第一話 崩壊した世界
「此処にあるようじゃのう? 最後の精霊の証」
肌は闇のように黒く、赤眼で白髪をした小柄な老人が、巨大な神殿に向かって炎の中を平然と歩いていた。世界は魔族によって滅ぼされ、全ては火の海の中に消えて行った。最後に生き残った王国も既に崩壊し、壮観だった街並みは崩れ、今は瓦礫の山となっていた。町には火の手が上がり、王国全体は炎に包まれている。生き残った国の兵士達には、既に覇気はなく、栄華を極めた国が崩れて行くのをただ茫然と見つめていた。
老人は竜の頭を持つ、細く古い木々が絡まる丈の長い杖を持ち、微笑みながら神殿の前に立った。神殿の入り口には生き残った、一人の巨漢の騎士が、両手を開き老人の前に立ち塞がる。騎士は頭から血を流し、立っているのがやっとに見えた。
「此処からは、一歩も、通さんっ! 穢れた種族、魔族どもめがっ!」
老人は手に持つ杖を振り上げた。同時に、道に倒れる屍だった一人の騎士が立ち上がり、剣をゆっくりと構える動作をした。その顔には生気は感じられず、意志とは無関係に不思議な力に吊り上げられているように見えた。しかし、巨漢の騎士は死んだ騎士が生き返ったと思い込み、よろめきながら、その騎士に向かって歩き出した。
「我が同志、王国騎士よ、悪魔に神の鉄槌をォォ!!」
しかし、生気のない騎士は、構えた剣を巨漢の騎士に突き立てた。
「ゲェェェェ!!」
体を貫かれ、巨漢の騎士は地面に崩れ落ちた。騎士の屍も騎士の上に倒れ込んだ。
「穢れたのはワシら魔族か? 力の無い、弱い種族よ」
魔族の老人は道を塞ぐ騎士達の体を蹴ってどかし、神殿に入ると杖を振った。一振りで炎が真二つに裂ける。一歩一歩進むごとに、炎が裂け道が出来ていた。炎の渦巻く神殿のなか、老人は中央に向かってゆっくりと歩いている。大広間は以前のままで、火の手が回っていなかった。白銀に輝く長椅子が置かれ、壁一面は神々を描いたステンドグラスが輝いている。中央には、神の像が立ち、その前で一人の少女が祈りを捧げていた。
「ほっ ほっ さすが火霊の守護、業火からの浸食を拒むか?」
魔族の老人が、神の像に向かって歩もうと一歩踏み出した瞬間、足元から炎が噴き出した。
残りの足を踏み出した時、同じように火が天井に向かって噴き上がる。杖を振り上げ、魔力で抑え込もうと炎を小さくまとめたが、火炎の勢いは留まらず、火種の小ささになった炎が、凄まじい爆音とともに破裂した。一瞬にして老人は炎の渦に飲まれたが、神の像に向かって再び歩き始めた。
「ほっ ほっ ほっ ほっ 面白い 我が地獄の業火と神の聖火、どちらが上か一勝負といくかの?」
歩くごとに火炎の勢いは増し、炎の渦は巨大に膨れ上がる。火だるまとなった老人はなおも、神の像に向かって怯まずに歩いていた。少女は後ろを振り向くと、鋭い視線で魔族を睨みつけていた。金色の髪に、蒼い眼の少女は神官の正装で白い法衣を身に纏っていた。幼い顔立ちとは裏腹に、視線や口調には威厳が感じられる。神官の少女の姿を借りる神が、魔族と対立しようとしていた。
「やはり主か? 久しいのう、創造主よ ほっ ほっ ほっ」
炎の渦の中、魔族は呟く。
「魔王、ドラゴンキングか? 我が子らへの数々の所業、世界の崩壊、決して許さぬぞ!」
静かな口調だったが一瞬、魔族は肩を震わせた。冷たい空気が神殿の中に立ち込める。神の怒りは、大地を震わし、大気を振動させた。少女の身体を借りた神は立ち上がって、魔族に向かって歩き出した。
「ほっ ほっ 竜の力は残っておらんが、ワシはまだまだ現役じゃ」
魔王は両手を開き、両目を大きく開いた。両手で杖を握りしめ、自らの腹に、杖を突き立てる。
「ワシは全てが欲しい、神も世界も力もじゃ」
杖は腹に飲み込まれ、やせ細る腹に、小さな黒い渦が浮かび上がった。魔族を包む火炎が、腹の漆黒の渦に飲み込まれる。白銀の長椅子が床から剥がれ、魔族の腹に向かってゆっくりと飛び込み、ねじ曲がりながら飲み込まれて行った。ステンドグラスは割れ、硝子は塵となって魔族に吸収されていく。
「貴様が正ならワシは負じゃ! 全てを飲み込む、引力の力 貴様ごと世界を飲み込んでやるわい」
少女の身体もゆっくりと、魔族に向かって流されはじめていた。少女は眼を瞑ると意識を失い、地面に倒れた。代わりに彼女の前には金色の鎧に身を包む、女戦士の姿をした神が立っていた。背からは真白に染まる、純白の羽が生える。手には白銀に輝く聖刀が、力強く握りしめられていた。
神は羽ばたき、引力の力に反発し宙を飛ぶ。
「なぜ精霊の証を集めるのだ?」
「再び世界が復活せぬよう、全てを飲み込むだけじゃ」
魔族は笑い、顔には満面の笑みを浮かべていた。
「愚かな、己が欲望の為に世界を飲み込むか?」
「ほっ ほっ ほっ この世界だけではない、存在しうる世界の全てを壊すのが夢なんじゃ、力の証明じゃて」
「神官の娘よ、生きて精霊の証を集め、精霊を復活させるのだ。そして魔王を討て!」
眠る少女の心の中に、神の声が響いた。
