[15th night]
結婚してから、初めての夜会だった。
煌びやかな装いと、真っ黒な本音が渦巻く、偽りの世界。
変わらずそれはそこにあって、相変わらずわたし達を手招きしている。
――デオナール伯爵邸での夜会。
なぜ彼はこの場所を最初に選んだのか。
それはわたしにも分からなかった。
「公爵?」
行きがけの馬車の中、身動ぎひとつせずに外を睨み付けている彼をそっと呼ぶと、彼はぴくりと驚いたように少し跳ね、そしてようやくこちらを向いた。
闇色の髪と同じ色のイヴニング・コートを纏った姿は眩しく、まるでこの闇に溶けていってしまいそうだった。
「……どうした?」
「いえ、別に……」
「なんだ、何もないのか」
つと笑うその表情が、どこか仄暗い。
「あの………」
「やっぱり、何か?」
「眉間に皺が、ついてしまいます」
そこで彼は、問い掛けるように再び眉間に皺を寄せた。
「いえ、何か難しいことを考えてらっしゃるようで、ずっと眉をしかめておられたので」
「元からこんな顔だ。残念だが」
「いいえ……」
わたしは首を横に振った。
「公爵は、普通に笑ってらっしゃったほうが……」
「私が君に普通の笑みを向けたことがあったか?」
彼はくつくつと、さして面白くもなさそうに笑う。
そしてふと、真面目な顔をして呟いた。
「呼び名が」
「え?」
「呼び名が爵位というのはおかしいだろう」
「あ………」
「直せ」
「ですが……」
「私が欲しいのは従順な妻だ。忘れたか?」
「申し訳ありませ」
「ついでに言うなら、詫びの言葉ももう聞き飽きた」
少し憮然とする彼に、わたしはひとつ頷いた。
彼が真っ直ぐ、こちらを見ている。
「ウィリアム、と。呼んでみろ」
囁くように言葉を吐き出し、彼は少しだけこちらに身を乗り出した。
「……ウィリアム、様」
「様は要らない」
「でも……」
「君はカルスに様付けしていたか?」
「それは、彼が幼馴染みだからで」
「でもこれから私は、カルスよりも永く君と共に生きるんだが」
言い聞かせるように。
その言葉はひどくわたしの胸を打った。
ああまた、眉をひそめて。
「……ウィリアム……?」
彼が少し、苦しそうな表情をしたように見えた。
「そうだ。忘れるな」
わたしはその後、もう一度口の中でだけその名を呟いた。
まるで飴を貰った幼子のよう。
大切なもののように舌で溶かして、甘い味が広がるのを待っている。