珍妙な野良猫の昼寝と差し入れ
ムラサキ高校二年 先輩三年
うむ。これは。
なかなかである。
いや、なかなか以上の光景であって、ほとんど近寄りがたいものがある。
夕方の生徒会予備室。蛍光灯もつけられていないから、窓から差し込む夕日のおかげで、影が長くのびている。
影。イスに腰掛けて、机につっぷしてお昼寝中のムラサキの影。
横を向いたムラサキの顔のとなりには、きっちりと記入済みのフォーマットが置かれていた。
いろいろと気を配っていたつもりだったが、だいぶ疲れさせてしまったか。
今年もはや文化祭シーズン。昨年の文化祭実行委員を経て、今年めでたく生徒会執行部に所属することとなったこの子は、やや完璧主義のところがあるのだった。
まるで疲れ切った猫みたいになって眠ってる。
近くにこんなに頼れる先輩がいるのだから、もっと頼ればいいと思うのだが。
さて。
今現在、生徒会予備室に二人きり。
こういった場合、生徒会副会長として、あるいはデキる先輩として、どのように疲れた後輩に対処するのが正しいあり方なのか。
とりあえず、いきなり誰かが入ってきて安眠を妨げてしまうのは、避けたいパターンだ。親切なオレは、入口のドアにつっかえ棒をして(この部屋には木材だの紙だのが豊富に放置されているのだ)、静かな環境を確保してあげた。
おや。
うっかり密室に二人きり、という状況になってしまった。まあ、この場合は仕方ないだろう。
寒くないのかな。隣りの机に置いてあるのは、この子の上着だろう。これをかけてあげるという手もあるが、オレの上着の方が大きくてあたたかいはずだ。
ということで、オレの上着をかけてあげた。かわりにオレがムラサキの上着を借りて着てみてもいいくらいだが、それは次の機会にして、近くのイスを静かに引きよせて座った。
おっと、笑った。
めずらしい。何の夢を見ているんだろう。
いつもこうんなふうに幸せそうに、眠っていればいいのに。
「・・ぱい」
ぱい? 一杯、二杯、先輩? オレを呼んでる?
いやまあ、「速水先輩」の可能性もあるが。その可能性の方が高いが。
それはさておき。
頬にかかるムラサキの髪の毛に、消しゴムのカスがくっついてる。
これは取ってあげるべきではないか。
そっと手を近付けると、ムラサキがみじろぎをした。今度は顔をしかめている。なぜ、どうして分かったのか。そんなにオレに触れられるのが嫌なのか。
・・・まあ、なんだ。
こんなに疲れ切ってしまうまで頑張ってくれたのだ。ここは、この後輩が元気になるようなプレゼントをあげるのが、正しい先輩の道というものだろう。
何の因果か今オレは、卒業した前生徒会長、速水のノートを持っている。速水メモと呼ばれる注意書きがびっしり書かれたノートは、生徒会執行部員に対する指示を速水がメモにまとめたものだ。
生徒会の運営の仕方はその年によって異なるから、このノートも処分してしまって構わないのだが、几帳面なオレが保管しておいたのだ。
このメモの、フォーマット記入に関する部分を破いてここに置いていってあげよう。
速水は悪魔のような男である。がしかし、ムラサキにとっては違うらしい。
速水の筆跡を見れば、この子も少しは元気が出るだろう。
該当ページをぴりぴり破いていると、またムラサキがみじろぎをした。
まずい。起きてしまって密室に二人きりとわかったら、良からぬ想像をして、オレを軽蔑したような目で見るだろう。
そんな状況、とうてい耐えられない。
オレはメモをムラサキの頭のそばに置くと、急いでつっかえ棒をはずし、敏捷かつ静粛に予備室の外に出た。
***
ふぁ・・・あ。寝ちゃってた。変な夢、見ちゃったな。
しょうこりもなく、先輩の夢だった。わたしに背を向けた先輩が、何かを一所懸命に見ているようすだった。アンケートの集計かなんかだったら手伝おうと思って近づいたら――先輩が見入っていたのは、姫川先輩の写真だったのだ。
そういえば去年、実際にそんなようなことがあったのだった。それなのにわたしは相変わらず、先輩のことをずっと見てる。ああ腹が立つ、こんな自分に腹が立つ。
伸びをして立ち上がると、イスの後ろに、よれた感じの制服の上着が落ちているのが目に入った。誰か徹夜した人が、寝袋代わりに使ったのだろう。
だらしないなあ、もう。
その上着を机の上に放り出してから、がんばって記入したフォーマットを取り上げた。誰のためにこんなにがんばっているのか、当人は絶対に気づくことはないだろうけど。
ん? なんだろう、この汚いメモみたいな紙は。
ったく。みんな整理整頓がなってないんだから。
メモを丸めてゴミ箱めがけて投げつけると、見事、一発で中に入った。最近、投げつけるとかたたきつけるとか、そういった動作がうまくなってしまった気がする。
さあ、もうすぐ文化祭だ。先輩と一緒の文化祭は今年で最後。
余計なことを考えずに、とは言っても考えてしまうのがわたしだが、とにかくできるだけのことをしよう。
そう決意して、足元に転がっていた棒を蹴飛ばすと、予備室の外に足を踏み出した。
おわり
次回は微妙編。