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衝撃

 スマホで確認するとまだお昼前だった。

 痛み止めの薬が効いたのかあれからぐっすり寝ていたようで頭がぼーっとする。

 ベッドの中で横になりながらもぞもぞと身体を動かそうとして、股間からのじっとりとした不快感が僕を襲った。

 相変わらず腰回りや下半身の痛みやだるさは続いている。吐き気すらするというのにさらにこの不快感。

 最悪だ。

 でもこのまま横になっているわけにはいかない。経血がナプキンから漏れてしまって下着はおろかシーツまで汚す可能性もあるらしいので定期的にナプキンは交換しなければいけない。生まれてからずっと女の子である女性たちですらそういったアクシデントはあるんだから、女の子初心者な僕はもっと気をつけなきゃいけない。

 僕は大きく息を吐きながら身体を起こしてベッドに腰掛けて足を下ろすと立ち上がる。

 この家には二階にもトイレはある。部屋を出た僕は痛みを訴えるお腹をさすりながらゆっくりとした足取りでトイレに入った。

 パジャマを下ろし下着を下ろす。

 下着に付けられたナプキンは今朝見せられたように大きく赤黒く膨らんでいた。


「……」


 朝見ていてよかった。すでに見た光景だからそこまでショックはない。

 汚れが手に付かないよう慎重に外して折り畳み、トイレットペーパーでぐるぐる巻いて汚れが漏れないようにしてトイレの後ろにあるゴミ箱に入れる。

 そしてトイレの操作盤にある『ビデ』を押す。

 ナプキンの捨て方やビデの使い方も依織さんに色々教えてもらったことだ。

 ビデボタンの存在は知っていたけど使用するのは初めて、でも不快感の源であるここを洗ってくれるのはとてもありがたい。

 僕は念のため長い時間洗浄を行う。そして止めると同時に素早くトイレットペーパーで水分を拭き取った。長い時間洗ったためか、特に赤く染まっていることはなかった。

 次にトイレの壁に設置されている小さな棚を開けると、そこにはトイレットペーパーがいくつかと生理用品が置かれていた。

 二階のトイレは基本女性専用らしい。女性が多い四枝家ならではなのだろう。

 そこから一昨日四枝さんから教えられた四枝さん専用らしい生理用品の袋から新しいナプキンを取り出して取り付け用と下着を見て異変に気付き思わず声が出る。


「えぇ……」


 下着に赤い染みが出来ていた。思わず顔をしかめてしまう。やってしまった……。

 汚れたままでいいのだろうか。でも新しい下着にするタイミングが分からない。大きくため息をつくと僕はそのまま新しいナプキンを取り付けると下着を上げる。下着を二つ汚すよりは一つ犠牲になってもらうほうがいいだろう。

 そしておそるおそるパジャマにまで付いてないかしっかりと確かめる。

 ……どうやらパジャマまでは染みていなかったようだ。とりあえずひと安心だけどこのままパジャマを上げるのは躊躇われる。パジャマまで汚してしまうかもしれないのは堪える。

 とりあえず僕はパジャマの下だけ脱ぐ。家の中だし他に誰もいない。そのまま流してパンツ一丁でトイレを出た。

 確か生理用品入れのポーチに分厚い下着があったはずだ。

 それを履いて依織さんが帰ってくるまで凌ごう。

 僕は部屋に戻るとポーチから分厚い下着を履いて、パジャマを履き直す。

 そして薬を飲むため何か食べようと階下に行った。






 薬を飲んでベッドに横になる。

 家の中は静かだ。外からも特にこれといった音は聞こえてこない。

 何かをしようにも身体が倦怠感を訴えてきて集中出来ない。

 今の僕にはただ、目を閉じてこの痛みをやり過ごすことしか思いつけない。

 目を閉じて長い時間が過ぎた気もする。

 やがて薬が効いたのか僕はまた夢の世界へ旅立った。






 僕は時間を確認しようとしてスマホを手元に手繰り寄せた。時間が経っていたらまた交換しなきゃいけない。

 すると通知が一件、入っていた。四枝さんからだ。

 スマホの時計で改めて時間を確認する。放課後になってまだそれほど時間は経っていない。

 ……何の用だろう?

