お前の産んだ息子はクズだと追放された 〜息子の才能を見つけられなかった王族たちがこぞって謝ってきた〜
王都の中央にそびえる大神殿。
その荘厳な大広間には、王族から下級貴族まで、あらゆる身分の者たちが集まっていた。
年に一度の成人の儀――十五歳になった少年少女たちが、神から授かるスキルを知る神聖な日だった。
「次、アルト・ヴァレント!」
神官の声が響く。
母エレナは息子の背中を優しく押した。
「大丈夫よ、アルト。あなたのお父様のように、きっと素晴らしいスキルを授かるわ」
「……はい、母上」
アルトは緊張した面持ちで祭壇に向かった。
黒髪に青い瞳、亡き夫によく似た凛々しい顔立ちの少年だった。
亡き父親は魔物から国を守った英雄だったこともあり、周囲の注目度が最も高いといっても過言ではない。
祭壇の水晶にアルトが手を置くと、淡い光が宿る。
神官が詠唱を始めた。やがて水晶から文字が浮かび上がる。
「『塵払い』…?」
予想もしなかったスキルに、神官が首をかしげた。
その瞬間、会場にどよめきが起こった。
「塵払いだって!?」
「掃除のスキルじゃないか!」
「戦闘系でも魔法系でもない、ただの日常スキルだぞ!」
嵐のような嘲笑が巻き起こった。
特に激しく笑っていたのは、ガルシア侯爵だった。
「ブッ、ブハハハハ!! 見ろ、あの『英雄』の息子の無様な姿を! 戦場で名を馳せたヴァレント騎士の血筋がこれか!」
ガルシア侯爵は、アルトの父親を心底憎んでいた。 同じ戦場にいながら、ヴァレント騎士ばかりが讃えられ、自分は二番手扱いされ続けていたからだ。 本人からすれば、ようやく復讐の機会が訪れたのだ。
王座に座る国王レグナルドも、冷たい笑みを浮かべた。
「これほど役立たずなスキルは中々お目にかかれん。血筋とは一体なんなのか? 天国にいるヴァレントも今頃号泣しているだろうな」
父の冷たい目を見た、第一王子のガルベルトが声を上げる。
「父上、このような者を宮廷に置いておくのは国の恥では?」
ガルベルトはアルトに恨みはないが、父親の機嫌を取ることに命をかけている。
将来、自分が王に選ばれるためだ。
さて、会場の嘲笑はさらに激しくなった。
アルトは顔を真っ赤にして立ち尽くす。
「アルト……」
エレナは息子に駆け寄ろうとしたが、ガルシア侯爵に阻まれた。
「待て、エレナ・ヴァレント! 貴様も同罪だ! 夫の戦死後、我が侯爵家の庇護の下で暮らしながら、このような恥さらしを育て上げるとは!」
「お待ちください。まだ能力の全容が判明したわけではありません。アルトなら、きっと素晴らしい使い方ができます」
エレナは必死に抗議するも、国王が立ち上がる。
「ガルシア侯爵の言う通りだ。違うというのなら、今使ってみせなさい」
王の一言に、誰もが再びアルトに注目した。
アルトは自信がないながらも、スキルを使用してみる。
足元の土埃が払われ、空気が綺麗になった。
一応成功はしているが、これがまた爆笑の渦を生みだしてしまう。
本当に掃除スキルだと証明されたように感じたからだ。
王は鼻で笑う。
「塵払いなどという無意味なスキルの持ち主を、この王都に置いておくわけにはいかん。エレナ・ヴァレント、息子と一緒に王都から出ていくべきだ」
「そんな……。どうして追放まで……」
エレナが動揺するのも当たり前だ。
いくら無能スキルだったからといって、追放までされるのはおかしい。
しかし、視界にガルシア侯爵の勝ち誇った顔が入ってきて、すべてを理解する。
夫の亡き後、ガルシアはヴァレントの家系を守るためと、庇護下に入ることを提案してきた。
友人のフリをしており、エレナは本性を見抜くことができず、それを受けてしまったのだ。
会場は拍手喝采に包まれた。
多くの貴族たちが、ヴァレント騎士への嫉妬を晴らす機会だと考えていたのだ。
王様の態度からして、すでにガルシアと繋がっていたのだろう。
もしアルトの能力が大したものではなかったら、初めからこうするつもりだったのだ。
ガルシアは怒鳴る。
