第四話
東京都神崎市神崎駅近くには大きな敷地を持つ神社がある。必勝祈願、商売繁盛、家内安全など様々な方面で有名でそれらのご利益にあずかろうと日本、海外から観光客が足を運び、太陽が出ているうちはいつも賑やかな声で溢れかえっているが、その陰、駅から徒歩二十分のところにあり、ひっそりと佇む閑散とした神社があった。
びっしりと苔がこびりついている鳥居をくぐり抜けると二匹の対となる猫の像が迎え、少し進んだ先にある本殿の中の広い空間には二匹のネコが佇んでいる。
一匹は黒より黒い黒猫。一匹は白より白い白猫。
今は誰も知らない遠い昔からその生き物を縛り付けていた掟に綻びが生じ、一足先に黒猫がそれに気付いたところから一つの章は始まった。
第一章 眼鏡る僕とネコ
今日も帰宅部レギュラーメンバーの肩書に恥じぬよう誰よりも早く教室から出ようとしたが、それを阻止する勢力に後ろから肩をガシッと掴まれた。
振りかえると、そこには僕と同じように眼鏡をかけた、そして僕と同じくらいに小柄な男子がいた。
「田村 泉君、だよね」
「う、うん」
「部長からお願いされたんだ、今日の部活に参加するように呼び掛けてくれないかって。
今日も忙しかったりする?」
そういえば、僕は帰宅部ではなく一応囲碁将棋部に入っていたのだった。
「いや別に」。少し目を伏せながら首を横に振ると向こうから安心したような雰囲気を感じた。
「場所は分かるよね、*礼法室。音楽室の上。 16:00からだからよろしく」
僕が頷くと、彼はなにやらラケットの形をした黒い袋を手に教室を出ていった。いや、お前は行かないんかい。
去っていく彼の姿を目で追っかけているとまた別の人に声を掛けられる。
「田村君って、囲碁将棋部に入ってたんだ」
「ああ、前田さんと綾乃さん。そういえば言ってなかったっけ」
「いや、聞いたことない。恵は聞いたことある?」
「なーい」
「隠し事はよくないよ、田村君」
「別に隠してた訳じゃないよ…」
「ていうか、囲碁将棋部なんて部活あったんだ」と横を向きながらぼそっと綾乃さんが言ったのを僕は聞き逃さなかった。
「一応、囲碁将棋部、全国大会出てます。凄い部活なんです」
「え、でもさっきの話聞く限り幽霊してるだろう田村君がそんな自慢気に言う事じゃ無くね」
綾乃さん、思った以上にキレキレすぎる。
囲碁将棋部を選んだのは、打っている間は顔を合わせないからだ。…まあ後から、帰宅部ならそもそも同じ空間に居なくてもよいことに気が付いてしまったので、すぐに行かなくなってしまったが。
無事に部活が終わり、帰り際に部長から次からもなるべく来てほしいと言われた後に、一階にある*小さいテラスに設置されてある自動販売機で*抹茶ラテをおごってもらった。これをされてしまえば、誰にも断れないだろう。
因みにこの時から僕は抹茶ラテのすばらしさに気づき頻繁に買うようになるが、そのうち校内でこいつが人気となり見知らぬ多くの生徒と争いあうことになるとはこの時はまだ知らない。
校門を出て右に曲がる。こっちには都電が通る駅があり、どうしてそちらへ向かうのかと言うとそこにはドクターペッパーを四本も売っている素晴らしい自動販売機があるからだ。…僕はドクターペッパーが大好きで、なにか良かったことがある日にはいつも買って飲んでいる。勿論今日あった良かったことは言うまでもない。僕と抹茶ラテが出会えたことだ。立て続けにジュースを二本飲むことになるが、まあ今日一日くらいは良いだろう。
視界の左奥に、低い階段と鉄格子で囲まれた小さい駅が見えた。その奥の踏切がカンカンと音を立てながら赤いライトをカチカチと点滅させる。電車が来る合図だ。クラスメイトに鉢合わせたら嫌だし電車が通って駅から人がいなくなったら行こうと思い、歩幅を小さくした。
まもなく電車はきた。そして電車に人が数人出入りし出発。僕は人がいなくなるのを確認してから階段を登ったが確認したにも関わらず、実際にはうちの制服を着た女子生徒が自動販売機横にしゃがみ込んでいた。うまい具合に隠れて見えなかったのだ。
すすり泣く声を聞きながら、僕はお金を入れて自動販売機のボタンに指を伸ばし、迷った結果同じ価格のグリーンダカラを一本買った。流石にドクターペッパーを買う気にはならなかった。
うずくまっている女子に、勇気を振り絞って声を掛けようとしたが、まさにその時女子は顔を上げ、僕は驚愕した。
泣いていたのは前田さんだった。
そして、僕はその最悪のタイミングで顔をそらした。
意識してしまったのだ。彼女は何か言葉を欲している。
すぐに酷いことをしたと反省し顔を戻すと、いつの間にか前田さんはグリーンダカラを飲んでいた。右手がいつの間にか軽くなっていることに気づいたのはすぐだった。ゴキュゴキュとCMで聞くような音を出しながら、ぷはーと飲み干してしまった。
「えぇ…」
「ありがと~、気が利くねえ」
…。なんだか僕が見ている世界と前田さんが見ている世界が違っている気がして、僕は現場を再確認してみた。
立ち上がった前田さんの左手には、歪な千切れ方をした見慣れた菓子袋。
足元には、こぼれた涙が形成した跡と、そして10と数枚ほどのポテトチップスがばらまかれていた。
現場の証拠から前田さんが泣いていた理由は、不慮の事故によりポテチを1/3ほど地面に落としてしまったからだということが推定され、僕は肩を大きく落とすことになった。そんなくだらないことで泣いていたのか。
「ああ、私のポテトチップス…」
またもや泣き始めそうな雰囲気を出し始めた前田さんに対し僕は思った。
三日くらい前に最近お菓子は禁止してるって言ってなかったっけ。
話を聞くと、ポケットティッシュを買うため、久しぶりにコンビニに立ち寄ったら視界にポテトチップスが入ってきて、初めはどうにか誘惑に勝ったらしいのだが子供が次々にそれをレジへと持っていく様子を見てしまい、どうにも我慢できずに買ってしまったのだそう。
駅で隠れるようにして食べるくらいなら家でゆっくりと食べればいいのに。
と思わず言うと、彼女の口から思いがけない初耳な情報が出てきて、僕は眉をひそめることになった。
*礼法室 後々、学校内の生徒数が多くなってしまったがために2024に普通の教室になっている。
*小さいテラス 上記前半理由により、2024年にトイレになっている。
*抹茶ラテ 2022年に売られ始めた素晴らしいドリンクが元ネタ。
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