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三章

 第三章


 単に空中都市という表現で括っていいのか不明だが、空中に浮いている都市というので、枠の内にあるのは確かだろう、厳密に突き詰めれば都市ではなく廃墟に近いが。しかし、住処としている住居を廃墟呼ばわりされたらモニカに悪いと思い、その呼び方は自粛させてもらうことにする。モニカ自身、成れの果てとやや侮蔑の意味合いが含まれた語彙を口にしていたが、それは忘却の彼方から住まう人が、過去に繁栄していた故郷を想う、ある種の郷愁の念と酷似していた気がする。ともかく、世界から切り離された空間、霧雲に覆われ隠された閉鎖都市、時にさえ見捨てられた虚無の住処、空中都市ヴィーズでの日々は唐突に訪れ、驚天動地を繰り返すような出来事ばかりであった。客観的な視点に立てば、空中都市という古代遺物について驚くばかりという事になるだろうが、僕にとっては貴重な古代遺産、現代理論を超越した古代技術、そんなもの些細なことだ。確かに当初は驚きに満ちていたけれど、僕にとってなんの利益にもならない物ばかりで、利用しようという愚劣な欲望も無かった。僕が目を瞠るほど驚愕した事は何を隠そう僕自身に関する出来事だった。別に自己陶酔者のような自惚れかつ、お粗末な出来事を語る訳ではない。生きる事に執着できないこの僕が、生きてさえいなかった僕が、意思の無い道化のような僕が、人に己の欲望を押し付けてしまったのだ。僕自身が望んだ事のようだが、それでも、信じられない。初めて、僕は己の意思を持ち、己の欲望を抱き、己の言葉を紡いで、人に、モニカに伝えてしまったのだ。また、君の歌を聞きたいと。怨嗟の声を吐きたくなるようなおこがましさ、僕は、何にも関心を持たず、何にも触れ合わず、そうして

生きる芝居を演じながら生きていきつもりだったのに。僕はどうしてしまったのだろう、あの二日目の夜、幽玄とさえ思える夢のような時間、僕は我を何処かに置いてきたように、自身をあの時間に溶けて漂う程に、僕は記憶にあの時を刻み込んだ。いっそ下卑た人間とさえ、思われても、僕は欲した。心も姿も涙も唾液も罪も罰も、あの音色も、全て僕の物にしたいと。全てを奪い掴めと。手に入らないなら………一片残さず壊してしまえと。僕は壊れてしまったのだろう、螺子が外れた、その程度の破損ではない、人の精神の在り処、起源たる魂から、壊れ狂ってしまったのだろう。狂ってしまった歯車が止まる事を知らぬように、手の届かぬ魂を修理する事はできない。元々に歪み捩れていたような魂なのだから、少しの衝撃で爆ぜてしまうのは既知だった。そして、あの歌が契機になった、それだけだ。壊れてしまったガラクタが辿る道は一つしかない。だから、僕はモニカを傷つけてしまう前に早く離れるべきだ。そして、二度とモニカの前に現れるべきではないのだ。そして、地上で無残に誰にも知られず、死ぬべきだ。さて、目的が定まり、やる事は一つだけ、飛行船の修理だけだ。幸い材料は揃ったわけで、工具も予め飛行船に積み込まれている非常用の道具を駆使すれば十分。

三日目、四日目と僕は、朝にモニカが耕し、扱っている畑に出向いて、手伝いをした。食事に出てくる材料は全てここで補っているらしい。正直、モニカ一人の労力で畑を保持できるのか疑問ではあった。だが、モニカの畑はおそらく地上の何処よりも高水準な栽培の上に成り立っていた。小屋から五分程歩いたそこ、都市中央の城塞の傍、硝子のように透明で薄い壁に囲まれたお椀状の建物が並んでいた。その一つに入ると、外気と温度が異なり、どうやら何か任意に室内を温かくする装置が仕掛けてあるようだった。ある一定の時間になると天井付近に設置されている管から霧状になった水が吹き出し、作物を潤す。室内の土壌は勝手に動き、踏み荒らしても常に一定の形状に戻る。なので、モニカ曰く、作業は作物の回収と種子を埋めるだけだと、後は全て土が勝手に行ってくれるらしい。正直、これがあれば地上の飢餓に苦しむ人がいなくなるのではと、思いはしたが、ここまで利便性が高い代物だと人を堕落させる事になりかねないとの意見もあるだろう。つまるところ、人間はある一定の負荷を持ち続けないと生涯が酷く詰まらなく感じてしまう生物なのだ。モニカ一人ならば、これは丁度吊り合いが取れている。それにしても、古代の技術は凄まじかった。僕の持つ知識を総動員してもどんな原理かさっぱりだった。モニカも詳しくは知らないらしい。作物の収集を終えた僕とモニカは昼食を小屋で取り、午後は僕一人で飛行船の修理に勤しむ。作業に熱が入る頃、モニカが午後のおやつだと、木の籠を一つ腕に携え、頂く事にして、甘い小麦粉菓子は絶妙な味だった。僕が作業している間、モニカは傍でずっと話していた。僕は外の出来事を色々と、思い出しつつ語った、歴史、文化、戦争、その他もろもろの変遷。聞いて楽しい話ではなかったはずだけど、モニカは黙って聞いていてくれた。あいかわらす、無表情ではあったが、少しだけ楽しそうだった気がした。さては、ともかく修理は四日目の夕方には終わった。その旨を伝えると、モニカは素っ気無く頷いただけだった。下界に降りるのは明日にし、最後の一晩を迎えることになった。別れという程、時間を共にしてはいないが、それでも僕はモニカに少しは、そう、何か別れを惜しむとか、態度も変わるかと暗い期待をしたが、モニカは何も変わらず、普通に相手された。僕は何がしたいのだろう、僕は何がやりたかったのだろう。やはり、壊れてしまったんだなと、つくづく思う。でも、明日で僕はここを去る。それが、僕にとっても、モニカにとっても最善だと僕は思いきっていた。つくづく僕は救えない。


 轟々と吹き荒む烈風の中、四枚羽の翼を持つ小型飛行船、ジギーはいい加減、探索を断念したくなっていた。堅牢たる雲霧に阻まれ四日の時間を費やし、障壁の薄い場所を探した。だが、結局の所、何処もほぼ同じような強度を持ち、弱点と言える場所は無かった。

「ああ、だっりいいいい!」

 度々、地上に降りてはいるので、肉体的な疲労は無いが、先の見えぬ作業に集中力を切らし始めたのも確かであった。飛行船を飛ばす火陽石、風嶺石も無料ではない、このまま、突破口を見つけることが出来ず、無駄な浪費を重なる事を考える。

 操縦桿にジギーは顎を乗せ、薄ぼんやりとこれからに思考を巡らす。

 ………そろそろ、引き時か。

 それでも、惜しい気が後を引く。ジギーのような明確な国籍、立場の無い無法者は生計を立てる為に、少しでも多く蓄えを貯めておく必要がある。だからこそ、好機は逃さず必ず掴む、それがジギーの考えだ。

「俺も女々しいなあ………引き際が大事だってのに」

 ジギーは誰かとつるみ、依頼を請け負ったりはしない。それは確かな実力を有していることもあるが、過信もしていない。それ以上に、表沙汰に出来ない仕事を生業とする為、人間同士の怨恨、しがらみは後を絶たない。それを可能な限り回避するには、最低限な人脈で、業界を渡っていくしかない。しかし。

「………ここらが限界なのかもなあ」

 仰け反り、目を隠すように、腕で額を覆う。

「やっぱ一人じゃ………無理か」

 無法の世界に手を染めて五年、それなりに名を馳せはしたが、ジギーにとっては無価値だった。決意から五年、目的の為に、がむしゃらに何でもやった。それでも、水面に映った月を掬う様に、全く手応えもなく、無為に月日は過ぎ去った。

