第七章 閉ざされた口
夕暮れの町は、どこか沈黙を孕んだように静かだった。悠真は、友人の啓太とともに、十年前の出来事を知るという老人の家を訪ねていた。路地を曲がるたび、子どもの頃に感じたあの不穏な気配が背後から忍び寄ってくるような気がした。
「ここが…か」悠真は小声で呟く。木造の古びた家は、表から見ても長年人が住んでいないように見えた。塗装は剥げ、窓には埃が積もり、風に揺れるカーテンの影がまるで誰かが家の中を覗いているかのように見えた。
悠真は心の奥で、小さな恐怖を感じていた。10年前、あの町で目撃した白い影や、窓に張り付いた無表情の顔——あの時の感覚が蘇る。あの不気味な静寂が、まるでこの家に封じられているかのようだった。
「…こんにちは、すみません、ちょっとお話を…」
呼び鈴を押すと、重い音を立てて玄関が開いた。中にいたのは、老人というにはあまりにも細く、背中を丸めた小柄な男だった。白髪交じりの髪はぼさぼさに乱れ、目は怯えに潤んでいた。
「…何の用だ?」声はかすれ、耳障りなほど低かった。
悠真は深呼吸をして言葉を選んだ。「10年前、この町で起きた…事件のことを、少しお伺いしたくて。子どもたちの行方不明や、あの神社のことです」
老人は一瞬、顔を強張らせた。その目が、まるで悠真を見つめているのではなく、何か背後の闇を見ているように揺れた。
「…知る必要はない。近づくな、決して」老人は言葉を続けようとしたが、声は喉で詰まり、怯えで震えていた。
「お願いです、真実を知りたいんです」悠真は一歩前に出る。
「…やめろ…それ以上は…」老人はその手をぎゅっと握り、壁に身を寄せた。声の震えは恐怖だけでなく、何か強い呪縛をも含んでいた。
しかし、その夜、悠真が町を後にしようとした瞬間、事件は起きた。町の小道を歩いていたとき、突然老人の家の窓から強い光が漏れ、同時に不気味な悲鳴のような音が響いた。悠真が振り返ると、老人の家は異様な静寂に包まれ、窓の光は一瞬で消えた。
翌日、町の小さなニュースでは、老人が自宅で倒れて亡くなったと報じられた。事故死とされていたが、家族や近隣住民の証言は曖昧で、誰も死の状況を正確に説明できなかった。奇妙なことに、家の中には異常は見つからず、物が乱れた様子もなく、ただ老人だけが静かに床に横たわっていたという。
悠真は胸の奥が締め付けられる思いを感じた。老人の怯えた目、あの恐怖、そして突然の死——すべてが繋がっている。『真実に近づく者は狙われる』という感覚が、頭をぐるぐると駆け巡る。10年前の怪異、そして“10年ごとに呼び戻されるもの”の存在が、ますます現実味を帯びてきた。
その夜、悠真は夢に現れた。白い影が遠くの森の中に立ち、風に揺れる木々の間から悠真を見つめている。影の足元には、子どもたちのかすかな声が囁き、誰もが怯えているように見えた。夢の中の影は悠真に向かって手を伸ばし、低く囁いた——
「次は…お前だ」
目が覚めた時、汗でびっしょりになった悠真は、自分の背後の暗闇に目を凝らした。昨夜と同じ静寂が部屋を包み、まるで何かがこちらを覗いているかのような気配があった。恐怖と絶望が入り混じり、悠真はただ息を潜めるしかなかった。
10年ごとに繰り返される謎、町を覆う影、そして自分がその輪に巻き込まれていく確実さ——悠真は初めて、自分がただの観察者ではなく、次の“標的”になりつつあることを理解した。
誰も口を開かず、誰も真実を語らない。この町は、いつの間にか、怪異と沈黙の監獄になっていたのだ。
悠真は決意を固める。真実を知り、避けられない運命に立ち向かわなければならない——そして、次に起こる不可解な死、消失を防ぐために。だがその覚悟の裏には、深い孤独と、逃れられない恐怖が待ち構えていた。
闇の中で、また囁きが聞こえる。
「次は…お前だ」
悠真は布団の中で目を見開き、背筋が凍る思いで夜明けを待った——しかし、朝が来ても、その声はまだ消えてはいなかった。