 僕はSNSを開く。

 そこには。


『みりあに告白された、倉崎くんはどうしたい?』


 と書かれていた。

 最初僕の頭は文面を理解出来なかった。

 上浜さんに告白された。誰が? 僕が? ……違う、僕の姿をした四枝さんがだ。

 少し冷静になる。

 どうしたい? 僕に何か出来ることはあるの? 四枝さんと上浜さんならお似合いなんじゃないだろうか。違う、僕の姿をした四枝さんなんだから、他の人から見たら僕と上浜さんが付き合うように見えてしまうのか。

 回らない頭でようやく文面を受け入れる。

 だけど。

 ここには肝心の『四枝さんがどうしたい』がない。僕の意見だけで決まるの?

 上浜さんはとても魅力的な女の子で付き合えるなら付き合いたい。でも上浜さんが今僕に見せる表情はどちらも『四枝さん』に向けられている。

 気の置けない親友同士の距離の近さ。

 四枝さんが僕の体で魅せる男らしさ。

 僕は何一つ上浜さんと仲良くなれるようなことはしていない。それどころかずっと助けられてばかりだ。

 四枝さんは元に戻ったら上浜さんと僕の問題になるから聞いてきたんだろう。

 ……。

 僕はベッドの上でスマホを持った手を横に放り投げて首を振る。

 元に戻れるかどうかなんて分からないのに。ずっと一生このままかもしれないのに。

 それに。

 僕の体で男として魅力溢れる四枝さん。

 ずくんと胸の奥が痛む。これは生理のせいじゃない。


『好きにしたら』


 どす黒い感情が溢れてそんな文字を打ってしまう。が送信する前に文字を消す。

 少なくとも四枝さんは僕にどうしたいか聞いてきた。四枝さんだって混乱している。四枝さんだって相談相手は僕以外いないのだ。

 今卑屈になっているのは僕のほうだけだ。

 大きく深呼吸してどす黒い感情を振り払おうと努力する。そして改めて、上浜さんのことを考える。

 上浜さんが彼女に? 彼女が出来るのは純粋に嬉しい。僕が出来たらいいなあとは漠然と思っていたけど、そうなるなんて実際のところ信じていなかったから。

 でも僕は上浜さんのことをよく知らない。

 この状況を上浜さんの一目惚れとしたら? でも一目惚れした相手は『僕』じゃない。『僕の姿をした四枝さん』だ。

 ……。

 それに僕にはバスのあの子がいる。あの子とも会話らしい会話はしていないけど、僕が今本当に気になるといえばこっちの彼女だ。

 だから僕はゆっくりと文字を打つ。


『僕には上浜さんを彼女にする資格はないよ』


 そうメッセージを送った。

 上浜さんを彼女にするのに資格が必要とするのなら、その資格は四枝さんが持っていると思ってる。

 メッセージは既読にならない。

 僕は四枝さんからメッセージが送られた時間を確認して今更驚く。お昼休み?? 今はもう放課後だ。

 学校ではスマホの持ち込みは出来ても電源を入れることは許可されていない。


 おかしい。


 四枝さんはどうして許可されていないスマホの電源を入れてお昼休みにわざわざ僕にメッセージを送ったのか。

 学校から帰ってからでも相談出来るはず。

 すでに上浜さんから告白されて返事を待ってもらっている? いやそれなら放課後でいい。それに告白だってタイミングがある。授業で慌ただしい最中で告白は考えにくい。


「あ」


 そこである可能性を思いつく。

 呼び出し?

 上浜さんから呼び出された? だからそれまでに僕の考えを聞いておきたかった?

 念のため僕は電話をかけてみることにする。だけど四枝さんは電源を切っているためつながらない。電源を切っているってことはまだ学校だ。

 やっと四枝さんがメッセージを送ってきた理由を全て理解する。四枝さんにとっても急な出来事だったんだ。

 今四枝さんはどうしているんだろう。どんな気持ちなんだろう。同性の親友と異性の彼女として付き合うのか、親友の想いを、告白を断るのか。

 どちらにしても辛い決断だと思う。

 それから僕は数回電話をかけてみたけどつながることはなかった。






 ようやく電話がつながったのは帰ってきた依織さんが僕の話を聞こうとベッドに腰掛けたときだった。依織さんは黙ったまま僕たちの会話を促す。


「もしもし」


 ようやくつながって聞こえてくる四枝さんの声には元気がない。


「四枝さん、大丈夫? 何度も電話したのに全然出ないから……」


「みりあとデート中だったらどうするのさ」


 は?