「一週間以内に王都から立ち去れ! 二度と戻ってくるな!」
その時、静かな声が響いた。
「待ってください」
振り返ると、第二王子クリエタが立ち上がっていた。金髪に緑の瞳、兄とは対照的に穏やかな表情の青年だった。
「クリエタ、何をするつもりだ?」
王が眉をひそめた。
「父上、これは間違っています。スキルの優劣で人の価値が決まるのですか?」
「黙れ! お前はいつもそうやって甘いことを!」
第一王子ガルベルトが憎々しげな顔をする。
弟というより、自分の座を奪うかもしれないライバルと見ている。
王も、クリエタには甘い。
「まあ、二人とも落ち着け。クリエタ、決まった処分は取り消せない。だが、馬車の手配くらいはお前に任せよう」
クリエタは納得しないようだったが、立場上それ以上口を挟むことはしなかった。
儀式が終わり、二人は王都をでていくことになる。
荷物をまとめて出口に向かうと、クリエタが待っていてくれた。
「エレナ様、アルト君。君たちの住む場所は手配しておいたよ。どうか腐らないで生きて。僕が王になったら必ず戻れるようにする」
優しいクリエタの言葉に、エレナは驚く。
「クリエタ殿下……なぜそこまで……」
「君のお父さんは本当に素晴らしい人で、僕の勇者だった」
クリエタの目に懐かしさが宿った。
「幼い頃、森で死にかけた僕を命がけで救ってくれたんだ。尊敬する人の家族を見捨てるなんて、僕にはできない」
クリエタは小さな袋をエレナに手渡した。
「これで当分は暮らせるはずだ」
「本当に……ありがとうございます」
エレナは涙を浮かべて深々と頭を下げた。
アルトも震え声で言う。
「必ず……必ずこの恩はお返しします」
◇ ◆ ◇
王都から馬車で一週間。
二人が辿り着いたのは、王国の辺境にある小さな村、メルヴィルだった。
クリエタ王子が手配してくれた家は質素だが清潔で、二人には十分だった。
「新しい生活の始まりね」
エレナは明るく微笑んだ。
しかし心の奥では、息子への申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。
自分さえしっかりしていれば、このような目に遭わせずに済んだのではないかと。
夫が亡くなり動揺していたとはいえ、自分があの侯爵の企みに気づけなかったのが悪かったと。
せめて、息子に普通の生活をさせてやりたい。
村人たちは最初、王都から来た母子を警戒していた。
しかしエレナが持ち前の人柄で積極的に話しかける。
親しみやすく、同じ目線で話してくれるエレナに村人たちも段々と心を開いていく。
さらに、薬草の知識を活かして村人の治療を手伝うようになると、完全に受け入れられるようになった。
「エレナさんは本当によく働くなあ」
「息子さんも礼儀正しくて良い子だ」
しかしアルトの心は穏やかではなかった。
村人たちが受け入れてくれていることは分かったが、それは主に母のおかげ。
自分のスキルは相変わらず『塵払い』。何の役にも立たない。
それにフラストレーションを感じる日々
ある日、アルトは家の外で『塵払い』を使った。
手を水平に動かすと、わずかな土埃が舞い上がる程度だった。
何十、何百とやり続けてきたが、結果は同じだった。
「やっぱり……皆が言うようにゴミスキルなんだ」
その様子を見ていた母が、そっと近づいてきた。
「アルト、諦めてはだめよ」
「でも母上……このスキルに何の意味があるんです?僕がもっと優秀なら、母上にこんな苦労をかけずに済んだのに……」
エレナは息子の手を握る。
「あなたは十分優秀よ。努力できる人は、実は多くないの。その姿勢は尊敬に値するのよ。これからも頑張ってね」
その夜、アルトは決意を新たにした。
母が村人たちのために一生懸命働いている姿を見て、自分も何かできることはないかと考えた。
そして、どんなに馬鹿にされても、このスキルを鍛え上げようと決めたのだ。
掃除のスキルなら、それを極めればいい。
少なくとも、掃除に困っている人を助けられるではないか!