側面の硝子に拳を叩きつけ、その痛みに眉を潜め、歯を噛み締める。

「………く、俺は、いったい何やってんだよ! あれから何にも進んでねえ………」

 怒号の叫びに宿るのは悔恨の思い。

 耳を劈く警報音、周空図には船影が一つ。

「ああ! 人が怒りに満ち溢れて浸ってるのに、何処の野郎だよ!」

 ジギーの船、左舷上方に現れた。それも間近に。

「………! どうして、こんなに接近されるまで反応しなかった!」

 天素探索の光点には目の前の船を映していない。

「これも、この雲霧の所為かよ!」

 肉眼で、現れた戦艦を捉える、側面に刻み込まれた紋様、半月に矢を重ねた絵。

「ラングレン軍かよ………それも雲雀級だと。まさか、風啼きのジェミルじゃねえよなあ………」

 風啼き、ラングレン領上空の守護者、ジェミル・クロイスラー、かつて、ラングレンが超帝國主義で戦争を繰り返していた頃、武装が物を言う航空戦において、戦略を駆使して敵国の戦艦を落とし、墜落していく戦艦が空を切り裂く音が、啼き声に聞こえた由来からの名前である。武勇伝は数知れないが、軍内部の軋轢か、自身の要望か、未だに空軍内でも低い地位に納まっている人間である。ジギーとしては過去、何度か空で追われたことがあり、墜落こそ無いが、その際まで追い詰められたことがあった。

 唐突に戦艦から瞬きするような信号弾が発射される。

「………軍船記号周波数194………応答せよか」

 外れますようにとジギーは願い、摘みを捻り、回線を繋ぐ。低いしわがれた声色が音声端末から発っせられる。

『………こちら、ラングレン軍航空部隊所属ジェミル・クロイスラーじゃわい、所属を述べい』

 ジギーは相手の名を聞きつい項垂れ、無意味とは思えど、一応身分を偽ることにした。

「………こちらは、ラングレン国内のエトリア学院史学研究員、ボトリア・メクールだ」

『もうちょっとマシな嘘をつけい若造、お主、これで何回目じゃ』

 ………覚えられてるしよ。俺は悪さをした近所のガキか。

『今はお主と遊んでる暇はないんじゃよ、さっさとこの空域から消えるがよいさ』

「うっせえな、爺、いい加減手前も退役しやがれ、仕事がしづらくてかなわねえ」

『ふん、相変わらず良く吼える奴じゃて………まあええ、この船の今の責任者に代わるわい』

 暫し間を置き、一端通信が途絶える。 ジギーは僅かに身体に緊張が走るのを覚える。やがて、回線が再び繋がる。

『………こちらはラングレン軍古代秘蹟調査部トリス・ベゼットです。直ちにこの空域から離れなさいここはあなたが思う………』

 凛と澄んだ若い娘の声、なんとなく頭が固い人間だとジギーは思い、悪戯心が沸いた。

「………え? なんです? ここはグトリア小麦粉精製所ですよ? 悪戯ですか?」

 ………さすがに引っかからないよなあ。

 しかし、通信の相手はジギーの思惑を見事に裏切ってくれる。

『………え? 嘘、だって………』

 ………いけるか?

「ふざけないで下さいよ、こっちは仕事中ですよ! それとも注文ですか?」

『ご、ごめんなさい、だって………な、なにか間違いがあったようで、あ、小麦粉はいりません』

 ジギーは通信を切らず、そのまま聞き耳を立てる。向こう側で、間違えてるよと、何か喚いている。そして、誰かが、なだめかすように説明している声が聞こえる。

「………くくっ」

 ジギーは腹を抱えて笑いを堪える。

『何が小麦粉精製所ですか、そもそも、この回線に繋がるわけが………』

「………」

 ジギーは言葉の途中、構わず回線を切った。五つ呼吸を繰り返し、再び回線を繋げる。

『なんで切るんですか! 人として………』

 摘みを捻り、回線を切る。一拍置き、繋げる。

「………で、何か用かいお嬢さん」

『………私はあなたのような人は嫌いです』

「恐悦至極だな」

『いいです、その態度から、ここから去る気はなさそうですね、なら、排除します』

 戦艦の側面に無数の穴が開き、そこから筒状の管が覗かせ、ジギーの飛行船に射口が向けられる。


 トリスは冷静沈着かつ広い視野を持ち、柔軟に物事を捉え、揺ぎ無い意思で行動をする。だからこそ仲間から信頼され慕う人間も多い、だが、同時にトリスを知る誰もが、こう言う。芯の通ったようで迂闊な娘と。

「迂闊でした………」

 トリスは額に青筋を浮かべながら、なるべく無表情を装う。明らかに無理をしていると艦内の誰もが思った。

「さて、どうするトリスちゃん、あの若造もどうやら雲の中に用事があるようだがの」

「警告はしました、あちらが空域を離脱しないなら、打ち落とすだけです」

 操縦室の誰かが、隅でひっそり話す、警告してたか? しっ、する前に回線切られて、逆に切れちゃったから引っ込みつかないんだよ。

 トリスは視線でそれを沈黙させる。それが、頭を冷やす打ち水の変わりとなり、冷静さを取り戻そうと努める。

 ………いけない、つい頭に血が上ってしまって。それにしても、ふざけた人。

 ジェミル艦長が何か言いたげに口を開く。

「トリスちゃん、言っておくぞあの若造は面倒じゃぞ」

「艦長は知り合いなんですか?」

「名前も知らぬ奴じゃが、何回か奴を空で追った事があるぐらいじゃい。まあ、いつも逃げられてしまうんじゃが」

「………相手の神経を逆撫でにするだけの嫌味な人ではないのですか」

「いや、あれはトリスちゃんが間抜け………み、耳に接着剤は勘弁じゃトリスちゃん」

 トリスはこほんと上品に仕切り直し、曲芸のように銃弾の猛威から逃れる飛行船を見て、決断を下す。

「………とにかく、正直、面倒でも放って置く訳にはいきません。というか、目障りです。時間がかかるようでしたら私が直接あの小麦粉下郎を撃ち落しますから」

「しゃあないの………じゃ、やるかい」

 艦長は帽子を被り直すと操舵室の雰囲気が一変した。即座に怠惰な空気は消え、戦闘態勢に移った。

 ………普段から、これなら楽なのに。

 レイトーラという軍の中でも特殊な組織だからこそ、集まる人間は一癖も二癖もある。しかし、それでも能力は確かなのも事実。穏やかでは無いと思いつつ、トリスの瞳が一番穏やかではなかった。


 五日目、曇り空に囲まれた晴天、ゼノとモニカは一緒に飛行船が置いてある花畑まで歩いていった。道中、雑談とも言えぬ、お粗末な会話、下界に降りてからどうするかなどを語っていた。ゼノとしては何を話しているのかさえ、口に出した先から忘れていた。少しでも言葉を絶やせば、その隙間から、聞いてはいけない一言が出そうだったからだ。

「とにかく、一度レイガスの実家に戻るよ」

「………また、苛められに?」

「うっ………まあ、慣れてるから大丈夫だと思うけど」

 ………苛められというよりは殺されるだろうけどね。

「………ゼノは何も悪いことしてないのに、なんで苛められるの?」

 柳眉を曲げ、僅かであるが言葉には怒気を含んでいた。

「多分、僕が悪いんだよ。僕がはっきり言わなかったから………というか、モニカさん、どうしてそんなに不機嫌なの?」

「………そういうの嫌いだから」

「ああ、ごめん、話すべきじゃなかったね」

「………知らない」

 やがて、寂寞の溜まり場とも言える花畑に着き、ゼノは飛行機の燃焼機関を試運転させる。燃焼機関は極術の応用ではあるが、極術そのものでは無い。特殊な回路の坩堝に火陽石をはめ込み、蓄電器から電流を流す事で任意的に炎を発生させる。だからこそゼノにも扱える。前方、後方のプロペラ、各部の回転羽の調子を見ながら、モニカを横目にゼノは捉える。

「………それで空を飛べるの?」

「いや、むしろ、その疑問を持つべきはこの都市では………」

 最後に破損し、修理の終えた揚翼の部分を調べる。やや、全体的に歪んではいるが、地上までは保つだろうとゼノは見立て、点検を終える。

「終わった………かな」

「………そう」

 ゼノは言った後、なんとも寂しさを覚える。モニカに向き合い、お互い、了承していたかのように黙り込む。

「………えと、その、僕は行くけど、お世話になったね。お礼も何もできなかったけど」

 モニカは黙って首を振る。

「………私が勝手にしただけ、ゼノは何も恩に着ることは無い」

「………いや、でも………家訓としても、そう言うわけにも………」

 ふっと、モニカは表情を柔らかくして、上目遣いで初めてゼノに微笑を見せる。

「………ゼノは人が良すぎる。それなら、ゼノが好きなようにすればいい」

「そっか………じゃあ、僕の好きにしてみるよ」

 モニカは黙って肯定するように頷く。ゼノは名残惜しくも、それでも、早く去りたい気分だった。それを口にしてしまいそうだったから。それは、モニカの微笑を見て、堰を切り出した。

