野原四郎左衛門の化け物蛇退治
これも山本常朝の葉隠に出てくる話をヒントに書いたものです。舞台は嘉永年間の肥前の国、今の佐賀県です。
野原四郎左衛門が武雄で鷹狩に行った時の話である。
四郎左衛門が十五歳のとき、鷹を据えて山の原を通っていると、得体の知れないものが口を開いて鷹に食らいつこうとジャーッ、ジャーッと威嚇していたので、鷹を空に離して、一尺三寸の脇差を抜いて飛び掛かり、その口の中に、肘のあたりまで脇差を突き入れて、そいつののどの奥を切り裂くようにして、仕留めたそうな。
それは長さ一間半ばかりの大蛇であった。
その面は、神社の狛犬のようで、胴の四尺は猫の胴のようであった。
そのような化け物を蛇と断じたわけは、銭のような鱗に覆われていたからである。
その鱗に覆われた顎から腹にかけては白い毛が生え下がり、鼠のような足が八つも付いていた。
「その胴体は緒に近づくにつれ細くなっていた、さすれば、蛇に相違なかろうや」
しかし、口に出してその有様を伝えようとしても、親兄弟はともかく、友や同僚は信じてくれぬだろうと思った。
そこで、後々の証拠にしようと塩漬けにして、佐賀の自宅に持ち帰ったそうだ。
その後、その化け物蛇がいた山の草木どころか山までもがジャーッ、ジャーッと鳴動して、その後、人が近づけなくなった。
土地の猟師たちが言う。
「大蛇が追いかけてくるときには、横に素早く飛びのけば、大蛇はまっすぐに走り抜けるもの。
また、人に立ち向かって来る時には体の半分を立ち上げて向かって来る。
その向かって来るところを逃がさず打ち据えれば、大蛇の躰は折れること多し」
また、
「うまく大蛇の頭だけをチョンと短く斬るなれば、大蛇を消滅させられよう」
また、
「首をあまり下のほうで斬ってまうと、死なずに二、三間も向こうまで行きよる。
そうして残った体で生きとるままよ。
もし、それが蝮などであったら、中途半端に首を斬られたら必ず仕返しをするものよ」
また、
「野原四郎座衛門殿が退治したという大蛇も鎌首のすぐ後ろを斬りなさればよかったのよ。
さすれば、後の、ジャーッ、ジャーッと山野が鳴動するような、変異は起きなんかったはずよ」
それを聞いた野原四郎座衛門は、退治した大蛇を見に来た友人や客人と、塩漬けの大蛇を焙って、酒に浸して食ってしまうことにしたが、皆が譲り合い、忌避か遠慮か、大蛇の頭だけが残った。
奨めても、奨めても、誰も食おうとしなかったので、最後は、砕き潰して鷹に食わせたそうな。
そしたらその武雄の山野のジャーッ、ジャーッ、ジャーッ、ジャーッという不思議な鳴動は止んだそうだ。
だが、口さがない佐賀の国人の間で、それは「肥前のいっちょ残し」なのか、「佐賀のもんが通った後には草も生えない」なのか、というさがない論争が始まったそうな。




