身に羽織っていた黒色のコートは異様な程面積を広げゼノを包み込んでいた。まるで意思を持つ生物のように靡いてはそよぐ。目を凝らせば、そのコートの表面が黒く輝きを放つ事に気がついただろう。ゼノは広がったコートの一端を撫で微笑む。
「ごめんよネオン、君の事も随分と忘れていた………久しぶり」
黒色のジャケットは顎を撫でられた猫のように喜び、はためき、ゼノの頬に擦り寄る。
「………うん、後でいくらでも撫でてあげるからね」
コートは満足したように、ゼノの体躯に合わせた大きさに戻る。ゼノは動揺を隠そうとしないメトッサに目を向ける。
「まさか………天素の無効化………虚闇石ですか、なんて代物を!? 何をしてるんです! あのコートに極術は通用しませんが、天素を含まない攻撃は通ります!」
メトッサは必死の形相でサロアル兵や、機兵に焚きつける。サロアル兵は一瞬、呆然としていたが、メトッサの言葉を聞き、其々の武器を携え鈍い機兵に先行した。
ゼノは迫り来る兵士達を俯瞰し、思考の外に置く。そして自然と身体の力を抜く。
すべき事は決まった。あとは実行するだけ。自分にできるか、そう、先程まではできなかったはず、だが、今はできる。生まれる以前に肉体へ刻まれた膨大な経験、精神へ叩き込まれた知識が膨大な過去の海を渡り、混ざり、心身を構成する。ゼノは思い起す、羅刹の凶気と凶器を、豪鬼の覇気と拳を。二人の究武の技と心が、ゼノの中で溶け、一つの集大成となり精製される。肉体は烈火の如く熱く凝り、精神は氷山の如く冷たく揺るがない。あとは、魂と意思。ゼノは魂に前方の陰と背後の陽だまりを定義する。すなわち前者は敵、後者は守るべき存在。それが、精神と肉体を熾す起爆剤となり、噛み合った歯車が加速を始める。意思は決まった、魂は極まった。最後にゼノは自身の全てに語り、喜びを分かち合う。
「さあ………生き始めよう、皆」
心臓が狂ったように脈動し戦いの血が全身を巡り、身体の組織全てが戦意の混ざった血から活力を受け取り、闘争の咆哮を上げる。指先から全身全てが闘争本能の安全装置たる枷を外し、戦闘生物と変わっていく。異常な程に筋肉は凝縮され、内側から破裂する程に力が漲る。脚部に疾走の意思と力を込め、瞬間、ゼノの身体が陽炎のように揺らぎ、爆ぜる。ゼノの姿を兵士の集団は見失うが、気が付く。数十人の中心に忽然と姿を現したことを。
「………!」
突如現れた、ゼノの二倍近い体躯を持つ兵士は驚愕し、力任せに両腕の鉄槌を振り下ろす。ゼノは蛇の如き動きでそっと兵士の掴んだ柄に手を添え、鉄槌をあらぬ方向へと向ける。標的を見失った鉄槌に引き込まれ兵士は身体を泳がせる結果になり、ゼノは半身を動かし兵士の背面に右肩を寄り付かせ、左足で地面を踏み抜く。その衝撃を身体の伸縮バネで増加させながら右肩に流し、密着した兵士に叩き込む。そして、体重が三倍近くはありそうな兵士が大砲の直撃を受けたかのように、錐揉み回転をしながら吹き飛ぶ。その巻き添えに兵士数人が犠牲になり、床に長い時間転がり沈黙する。それは一瞬の出来事。兵の一人が呆然と呟く。
「………なんだ、このガキは………」