「じゃ………行くよ、またね」

 ゼノはモニカの顔を見ぬよう、背を向け、飛行機の取っ掛かりに足を掛け、乗り込もうとするが、その体制で止まる。そして、脚を離し、両足で地面に立つ。

 ………どうして、どうして、引き止ってしまったんだ。

 振り返り、口を開くが、上手く言葉にできない。

「あ………」

 モニカは眉尻を落とし、訝しげにゼノを見つめる。

 ………駄目だ、駄目なのに、僕にはそんな資格は無いのに。

 意思とは別にゼノを揺り動かす何かが、言葉を放つ。

「一緒に………僕と一緒に行かない………?」

 モニカは瞳を瞠り、その言葉に呆然とする。慌ててゼノは言葉を付け足す。

「いや、だからさ、そのモニカさんが一族の帰りを待つなら、ここで待つよりは、その地上に降りて探した方がいいかなと、それに、僕も協力できると思うし………だから」

 ゼノはゆったりとした足取りで、モニカの目の前で立ち止まり、手を差し伸べる。

「だから………僕と一緒に行かない?」

 モニカは俯いたまま首を横に振る。それにゼノは視界が暗転するような気分になった。

「………私は駄目、ここで待つ」

「………ど、どうして………だって、君は………そんなにも………」

 動揺し、ついゼノはモニカに詰め寄るが、モニカは怯えたように後ずさる。

「………ち、近寄っちゃ駄目」

 ゼノはモニカの瞳に映った感情が恐怖と悟り、金縛りにあったかのように凍りつく。

「………ご、ごめん、僕、そんなつもりじゃ………」

 それでも、つい、手を伸ばしてしまい、モニカの身体が小さく震える。モニカの恐怖に呼応するかのように、ゼノの感覚で地面が轟き鳴動した。

「………な!」

 雲霧の形状が歪に変わり、大気が狂い始め、豪風が都市に吹き荒れる。地面には巨大な生物が這うように揺れ動き、何処かで破壊と瓦解の轟音が満ちる。天蓋の蒼空を蝕むように雲霧が覆い尽くし、都市一帯が見る間に暗がりへと包み込まれる。雨粒さえ降り落ちては来ないが、途端に雲霧が黒ずみ破裂音を含み始め、雷光と共に轟音が都市を震わせた。

 ゼノは吹き付ける強風と、大地の震動に両膝を突く。それでも、眼を瞠り、モニカの姿から一時も離さなかった。

「モニカ………?」

 人の感覚では追いつけない、天災が溢れ出す状況下、泰然とモニカはそこにいた。奇妙なことに巨躯の大人でさえ襤褸切れのように吹き飛んでしまう暴風の中、モニカは支えや、何かにしがみ付こうとせず両足で悠然と地に立っていた。そして、身に纏う衣服ははためく事を知らず、風に揺れず、静止を保つ。そう、まるで、この破壊とも、混沌とも言える天災の一部のように。

 ゼノは見た、モニカが最早、恐怖の感情に縛られていない事を。そう、モニカの瞳には虚ろ、何も映っていない。まるで、モニカを容れ物にした機械。元々、感情を見せぬ、モニカだったが、決定的に違う。感情の揺れ幅が極端に少ない、それがモニカだった。

 ………あれじゃあ、ただの人形だ。

 ゼノは無我夢中で身体に力を込め、脚の踏ん張りを利かせ、少しずつモニカに近寄る。そして、飛び付く。

「………モニカ!」

 抱きしめた、そして、そのまま倒れ込む。初めて触れたモニカの身体は、溶けてしまいそうに柔らかく、折れてしまいそうに華奢で、そして。

「………嘘だろ」

 温もりの欠片も感じる事ができなかった。冷たくもなく熱くもなく、人間という器から体温だけが抜け落ちてしまったかのように。

「と、とにかく、モニカ!」

 瞬きせず虚ろな瞳のモニカ、瞼が僅かに動き、瞬き二つ、焦点がゼノに結ばれる。

「………うわっ!」

 両腕で突き飛ばされゼノは尻餅をつく。そして、先程までの一帯の喧騒が嘘のように消えていた。風脚は弱まり、地は揺るがず、雷雲は息を潜めた。

「………モニカ、君は………」

 モニカは視線を合わさず、悲しそうに眼を伏せている。

 ゼノは立ち上がり、過ちを繰り返さぬように距離を取り尋ねる。

 モニカは口を固く結び、小刻みに震える身体を自ら抱きしめる。ゼノは二の句を継げなくなるが、事態は進む。突然、背後の雲霧から、風を貫き、近づいてくる音が嫌でも耳に入った。そして、来た。


 機体が悲鳴を上げるが、構わずにジギーは操縦幹を倒す。ラングレンの戦艦に真っ向から相対すれば即座に撃墜は免れない。機銃掃射が絶えず、ジギーの機体を狙い、それを空という障害物な存在しない三次元空間を活用し、縦横、あるいは螺旋を混ぜ軌跡を描き、活路を開く。

「うおおおおお! 危ねえええええ!」

 小回りの効く小型飛行機に対して戦艦は圧倒的な火力を発揮させ、銃弾の檻を用いてジギーを囲っていた。雲霧に身を隠させないように、射線で軌道を塞ぐ。あるいは、わざと隙間を作り誘導する。実際ジギーは本能的に機体を沈め、上部擦れ擦れに銃弾を避けた。

「………だから嫌なんだよあの爺とやり合うのはよ!」

 叫びながら、まだその程度の余裕がある事にジギーの冷静な部分が他人事の様に理解する。再び、戦艦の砲撃範囲からの突破を試みるが、前方に遮断の意思が篭められた銃弾がかすめる。即座に操縦桿を引き寄せ、機体を重力に真っ向から逆らわせる。急激な方向転換に慣性が働き、ジギーは身にかかる圧力に対して苦悶の声を漏らす。

「………埒が明かねえな、どうにか………あ?」

 突如、廻りにたゆたう雲が中心部分に吸い込まれるように収束し、黒ずんでゆく。機体が千切れそうになる程、気流が渦巻き乱雑に吹き荒れる。ジギーは引き寄らされる機体を安定させる為に必死に操舵幹を握りこむ。

「今度はなんだよ!」

雲霧は雷を孕み、竜巻の姿を取って無作為に廻りの空気を巻き込んでゆく。飲み込まれる事になれば、障壁との衝突で粉々になることは明白。

「冗談じゃねえぞ!」

 叫び、機体が揺れ、舌を噛みそうになるので歯を食い縛り、口を閉ざす。


 一方、ラングレン戦艦、ジギーの小型飛行機に比べて、燃焼機関の原動力が多く、受領がある為に船体の安定性も高い。それでも、台風並みの強風域に巻き込まれれば、あまり関係が無い。どうにか、雲霧の吸引力に抗い、均衡を保つ程度だ。

 座席の背もたれにしがみ付きながら、船体の揺れに耐えるトリス。

「こりゃ、あかんぞ、一先ず離れるぞい、ええな、トリスちゃん?」

「私も同じ意見です。これは、どうにも………」

 そして、悲鳴のような声が操舵手から上がる。

「やばいぜ艦長! 段々、引き込む力が強くなってる」

「………機関室もこれ以上出力が上がらないって………!」

「回転羽根も軸ごと持ってかれます!」

 段々、雲霧が肥大している事にトリスは気が付き、暴走の原因を探る。

 ふと、視界に小さな点が現れる。ジギーの機体。それを見て、トリスはつい呆れる。

「あんな機体でよく………しぶとい人」

 眼前に揺れ動き、こちらよりも遥かに必死な様子がその軌道から伺える。

「ええい! お前等気合で何とかせんかい! こんなの何時もじゃろうが」

 乗り組員はその言葉に萎えたように、不平の声を漏らす。

「けっ! 爺の喝じゃあ、やる気も出ねえっつうの」

「官舎の婆さんとでも茶でも飲んでやがれ!」

「………お前さん達、最後になるかもしれんから好きな事を言いおってからに………しゃあないのお、生き残ったら、トリスちゃんのアレな話を赤裸々に話してやるわい!」

「「「やる気出てきたああああああ!」」」

「出ないで下さい! 艦長も何ですかアレって!」

「アレが嫌ならアーレでもいいんじゃがね」

 非難を続けようとトリスが口を開きかけた所で、船体が僅かだが確実に雲霧から離れ始めた。

 ………なんて出鱈目な人達………。

 しかし、奮起空しく、前触れも無く事態は収束していく。船体の揺れは収まり、大気が静まりかえった。誰とも無く口を開く。

「………え、収まった?」

 嵐の後の静けさのように、霧雲は荒々しさを何処かに置き去りにし、内部に孕んでいた力の奔流を吐き出しつくしたのか、中心部分は常より雲霧の防壁が薄くなり、ぼんやりと内部の影を映し出している。

