第四章 禁じられた神社
蝉の声が夕暮れに溶けはじめる頃、俺は達也と連れ立って町外れへと向かっていた。
昼間、図書館で見た記事の内容を彼に話したとき、達也の表情は強張っていた。「十年ごとに消える子ども」――それは俺たちが経験した不可解な出来事と重なりすぎていたからだ。
「なあ、本当に行くのか?」
「行かなきゃわからないだろ。記事に出てた“神社”って、あそこしかないはずだ」
町外れの山道は舗装も途切れ、雑草が伸び放題になっていた。人が通った形跡はほとんどなく、道の脇に積もった枯葉は靴底にまとわりついた。
やがて鳥居が見えた。朱塗りのはずの木材は色を失い、黒ずんだ苔に覆われている。しめ縄は千切れ、紙垂は風に吹かれてぼろ布のように揺れていた。
「……やっぱり気味が悪いな」
達也が小声でつぶやいた。俺も同感だった。
鳥居をくぐり、石段を上がると境内が広がった。参道の両脇には石灯籠が立ち並ぶが、その大半は崩れ、草に埋もれている。奥には本殿らしき建物があり、板壁は朽ちて穴が開き、天井は傾いて今にも崩れそうだった。
その壁に、黒いスプレーで落書きがあった。
――「十年ごとに呼び戻されるモノ」
ぞっとして近寄る。文字の周囲には、幼い子どもを模した落書きや、歪んだ顔の絵も描かれていた。誰が、いつ描いたのかはわからない。しかし確かな悪意と恐怖を込めた痕跡だった。
「十年ごとに……」
声に出すと、記事の言葉と夢の囁きが蘇る。
「やっぱり、この神社が関係してるんだ」
達也は唇を噛んだ。「でも、なんでこんなところに? 誰も参拝しないだろ」
俺は首を振る。むしろ、誰も近寄らないからこそ、何かが“隠されてきた”のだろう。
その夜。
俺たちは懐中電灯を手に、もう一度神社を訪れた。昼間以上に不気味で、山の闇は音を呑み込んでいる。蝉の声もなく、ただ木々が風に軋む音だけが耳に残った。
石段を上る足音がやけに大きく響く。鳥居をくぐった瞬間、背中に氷の刃を当てられたような悪寒が走った。
本殿の前に立ち、達也がポケットから小銭を取り出した。
「……一応、参ってみるか」
「冗談だろ。こんなところで」
「でも、ほら、形だけでもさ」
彼は錆びついた賽銭箱に十円玉を投げ入れ、手を合わせた。俺も渋々真似をした。目を閉じると、すぐに“視線”を感じた。背後から、横から、無数の目に覗かれているような感覚。
カラン……。
どこからか硬いものが落ちる音がした。慌てて目を開け、懐中電灯を振る。境内には俺たちしかいない。だが風もないのに木の葉がざわめき、本殿の戸板がきしんだ。
「なあ、もう帰ろう」
達也の声が震えている。俺も賛成だった。だが一歩踏み出そうとしたとき、彼が突然立ち尽くした。
「……っ」
達也の顔から血の気が引き、目はどこか虚ろに宙を泳いでいる。
「どうした!?」肩を揺さぶるが、返事はない。代わりに唇がゆっくりと動いた。
「……また……十年……」
その声は、夢で聞いた囁きとまったく同じだった。
凍りついた俺の耳に、どこからともなく低い笑い声が重なる。
次の瞬間、境内の灯籠が一斉に軋み、暗闇の奥から白い影がいくつも浮かび上がった。顔のない人影、歪んだ子どもの姿、目のない笑顔――十年前に見たものと同じだ。
「達也!」
必死に腕を引くと、彼は突然糸が切れたように崩れ落ちた。意識はあるが、呼吸は浅く、焦点の合わない目で空を見つめている。
俺は彼を抱きかかえ、転げるように石段を駆け下りた。背後から、無数の足音が追ってくる。だが振り返る勇気はなかった。
町の灯りが見えた瞬間、足音はぴたりと止んだ。
息を切らしながら振り返ると、山の闇はただ静かに沈んでいる。鳥居の奥、本殿のあたりで、白い影がじっとこちらを見つめていた気がした。
その夜、達也は高熱を出し、うわ言のように「十年……十年……」と繰り返した。
俺は布団の脇で夜を明かしながら、確信した。
あの神社こそが、すべての始まりだ。十年前の出来事も、消えた子どもも、夢の囁きも――すべてはあの場所に繋がっている。
けれど、なぜ「十年」なのか。
そして、次に消えるのは誰なのか。
俺はただ、闇の底に落ちていくような思いで夜明けを迎えた。