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微妙な風邪と差し入れ


 この三日ほど、小野寺君と連絡がとれない。

 大学の講義にも出てこないし、恐る恐るしてみた電話にも出ない。体調でも悪いのかとメッセージを送ってみれば、大丈夫だから心配するなと短い返信があっただけ。


 前に会ったとき少し声がかすれていたから、軽い風邪だと思う。いや、軽い風邪じゃないと困る。

 考え出すと、悪い想像ばかりが次々と頭に浮かんでしまう。最後には、床に倒れて動けなくなっている姿が頭を離れなくなってしまった。


 実は、前にも同じようなことはあったのだ。あのときも連絡が取れないと思っていたら、風邪で寝込んでいたということを後から知った。あの頃よりは親しくなったと思っていたけれど・・・


 たぶん小野寺君は、自分が弱ったところを人に見せるのが嫌なのだろう。

 誰にでも臆面もなく褒めことばを口にするし、交友関係も広いけど、ある程度以上はさりげなく踏み入らせない。本当は大勢でいるより、一人でいる方が好きなんだろうというのもだんだんと分かってきたことだった。


 それでも、信用されていないのかと落ち込む気分をとめられない。こんなふうにうじうじ考えこむのはやめたはずなのに、気を抜くとすぐ、昔の自分が顔をだす。


 けどまあ、しかたない。昔の自分だって自分なんだから。こう思えるようになったのは、進歩といえば進歩である。

 そう、わたしは進歩している、だから、行動するのだ。

 決めた。様子を見に行こう。たとえ歓迎されなくても、めげない。


 ・・・と、ここまで考えないと動けない自分は、つくづくめんどくさいと思う。




 とりあえずは、スポーツドリンク。あとは、ことことチキンスープを作ります、というのはさすがにやりすぎだろう。作り方知らないし。

 のどごしと消化のよい食べ物といえば、プリンだ。ちょうど美奈から、期間限定出店のプリンを全種類制覇したと聞いていたので、すぐにそれを思いついた。

 小野寺君がどんな種類を好きかはよく分からなかったから、ハードタイプのプリン、とろけるミルクプリン、ちょっと珍しいところでスイートポテトプリン、と三つ買って持っていくことにした。

 天使のプリン、というのもあったけど、なんとなく縁起が悪いような気がして買わなかった。そのうち自分用に買ってみよう。



 小野寺君の部屋の前で深呼吸すると、インターフォンを押した。

 ここに来る前に、これから行く、何か食べたいものはないかとお伺いをたててあったが、当然のように返信はなかった。

 もちろん、風邪などではなく、誰かとどこかへ楽しくお出かけ中、という可能性がないわけではない。

 それならそれでいいのだ。一人で部屋の中に倒れてる、なんていうのよりはずっと。


 がちゃり、と音がして我に返った。開いたドアのむこうに小野寺君。安堵のせいか力が抜けて、固まったようになっていた手足にじんわり血がかよう。

 目の前の小野寺君は、顎の線が少しとがって見えた。やはりいくらか痩せた気はするが、少なくとも自力で動けない状態ではないらしい。

 

「わざわざ来てくれたんだね。ちょっと風邪ひいただけなのに」

「大丈夫? もしかして、ここまで押しかけて来てしまって、迷惑だった?」

「まさか」


 短く答えた小野寺君の表情は読めない。後について部屋に入ると、部屋の主の体調の悪さを反映してか、肌に感じる空気までがそっけない。壁も床もテーブルも、光を濾しとられたようにくすんでいる気がした。

 そんな中で、すぐ前を歩く小野寺君だけが透きとおった膜にでもくるまれてるみたいだ。そのとき、シャンプーの香りがふわりと漂い、小野寺君の髪が湿っているのに気がついた。


「小野寺君。その髪・・・シャワー浴びたばかり?」

「うん、まあ。汗でドロンドロンのボロボロのまま会うわけにもいかないから」

「なんで? 体調悪いのにシャワーだけでも大変でしょう? 来て欲しくないならそう言ってくれれば、無理やり来たりしないのに」


 そんな変な遠慮なんかしてほしくなかった。肝心なときに他人行儀で、いつまでたっても距離が縮まらない。これでは自分は、負担をかけるために来てしまったようなものだ――小野寺君が悪いわけでもないのに、責めたてるようなことばが胸の奥でぐるぐると渦をまく。