「………艦長、今なら内部に突入できるかもしれませんので、運搬用の飛行機体を出してください。先遣隊として何人か連れて私が行きます」

「………あいよトリスちゃん」

 トリスが立ち上がり操舵室を出る際、背後に声がかかる。

「………固執はいかんぞ、残るのは虚しさだけじゃて」

 暫し立ち止まり、返事をせず、金髪を靡かせ、発着艇に向かう。


 同時に、ジギーは飛行機が不調を訴えるのを耳にする。見れば二枚二対の揚力羽根の片方。一つずつが捥げている。回転羽根も軸が曲がり、機能を果たしていない。

「堕ちるなこりゃ………だが、血路も開いた」

 眼前を睨み、行く手を遮っていた霧雲は薄れ、消えかけている。好機、その単語が脳裏に浮かび上がり、突貫を試みる。

操舵幹を握り、残りの火陽石を全て消費させ、推進力を一時的に得る。後先はもはや考えない。飛行機の先端が霞みのような白い微粒子な塊にぶつかると、一瞬、正面硝子がひしゃげる音を立てるが、構わず突き抜ける。靄の中、もはや内部に張り巡らされていた迎撃機能、落雷が無い事を知り、ジギーは胸を下ろす。

「………にしても、しつこい奴等だなおい、まあ、あっちもの目的もここだろうから当たり前か」

 ジギーの機体に後れて、一隻の飛行する機体が続く。靄の中で攻撃をする気配は無い。妥当な判断だとジギーは考える。

 ………迎撃機能が何かの弾みで回復したらお終いだからな。

 やがて、靄は薄れ、うっすらと内部の概形が滲んでくる。中心部分には光が満ちている。そして、抜けた。

「………これが」

 ジギーはその現実離れした景色に驚嘆する、いっそ、狂喜と言えるかもしれない。空中、島が一つ丸ごと浮かび上がり、中心部分に尖塔が聳え立ち、周りを城塞が囲み、その外側には雑多に並んだ廃墟、濃密に重なり合った森林。そして、眼下に人影を捉え、目を瞠る。

「嘘だろ! なんで人が………いや、あれが、そうなのか?」

 言う間に、機体が限界に来たしたようで、不時着場所を催促するように傾いていく。無論、ジギーは丁度良い花畑を見逃していなかった。

「あの爺に遭うと何時もこうなるなおい!」

 風を切り裂く音が搭乗席内部にまで鳴り響き、ジギーは冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。機体が垂直に墜落する前に、全体をむりやりに持ち上げ、体制を立て直し、地面と接触。

「………ぐっ」

 機体が摩擦と共に、何度か弾み、それが功を奏したのか、ゆっくりと落下の内在力が薄まっていく。花畑を通過し、段差となっている丘に衝突、鞭打ちにならぬように、身体を屈め、両手で頭を抑える。暫し、視界がぶれ、止まる。搭乗席の外側で回転羽根が外れ、地に落ちる音が聞こえ、ジギーは息を吐く。

「今回こそ死ぬかと思ったじゃねえか………」

 歪んだ搭乗席の硝子を蹴り破り、ジギー布に巻かれた長物を片手に外に這い出る。そして、視界に二つの人影を認め、唖然とする。

 ………両方ガキじゃねえか。

 片方は独特の民族衣装を彷彿させる装いをした、桃色の髪をした可愛らしい少女、警戒心が強いのか、こちらを睨んでいる。もう一つの人影は同じ年頃位の美麗な少女、こちらは黒いジャケットを着込み、呆然とこちらを見ている。何より特筆すべきが肩で切りそろえられた短めの髪が雪のように真っ白いことだ。

 とにかく、近寄って話しを聞く事にした。得物を後ろ手にする事も忘れない。

「おい、お前等………やべ、忘れてた」

 見上げる、少女二人を挟んで、一隻の飛空挺が突風を生み出しながら着陸する。


 突然、雲霧を貫くようにして現れた小型飛行機は損傷激しく、墜落。花畑を突っ切り、丘の段差に衝突して、中から平然と人影が現れる、一連の様をゼノは一挙一同逃さず見入っていた。

 人影は近づいて来た。ゼノは後ろでに何かを隠すのを見逃さず、微かに緊張し、横目でモニカの様子を探る。ゼノはつい息を潜めた。モニカは眉尻を上げ、すっと目を細め、敵意を剥きだしにしている。

「モニカさん………?」

 人影は青年、逆立てた赤髪に得物を狙う猛禽類を彷彿させる鋭い目つき、如何にもならず者といった出で立ちに、ゼノはつい竦みそうになる。決して、赤髪の青年自体は威嚇するつもりなど毛頭無い。ゼノが勝手に悪癖を発症しているだけだ。

 男が何か言いかけ止め、不意に舌打ちし、頭上を仰いだ。ゼノもつられて、視線を追う。雲を切り裂き、新たにもう一隻、飛空艇が現れた。直ぐに男とは反対側に、滞空し垂直に着陸しようとする。飛空挺から発せられる衝撃に似た風が横から振り付け、ゼノは乱れる髪を押さえる。

「一体………うん、あれは………」

 降りてきた飛空挺の側面に刻み込まれた紋様から、ゼノはそれがラングレン軍だと判断する。

 やがて、飛空挺の後部が開き、中から数人の武装した人間が現れ、ゼノとモニカを挟んで、赤髪の男と相対するような形になる。

「………ちょ、え、な………」

 半ばゼノとモニカは囲まれた事になり、ゼノはひたすら困惑する。とにかく、ゼノは未だに敵意を隠そうともしないモニカの傍に寄り、事態を待つことにした。

「どうして、こんな所に子供が………それも女の子二人で………」

 飛空挺から降り立ってきた集団を代表するかのように、白い武装服を纏った、金髪の女性、それも、瞳を疑う程の美人が声を上げた。ゼノはその柔和な美人の容姿に半ば驚きながらも、言葉に違和感を覚えた。

 ………女の子が………二人?

 周りを見ても、女の子と言えるのはモニカのみ、まさかとゼノは考える。

 ………実は僕に見えない女の子がいる!?

 ゼノの妄想を他所に、赤髪の男と、金髪の美人が真っ向から視線をぶつけ合う。

「あなたが、小麦粉下郎ですね………」

「………ああ、その声………くっ」

 男は急に身を屈め、なにやら腹を押さえ、笑いを堪えている。金髪の美人は表情を堅くし、目を吊り上げる。柔和な美人さんが台無しだとゼノは思った。

「なにが可笑しいんですか」

 金髪の美人は凍りつくような声で、男を睨みつける。その様に男は不敵に笑う。

「………いや、思ってたより可愛い顔してるなと思ってよ」

「侮蔑にしか聞こえません」

 男の軽口を切って捨てる美人、そうかよと男は返す。

「即刻立ち去って下さい、目的は知りませんが、あなたは邪魔です」

「飛行機も壊れてどう帰るっつんだ、トリス・ベゼットちゃんよ?」

「不愉快ですから、名前を呼ばないで頂きたいです。それに、私だけあなたの名前を知らないのは不公平です」

 男は軽口であしらうかと思われたが、素直に名を告げた。

「ああ、悪い、名前は大事だよな、ジギー・ジャンド、ただの無法者だ」

「ジギー・ジャンド………」

男、ジギーの名を耳にした金髪美人、トリスはその名に引っ掛かるものがあったようで、片手で逆の肘を支え、細い顎にそっと人差し指で触れ、頭を回転させる。

「………まあいいです。ジギー・ジャンドもとい小麦粉下郎、あなたを一時的に拘束します。この場所を掻き回されると危険ですから………ところで」

 トリスはゼノとモニカの方向に身を向け、不思議そうに首を傾げる。ジギーに向ける表情より幾分か柔らかいが、正体を見極めかねているようだ。

「………あなた達はどうしてここにいるの? それも、女の子二人きりで」

 ゼノとモニカの年を考えてか、話し方も柔らかくなる。それに続いてジギーも問いを投げかける。

「俺も聞きてえな、なんで小娘が二人でこんなところにいるのかよ」

「え………その………」

 ゼノはジギーの見た目、言葉遣いに対して本能的に身を震わせてしまう。それを、怯えているとトリスが理解し、きっとジギーを睨む。

「………どうして、女の子にそんな乱暴な口調で喋るんです、怖がってるじゃないですか」

 どうにも、ゼノには理解できないのが、やはり女の子が二人という言葉。ゼノは自身が無視されているのではないかと心配になりつい尋ねる。

「あの………何処に女の子が二人も?」

 ジギーとトリス、更にはトリスの背後に構えているラングレン兵全員が揃って訝しむ。そして、全員一様に指差して、それを示す。まずは、沈黙を崩さないモニカ指差す。次に指差す方向はゼノを指差す。ゼノは背後を振り返り、誰もいない事を確認する。前を向きなおし、改めて指先の方向が己を貫く事を確認し、首を傾げ、その考えに辿り着く。