◇ ◆ ◇
アルトが畑仕事から戻ったある日、エレナが納屋で古い木箱を開けていた。
「母上、何を探してるんですか?」
「あなたが頑張っている姿を見ていたら、ふと思い出してね……この箱、ずっと開けられなかったの」
エレナの手には、埃をかぶった一冊の革表紙の日記帳があった。
「父様の日記……?」
「ええ。戦死の報せを聞いたとき、怖くて開けられなかった。読んでしまえば、もう本当にあの人がいないって実感してしまいそうで……」
静かな空気の中、エレナがページをめくる。
そこに記されていたのは、夫の優しさと誇りだった。
『エレナは強い人だ。アルトもきっと、あの子も強く育つ……』
しばらく読み進め、エレナが一行で手を止める。
『我が家系には時折、“塵を払う力”が宿ると聞いた。もしアルトにそれが宿ったなら――それは、世界の汚れを祓う力だ……』
アルトが驚いて声を上げる。
「そんな、前から知ってたんですか? 父様は?」
「確信していたわけじゃない。でも、ヴァレント家の血に宿る力だって、信じていたのね……」
エレナはそっと日記を抱きしめた。
「あなたが『塵払い』を授かったと知ったとき、私の胸にあった不安が少しだけ和らいだの。きっと意味がある力だって、信じたくて」
アルトは黙って母の隣に座り、空を見上げた。
翌日から、彼の猛特訓が始まった。
日中は農作業を手伝い、夜遅くまで『塵払い』の練習を重ねた。
最初は本当にわずかな埃しか動かせなかった。しかし三ヶ月後、変化が現れた。
物置に溜まった大量の埃を一度に外へ吹き飛ばせるようになったのだ。
手を水平に動かすと、埃が開けたドアから一気に飛んでいく。
村人のおばあさんが腰を抜かすほど驚く。
「あら驚いた……。アルト君、なんて便利な力なのさ!」
「母上がいつもお世話になっていますから。僕でよかったら掃除の手伝いをしますよ!」
村の家々は古く、どうにも埃が溜まりやすかった。
アルトの『塵払い』は、掃除に苦労していた村人たちにとって夢のようなスキルだった。
「アルト君、うちもお願いします!」
「こんなに綺麗になるなんて!」
村人たちの歓迎ぶりに、アルトは初めて自分のスキルに価値を感じた。
(やはり母上は間違っていなかった)
努力を認めてくれた母に、心の中で感謝する。
そして訓練はさらに続いた。
一年後、さらなる進歩があった。
農作物を荒らしにやってきた猪に向かって『塵払い』を使うと、猪が遥か彼方まで吹っ飛んでいったのだ。
「生物にも…適応できるようになった!」
アルトは興奮した。
エレナも驚いた。
「アルト、あなたのスキルは進化しているのね」
「でも、なぜでしょう?」
「きっと、あなたの努力と……誰かを助けたいという純粋な気持ちが、スキルを成長させているのよ」
それから二年が過ぎた。
アルトは十八歳になり、村でも頼りにされる青年に成長していた。
『塵払い』の威力と範囲は格段に向上し、今では家一軒分の埃を一度に払えるほどになっていた。
ある日の夕方、村の見張りが血相を変えて駆け込んできた。
「魔物だ! 魔物の群れが村に向かってくる!」
村人たちは恐怖に震えた。
この辺境の村には、大勢の魔物とまともに戦える戦力などいない。
逃げるしかなかった。
「みんな、森の奥に避難するぞ!」
村長が叫んだ。
しかし、足の悪い老人や小さな子供たちは素早く移動できない。
魔物の群れ―オークやゴブリンが十数体―が村の入り口に現れた時、まだ半数の村人が逃げ切れていなかった。
「うわああああ!」
魔物たちが逃げ遅れた村人に襲いかかろうとしたその時、一人の青年が立ちはだかった。
エレナが思わず叫ぶ。
「アルト、危険だから逃げなさい!」
アルトは振り返って微笑んだ。
「平気です、母上。僕を信じてください」
アルトは魔物の群れに向かって『塵払い』を発動した。
「消えろ」
その瞬間、驚くべきことが起こった。
魔物たちが次々と宙に舞い上がり、遥か彼方へと吹き飛ばされていく。