その言葉が終わる前にゼノは弾くように動き出し、肘を畳み、傍にいた兵の脇腹を抉る。肋骨が砕け、内臓にまで刺さる感触がしたが、ゼノはそのまま肘を振り抜く。兵士が苦悶の声た大量の血を吐き地に倒れる時、既にゼノは離れ、他の標的に移っている。兵士達が武器で囲み槍襖でゼノを閉じ込め、串刺しにしようとするが、ゼノは人間離れした跳躍力で兵士の頭上を超え、空中で身を翻し落ち際に踵を振り下ろす。それぞれ兵士二人の肩、鎖骨に食い込み破砕する。
「………人間じゃねえ!」
誰かが叫ぶ。華奢な体躯が集団の隙間を縫うように疾駆し、骨を砕き、肉を抉り、急所を貫き、人体を破壊していく。
「うわあああああ!」
恐慌状態に陥った兵士が味方を巻き込み極圧武装を展開し、爆炎を手に提げた円状の金属輪から放つ。身を焼かれた兵が悲鳴を上げながら転げ回る。しかし、爆炎を切って黒い影が同士討ちをした兵に飛来し、無防備な顎を掌底でかち上げる。黒色のコートがゼノを包み、揺らめいている。ゼノは黒色のコートのフードから顔を出し、呆れる。
「………集団近接戦闘で炎に属する極圧武装は禁じてでしょう………」
既に、数十人の兵士は数人に減り、倒れ付す人間全てが苦悶の声を上げている。
「もういい! 邪魔ですよあなた達は!」
メトッサが苛立ちを隠そうともせずに、機兵をゼノに肉迫させる。だが、鈍重が具現化したような機兵の群れに動揺は見せず、顎を砕かれた痛みで気絶している兵士の腰に差してあるナイフを拝借する。
「………まあ、素手だと少し痛いですからね」
ゼノは半身を開きナイフを左手に真っ直ぐ先端を構え、右手で左肘を押さえる。見上げる大きさの機兵が極圧の刃を振り下ろし、ゼノを圧殺しようとする。ゼノは思考に凶気を描き、凶器を振る。ナイフの先端で極圧の刃の支点を突きずらす。半身を髪一重に過ぎ、床に叩きつけられた刃に重力を感じさせない動作で飛び乗り、刀身を伝って機兵の腕部を飛び越え、赤い視覚レンズにナイフを突き立てる。ナイフを引き抜き、機兵の頭部を蹴り、背部から床に逆さまに着地するまでの時間、ゼノはナイフを逆手に構え、古代金属で造られた機兵の装甲を蹂躙する。ゼノは身を宙返りさせ、両足で着地。瞬間、機兵が動きを止め、斬線――凶気が奔り、背面の装甲が剥がれ、機兵が崩れ落ちる。ゼノはナイフを反し直し、メトッサの前に立ち並ぶ機兵を、紙屑のように斬って捨てていく。一振りのナイフだけで。
「………極術も使わず………呪われた化け物め」
メトッサは顔を歪ませる。最後の機兵が両断、機兵の機体が左右に離れ切り開き現れたゼノはメトッサに向けて、違うと、一言。そして続け、
「………ただの弱虫です」
卑屈にそう答えた。メトッサは恐怖を全身に感じ、不意を衝き、背後から影を伸ばし一瞬でゼノの顔目掛けて伸ばした。手応えをメトッサは感じ、笑いが漏れる。
「くくっ、油断しましたね、いくら再生力があっても一瞬で脳を貫けば………」
「死ねたらいいね………試したことは無いけど」
くぐもった声が聞こえ、見た。影の先端に噛み付き、暴れ狂う影を捕らえている。そして、黒色のコートに影が包み込まれ消える。ゼノは気持ち悪そうに口を抑える。
「………美味しくないですね、あなたの影」