「………もしかして、僕ですか?」

 モニカ以外、一様に首を縦に振り、ゼノは思い切り叫ぶ。

「僕は男ですよ!」

 今度こそ皆同時に驚愕の声を上げる。ジギーは大口を開き、口を閉じたり開けたりしている。トリスは瞬きを繰り返し、信じられないといった様子だ。

「え、だってあなた、女の子みたいな顔して………嘘、そんなに可愛いのに」

「………嘘を吐く必要がありませんって」

 確かにと、ゼノは思う。自分は中性的な顔つきをしており、背丈も低く、やや華奢であるのも確か、更に言えば、声も子供のように高い。幼馴染にもよく将来美人になるとからかわれた事をぼんやりと覚えている。年を経ても男っぽさは現れなかったが、それ程深くは容貌について考えていなかった。

「とにかく………僕は男です、それだけは確かです」

 トリスは悪びれたようにゼノを見る。

「ご、ごめんね………でも、やっぱり、いえ、ともかく、あなたと、そこの女の子はそこで、待っていてね、まずは………」

 と、同時にトリスは背後の仲間に目配りをする。瞬時に、ラングレン兵はジギーを追い込むように包囲する。ジギーは黙ってそれを半目で見つつ、飢えた猛獣のように口を開く。

「やるのかよ………いいぜ、俺も身体を動かせなかったからなあ」

 白い野戦服を纏った兵士達は小銃をジギーに狙いつける。小銃は銃把の底に風嶺石を取り付けた極圧武装、風圧で相手を打ち抜く殺傷能力を削った型である。

 対するジギーは腰に手を回し、通常より口径の大きな銃砲を片手に、腰のベルトに布を纏った長物を差込む。半身に構え、唸るように、銃身側面にはめ込まれた紅の鉱石が

輝き、次いで銃口から、紅い光が凝り、煙のように漏れ出す。残った手を煽り挑発する。

「来いや」

 兵士達が一挙に引き金を引くと、空気が爆ぜる音に続き、銃口から圧縮された空気の塊がジギーを飲み込もうとする。ジギーの銃口から暴発気味に烈音が轟き、その通り爆発を吐き出す。紅炎を混じらせた暴風が、向かい来る風の団塊を相殺し、それだけに留まらず、余波で何人かの兵が吹き飛ばされ、悲鳴が聞こえる。

「………凄いなあの人」

 僅かにちりつく熱風からモニカを遮る位置に立ちながら、ゼノはつい思っただけでなく言葉に出てしまう。ジギーと言う名の青年が使用した無骨な銃、無論、極圧武装で焔煉銃砲の一種だ。広く普及されている極圧武装ではあるが使い手は少ない。火陽石は安定した出力で天素に反応するが、焔煉銃砲に使用されている炎獄石は油の如く天素と反応し、出力の調整が難しく、結果、暴発して全身を焼け焦げて焼死する人間も後を絶たない。その分、ジギーは器用にも殺傷力を抑え、わざと小さな暴発を起こし、その衝撃を用いて迫り来る風の団塊を押し潰した。ここから、ジギーが唯のならず者でないことがわかる。

「………小麦粉下郎、あなたは素直に捕まる気は無いのですね」

「無い。それにな、軍人だったら意見は押し通せよ………力ずくでな」

 トリスは両目を閉じて、深く溜息をつく。

「………私は別に正規の軍人ではないんですけどね」

 滑らかな動作で腕を眼前に掲げる。白く綺麗な指先には黄金色の宝石をあしらえた指輪。

「………力ですか………あまり好きにはなれませんけど、仲間がやられて黙っていられる程に薄情ではありません」

 指輪が淡黄色の輝きを灯し、同時に、ジギーが顔を顰め、何かを避けるように身体ごと横に飛んだ。ジギーが飛び退った後、一条の電光が飛行機の残骸を貫く。残骸は電光に弾かれ、吹っ飛びながら炎上する。トリスはその動作に虚を突かれたような顔をする。

「よく、避けましたね。正直、吃驚しています」

「おいおい………こっちの方が吃驚だっつうの」

 今度は非武装極術式かとゼノは内心に驚く。通常、確かに極石は天素を込めれば、何かしら特性を現す。だが、実際は極圧武装として極石をある種の機構に含めて使う事が普通だ。何故なら単純に焚き火をするならば、無造作に火陽石へと天素を込めれば、発火する。だが、それだけだ。その現象には力の指向性が存在しない、いわば自然現象、武器としては機能しない。だが、稀に極石を何の機構に組み込まずに、素のまま使用できる人間がいる。理論的には天素を脳内で数式のように編み、極石に入力すれば、自在に発動する事が可能だ。だが、理論として確立されていても実例が少ない。天素を感じ取れる、それが極術の絶対条件。しかし、感じ取る事と天素を操る事は異なる作業。無造作に極石へと天素を吹き込む事ができても、天素を数式として編み、組み込む事はできない人間の方が多い。ある程度、儀式めいた思考訓練を重ねれば後者は幾分か可能になるが、トリスがやってのけたように、武装機構の補助無しで行う事は天素の扱いによほど優れた人間、つまるところ才能に寄る所が多い。

 トリスの指先に嵌められた指輪の極石は、ゼノの予想では純度の高い來黄石。特性は見た目通り、電荷の流出、つまる所、放電現象。扱いが難しく極圧武装式に用いる事も少ない。それを、非武装極術式で用いたトリスは、明らかに常軌を逸していた。

「………先生以外で初めて見た」

 あれで幾度殺されかけた事かと、ゼノは思い返し身体が寒気を覚える。

「はっ、だが………よ」

 ジギーは臆する事無く銃砲を挙動無くトリスに撃ち込み、炎弾が空気を焼き、業火を撒き散らす。被弾する直前に薄い黄色の障壁が展開され、轟音と共に炎と雷が喰らい合う。舞い上がった土埃と空気が焼け焦げた残滓が絡み合い立ちこみ、それをトリスはコートを翻し払う。

「………やってくれます」

 ジギーは犬歯を剥きだし、燃えるような戦意を瞳にたたえる。

「応用性は高くても出力が出し切れないのが非極圧武装式の弱点だよな………」

 一筋縄ではいかないと、トリスは判断したか、面持ちがやや険しくなる。

「まあ、職業柄な………でだ、そろそろ面倒だから本気でやろうぜ、お互いな」

 ジギーは銃砲を腰の革ベルトに仕舞い、ぶら提げていた、布に包まれた長物を握り、外装を剥がす。一振りの大剣にそれは似通っていた。柄から鞘に包まれた刀身、剣尖までが雑多に機械部品で外殻が構成され、剣というよりは精巧な機械細工を彷彿させる。大剣の鍔には銀色の極石が埋め込まれ、ジギーが眼前から右に振り流すと、極石に光明が燈り、音を立て、刀身部分の外殻が変形し、反り返った刃が現れる。

 トリスの背後、爆風に吹っ飛ばされた兵士の誰かが言った。無法傭兵と。トリスも同じ結論に至ったようで、気が付けなかった自身を叱咤するように言葉を紡ぐ。

「………やっと思い出しました。赤髪にその極圧武装、そして、ジギー・ジャンドという名前。何処にも所属せず、何処にでも雇われ与し、戦場を剣片手に謳歌する………故に無法傭兵」