オークもゴブリンも、まるで竜巻に巻き込まれた軽い埃のように空の彼方に消えていった。
静寂が訪れた。
村人たちは呆然とアルトを見つめていた。
「あの子が……魔物を……」
「『塵払い』で……」
村長が震え声で言った。
「ア、アルト君……君という男は……」
「僕のスキルは『塵払い』です。不要なもの、害あるものを払い除ける。魔物も同じでした」
その日から、アルトを見る目が完全に変わった。
今までは優しい好青年といった感じだったが、村の救世主として、誰もが尊敬の念を抱くようになった。
アルトが魔物の群れを退けた噂は、やがて王都にまで届いた。
しかし、ガルシア侯爵をはじめとする貴族たちは、所詮は辺境の魔物、大したことではないと一蹴した。
そんな時、王国に未曾有の危機が訪れた。
古代の封印が破れ、邪神ヴォルガノアが復活したのだ。
邪神は王都近郊に現れ、その強大な瘴気で多くの人々を苦しめた。
「ぐあああああ!」
兵士たちがいとも簡単に、次々と倒れていく。
「陛下! もはやこれまでです!」
あまりの実力差に、近衛隊長が絶望の声を上げた。
王国最強の騎士団も、宮廷魔術師団も全く歯が立たなかった。
邪神の力は圧倒的だった。
「我が復活を阻む者はいないのか!」
邪神の咆哮が王都を震わせた。
国王は玉座で震えていた。
ガルシア侯爵も、普段の威圧的な態度はどこへやら、恐怖で顔を青ざめさせていた。
「陛下……もう逃げるしか……」
「逃げたところで、殺される……」
その時、王座の間の扉が開いた。
「僕にやらせてください」
現れたのは、黒髪の青年だった。
その後ろには美しい女性が続いている。
「貴様ら……」
ガルシア侯爵と国王が目を見開いた。
「アルト・ヴァレント……なぜここにいる?」
「王都の危機と聞いて参りました」
アルトは静かに答えた。
邪神復活の噂は村まで届いており、村人の中には逃げ出す者まで出ていた。
国は負けるだろうという話まで伝わっていたのだ。
見捨てることもできたが、亡き父が死ぬ気で守った国だと思うと、立ち上がらざるを得なかった。
自信満々のアルトに、ガルシア侯爵が怒鳴る。
「『塵払い』の小僧が何をできるというのだ! 身の程を知れ!」
「ガルシア侯爵、僕のスキルを最も馬鹿にしたのは、あなたでしたね。見せてあげますよ」
邪神ヴォルガノスは王都の中央広場で暴れ回っていた。
その巨大な体からは黒い瘴気が立ち昇り、近づく者すべてを蝕んでいた。
「人間よ、我が瘴気に触れれば、貴様も滅びるぞ!」
アルトは一人、邪神の前に歩み出た。
後方では王や貴族たちが固唾を呑んで見守っている。
「愚かな少年よ、たった一人でなにができる?」
邪神が嘲笑した瞬間、その表情が凍りついた。
アルトの周囲だけ、黒い瘴気が一切触れていなかった。
まるで見えない壁で遮られているかのように。
彼の近くには透明な透き通った空間がある。
これには邪神も驚愕した。
「なぜだ……?」
「いまの僕のスキル『塵払い』には『完全浄化』も含まれる。あらゆる汚れ、邪悪、不浄を完全に払い除ける」
「馬鹿な! そのような力が……」
「君のような存在こそ、この世界にとって最も不要な『塵』なんだ」
アルトが手を水平に振った。
その瞬間、世界が光に包まれた。
邪神の放つ全ての邪悪な力が浄化され、邪神そのものが光の中で溶けていく。
「ヒグアアアアアア……こんなはずでは……!?」
だが邪神は死に際に不敵に笑った。
「……ふふ、だがこの国の一人に私の半神を込めた。一年以内に目覚め、やがてこの国を滅ぼすだろう!」
「どうやって滅ぼす? 全神を使っても僕に歯が立たなかったじゃないか。半神で勝てる道理は?」
「グ、それは……」
「なんにせよ、僕と母上に害をなすなら、消し去るだけだ。お前のようにな」
邪神は絶叫と共に完全に消滅した。静寂が王都を包んだ。
邪神が消え去った後、王をはじめとする者たちが、アルトの前に続々と現れた。
