5.カイル・ミラン(その2)
カイルの屋敷に着くなり、私達は走った。
対応に出た執事の後ろから、金切り声が聞こえる。
「カイル!
聞こえているの!?
出て来なさい!!」
私達は執事の横をすり抜け、声の方向へ走った。
階段をひたすら登る。
3階の突き当たりの部屋の前で、藍色の髪の女性が扉を叩いていた。
カイルの母親、ミラン侯爵夫人だ。
あの部屋がカイルの部屋だろう。
部屋の扉は夫人が占拠している。
となると、窓かベランダから入るしかない。
大丈夫、怖くない!
私は震える足を叱りつけながら、庭の木を伝って、カイルの部屋を目指した。
ラルフの手に掴まりながら、必死で前方の枝に手を伸ばした。
前世で子供の頃、兄にこれよりもっと高い木に、無理矢理登らされた事もある。
10年以上昔の話だけどね!!
足がガクガクになりながら、何とかカイルの部屋のベランダに辿り着き、先にベランダに降りていた兄に、抱き降ろされた。
私はガラスの扉をノックした。
「カイル!私よ!
アキ!!助けに来たよ!!」
すぐにカーテンが開き、カイルが現れた。
生きてる!!
でも、泣いてる?
「アキ!どうしよう!
猫が‼」
猫?
見ると、毛布に包まれた子猫が。
「昨日、母に見つかって、鞭で打たれたんだ。
止めようとしたけど、間に合わなかった…」
犬だけじゃなくて、猫もいたのか!
駆け寄って見ると、子猫は傷を負って、震えていた。
鳴き声も弱々しい。
このままでは、死んでしまう!
とにかく、私達の屋敷に連れて行かなければ。
でも、扉の向こうには、カイルの母親がいる。
鞭攻撃を潜り抜けなければ、逃げられない。
私達は話し合って、役割を決めた。
まず、兄が突破口を開き、続いて猫を抱いたカイル、最後に私とラルフが夫人の足を止める。
一番危ない役なので、自分がやる、と兄が言ったが、私とラルフは大丈夫、と答えた。
私達には、勝算がある。
バンッと、突然開いた扉に、夫人が驚いてひっくり返った。
兄が飛び出し、カイルと猫を庇いながら、走り出した。
私とラルフは、廊下に飾ってあった、高そうな皿や花瓶を手当たり次第に割って回った。
正気に戻ったらしき夫人が、悲鳴を上げた。
「キャアァー‼
わたくしのお皿が!花瓶がぁああっ‼」
やっぱり、夫人の趣味だったか。
自分の気に入った物以外、飾らせる性格じゃなさそうだもんな。
叫ぶ夫人を後目に、私達は走り出した。
屋敷に帰り、執事に猫を見せると、この世界では珍しい、獣医を呼んでくれた。
獣医は、専門は馬などの家畜なので、はっきりとは言えないが、と前置きして言った。
「恐らく大丈夫だろう。
猫は素早い。
とっさに身をかわして、直撃を避けたんだろう。
傷はさほど深くない」
見ると、子猫は先程より震えていない。
声も心なしか、力強い気がする。
私達は手を取り合って喜んだ。
その後、ラルフは「明日また来る」と言って、帰宅した。
夜、帰って来た父に事情を話すと、カイルと猫の滞在を、快く許してくれた。
カイルが私の彼氏じゃないか、と疑っているようだったので、「私の理想は、お父様ですわ」と言ったら、半端なく喜んだ。
本当に、チョロい。
その夜、私とカイルと兄は、大きな暖炉のある部屋で、猫や犬と一緒に毛布に包まって眠った。
翌朝、父は朝食の席で私達に言った。
「今日は学校に行かなくていい。
家で、大人しくしていなさい」
私達は父が出掛けるのを見送ると、部屋に引き上げた。
ラルフは宣言通り、朝からうちの屋敷にやって来て、優雅にお茶を飲んでいる。
「学校は?」と聞くと、
「自主休校。親にも許可は取ってるよー」
と、にっこり笑った。
このにっこりに勝てる人間はいるのだろうか?
随分元気になって、ミルクを飲んでいる子猫を見ながら、カイルが言った。
「僕は母に抗議しようと思う。
猫を鞭で打つなんて、いくら何でも酷すぎる。
…許せないよ」
心優しい彼は、自分じゃなく、弱い生き物を傷付けられた事を怒っているのだろう。
でも。
あの母親が抗議を受け入れるとは、思えない。
私達はカイルを止めようとしたが、彼の意思は固かった。
私達も同席する、という条件を付けて、私達はカイルの屋敷に向かった。