[19th night]
「本当に久し振りだね、エリゼ」
人のいない暗い庭園で、最初に口を開いたのはカルスだった。
昔と変わらず呼ばれた名前にびくりと肩が動き、それを見たカルスが苦々しげに笑った。
「そんなに怯えないで。そんなにウィリアム・ローデンバークは怖い?」
――いいえ、あなたの方が怖い。
思いは言葉にならなかった。
「エリゼ、僕は後悔してるんだ。君を易々と公爵に渡してしまった」
意味を問うように首を傾げると、カルスは一歩ずつわたしに近付いてきた。
「君が愛していたのは僕だった。僕も君と結婚したかった。だからいけないとは分かっていても君の大切なものをもらった。そうだったよね?」
「……ええ」
「公爵は怒らなかった? 君が純潔ではなかったこと」
「彼は……最初から知っていたの。それも取り引きの条件だったわ」
するとカルスはくつくつと笑った。
皮肉るような笑み。
昔はこんな笑い方はしなかった。
「彼が知っていることは知ってるよ。言ったのは僕だからね」
まさかそれを逆手に取られるとは思わなかったと、飄々と話し続けるカルスを、わたしは信じられない思いで見つめた。
「……彼に、話したのはあなたなの?」
「エリゼ?」
「わたしが身持ちの悪い女だと、彼に言ったのはあなた?」
「どうしたんだ、エリゼ」
「カルス、わたしあなたのことが分からないわ」
溢れそうになった涙を隠すように俯くと、肩に手が置かれ、耳元で囁く声が聞こえた。
「エリゼ、でも君は僕を愛してる」
いいえ、という言葉が涙に詰まっているうち、顎に指がかけられた。
目の前に迫る、不敵に細められた深いエメラルドグリーン。
それはまるで、新緑をたたえた森のようで……
――森に迷い込むことのないように
声が聞こえた。
綺麗なアメジストに吸い込まれる寸前に、彼が吐息に交ぜて囁いた言葉。
「……止めて」
零れ出たのはとても小さな呟きだった。
カルスは瞠目している。
「エリゼ、本当にどうしたんだ? また愛し合おうと言っているのに」
「……あなたのことは愛してないの、カルス。わたしは……」
「そろそろ妻を返してもらおうか、カルス子爵」
シャンデリアの光を背に、アメジストが輝いた。