「えっ!? 告白受け入れたの!?」


 僕は気が動転して素っ頓狂な声を上げてしまう。その声に依織さんがびくりと身体を震わせるのが肩越しに伝わってくる。


「んーん、してないよ。断ったよ。みりあ泣かしてきた」


 やれやれ、といったさっぱりとした声だった。

 上浜さんの恋を四枝さんが終わらせてしまったのか……。四枝さんなりの決断だったのだろう。それがどれほど辛いことか僕には想像するしか出来ないけどもし僕が当事者の立場なら泣きたくなりそうだ。


「大変だったね……。上浜さんには悪いことしたね」


 僕にはこれくらいしか言うことが出来ない。


「……倉崎くんのせいじゃないから。アタシが調子乗って人の目気にせず男子してたからね。アタシが惚れさせちゃったんだ」


 それは確かに。そう思わず口に出かけて僕は口をつぐむ。

 ズキ、と心が痛む。僕の体で僕より男らしく振るまえる四枝さん。……羨ましいよ。


「そう、だね。……四枝さんはとても格好良い男の子だと思うよ」


 僕はそう言って四枝さんを褒め自虐する。隣で依織さんが複雑そうな表情を浮かべる。


「倉崎くんも可愛い女子してるよ」


 四枝さんから僕にとってトゲのある言葉が返ってくる。でももしかしたら四枝さんも今の僕に何かしらの羨望があるのかもしれない。依織さんが隣でため息をつく。


「……アタシたちこのままの方がいいのかもね」


 大人しい男子と活発な女子。入れ替わった今は活発な男子に大人しい女子。僕はともかく四枝さんにはとてもよく似合う。


「それは……。でも僕より男の子であることは確かだね」


 はあ……と依織さんが大きなため息をつくと横から僕を抱きしめる。とても優しい抱擁だけど今は心が苦しい。当の依織さんからにすら僕は可愛い可愛いと言われているのだから。

 電話では気まずい沈黙が続く。


「あ……」


 そんな沈黙を打ち破ったのは四枝さんだった。


「話変わ……らないかもしれないんだけど、倉崎くんは通学バスで気になる女子いる?」


 どうして知ってるの……って僕の姿で登校していれば彼女には会う。四枝さんは彼女のことは知らないはずだからおそらくバスの中での向こうのアクションで知ったのだろう。でもなんで今聞くの?

 隣の依織さんも興味津々な顔だ。


「それは答えなきゃダメ?」


「ダメ」


 話は変わらない、と四枝さんは言った。なら答えるしかないんだろう。


「今日の四枝さんは意地悪だね。……いるよ」


「私立の子?」


 上浜さんとの関係がギクシャクしそうだから今度は僕の方の人間関係にも何かする? それとももうすでに


「何かしたの?」


 つい声が荒れてしまう。別に彼女は世間一般でいう友達ですらないかもしれない。でも僕にとっては繊細な関係だ。

 でも返ってきた返事に僕は呆けてしまう。


「してないよ。倉崎くんも失礼だね。―――彼女からラブレター貰ったよ」


「え?」


「おめでとう」


「もしもし?」


「……」


「もしもーし」


「そっかぁ……そっか……」


 今までの彼女にはそんな素振りはなかった。ただのこちらの片思いだった。なのに今週入れ替わってから急にラブレターを貰うだなんて、それは、まるで。嫌な感情を思考を止められない。