ゼノはナイフを反り立たせ、一瞬でメトッサの腕部の付け根を抉り、筋を断つ。メトッサが悲鳴を上げる前に、ゼノは背後に回り、腰を溜め込み、脊椎に負荷を与え、反動全てを背中越しに叩き込む。
メトッサは眼球が飛び出そうな衝撃を全身に受け、体中で四散し、余韻として吹き飛び、顔面から床に叩きつけられる。ゼノは血糊が付着したナイフを投げ捨て、振り返る。
「………片付けは済みましたか?」
ジギーは全身装甲を外し、やや疲れた面持ちをしている。トリスも既に雷光を身に纏ってはおらず、槍を支えに肩を上下させている。やはり柔和な女性の身体なだけに体力は少ないようだ。だが、お互い、驚愕という言葉が表情に張り付いているのは同じだ。
「………お前……本当に………」
ジギーが声をかけ、トリスがそれを継ぐ。
「本当に君はバベリア王の………?」
ゼノは説明するべきか困った顔をするが、不意に、モニカの閉じ込められている結晶体の方から弱弱しい呻き声が上がる。見れば、顔を腫らし、血走った目をしたメトッサが動く方の腕で紅玉を掴み、結晶体の前に立っている。
「………手に入らないなら………せめて……壊してしまいましょう………」
紅玉を赤い文字の鍵盤に押し付け、都市が揺れ動く。
『………あ、あ、あ』
モニカが両腕で身体を抱きしめ何かに耐えている。
「………まさか、城塞都市の核機構を超過稼動させたのか………! あなたはそれが何を意味するか知らない訳がないでしょうに……モニカ!」
メトッサは即座に玄室の壁を影で壊し、外に飛び出す。ジギーが後を追うが既に小粒のような黒い塊が眼下に見えるだけ。
ゼノは急ぎ、操作鍵盤に触れる。ゼノは生まれて初めて舌打ちをする。
「………駄目か。もう魂鎖機構も命令を受けつかなくなっている。ヴィーズの殲滅機構が暴走する………! このままじゃ人柱の準契約解放もできない」
『ゼノ………ヴィーズが……啼いてる』
突如、都市ヴィーズの竜頭が慟哭に似た咆哮を上げる。顎に蒼光を迸らせ、殲滅の息吹を吐き散らし、回りに飛来していたサロアルの戦艦が跡形もなく消滅させる。そして、城塞ヴィーズは次なる得物を見つける為、移動を開始する。
「この方角には………」
トリスはラングレンの首都に向かっていることに気が付き、血の気が引いていく。
「おい、坊主、暴走って止まらないのかよ?」
ゼノは手を止めずに、赤い文字を指で叩いていく。
「………一応、手はあります。とにかく、殲滅機構を停止させれば命令系統に容量が空くはず………で、今、停止信号を送りましたけど………全力で逃げて下さい。拒絶が来ました。ヴィーズの本能が僕等を殲滅対象と認識したようです」
モニカの結晶体が宙に浮き出し、蒼い光に包まれる。大気がこれから現れる存在に怯え震える。雷鳴のように鼓膜を劈く轟音が幾度も鳴り、その度に空間に衝撃波が生まれる。青い靄が空間の亀裂から溢れ、結晶体の周りに集まり、モニカの姿が見えなくなるほどに輝き眩む。巨大な蒼光が突如形を取り始め、顕現する。
「………天空殲滅城塞ヴィーズ、その真なる姿か………」
ジギーとトリスが息を呑み、一方、ゼノは何処か懐かしげに呟く。
