[1st night]
式への準備は、滞りなく進んでいた。まるでもっと前から全て算段してあったかのように、嫁入り道具が揃えられ、ドレスの採寸が行われ、婚約披露パーティーが執り行われた。
そんな中で、わたしはただ、その忙しない流れにひたすら身を任せるだけだった。わずかな疑いもなく叶うと思っていた初恋が突如として引き裂かれ、大切に育んでいた愛を取り上げられたその哀しみともつかない混乱がいつまでも鎮まることはなく、むしろパーティーまで一度も顔を見せることのなかったほとんど面識のない婚約者の存在を、わたしは夢か幻だろうと思うようになっていた。
だから、彼にそう問い詰められるまで、わたしは自分の婚約者がどこから変わってしまったのか実は思い出す事が出来ないでいた。
「エリゼ……本当に?」
煌びやかなパーティー会場からいきなり連れ出されて、目の前には驚愕の表情を浮かべた愛しい人の顔。
一体わたしは何をしているんだろうと考えて、ああそういえば自分の婚約披露をしているんだったんだと思い当たる。
「……本当にって?」
「だって、君の婚約者は僕だった」
過去形の彼に訝しみ、そして納得した。
「……そうね」
「そうねって………君は僕のことを愛してなかったのか?」
「いいえ、愛していたわ、とっても。だからあなたに全てを任せたじゃない」
「じゃあ……」
「仕方ないのよ」
きっとわたしは、ひどく虚ろな眼を彼に向けていただろう。彼の顔が一瞬引きつったような気がした。
明るい月下に佇むわたし達に、招待客達は気付く様子もない。
「仕方ないの。父にもわたしにも逃げ場なんてなかった」
「相手が公爵家だからか?」
「いいえ、相手がウィリアム・ローデンバークだからよ」
彼の表情が、固まる。
「それは……脅されたってことか?」
「取引を持ちかけられただけよ。勘違いはしないで」
すると突然、彼はわたしの肩をがっちりとものすごい力で掴んだ。わたしは痛みに顔を顰めたけれど、彼はもう、そんな表情の機微にすら注意を払えないほど興奮しているらしかった。
わたしはなぜか冷えきっている頭の片隅で、着ているのが処女のためのドレスでよかったと思った。肩を覆い隠せるデザインじゃなければきっと、醜い跡をしばらく晒さなくてはならなかっただろうから。
「あの男を庇うのか?」
「庇うもないわ、事実だもの」
「君はそれでいいのか?」
「言ったでしょう? 仕方がないの」
そしてわたしは、初めて彼を真っ直ぐに見つめた。
「でも、愛していたのはあなただけよ」
どちらからともなく、引き寄せられるように交わしたのは、いつものように深いキスだった。けれどそこにいつも感じたような甘さも熱さもなく、あったのはこれが最後だという違和感と不思議な解放感だった。
あまりに夢中になっていたわたし達は、会場からわたし達に気を留め、熱烈な恋人同士の交わりをじっと見つめている2つのアメジストになど、気付きもしなかった。