[21th night]
「公爵……」
「呼び方が戻ってる」
馬車に揺られながら、わずか苦笑を含んで、彼は溜め息とともに言葉を吐き出した。
そして、じっと見つめるわたしの視線から逃れるように、また深い溜め息を吐く。
「……何が聞きたい」
「………」
「黙っていては分からない、エリゼ」
思えば初めて彼の唇が紡いだわたしの名は、鼓膜を甘く震わせた。
「私がヒールだということは分かってる。君を愛しい男の元から奪ってきたんだ。
だが……言い訳くらいはさせてくれ。私は君を手放せない」
深く覗き込むアメジストにあらがえず、わたしはそっと呟いた。
「……愛していると」
「……?」
「愛しているというのは本当ですか」
「ああ、本当だ。
もうずっと、君がカルスの婚約者だった時から」
「ならなぜ、わたしに愛はいらないと……」
「本気で愛はいらないと思っていた。君さえ手に入るなら君の心はいらないと。
君はカルスと引き離した私を恨んでいるだろうから。
違うか?」
「……違います」
アメジストが揺らぐ。
彼がわたしを真っ直ぐに見つめていることに、胸が高鳴る。
「ずっと、怖かった。優しかったカルスが強引にドレスを剥いで、自分でも見たことのない場所に指を這わせて……
これで純潔ではなくなったと言われた時に感じたのは悦びではなく絶望でした。恐怖でした。わたしはその時には、もうカルスへの想いはどこかへ置いてきていました。
男の方は待ってくださるものだと、信じていましたのに……」
「エリゼ、だが……」
「ええ、分かっています。わたしが、一番大切なものを本当に捧げたのは貴方です。
優しくて、穏やかで、わたしは女に生まれて幸せだと初めて感じました。
ウィリアム……わたしが愛していたのは最初からずっと貴方です」
勢いに任せて放った言葉たちは、彼を唖然とさせるには十分だった。
いつもしかめっ面の彼しか見てこなかったわたしには、余裕のない彼を見ているうちに余裕が生まれていた。
「……ウィリアム、わたしには貴方だけです。信じてくださらないのですか?
ちゃんと森に迷い込まずに帰ってまいりましたのに」
いたずらっ子のように笑めば、目の前で愛しむように柔らかく微笑んだ彼が長い指でわたしの頬を撫でた。
「……エリゼ、愛してる」
重なった唇は、月明かりに溶けて、いつしか2人の境界すらぼかしていった。