それは玄室の広大な空間を飲み込む程の巨躯、海に溶けてしまいそうに蒼く澄んだ鱗、山脈を抉り大地を穿つ苛烈な爪牙、世界の外側にさえ飛んで行けてしまいそうな雄雄しいい双翼、それは正に蒼き天空を覇するにふさわしい猛き蒼龍の姿。
長くうねった体躯からは蒼き靄が吹き出し、水晶の瞳には明確に敵意の赤が燈り、威圧的にゼノを睨みつけている。そして、大きく顎を開き、天空を揺るがす程の咆哮を上げる。その雄叫びは地上にまで轟く。
ジギーは足の震えが止まらず、顔を顰める、トリスも正直、生きた心地はしなかった。だが、ゼノは構わず無防備に、蒼龍へ近づいていく。
「モニカ………ちょっと、待っててね」
蒼龍が動き、極薄の鋭利な爪がゼノを薙ぐ。ゼノは跳躍し、これをかわすが、大きさが桁外れに近く、もう片方の爪に空中で叩きつけられる。床に伏せられたゼノは頭から血を大量に流し、踏鞴を踏む。
「………ぐっ」
追撃のように、蒼龍の巨木のような竜尾が床を這うようにゼノを横合いから薙ぐ。当然、その玄室の間にいる人間全てが掃われる。
「やべえ! 巻き込まれる………!」
「………きゃっ………ちょ!」
ジギーはトリスの身体を片腕に抱え、踵を返す。だが、予想していた衝撃は何時までたっても来ないので、ジギーが不審そうに振り向く。
「………本当に人間かあいつ?」
ゼノは両腕で自重の何千倍はあるだろう竜尾の鞭を受け止め、その両足は床にめり込んでいた。当然のように、ゼノの両腕はあらぬ方向へと曲がっていた。ゼノは痛みに顔を歪ませる。
「早く逃げてください! この龍はヴィーズの核機構です。すぐにこの城塞ごと一時的にこの龍の空間に飲み込まれます。そうしたら、足場毎、無くなって墜落ですよ!」
「お前はどうすんだよ! それにまだ力を見せてもらってねえぞ!」
「だったら、さっさと脱出して、空を眺めてろ! すぐに見せてやる!」
ジギーは、口を吊り上げ笑い、暴れるトリスを無視して玄室から出て行く。ゼノは足音でジギー達が安全圏にまで去ったことを悟ると、抑えていた両腕を離し跳躍し龍の背に飛び乗る。
「………なかなかの乗り心地………でもないか!」
逆鱗に触れたか、蒼龍は激しく暴れ、ゼノを振り落とそうとするが、ゼノは手刀で鱗の間に貫き手の杭を打ち込み耐える。蒼龍は玄室の壁面に身体を押し当て、ゼノを圧殺しようとするが、その圧力に耐えられなかったのか壁面が壊れ、玄室が崩壊していく。蒼龍は首を玄室の天蓋に向け、透明な天井に突っ込み、玄室の外、尖塔を抜け、大気に触れ、垂直に天を駆け上がっていく。
「………くっ!」
ゼノは途轍もない速度で昇っていく蒼龍の背に掴まりながら、襲い掛かる大気の塊と、身に感じる急激な重力に苦悶の声を上げる。そして、気が付く、鱗が蒼く、碧く、煌き、靄を発していることを。ゼノは鳥肌が立つのを覚える。靄は一気に蒼龍の周りをゼノごと包み込み、靄の粒子が互いに共鳴し、激烈に高まっていく。ゼノは慌てて叫ぶ。
「まずっ………ネロン!」
瞬間、靄の全てが弾け、蒼雷の嵐を一帯に産み、太陽光の代わりに蒼光を地上に注ぐ。当然、巻き込まれたならば、断末魔さえ上げる事もなく蒸発するだろう。
「あ………ぐっ」