「まだ開けてないからちゃんと確認しないとダメだからね。外から見たら完全にラブレターってだけだから」


「それもさ」


 僕は胸から湧き上がるどす黒い感情そのままを声に出してしまう。出してしまった。止められなかった。


「四枝さんが貰ったものだよ。おめでとう」


「は?」


 四枝さんの声色が変わる。僕の声が怒気をはらんだものになる。本能的に身がすくむ。


「アンタねぇ! アタシは何もしてないよ! ずーーっとアンタにラブレター渡したくて渡せなかったのを今日!受け取っただけだよバカ!!」


 すごい剣幕で四枝さんが怒鳴り散らす。僕は怖くなって思わずスマホを胸に抱えてしまう。


「バカはアンタだよ圭織」


 そんな僕の胸からスマホを取って電話を代わったのは依織さんだった。


「黙って横で聞いてれば。八つ当たりしないの」


「みりあちゃんをフったショックとストレスを倉崎くんにぶつけてただけじゃん。それにつられた倉崎くんも悪いけど、まずはアンタが謝りなさい」


「ごめんなさい」


 四枝さんはすぐに謝ってくる。カラっとしているのが四枝さんのいいところだ。


「ごめんなさい」


 僕も謝罪する。僕はどうだろう。もう割り切れているだろうか。……そんなことは全然ない。

 今の僕には自分に対する自信が全くない。


「はい、終わり。みりあちゃんの話は倉崎くんが学校に行けるようになってからかな。ラブレターは倉崎くんが受け取って自分で見てみたらいいわね」


 それでも。第三者がいて良かった。依織さんがいて良かった。

 その後僕と四枝さんは色々情報交換した。


 僕たち二人だけならこのまま関係はギクシャクしていただろう。依織さんが間に入ってくれたおかげで少しだけ、冷静になれた。


「倉崎くん、みりあのケアよろしくね」


「頑張ってみる」


 四枝さんのお願いに僕は力無く答える。

 四枝さんが言うには上浜さんは倉崎(四枝さん)と四枝さん(僕)の仲を疑っていたらしい。

 僕たる四枝圭織は今日休んでいて上浜さんが告白したことを知らない。

 この状況で僕はどう上浜さんに接すればいいのかまるで分からない。

 それに。


「倉崎くん、身体はどう?」


 この身体では上浜さんをケアするどころか逆にお世話されることになりかねない。


「なんとか」


 色々戸惑ったけど、ほとんど寝ているだけだったけど一人でナプキンの交換も出来たし今日一日耐えられた。それだけだ。周囲に悟られずに学校行ったり授業受けたり普段通りにすることなんて出来そうにもない。


「ごめん、アタシ余裕なかった。……告白を断るのってこんなに辛いんだね」


 四枝さんには珍しい力無い言葉に僕たちは答える。


「みりあちゃんだからでしょ」

「上浜さんだからだよ」


「親友だからね、確かにそうかも」


 四枝さんはそう言って納得したようだった。

 そうして電話は切れた。


「何やら大変だったみたいね。途中から割り込んじゃってごめんね」


 そう言って依織さんが頭を下げて謝ってくる。それに僕は首を横に振る。依織さんは過剰なスキンシップやお世話をするわりによく謝ってくる印象がある。依織さんも僕との距離を取りかねてるところがあるのかもしれない。


「いえ、とても助かりました。頭もよく回ってなくてあやうく四枝さん……圭織さんとケンカになるところでした。ありがとうございます。……あ、そうだ」


 僕は昼間やってしまった下着を汚してしまったヘマを思い出す。


「昼間あれを交換したら下着が汚れていて……。ごめんなさい」


「よくあることだから気にしない。その下着はどこ? まだ付けてるの? よし脱いじゃおう」


 謝罪を軽く流されて僕はあっという間にベッドに寝かされてパジャマも分厚い下着も剥ぎ取られ、下着姿の股を大きく広げられる。ちょ、ちょっと!?


「なるほど。サニタリーショーツ履いたのは賢いね。パジャマ汚すのを防いだわけだ」


「え、ええ」


「ナプキンも交換してあげる。汚れた下着はハサミで細切れにして処分かな」


「はあ」


 今朝の再現。

 僕は依織さんにおまたのお世話をされるがままに話を聞く。


「女性ものの下着をそのまま捨てるとね、変質者がゴミ袋漁って盗んだりするのさ。キッツいよね」


「それは大変ですね……」


「他人事だなー。この今まで自分が履いてたこの汚れた下着。誰かが臭い嗅いだりするって想像してごらん。本当気持ち悪いから」


 そう言って僕が脱いだばかりの汚れのついた下着を僕に見せつけるようにする。


「うげ」


 今でも身につける前の下着には照れや抵抗があるけど、それはあくまでも異性の下着を身につける抵抗感からだ。身につけてしまえばそれはただの下着になる。自分が履いた下着をどうにかしたいとは全然思わない。