「アルト・ヴァレント……いや、救国の英雄よ。この度は、実によくやってくれた。そして、我々の過ちを許してくれ」
レグナルド王が震え声で言った。
王は突然アルトの前に跪いた。
その姿を見て、居合わせた貴族たちも慌てて跪く。
「其方こそが真の勇者だ! この王国の救世主だ!」
手のひら返しの王に倣って、ガルシア侯爵も青ざめた顔で頭を下げた。
内心では悔しさで煮えくり返っていたが、邪神の半神の脅威を考えると、アルトに縋るしかなかった。
「アルト様…私も…私も浅はかでした…どうかお許しを…」
しかしアルトは冷たく言い放った。
「ガルシア侯爵。あなたが『塵』と呼んだ僕のスキルが、王国を救いました。誰が本当の『塵』だったのでしょうね」
侯爵は顔を真っ青にして震えた。
アルトは周囲を見回した。
「この辺りは埃が多いですね。僕のスキルで綺麗にしましょう」
「待て!」
王が慌てたが遅かった。
アルトが塵払いを発動すると、王や侯爵、過去にアルトを馬鹿にした貴族たちがこぞって数メートル吹き飛んだ。
本気でやれば、遥か彼方まで飛ばせたが、そこは慈悲をかけてセーブした。
「おかしいな、僕は塵を払ったのですが……なぜ皆さんが吹き飛んだのかお分かりですか?」
アルトは真剣な表情で告げる。
「人を散々見下したり馬鹿にして、不当な扱いをする。でも一度、役立つとわかるや手のひら返しですり寄る。そういう人は、僕は大嫌いですね」
アルトは満面の笑みを浮かべる。
「でも良かった、物凄く力をセーブしていたので。本気でやっていたら、皆さんが肉塊になっていたところでした」
遠くから王や貴族たちの悲鳴が聞こえてくる。
その場に残った者たちは、アルトを見て震え上がった。
◇ ◆ ◇
翌日、王都の門の前にアルトとエレナの姿があった。
二人は荷物をまとめており、明らかに旅立ちの準備をしていた。
「待ってくれ! アルトよ、どこへ行くというのだ!」
国王が直々に、血相を変えて兵士と共にやってくる。
そこにはガルシア侯爵もいた。
「この国を出ていきます」
アルトは振り返らずに答えた。
「まだ、邪神の半神が残っているのだぞ……」
「僕は一度、邪神を倒しました。それは亡き父上ならそうしたからです。でもここからは、僕の考えの元に行動します」
国が見捨てられる。
そう考えたガルシア侯爵は慌てて会話に入ってくる。
昨日吹き飛ばされた際に怪我をしたらしく、包帯を巻いている。
「アルトにエレナ。さきの非礼は詫びる。だから邪神を倒してくれ」
ガルシア侯爵は王都で手広く商売を広げているため、逃げるような真似はできないのだ。
ゆえに、どうしてもアルトに邪神を払って欲しい。
どこまでも保身しかない人だとアルトは内心呆れる。
「お断りします」
アルトはきっぱりと断った。
王は絶望した。
アルト以外に邪神の半神を倒せる者などいない。
あの邪神は半神になったとて、この国の兵士や騎士より圧倒的に強い。
国が滅びるのは時間の問題だった。
「頼む。残ってくれたら望みはただなんでも聞こう……」
アルトは振り返った。
この時を待っていたとばかりに。
「本当に、何でもですか?」
「お、おお! もちろん、何でもだ!」
「では、条件が三つあります。一つ、ガルシア侯爵を完全に没落させること。二つ、現王は座を退き、次の王位を継ぐ王子は僕に決めさせること。三つ、母上に正当な貴族の地位を与えること」
王は青ざめ、ガルシア侯爵は絶句した。
「いやなら結構です。僕らは国を出ていくだけです。力づくで止めたいのであればどうぞ。兵士も含め、全員払います。もちろん浄化の方です」
浄化すなわち完全消滅。
アルトの力は既に神の領域に達しており、誰も止めることはできない。
王は震え声で答えた。
「し……仕方あるまい……。受け入れよう……」
「そんな!? 陛下、お気を確かに!」
当然、ガルシアは激しく抵抗する。
しかし王は座を息子に譲るだけとも考え、その抵抗を跳ね除けた。
すぐに王宮に臣下たちが召集された。