黒色のコートは焦げ、無残な姿になっており、包まれていたゼノも全身が焼け爛れているが、生きている。だが、手に力が入らず、するりと龍の背から落ちていく。蒼龍は身を翻し、墜落していくゼノ止めを刺す為に、身動きができないゼノの身体を口蓋を開き、常人の身の丈程ある牙でゼノの体躯に喰らいつこうとするが、ゼノは意識を振り絞り、右腕をわざと牙に貫かせ、身体を引き千切られるのを回避する。
ゼノは宙に刺さった牙を支えに吊られ、眼下の都市ヴィーズがその身を光の粒子に変え始めていることを。大地が、都市が、木々が、樹海が、城塞が光の奔流となり蒼龍に吸い込まれるように流れ込む。そして、その光を受け取る度に蒼龍の体躯は見る間に大きくなり、地上に巨大な影を落とす。
「………まさか、都市の質量分飲み込んでいるのか!?」
やがて、都市ヴィーズは最後の輝きと共に完璧に消滅、もとい核機構に位相ごと吸収された。蒼龍は既に一つの山脈さえも一呑みにする程に巨大化した。もはや、その姿は一つの天災と言える。ゼノは口蓋の端っこでその大きさに唖然とするが、蒼龍は顎を閉じようとするので、ゼノは真っ向から赤い瞳を睨み返し叫ぶ。
「………自分の主も忘れたか! この駄龍め!」
ゼノは左腕を振りかぶり、拳を限界まで握り込め、背筋を捻り、蒼龍の口蓋に叩き込む。牙が砕け、右腕の肉が削ぎ取られる。支えも無く、ゼノは頭を下に向け落下していく。蒼龍は頭を振り回し、予想せぬ反撃に一瞬怯み、だが、それすらも怒りに変え、残った牙でゼノの頭蓋を砕かんと、空を切り裂き横合いから再び強襲する。もはや、蒼龍が身をうねらす度に凶風が天空に吹き荒れる。
ゼノは暴虐なる牙が迫るのを瞳に映しながら、ぼんやりと心に語りかけ、過去の一部分を思い出す。
………ゼノ、いいですか。今から私はあなたに呪いを渡します。
………呪いって………どういうこと、母さん。
………私達の血は呪われているのです。祖たるバベリア王に呪いは始まり、脈々と血を伝って呪いは受け継がれてきました。呪いは宿主を過酷な運命に追い込み、抱いた負の心を糧にし、魂を蹂躙します。呪いはやがて宿主という殻を破り、世界に感染します。それは避けなければ。そしてこの呪いは私達の血にしか宿りません。これは宿命なのです。宿主が呪いに侵略される前に、次なる世代にその呪いを渡さなければならないのです。
………じゃあ、母さんは………どうなるの。
………私は既に呪いの侵攻が進み切って死を待つ身です。何時、呪いが私という殻を破るかわかりません。
………そんな、嫌だよ母さん。
………ごめんなさいゼノ。私も頑張ったのですけど、もう時間も無いようです。結局………あの人との約束を守れませんでしたね。
………じゃあ、僕もその呪いで死ぬの?
………いいえ。そうとは限りません。この呪いを消す方法はわかりません。それでも、呪いを抑える事ができます。
………なに?
………強い意思、心、魂、漠然としか言えませんが、それらを持つことです。そして、大切な人を見つけることです。呪いに負けて世界に感染してしまえば大切な人を危険に陥らせてしまいます。そんなことをさせないと、意思に心に魂に刻み込むのです、大切な人を。
………母さんは誰が大切だったの?