 ジギーはむず痒そうに髪を掻きながら、むしろその呼び名を恥じるように語る。

「………実際はそんな大した人間じゃねえがな。帰る場所を探して放浪してただけだの半端者だしよ………なあ、一騎当千の金色夜叉」

「………不思議ですね。お互い、面識無くともある程度、素性が割れているというのは」

 トリスは白いコートの内側から細い棒を取り出し、地面と水平に支える。棒の表面には線が縦横無尽に走っている。

「なら、私も出し惜しみする余地は無いようです」

 先ず、乾いた金属音と同時に棒が上下に延び、片方の先端が蕾の如く開き、黄褐色の極石が露になる。極石に光が燈り、三つの光刃が突き出し十文字槍を形取る。穂先の黄色の光刃が時折ぶれ、電撃を迸らせる。トリスの金髪が電荷に反応してか、ふわりよ柔らかくそよぐ。両手で柄を持ち、正眼に構えるその姿は夜叉というより、雷の女神を思わせる。

「それが噂の雷槍かよ………可愛い顔して夜叉なんて呼ばれる訳だ」

「そ、そんなに褒められたら照れます」

 トリスは凶悪な槍を両手に掲げ、なにやら身を小さくし頬を上気させている。ジギーは毒気が抜かれ、ゼノも同意する。

「………なあ、夜叉って何か知ってるか?」

「………? えと、確か、争い人から取り上げた武器を片手に戦場で平和を語る慈母の女神では?」

 ゼノとジギーはつい押し黙る。間違えたかと不安げにしているトリスの背後で兵士達が口に指を押し当て、無言で必死に何かを訴えている。ゼノとジギーは意味を悟りつい頷く。ジギーの視線を不審に思ったトリスが背後を振り向くと、一瞬で兵士達が倒れこみ苦悶している様に戻った。

「お、おい、敵を目の前に後ろを向くとは感心できねえな」

「え、でも、何か背中に生暖かい視線を感じて………」

 ゼノは見た。トリス再びジギーに対し向き合った瞬間、兵士達がなにやら親指をジギーに対して立てた事を。

「俺も暇じゃねえ、早くかかってこいよ」

「………そうします」

 お互い認め合った好敵手のように語らう。ゼノは正直、この人達は何をしに来たのだと思ったが、不意にトリスとジギーの間に割って入った人影があった。

「………危ないよモニカさん!」

 機先を制されたかのように、トリスとジギーは身動きを止め、怪訝な顔で予期せぬ介入者の顔色を伺う。

「去りなさい木偶共、ここはあなた達如き欠陥品には踏み込む権限が存在しない領域。己に与えられた権能に従い、主の意向に殉じ、果てる事が脆弱な人形の職務。疾く疾く去りなさい」

 言葉に場が絶句したかのように静寂が横たわる。それは、少女の口から発したのかと疑うほど冷たい、背筋の凍る声色。そして、つい平伏してしまいそうな程の圧倒的な存在感。皆、年端のいかない、それも愛らしい出で立ちの少女に恐れを本能的に抱き、格が違う事を無意識に理解した。ゼノは気が付く、モニカの瞳に光が無い事を。

「………ガキ、お前がそうなのか」

 圧倒的な存在が生み出す静寂の圧力に抗い、最初に抜け出したのはジギーだった。しかし、場に満ち溢れた恐慌の海に未だ溺れるように、表情は険しい。

「………どうやら、聴覚素子に異常が発生しているようですね、壊れた人形など我が主は必要としない」

 モニカが腕を掲げ、ジギーとトリスは死という一語が脳裏を巡り、理性が悲鳴を上げ、本能が竦み上がる。ゼノはなんとなくマズイと思い、モニカの肩に手をかける。

「………ちょ、モニカさん、何してるのさ」

 モニカは振り返り、掲げていた手の平をゼノに向ける。ゼノは首を傾げ、何故か少しもそれを脅威とは思わなかった。

「弁えなさい、木偶如きが上位個体に触れる………など………やめ……ゼノは………眠っていなさ………駄目、ゼノは駄目!」

 モニカは頭を抱え、まるで何かを追い出すように切なげに叫ぶ。やがて、ゆっくりと落ち着きを取り戻し、肩にかかるゼノの手を剥がし、離れる。

「モニカさん、戻った………?」

 その呼びかけにモニカは今にも泣き出しそうな表情で、ゼノを見つめ、俯き小さく震え、辛い決断を下したかのように悲痛な顔を上げ、ゼノ、ジギー、トリスに向かって睨む。

「早くここから出て行って………!」

「………え、でも………」

 戸惑うゼノ、モニカは黙って、手の平を空中都市の外縁にある丘の方向に向ける。すると、手の平の先、虚空に一本の歪な皹が走り、その線が上下に割れ口を開き、空間が軋み悲鳴を上げる。空間にこじ開けられた窓の内側からは蒼い霧が溢れ出し、不気味に漂いう。瞬間、境界口から蒼光が収縮し、極太の光の束として放出される。眩い程の輝きが迸りゼノは目を覆う。耳を劈く程の轟音、蒼光が一つの山程に大きい丘を飲み込み、衝撃波は先程の比では無い程、衝撃は空中都市全体を揺るがす。

 その場にいる全員が目を疑い、愕然とした。光の残滓が静かに消滅し、視界が開き、そこには緑に包まれた丘が丸ごと消滅し、都市の一角が抉られていた。

 人間が御しきれない感情は数あり、その一つの呼び水となるのは、人知では介入できない圧倒的な力を目前にした時。暴力的かつ巨大な存在に対して、人が束縛されるちっぽけな肉体は悲しい程に無力。次元が異なりすぎて、それが自身に向けられるという感覚が失われ、ただ呆然とするのみ。

 モニカは言葉を発せぬその場にいる全員を見回し、溜息交じりに言葉を発する。

「………早く帰って………」

 示威行為、威嚇、そのような半端な言葉では言い表せない現象を目の当たりにして誰一人動けない。当然、ゼノも。だが、圧倒的な力に魅入られた訳でも、畏怖を抱いた訳でもない。死など怖くはない。そもそもゼノには感覚として存在しない。モニカがあまりにも悲しげな表情でゼノを見ているからだ。まるで、見て欲しくなかったと、何も言わず、何も聞かず、去って欲しいと。そう嘆願するように。体は動かない、しかし、感情は動く。

「………モニカさん………僕はただ君に………」

「………何も言わないで。見たはづ、私の中の違う私が、ゼノを排除する為に手にかける、そんなのは嫌、だから………もう二度と来ないで」

「………それでも!」

 不意に、忽然と、何の前触れも無く、乾いた音が響く、つまるところ拍手。

「なんと涙ぐむ話でしょう、少年の一途な思いは、少女の乾いた心を潤わせることができるのでしょうか、ああ、美談ですねえ」

 粘着質、それでいて嘲りを帯びた声。人に不快感を無条件でもたらす声。それは、ゼノの背後から聞こえ、誰もが虚を衝かれた。

 蛇、それが、その男の第一印象だった。口の両端が吊り上げられ、嫌味な笑みを浮かべ、両目は大きく見開き、獲物を前にしたようにぎらついている。病的に痩せ細った痩躯に黒い礼服を着込み、ご丁寧に襟元を赤い帯状の装飾布で留めている。不気味なまでに落ち着き払った男の佇まいは、いっそ不吉と言える。

「でも、駄目ですよ少年、そこの少女は君のような前途ある人が触れていいような存在じゃありませんよ。何故なら………」

 懐から拳銃を取り出し、あまりにも簡単にその引き金は引かれ、射線にはモニカ。ゼノが静止する暇も無く、銃弾はモニカを貫いた。そう、吸い込まれるように貫通し、背後の石垣に弾かれた。モニカはただ悲しそうに目を伏せ、不吉を纏う男を睨み返す。