「そういうことじゃないよ」


 あきれたように、小野寺君が言う。


「分かってるから。禿げそうなほどいろいろ悩んだすえに、ようやく来てくれたんだろうって。僕としては、もっと早くに来てくれてもよかったと思うけど」

「そ、そう?」


 そうか。逆にもっと早く来て、あれこれ世話をやくべきだったのか。だったらそう言ってくれればいいのに、そうしないところは、自分と小野寺君は似ているのかもしれない。

 それにしたって、分かりずらい。わたしはどのくらい、この人のことを分かっているんだろう。


「・・・たかった」

「え?」


 聞き取れずに首をかしげて見せると、小野寺君が耳もとに顔をよせた。かすれぎみの声で繰り返されたことばは、いとも簡単にわたしの頬をあつくさせる。


 やっぱり前言撤回。わたしと小野寺君は全然似ていない。会いたかっただのかわいいだのと、歯の浮くようなことばを垂れ流すように言えるのがこの人だ。

 いい加減それに慣れたはずなのに、過剰反応してしまうわたしはまだまだ修業が足りない。


「はい、これ。少し痩せたみたいだけど、食べられそう? 意外と栄養もあるらしいよ」


 照れ隠しのように、手に持っていたプリンの紙箱を持ち上げて、開けて見せた。


「プリンだね」

「そう。いろんな種類を買ってみました」

「ありがとう、嬉しいよ」


 お礼を言われているのに、責められているような気がするのは、なぜなのか。

 小野寺君がわたしの顔を見て悩ましげな表情をするので、わたしも真似して悩ましげな顔をしてみせた。


「・・・。ところで、知らなかった? 僕がこういう食べ物、苦手だっていうこと」


 しまった。そういえば、そうだったような気もする。


「ごめんね。何か、近くのコンビニで買ってくる。何がいい?」

「いや、そっちのをもらうから、いいよ」


 そう言って、スポーツドリンクとお茶のペットボトルが入ったミニトートに手を伸ばした。


「そのプリン、食べたら。好きだったよね」


 はい。プリンが好きなのは、わたしです・・・がっくりうなだれるわたしを残して、さっさとソファに座った小野寺君が、小さなテーブルにプリンとペットボトルを並べている。

 となりに腰をおろすと、ペットボトルの蓋をあけた小野寺君が喉をそらせてそれを飲んだ。そのしぐさに見惚れていたわたしに、くちびるを濡らしたままで微笑んだ。


「食べないの?」

「えっ? ううん、いや、いただきます」


 プリンをプラスチックのスプーンですくってはみたものの、病人をさしおいて自分だけ食べるのも何だか気まずい。

 ふと思いついて、プリンののったスプーンを小野寺君の口元に近づけた。


「はい、あー」

「・・・」

「ーん、なんてね」

「・・・誰かと思った」


 一瞬かたまった小野寺君の顔はおもしろかったが、よりによって「はい、あーん」をこんなときに試してしまった自分が憎い。抹殺したい。小野寺君だってだまされて口をあけてくれればいいのに、世の中そんなに甘くなかった。

 さてこのスプーンをどうしようと思っていると、小野寺君がスプーンをとって、逆にわたしの口元に近づけた。


「はい、どうぞ」


 しかたなく小さく口をあけると、スプーンが舌の上にさしこまれた。ひんやりとして、するりと滑らかなスプーンの感触を舌がすくいとり、それが引き抜かれると、甘みとバニラの香りが口のなかにほろりとひろがった。


 人に食べさせられるのは、何だか変な感じだ。そのうえ小野寺君がこちらを見ているので、妙に意識してしまって、飲み込む動作までもぎこちなくなる。

 じっくり味わうこともなく何とか飲みくだすと、二さじ目が差し出されていた。


「甘い? これも、食べて」


 ことばは優しいのに有無を言わせないような空気があって、病みあがりならではの迫力なのだろうかとぼんやり思う。言われるままに、もう一度ひかえめに口をあけた。


 甘く柔らかい塊をのせたスプーンが口の中にさしこまれて、ゆっくりと引き抜かれた。すぐに視界がかげり、反射的に身をひこうとしたときには、もう捕まっていた。

 上を向かされたわたしのくちびるに、好きな人のそれが重なる。二枚の皮膚をわって入り込んできたものは、先ほどの甘いひとかけよりもっと蕩けるようで、嘘みたいに熱かった。

 背を這う手からも、何度も合わせ直されるくちびるからも、音を立てそうに体温が流れ込む。甘ったるい塊は口の中ですでに輪郭をなくし、その塊のなれの果てを舌ごとさしだしても、まだ許してもらえない。

 こんな、ふうに――


 食べられてしまうんだ、とわたしは思った。

 食べられてしまってもいいんだ、とわたしは思った。爪の先から髪の毛の先まで、全部。



 ようやく顔をはなしてつぶっていた目をあけると、少し目を細めるようにしてこちらを見ている小野寺君がいた。


「赤くなってる」


 腫れぼったいような気がして無意識に指をあてていたから、わたしのくちびるのことを言っているのだろう。

 どっちにしても今現在、わたしの顔面全体にもれなく赤鬼到来中だ。これくらいのことを、もっと優雅に流せるようになるのはいつの日か。

 食べかけのプリンに、やけくそのように手をのばした。


「たまにはプリンもいいね」


 涼しい顔で言ってのける小野寺君の口に、プリンをのせたスプーンを突っ込んだ。彼はそのひとかけを、さして嫌そうにでもなく飲み込んだ。


「来てくれて、嬉しかったよ。結局は心配させてしまったけど、僕は黙ってあっさり天国かなんかに行ってしまうほど、間抜けじゃないからね」

「うん。分かってる。今度こんなことがあったら、もっと早くにプリン以外のものを持ってくるよ。それから、気をつかってくれたんだろうけど、汗でドロンドロンでボロボロの小野寺君も、わたしは好きだから。どちらかといえば、むしろそっちが好きだから」


 よし、言い切った。と思ったところで、額にぺしっと軽い一撃。


「じゃあ、これから一緒に汗まみれのドロンドロンになろうか」

「・・・」


 もちろん、病みあがりの小野寺君にそんな無理をさせるわけにもいかず、二つ残ったプリンの一つだけを持ち帰ることにして、わたしはそそくさと彼の部屋を後にした。まだ熱はあるみたいだけど、これだけ元気なら、わたしが何か手伝うまでもないだろう。

 というのは表向きの理由で、長居するには動揺が隠せなかったし、自分の部屋に帰ってチキンスープ作りを試してみたかった。別にチキンスープ限定というわけでもないのだが、うまく作れたら明日また持ってこようと思う。


 帰り道、くしゅんと小さなくしゃみが一つ。風邪がうつるには早すぎる。

 それでも、わたしが風邪で寝込んだら、小野寺君は何か持ってきてくれるかな、などと想像してにやけていたら、すれ違った子どもがぎょっとした顔で駆けだした。


 まあいい。子どもには分かるまい。




 そういうわけで、結局そのまま熱を出すこともなく、わたしは元気に今日に至っております。




 おわり


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