………もちろん、あの人と、お姉ちゃん、そして、あなた、ゼノですよ。きっとゼノにもそんな大事な人に会えますよ。
………そっか………なら、呪いなんて怖くないね。
………そうです、ゼノ、だから、あなたが呪いを打ち砕き、バベリアの宿命に終止符を打つのです。あなたならできます。だってあなたは………私の自慢の息子なんですから。
そう、思い出した。あの日、母さんが死んだあの日。僕は呪いを受け継ぎ、髪が白く染まり、地獄が始まった。自分じゃない誰かが内側から僕を蹂躙し、外側から叔父の教練によって心を磨耗させ、呪いに対して抗いきれず、僕という存在を殺したんだ。負の感情を抱かない屍にしたんだ。
………ごめん、昔の僕。僕が弱かったから僕は君を殺した。
………いいよ、僕だって悪かったんだ。あの時、母さんから呪いを受け取る前、僕は呪いを怖がったんだ。呪いはその恐怖が作った心の隙間を通って僕を追い詰めたんだ。だから、もう、いいんだ。それに、見つけたんだろ? 大切な人を。
………見つけたよ。少し無愛想だけど、とても可愛い子を。
………そう。だったらもう大丈夫だね。もう呪いなんて怖くないな。じゃあ、呪いに怯えるだけの屍は消えるとするか。
………違うよ。君は消えちゃ駄目だ。呪いに恐怖を抱く君は必要なんだ。恐怖があるからこそ、いつまでも大事な人を想え続けることができるんだ………それに、正直、僕一人じゃ、心細いよ。
………なんだ、相変わらず僕は弱虫だな。そっか………じゃあ、一緒に行くか。
………行こう。一緒に、あの子を迎えに行こう。
そう、僕と僕はもう逃げない。一人が寂しく心許ないなら、手を繋げばいいだけなのだと、僕と僕は既に知ったのだから。
そして、ゼノは肉体の裏側、精神の異層、魂の秘所に沈み、呪いへと意識を伸ばす。
〈………奪え、奪え、奪え、全てをその手の中に。人格も財産も地位も権力も精神も肉体も過去も未来も現在も怠惰も欲望も嫉妬も矜持も懊悩も快楽も悲哀も憤怒も希望も絶望も慟哭も、奪い、貪り尽くせ〉
………そして、得た物を全てお前が奪うのだろ………? いいだろう、いくらでも奪うがいいさ、お前から奪われたものを、僕がお前から奪うだけだ。
〈………何を躊躇う、何を怖がる、何を驚く、全てはお前という存在が望む事、お前にはそれしかない。何も持たない故に、お前は略奪、簒奪の輩、全てを望みながら、お前は未だ何も満たしていない〉
………そうさ、満ちてはいない、でも、それは誰よりも未来への希望を持っていることなのさ。
〈………お前は、私だ。それは輪廻の果てから定められている。さあ、喰らえ、全てに逆らい、己が運命だけに従い、そう、まずは………あの娘から………〉
………そうだ、確かに僕はお前だ。そして、お前は僕だ。それは否定しない。だからこそ、僕はお前と全力で立ち向かえる。輪廻なんて知るか、今ここにいる僕は僕だけだ。全てに逆らうなんて冗談じゃない、そんなことしてたら疲れるじゃないか。己の運命に従うのなんて当たり前なことを言うなよ、自分の意思を綴り、歩いた軌跡が運命だ。そこには余人の入る余地は微塵も無い。それに、モニカを喰らえだって、お前は僕の癖に、なんにもわかっていないんだな。いいかい? 聞かせてやるよ。僕とモニカはだな………………………とっくに暫定相思相愛だ! だから、お前は僕とモニカの愛の物語を僕の中で見物でもしてればいい、そして、見物料として世界に感染する呪いの力とやらを僕に貸して隅っこで正座でもしてろ!