「モニカさん、平気なの………?」

男は目の前の現象を謳う様に語る。

「その少女は人間では無いのですよ少年、どうです、驚きましたか、悲しみましたか、ねえ少年?」

 男はゼノの反応を楽しそうに窺う、まるで、ゼノが驚愕、絶望し、悲痛さに顔を歪ませる様を期待するように。

 しかし、ゼノは男の言葉等耳に入らず、ただひたすらに晒された現実に向き合う。

「人間じゃないって………だって、じゃあ………」

「そうです、その少女はヴィーズの………」

 モニカは手の平を男に向け、憤りの声を上げる。

「………黙って!」

「おや………これは困りましたね」

 一瞬だった。男はゼノの左手を取り、背後に捩じ上げ、首元に鋭利なナイフを突きつけ、ゼノを前に押し出す。

「さあ………ヴィーズ、あなたが困ってしまうんじゃありませんか?」

 ゼノは耳元で囁く男の声に、嫌悪感を覚えるが、鋭利な刃物が首にひんやりと触れる感触に、ぞっとする。まるで、男はゼノという命を掌握し、持て余し遊んでいるように。

 モニカはまるで自身が苦痛を与えられているように、苦悶に満ちた表情をし、掲げた手の平を下げる。

 ………僕が、僕が、モニカにあんな顔をさせてしまった。

「………お願いだから………ゼノを離して」

「駄目ですねえ、この少年を離せば、私が困ってしまいますからねえ、それに私は他人が困って、必死になる様がとても好きでして」

 言い終わる瞬間、二つの人影がゼノと男に飛来する。ジギーとトリス、ジギーは跳躍し大剣を振り被り、トリスは地面際を疾駆し雷槍を突き出し、だが、ゼノは気が付いた。男のナイフを握った手、純白の手袋に包まれた腕の関節部分から漆黒の光が漏れていることを。漆黒の石がはめ込まれた腕輪だ

「邪魔はいけませんねえ、私は邪魔が好きですが、邪魔されるのは大嫌いなんですよ」

 漆黒の薄い障壁がジギーの大剣を弾き返し、男の足元から伸びた影がトリスの槍に絡みつき、突撃の勢いを殺さず、槍ごとトリスの身体を引っ張り、吹き飛ばす。ジギーは弾かれながらも、片方の手で火炎銃砲を取り出し、撃つ。しかし、炎弾ごと障壁に飲み込まれ紅光の残滓が散る。トリスは上手く、石垣の側面に電磁力場の網を展開し、衝突を免れる。ジギーは男を殺意の的として唸り吼える。

「てめえ! いきなり現れてガキにナイフ突きつけるってのはどういうことだ! つうか誰だお前!」

 続いて、トリスも静かな怒りを瞳にたたえ、警告する。

「あなたが何者か知りません。男の子を離しなさい。抵抗すれば全力で沈黙させます」

 男はトリスとジギーをつまらなそうに睥睨する。

「金色夜叉に、無法傭兵、あなた達は興味の対象では無いので構ってあげることはできないんですがねえ。いいでしょう、私はメトッサと申します、以後お見知りおきを。さて、あなた達もここにいるということはヴィーズの事を知っているんですかねえ?」

 メトッサの問いにトリスは緊張した面持ちで答える。

「あなたこそ、ヴィーズがどんなに危険なものか知っているのですか?」

 メトッサは愉悦に浸った表情で、その問いに答える。

「ええ、ええ………知っていますとも。このヴィーズは………」

「………天壌殲滅要塞ヴィーズ、古代バベリア王がこの世界に残した十の魔柱の一つ、世界共通禁断推定の秘蹟に指定されているはず」

 メトッサの言葉を引き継いだ人間が誰なのか、皆、視覚と聴覚はそれだと語るが、脳が理解できなかった。それは、その場に最もそぐわぬ、女の子のような顔つきをした少年の口から発せられたと、しばらく理解できなかった。つまり、ゼノだ。

「おやおや、驚きましたね少年、あなた世界変革級の知識を簡単に口にしてしまいましたねえ、いったい何処で知ったんですかね?」

 メトッサは本当に不思議で仕方が無いらしく、初めて飄々とした態度を捨て、ナイフに力を込め聞き出そうとする。しかし、ゼノはまるでナイフが見えていないように、モニカだけを見て、話を続ける。だが、モニカは目を瞠り、おそらくこの場で最もゼノが口にしたことに驚きを隠せないでいる。

「………ゼノ、どうして、知ってるの?」

 その声は震えていた。

「僕の家は本がたくさんあってね、昔に読んだことがあったんだ」

 ジギーは馬鹿なと、トリスは有り得ないと、両者ともゼノの言葉を否定する。

「禁断推定の秘蹟は国家元首、もしくはそれ同等以上権力者か、軍でも極一部しか知る事ができない秘匿情報なのに………」

「金色夜叉のお嬢さん、ご説明ありがとうございます。少年、君が知っているのも確かです、それでも、俄かには信じられませんがねえ。まあ、いいでしょう、そろそろ来たようですから話はお終いですねえ」

 耳を澄ませば、次第に何か巨大な物体が空を切り裂き押し潰す鈍重な音がはっきりと聞こえてくる。メトッサが頭上に目線を向け、それは雲海を割り、侵入してきた。十重二十重に装甲が張られている重戦艦から構成される艦隊、回転羽根が数千単位で備わり、分厚い装甲板の隙間からは何万単位の重火器が装備。そして、戦艦に刻まれた紋章にトリスは苦々しく、それに該当する名を口にする。

「バルロッサ炎獄艦隊………そういうこと、つまり、あなたはサロアルの人間ですね」

「いえ、確かにサロアルの者ですがね、単に私が仕える方がサロアルの人間だと、ただそれだけでしてねえ」

 戦艦の一つが轟風を吹き荒らしながら降下し、完全武装したサロアル兵が軍靴をならし子蜘蛛のように戦艦から現れ、一遍の隙も無く、ゼノ達を包囲する。

「さあて、少年、あなたも残酷ですねえ、ヴィーズに大事と思わせてしまうなんて」

「………どういうことです………?」

 耳を塞いでこれからメトッサが言う事からゼノは逃げたかった、だが至近距離での囁きにゼノはどうすることもできなかった。

「その少女は大昔にヴィーズの核機構にされた人柱なんですよ、少女の時はずっと止まっていますから、いくら君を大事に想っても、君と同じ時間を歩むことはできませんからねえ。おわかりでしょう? あなたはこのヴィーズに縛られたあの少女へ………残酷にも、永劫手に入らない夢をちらつかせてしまったんですよ。………ああ悲劇」

 メトッサはさも芝居がかったような声を出す。

「………そ、そんな、僕は………ただ、モニカが」

「それに………このヴィーズを知っていたなら、人柱の事も薄々気が付いていたんじゃないですかねえ。いやいや、わかっていたなら、君はなかなかに残酷ですねえ」

「ち、違う………僕は………本当に………知らなかったんだ」

 ゼノは体から力が抜けていくのがわかった。膝を突き、顔を俯かせる。ゼノは思い返し後悔が後を絶たなくなる。己がモニカに話したこと、約束したこと。その全てがモニカにとって苛烈な痛みを伴っていたことを。

「………ゼノは何も悪くない」

 愕然とゼノは聞く。どうして、そんなことを言う、何が悪くないものか、全て、モニカの境遇も理解しようとせず、何を胸中でモニカが抱えていたのか見極めようともせずにしていたのはゼノだというのに。

 ………これが、今まで逃げ続けた僕の罰なのか。

 ゼノはモニカを正視することさえ叶わなかった。正視すればモニカを傷つけた罪に真っ向から立ち向かう事になる、そして、ゼノはそれが怖く、目を背ける。おそらく、モニカはゼノを今のように優しい言葉をかけて赦してくれるだろう、しかし、それを確かめる程にゼノは勇気が無く、そんな事に怯える自身をまた嫌いになる。

 ………どうして、こんなに僕は弱いんだ。

 唇を噛み締め、胸中で情けない自身を叱責する。それでも、首に力が入らず、面を上げる力も入らない。メトッサは懊悩と絶望に苛まれるゼノの消沈する様を楽しそうに眺め、哄笑を上げる。

「いやあ、いいものを見せてもらいました。まさか、こんな空の僻地で一つ純粋な夢が崩れ落ちる様が見れるとは………さあて」

 メトッサの足元の陰が一層翳り、数本の影が細り伸び、四つん這いになったゼノを横薙ぎに吹き飛ばし、塵のように転がる。頭部、腹部を鉄鞭が強打したかのような衝撃にゼノは身悶え、肺が空気を欲するが上手く息を吸えず、脳が揺らぎ、嘔吐感が込み上げる。