「私は神様に仕える身、この身が果てようと使命をまっとう致します」
少女は頬に涙を流し、心に響く神の声に応えていた。神は微笑むと、魔王の渦に飲まれていった。
魔王は神を吸収し、世界を己の中に取り込んだ。しかし、魔王の身体は神の生命力と引き換えに、次元の果てに封印される。
「ワシの魂は不滅じゃ、我が憎悪は残された世界を喰らい尽くす。全てはワシのモノじゃあ!!」
「逝くぞ、魔王」
「ふぁ~あ、眠ぃな」
晴れ渡る雲一つない大空を、木造の帆船が帆を開いて進む。
船の左右には蝋を固めて造られた、大きな翼が二枚つけられていた。船は二枚の蝋で出来た翼を羽ばたかせ、確かに飛んでいた。船の船首には、大きな伸びをしながら欠伸をする、見た目は十六ほどの少年が立っていた。少年の髪は、銀色で短い。癖っ毛のために尖っていた。瞳は黒く、片眼は眼帯の隻眼。蒼い服に黒いズボン、漆黒のブーツを履いている。
「王子様ぁ・・ヒック・・・のん気なことを言わないでください、グスッ・・・冥王様のお叱りを受けてしまいます」
銀髪の少年のすぐ後ろで、泣きながら訴えるのは給仕係の少女。夜中に城から抜け出そうとする王子を見つけ、口封じに拉致をされていた。茶色い髪に、緑の瞳で、髪の毛はポニーテール。給仕の制服は持ち合わせていなかったため、王子の紅いコートを羽織り、黒いズボンを半分折って着ていた。少女は瞳をうるわせながら、訴えていた。
「スゲーな! 風の力を宿す、証に俺の船を飛ばす力があるなんてな」
少年は八重歯を見せて、悪戯っぽく笑っていた。国宝、風の精霊の力を宿す秘石を盗み出し、国からの逃亡を果たしたのがつい昨晩。食料もほとんどなく、あてもなく、二人は夜が明けてから大空をずっと彷徨っていた。
「ご、ご乱心ですっ! 自由の名の下に、逃亡だなんて・・・・一国の、いえ、いずれは魔王になるお方なのに」
じたばたしながら、少女は必死に抵抗したが王子は聞く耳をもとうとはしなかった。
「あん? ハイジチャソ、その魔王様の言うことがきけねーのかよ!?ごちゃごちゃ五月蠅ェ」
「い、いえ・・・・そういう訳では、ないです・・・グスッ」
少年はため息をつくも、いつものように、少女の頭を撫でる。
「えへっ!」
「なんだかな」
するとすぐさま少女は機嫌を直し、にこにこしながら船内に入って行った。しばらくして、在り合わせの物で朝食を作ったと、ハイジが船内から出て来ていた。それと同時に、何気なく空を見上げた時、ハイジは目を丸くして、言葉が出ない様子で口をぱくぱくさせている。
「はうっ!? はわわわわわわ」
「んなっ!? 女?」
王子は反射的に、手を前に出し空の上から落ちてくる少女に身構えていた。少女は少年の手の中に落ち、落下した勢いで王子は後ろに吹き飛んだ。そして少女を抱えたまま、少年は背から甲板に倒れ込む。抱えられた手の中で、金色の髪を持ち白い法衣を身に纏う少女が、意識を失っていた。王子は現状に混乱し、ハイジを見たがハイジはただ激しく首を振るだけだった。
「む!? てか俺様から降りろ、重いんだよ!」
「ん?んん~、貴方は誰?」
空から落ちてきた少女は、朦朧とする意識の中、おもむろに口を開いた。
「あん? まず自分から名前を名乗るのがれーぎだろうが。それでも人の子か?」
少年は手の中の少女を甲板に落す。少女は腰をさすりながら、ゆっくり立ち上がった。
「いった~い!! 女の子に乱暴するなんて信じらんない! もう!私の名前は、エデン! 」
少女は不機嫌そうに名前を名乗ると、王子のことを睨みかえしていた。自分も名乗れと言うようにじっと少年を見つめている。王子はやれやれと首を振って、ため息を着いていた。
「お前、ほんとにこの世界の人間か? 俺の事を知らない訳? はぁーあ俺様は、魔族王子ウォーズだ。ちっこいのは俺の給仕係で名はハイジ」
王子の言葉に少女は腰を抜かして、甲板に倒れ込んだ。少女の小さな体は震え、船の端へと逃げていた。王子は不機嫌ながらも、心配そうに手を貸そうと近寄るが、エデンは王子の手を振り払った。彼女の心は失われた故郷、神の言葉、光を奪った魔族への憎しみが支配していた。
「貴方、魔族?」
「お前は人間だろ? どうやってこっちの世界に来たんだよ?」
エデンはそれ以上は話さず、王子を警戒したように睨み、険しい表情でいた。
「まあ良いや、人間の世界まで送ってやるよ。冥王と一戦交えるかもしれねーがな」
「私をどこに連れて行く気?」
冷静さを取り戻したエデンは、立ち上がって王子に近づき、その姿を見下ろしていた。
「あん? だから、人間の世界へは、あの門を通らないといけねーんだよ」
エデンと魔族の王子、給仕係を乗せた空の帆船は地平の果てに見える、空まで伸びる巨大な門を目指し進路をとった。門は空に浮かび、門の前には空に浮かんだ島に、巨城が建っていた。
「魔族に敵意はない、しばらく様子を見るしかないようね」
「何か言ったか?」
「ふん、何でもないわ・・・(単純そうだし)」