〈………くくくくくっく………ははははははは! なんだ貴様は、なんだお前は、我は貴様等の血を弄り、蹂躙する呪い。我に恐怖を抱くどころか、力を貸せだと………面白い、面白いぞ! そんな愚かな担い手は我の膨大な過去に一人といなかったぞ! いいだろう! 与えてやろう、黄昏を蝕む怨嗟の暗黒を! 見せてもらおう貴様が抗い苦しむ様を! だが、忘れるな、我は呪い、我が与える力もすなわち呪い! 貴様が扱えなければ呪いは即座に世界に感染する! 精々後悔するがいい、“天の鍵 ”よ!〉
耳障りな哄笑がゼノの耳に染み付き離れない。しかし、構わずゼノは冥き瞳を開け、迫る龍の顎を見て叫ぶ。
「さあ、蝕め! “暗黒 ”よ!」
突如、ゼノの全身から黒い霞が不気味に吹き出し。蒼龍の巨大な横面を物理的に跳ね飛ばし、ゼノの身体を掴み、宙に浮かせる。出で止まる事の無い暗黒。何処までも冥い。天空を蝕み、闇が顕現する。ゼノは暗黒に包まれながら、全身が蝕まれていく事を感じる。気を抜けば、一気に闇へ溶かされてしまいそうだった。しかし、その緊張感がまた心地良かった。
蒼龍は警戒するように肥大する暗黒の周りを飛び交う。やがて、暗黒は奇妙に動き、形を取る。それはゼノの根源たる魂の形を描く。生きていなかった少年が、生き始めた事により知った感覚、そして永遠に抗うべき象徴。暗黒は人な形を取り、暗黒が襤褸切れのような黒衣となり、黒衣からはみ出た腕は灰色、そして、腕の先に掴んでいるものは巨大な鎌。そして、黒衣のフードから覗いたのは紛れもない髑髏。ゼノは暗黒にたゆたい叫ぶ。
「僕はついに辿り着いた! 死とは生きる為に抗うべき生の真髄だということを!」
ラングレン領、超高空、天空に顕現し相対するものは蒼き翼龍と………黒き死神。
どちらも、途轍もなく巨大な体躯なので地上が暗闇に包まれる。
蒼龍は全身から吹き出る蒼き靄を口蓋に収束、迸らせ、巨大な蒼光の塊が天を焼き付かせるように煌く。一方、死神は両手に携えた鎌を離し、鎌が虚空の命を刈り取るように回転を始め、鎌が加速する度に幾多の鎌が重なり現れる。数十本の鎌が弾かれるように四散し前方に円状に並び、回転を続ける。数十の鎌からは暗黒が伸び、幾何学紋章の円を造る。その円が深淵に繋がるように境界口からは虚無が溢れ出し、黒き輝きを収束していく。そして、蒼龍と死神が同時に咆哮を上げる。口蓋から放出された極太の蒼光、円形紋章の境界から放射された濃密な暗黒。轟音、概念として捉える事のできない力の衝突に空間が悲鳴を上げる。蒼と黒が天空を染め上げ喰らい合い、二つの交点から天災級の衝撃、爆発が連鎖反応的に生まれ、余波が地上の広範囲を襲う。やや、暗黒の光が押され始める。慣れない力を扱う分、ゼノがやや不利なのは否めない。
一方、蒼龍の中、異層空間。何も無いそこには二人の少女が向かいあっていた。少女達の外見は双子のように全く同じ。しかし、それでも違いはある。片方の少女はやや表情に色を持ち、もう片方は何も無い。モニカと仮想意識体であるヴィーズだ。二人は鎖に絡まれお互いに縛り付けられている。そして、ヴィーズとモニカは互いの手に鎖が繋がれている。
「ヴィーズ………協力して。あなたが核機構の掌握を拒否し返せば、殲滅機構も命令系統に異常を感知して、その分の作業領域が殲滅機構の能力を下げるはず」
「………拒否します。既にヴィーズは核機構の過剰稼動命令を受諾しました」
「………でも、ゼノは言っていた。ゼノはバベリア王の子孫だって。だったら、ゼノの命令をあなたは優先するはず………どうして?」
「………」
長い沈黙が横たわる。
「ヴィーズ………あなたはこの城塞の精神、そして、私と共に感情を共有しているはず。私とあなたは繋がっているのだから。だから、わたしは知ってる。あなたも寂しかったんでしょ………ヴィーズ」
モニカが優しく微笑む。