「はっ………ぐ」

「………ゼノ!」

 モニカは声を荒げ、メトッサに手の平を向ける。今度はモニカの感情を汲み取ったかのように空間が咆哮し、先程より遥かに大きな皹が虚空に入り、口を開ける。しかし、メトッサは死の境界が開こうとも微塵も動揺せず、懐から、小さな赤い石を取り出す。その石を中心に紅い光が球状となって展開し、一気にその紅い光の球体が拡大し、都市全体を飲み込む。すぐさま、紅い光は収まり、ただ、石の表面に複雑な紋様が浮かんでいるのみ。

 ジギーは体中を見渡し、隣のトリスに声を荒げて無事を確認する。

「なんだってんだ! おい金色夜叉、そっちは平気か?」

「こっちも平気です、今の紅い光はいったい………!」

 トリスは気が付いた、空間が歪み、軋む音が聞こえないことを。そして、ゼノは口から血反吐を垂らしながら、モニカの表情から感情が消えていることに気が付く。そして、再び、あの抑揚を欠いた声がモニカの唇から不可解な文字の羅列が漏れる。

「………権限媒体解析終了、第一級創造主権限。全要塞機構使用可能。長き時を越えお待ちしておりました主上。如何様にも命令を下してください」

 モニカの瞳は一度も瞬きをせず、メトッサは満足したような表情を浮かべる。

「モニカさんに………何を、したんです………」

 ゼノは震える両足に力を込め、脇腹を押さえながら立ち上がる。

「教えて欲しいですかあ、少年?」

 嘲るような口振りに、返事はすぐ来た。影が唸り、ゼノの右足の脛を跳ね上げると同時に、左頭部を擦るように影が襲う。ゼノは受身を取る間も無く、顔から地面に叩きつけられる。

「………がっ」

ゼノは衝撃で左耳に激痛を感じ鼓膜が破れたと悟った。芋虫のように体をもぞつかせ、顔を上げると鼻腔から血が垂れ、目の前に赤い円が広がった。

トリスとジギーが何か叫び、メトッサの暴行を止めようとするが、直ぐにサロアル軍の兵士がそれぞれ、数百の極圧武装を向け、二人の身動きを止める。更に駄目押しのように、モニカの手の平から這い出した蒼い鎖に絡まれ、完全に静止する。

「駄目ですねえ邪魔はしてはいけませんよ。少年、あなたはヴィーズの事を本で読んだと言いましたが、君の家名を聞かせ願いますかな、些か計画の邪魔になりそうですからね」

 ゼノは残った右耳がメトッサの声を聞き取ろうとするが、それを無視し、首だけを曲げ、モニカを見る。まるで、人形のように微動だにしない。メトッサはゼノが何を見ているのか視線を追う。

「ああ、その少女、というより今はヴィーズの仮想意識体ですか、今さっきの光はただの認証作業だったんですよ。この石がわかりますか? この石は古代の鍵と言えるものでしてね、バベリア王が臣下に権限を与える為に創ったものです」

 ゼノは顎を噛み締める。

「まあ、初めから使えばよかったんですが、面白そうなので一芝居させて頂きましたがねえ。さて、こちらが答えたのですから少年、君も答えるべきですね」

 横たわるゼノの首に影が吸い付くように巻かれ、絞めつかながらも無理矢理に上体を起こされ足が宙を掻き、喉を圧迫され苦悶の声を上げることができない。

「………!」

「おやおや、随分と苦しそうですねえ、それに綺麗な顔が随分と汚れてしまっているじゃありませんか」

 首の締め付けが一層増したと思えば、再び地面に叩きつけられる。砂利が口に詰まった不快感を感じながらゼノは咳き込み、呼吸をする度に穴から空気が漏れるような音がし、喉を痛めたことを悟る。それでも喋ることができるとゼノは思った。

「………モニカ……さんを……元に……戻して……」

「………聞き分けの無い子供は嫌いですねえ」

 仰向けにされ、手足を影で縛られ身動きができないゼノの上方に影の団塊が集まり槌のように打ち下ろされる。

「………がっ!」

 ゼノの小柄な肉体が衝撃に耐えかね地面と槌の間を鈍く跳ねる。肋骨が腹部で弾け、数本かが折れ、乾いた音がゼノの身体を伝った。砕けた肋骨が臓器を痛めたのか、ゼノは押し出された空気と共に血を吹く。トリスは目を逸らし、ジギーはカスがとメトッサを罵倒する。

「………さて、いい加減億劫になってきましたねえ」

 倒れ痙攣しているゼノに歩み寄り、思い切りゼノの頭部を蹴り抜く。ゼノの脳蓋が揺さぶられるが、それでも意識は失わない。顔中血まみれになり、瞳からは痛覚が刺激され無意識に涙で汚れ、鼻骨が曲がりかけ、顔面中が腫れ窪み内出血を起こしている。メトッサは汚物を見るかのよう侮蔑に満ちた瞳で、焦点の定まらないゼノを見下ろす。

「聞こえてますかあ?」

 メトッサの影がゼノの頭を掴み起こし、一本の影が針のように鋭く収束していき、鋭利な先端がゼノの眼前に右目の前に静止する。

「光が惜しく無いならば、素直になることですねえ。眼球が傷つくととても痛いらしいですよお?」

 ゼノはそれでも、ぼんやり左目でメトッサを見上げ、唾液を混じらせた血泡を吹きながら、しゃがれた声を吐く。もはや、それはほとんど声になっていなかった。

「………モニカさんを………解放して下さい」

「………強情な人間は大好きですよ。激痛で痴態に塗れる様が大好きですからねえ」

 音も無く影の刃は果物を裂くように眼球に刺さり、瞬間、絶叫が場に響く。

「………ああああああああ!!」

 瞬間、ゼノの右目に暗黒が堕ちた。同時に内側から焼け焦げるような激痛。ゼノは右目を押さえつけるように、涙と血に塗れながら痙攣する。何時までも絶える事の無い激痛がゼノに意識を失うこともできない。やがて、先に絶叫に咽喉が嗄れ果て、声無き慟哭が、悲切に轟く。

「いいいい声ですねええええ。少年、君は最高ですよおお!」

 メトッサは目を血走らせ、興奮した面持ちで激痛に喘ぐゼノを見つめる。

「さて、少年、片方の眼を失った君は、最後の光を失った時、どんな表情をするんでうかねえ?」

 ゼノの白髪を鷲掴みにし、激痛に血みどろの顔を歪めさせたゼノを吊り上げ、残った左目に影の刃を押し付けようとする。ゼノはぼんやりと映る視界の中でそれを見た。

「………っどうして………」

「どうして? それは君が強情だから………」

 ゼノはメトッサを少しも見てはいなかった。

「………どうして、泣いて……いるの?」

 瞬き一つせず、時間が止まってるように身動きしないモニカの瞳から零れ、頬を伝い顎骨に溜り、雫として落ちていく、それは紛れもなく涙だった。

「そんな馬鹿な! 仮想意識体の方が人柱よりも優先意思が高いのに………」

 メトッサは驚愕を隠せず、声を荒げる。構わず、ゼノはしゃがれた声を続ける。

「………いいんだよ、モニカ………さん、痛い……けど……僕が……モニカさんに……与えた……傷の…方が……痛いはず……だから、泣かないで………ごめん……モニカさん」

 途切れ途切れのその声を聞くたびに、モニカの唇が微かに動きく。

「……ゼ……ノ……逃げ……て!」

 モニカの身体中から蒼い閃光が弾かれるように溢れ出し、全てを包み込む。メトッサは影が掴んでいた少年の手応えが消えた事に気が付き、舌打ちをする。光が消失し、残ったのはサロアル兵士達の動揺。ゼノ、ジギー、トリス、ラングレン兵、加えてラングレンの飛空挺も消失している。メトッサはモニカ、ヴィーズが涙を流していない事を確認し、尋ねる。

「迂闊でしたねえ、この都市全体がヴィーズ、移動させるなんて簡単でしたか………何処に彼等を移動させましたかわかりますかね?」

「申し訳御座いません。人柱の干渉が強く知覚機構が正しく機能を果たしません。現状、人柱の意識体を強制的に凍結切断する作業を行っています」

「………まあ、いいでしょう。少々気になりはしますが、ヴィーズの核機構を掌握してからにしましょう、玄室に案内しなさい」

「了承いたしました」

 メトッサはサロアル兵を連れてヴィーズに続き都市の中央、城塞へと。



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