4.カイル・ミラン(その1)
「良いお天気ですわね~」
「そうだね~。
風も気持ちいいし」
縁側の老夫婦のような会話をしているのは、私とクラスメイトのカイル・ミラン。
攻略対象。
藍色の髪と瞳という、ファンタジーな外見を持つ彼は、動物や植物を愛する、心優しい少年である。
私達は毎日、学校の花壇の花に水をやっている。
用務員さんはちゃんといるのだが、この花壇だけはお願いして、私達にやらせて貰っているのだ。
カイルの母親は盲信的教育ママで、勉強以外の事をカイルに一切させない。
動植物に触れる事はもちろん、人間の友達すら、作る事を禁止している。
勉強の邪魔になるから、と。
一度、情操教育という言葉を知っていますか?と訊いてみたい。
唯一、母親の監視の目のない学校でだけ、カイルは好きな事が出来るのだ。
この世界では、女性の高等教育は推奨されていない。
どうせ、すぐに嫁に行くし、というのが本音だろう。
ほとんどの女子は勉強そっちのけで、恋やファッションの話ばかりしている。
だが、私はこの世界の事を、もっとよく知りたかった。
色々な本を読んだり、先生に質問したり、と忙しくしている内に、気付いたら、女子から距離を置かれるようになっていた。
そんな私の憩いの場所が、この花壇。
表からは見えない造りになっていて、まず人は来ない。
ここで本を読むのが、私の日課になっていた。
ある日、私はカイルが一人で本を読んでいるのを見つけた。
おお、ボッチ友達‼と勝手に親近感を覚えたのは、言うまでもない。
成績順位が常に一位の彼は、何処か近寄り難い雰囲気で、いつも一人で行動していた。
私は彼に話しかけてみる事にした。
最初、話しかけられた事に驚いていた彼は、慣れて来ると、びっくりする程、可愛い笑顔で、笑い掛けてくれるようになった。
私は「誰にも内緒ですわよ」と、この花壇の事をカイルに教え、それからは、ここで一緒に時間を過ごすようになった。
カイルは絶対に、学校を休まない。
熱があっても、具合が悪くても。
それは、この花壇があるからだろう。
植物には癒しの効果がある。
カイルの疲れた心と体を、少しでも癒してくれると良いが。
僅か7歳で、カイルは疲れ切っていた。
カイルの母親はヒステリー持ちで、ちょっとでも気に入らない事があると、カイルの背中を鞭で打つ。
カイルは隠しているが、彼の背中はいつも傷だらけだ。
包帯から染み出して来る血を隠す為、彼は夏でも、ベストを脱がない。
あからさまに虐待だが、私がカイルの母親に注意した所で、聞くとも思えないし、むしろ、カイルの傷が増えるだけだろう。
何もしてあげられない事が、悔しい。
カイルはふと、悪戯を思い付いたように笑った。
「放課後、うちに寄って行かないかい?
今日は母が留守なんだ。
良いものを見せてあげる」
カイルの屋敷に招かれた私は、お茶もそこそこに、外に連れ出された。
広い庭園の隅っこに、壊れかけた小屋があった。
カイルが指笛を吹くと、中から白い子犬が出て来た。
フラグだ!!
カイルが病む原因は、母親に可愛がっていた犬を殺される事。
彼は母親を憎むようになり、遂に母親を殺し、その罪をヒロインになすりつける。
バッドエンドは、ヒロインは絞首刑、家族は没落。
病んだ後、カイルは一切笑わなくなる。
この笑顔をなくさせてはいけない!
私はカイルに、必死でお願いした。
この犬を譲って欲しい、絶対に大切にするから、と。
「いいよ、大切にしてね」
カイルは少し寂しそうに笑った。
夕方、屋敷に帰って来た父に犬を飼いたい、と頼むと、一発OKだった。
「ありがとう、お父様!」
私が父に抱き着いて感謝すると、父は甘えん坊だね、と言いながら、めちゃくちゃ嬉しそうだった。
鼻の下伸びてるよ、お父様。
いつも通り、兄の部屋に忍び込んだ。
今日は犬を抱いて。
兄はまたか、という顔をしている。
私は温めたミルクを飲んでいる犬を見て、言った。
「こんな可愛い犬を殺そうとするなんて、カイルの母親は自然の情愛ってものが無いのかな?」
「あったら、息子を鞭で滅多打ちにしないだろう。
…それより、ヤバいぞ」
兄は酷く真剣な顔をしていた。
「動物殺しは殺人の前兆だ」
…殺人!?
カイルが、殺される!?
真っ青になって、慌て出した私に、兄が落ち着け、と言った。
「様子を見ろ。
カイルの変化を見逃すな」
翌朝、私はいつも通り、花壇でカイルを待っていた。
だが、来ない。
予鈴が鳴り、教室に戻った。
授業が始まっても、来ない。
あの、絶対に学校を休まない、カイルが?
有り得ない‼
私は思いっ切り、派手に倒れて見せた。
慌ててかけて来た担任の先生の腕を、ガッと掴む。
「突然、頭痛と腹痛と吐き気がっ‼
歯まで痛いですわ!
お願いです、先生‼
兄を呼んで下さいまし!
一人では、とても帰れません‼」
兄と、心配してついて来てくれたラルフと一緒に、馬車でカイルの屋敷へと急いだ。
兄が窓から顔を出し、馬車の御者に叫んだ。
「もっと急いでくれ!
馬の尻が腫れるくらい、打て!!」
ハル兄、動物虐待!と言う余裕も無かった。
私の頭の中では、カイルが母親に殺されるシーンが繰り返されていた。
無礼でも何でも、夜中にカイルの屋敷を急襲すれば良かった。
カイルが死んだら、私のせいだ。
私が何もしなかったから。
ボロボロ落ちる涙が、ドレスのスカートに染み込んでいくのを、ただずっと見ているしかない私の肩を、ラルフは黙って抱いていてくれた。