「………私はバベリア王に創られた兵器を司るただの仮想意識体。人間の精神が持つ感情は持ち合わせていません」
ヴィーズは泰然と態度を変えることはない。モニカは呆れた顔をする。
「………嘘吐き。そして私と同じで意地っ張り。寂しくなかったなら、どうして、ゼノをここに迎え入れたの? あなたでしょ、ゼノの船を都市の端っこに落としたのは」
ヴィーズは初めて虚を衝かれたように、口篭る。
「………それは」
モニカは心配そうに自分と同じ顔を下から覗き込む。
「………もしかして、ゼノが私だけを解放して、あなただけを一人きりするとか、思ってる? それなら、大丈夫。だって………ゼノは優しいもの」
ヴィーズはそっと息をつき、疲れたような哀愁を感じさせる声で吐露する。
「………この、胸中に穴が空いたような、痛みのような何かが私にはずっとわかりません。これは故障でしょうか」
モニカは優しくたしなめる。
「故障じゃない………それが、寂しいということ。その痛みは誰かと一緒に生きたいという心の叫びだよ」
ヴィーズは瞳を閉じ、その言葉を反芻する。自然と閉じられた瞼から雫が溢れた。
「これが………寂しいということなのですね」
モニカは鎖で繋がれたヴィーズを抱きしめ、額を合わせる。
「だから、一緒に呼ぼう、ゼノを。きっと来てくれるはず………ゼノ」
モニカの呟きは異層空間の広がりに消える。それでも、それでも、届くはずがないその声は、その少年、ゼノの魂に響いた。不可思議の存在が齎した一握りの奇跡。
暗黒の中、ゼノは心に少女を描き答える。
「聞こえたよ………モニカ」
黒き死神が更なる不吉な雄叫びを上げ、蒼龍を威嚇し、円形紋章を構成する鎌の回転速度が加速し、円が広がっていく。そして、更なる濃密で巨大な暗黒の放射が始まる。
「聞け! 我が名はゼノ・ユルト・バベリア、お前の創造主の係累にして、お前の新しい主だ! 契約に従い我に下れ、蒼龍ヴィーズ!」
蒼光が一層強まった暗黒に飲み込まれ、蒼龍の体躯が暗黒に飲み込まれる。ゼノは暗黒を通して鎮静化したヴィーズの意識に精神が流れ込む。そして、瞳を開き、現れたのは鎖に縛られた少女二人。片方の少女、モニカは表情を綻ばせ、ヴィーズは緊張した面持ちでゼノを見つめる。
「待たせたね………モニカ、そして、ヴィーズ」
モニカは頷きを返す。
「ヴィーズ………ちゃんとした自己紹介はしていなかったね。僕はゼノ・ユルト・バベリア。そして礼を言うよヴィーズ。ありがとう、君が城塞都市を守ってくれた御蔭で僕はモニカに出会えた」
ヴィーズは歓喜に打ち震えるように現れた主の礼に反応する。
「礼など必要はありません………それが私の役目です。お帰りなさいませ、そしてようこそ我が新しき主」
「うん。さて………それじゃあ、準一級解放作業に入るよ。でも、モニカの魂とヴィーズの精神は癒着してるから分離するのは不可能。だから………モニカの魂の縛鎖凍結を解除して、ヴィーズの機構をモニカの魂に仮宿として封印するよ。多分、人柱の魂が純粋に核機構に用いられないから、機能は極端に下がるはず」
血を、身体に流れる天鍵を熾し、ゼノは命令を下す。
「我、ゼノ・ユルト・バベリア、ヴィーズの主として命ずる。魂鎖を断ち切り、人柱に時間を還せ。そして、もう………待たなくていいよ」
それは魔法の呪文、モニカとヴィーズを数千年に渡り寂しさと繋ぎ合わせていた鎖が砕け消滅する。ヴィーズは繋がりを失くし、迷子のような行き場の無い表情を見せる。その手をモニカは取る。
「………大丈夫。寂しかったら、手を繋げばいい」
ゼノはそして二つ目の命令を下す。
「ヴィーズ、モニカの魂を仮宿に全機構を移せ。そして………共に同じ時間を生きよう」
「………了承しました。我が主」
ヴィーズは微笑を初めて浮かべる。
「じゃあ………外で待ってるね、ヴィーズ、モニカ」
ゼノはモニカとヴィーズに見送られ、意識を戻す。