そして今回の情報が共有される。
邪神の件を思うと、誰も反対意見は出せなかった。
一週間もしないうちに、国王は正式に退位を宣言し、後継者選びが始まった。
ガルシアも財、爵位、地位をすべて取り上げられてしまう。
ガルシアは悔し涙を流すも時すでに遅し。
過去の己の愚行を後悔することになった。
アルトは後継者選びに迷うことはない。
「次の王は……第二王子、クリエタ様でお願いします」
「僕が王に……?」
クリエタが驚いた。
「王に相応しいのはクリエタ様しかいません。貴方のおかげで僕と母上は、死なずにここにいます」
アルトとエレナは、クリエタに対して深々と頭を下げた。
これに不満たらたらなのは第一王子ガルベルトだった。
「アルト殿、一度考え直してくれ。クリエタが王などおかしいではないか!」
「いえ、何もおかしくありません。能力も人望も、何より品性が、王に相応しいと思います」
特に品性のところを強調しながら、アルトはガルベルトを睨みつける。
王に媚びることしか考えていない王子など、その資格はないと言いたげに。
ちなみにアルトは町中で聞いて回った、国民の意見も参考にしている。
ぶっちぎりで、クリエタを推す声が多かった。
「わかった、僕もやれるだけのことはやる。共にこの国をよくしていこう!」
クリエタは力強く宣言して、アルトとエレナに共闘を求めた。
無論、二人は快くそれに応えた。
こうして新たな秩序が生まれた。
クリエタ王の冷静な采配により、邪神の半神が宿った人物の捜索が始まった。
そして三ヶ月後、ついにその人物が発見された。
皮肉なことに、それは追放されたガルシア侯爵だった。
どうやら邪神の半神は次々と器となる人間を渡り歩いていたらしい。
嫉妬や欲望に塗れた人間の方が力を発揮できるようで、そういう人物を見つけては、そちらに魂を乗り移していたのだ。
ガルシアは元々の性格も悪かったが、没落への恨みと憎悪で、それが悪化していた。
それが邪神の半神を呼び寄せたのだろう。
しかし邪神の半神も、アルトの進化した塵払いの前ではただの塵に等しかった。
「グアアア……我が野望がぁぁ……! また我は復活するぞ……」
「何度でもこい。ご存知の通り、僕は塵掃除が得意なんだ」
光の中で、邪悪な敵は跡形もなく消え去った。
◇ ◆ ◇
それから三年後。
王国は見違えるほど平和で豊かな国になっていた。
クリエタ王の賢明な統治と、騎士団長アルト・ヴァレントの守護により、内憂外患は完全に解決された。
エレナは宮廷薬草師として国民の治療に当たり、その慈悲深い人柄で国中から愛されていた。
「アルト、あなたは本当に立派になったわ」
ある日、エレナが息子に言った。
「母上のおかげです。母上が僕を信じ続けてくれたから」
アルトは微笑んだ。
そこに弱々しかった青年の面影はすでになく、父親のように力強い男になっていた。
「いいえ。あなたは最初から勝者だったのよ。私はずっとあなたを誇りに思っていたわ」
王宮のバルコニーから見える王都は、平和な日常に包まれていた。
市場では商人たちが元気よく商品を売り、子供たちが無邪気に遊んでいる。
「クリエタ様」
アルトは隣に立つ王に声をかけた。
「この平和を守り続けましょう」
「ああ、君となら何でもできる。君のお父さんが守ろうとした国を、今度は君が守ってくれている」
アルトは日々、魔物や賊の処理のほか、公共の場の掃除なども行っている。
形は違えど、父と同じ道を歩む。
「陛下。本当の塵についてたまに考えます。それは人を見下し、可能性を信じない心こそが塵なのかもしれません」
「なるほどね。君の能力は、それを払うためにあるのかもしれないね」
「はい」
アルトは尊敬の眼差しをエレナに向ける。
母の愛が育んだ小さな力は、ついに世界を変える力となった。
そして、かつて『塵払い』と馬鹿にされた少年は、今や王国最強の騎士として、すべての民から愛され尊敬される存在となっていた。