 それを誰かにされたら。身の毛もよだつ。おぞましい。気色悪い。


「嫌ですね……でもそう感じてしまうのも自分が女に近付いたみたいでそれも何か納得出来ないです……」


 逆をすれば男らしいわけでは絶対ないけど、同調してしまうのは女性に近付いてしまう気がする。


「まあこうただの布にしてしまって。分からないようにバラバラにして。変質者に悟らせないことが防衛手段になるんだよ」


「変質者の気持ちは分かりませんが、女の子のブラが見えてたりするとドキドキします。ごめんなさい」


「男の子だからそれは仕方がないよ。ただそれが高じて変な方向に行かなきゃいいんじゃない? 今のうちに圭織の身体で色々経験しておけば?」


「それはそれで違う変な道に進みそうなんですが……」


「で」


 僕のお世話を終えた依織さんが話を切り替える。その顔には笑みが浮かび目が好奇心に輝いている。うっ、嫌な予感がする。


「みりあちゃんは圭織が落としたにしてもさ、そんな数日で落ちるもんかね? それにさ、何バスの子って?? お姉ちゃんとっても聞きたいな!」


 予想通りの話だった。


「まずさ、私倉崎くんの男の子姿知らないわけ。ちょっと圭織に写真送ってもらってもいい?」


「それは、はい」


 ここまでお世話になっている依織さんのお願いは断れないし、もしかしたら本当の僕の姿を見て幻滅するかもしれない。……それはそれで悲しいかも。


「ぶっ」


 四枝さんから送られてきたものを見て依織さんが吹き出す。えっ? 笑われるほどではないはず。


「はー、あんなことがあったってのに圭織ったら本当に……」


 そう言いながら依織さんが見せてくれたスマホには僕のパンツ一丁の姿があった。


「ちょっと!?」


 僕は慌てて依織さんからスマホを取ろうとするけどこの体調では難しい。依織さんはまあまあと僕を宥めながら


「体はともかく、顔はそんなに悪くないと思うよ、ほら」


 改めて依織さんがスマホを見せてくる。写真は顔をアップにされている。

 見慣れた顔。僕の顔だ。ただ髪は手入れされていて与える印象が僕の時とは異なる。


「うん、可愛いというより凛々しいね。この顔で圭織のように暴れるか、倉崎くんみたいに大人しいかで他人に与える印象は違うでしょうね」


「みりあちゃんはワイルドさに、バスの子?は知的さに惹かれたんだろうね。でバスの子って?」


 僕は依織さんの質問に答える形で依織さんの疑問に答えていった。上浜さんのことで相談出来ず苦しんだ四枝さんのこともある。僕ももしかしたらあの子とのことで誰かに相談したいことがあるかもしれない。そんな気持ちで僕は話していた。

 依織さんの感想は


「甘酸っぱいわねえぇぇ」


 だった。


「そんな交換日記みたいなこと、今の時代でもあるのね。初々しくて可愛い」


 そして僕は依織さんに横から抱きしめられる。こんなはずではなかった。


「僕はあの写真の男ですよ。可愛いはやめてください」


「でも今は妹とはいえ仕草や物腰が可愛いし? やっぱり反応がいちいち可愛いのよね」


 こうして僕は依織さんに可愛がられるのだった。

 この可愛がりは一緒にお風呂に入って寝るまで続いた。

 もちろんお風呂の中では上浜さんのことについて追求されたけど、僕はやっぱり持論である『あれは四枝さんが男らしかったから』をまげなかった。






「おはよう倉崎くん。今日はどう?」


「全然ダメです」


 今日は金曜日。入れ替わったのが火曜日だから四日目。

 今朝も痛みは続いている。それどころか昨日より体調がひどい気がする。

 外は朝だというのに薄暗く強い雨が窓を打っている。久しぶりの雨だ。この鬱陶しさも気分をより落ち込ませる。


「そっか。まあ生理は二日目が本番だから」


「え!?」


 驚く僕をよそに


「じゃあ交換してあげる」


「いえ。もう自分で出来ます!」


 自然な動きで僕を脱がそうとする依織さんの動きを制止する。僕だって女の子初心者だけど子どもじゃない。一人で出来るし誰かに裸を見られるのは本当の自分の身体でなくても恥ずかしい。


「今日も倉崎くん一人だし、無理は良くないよ。手伝ってもらえるときは手伝ってもらお?」


「大丈夫です」


 僕はそう言ってベッドから起き出し立ち上がる。そしてゆっくりとした足取りでトイレへ行き、ナプキンを交換する。

 そうして部屋に戻ってくると依織さんはまだ部屋にいた。心配性すぎる。


「ほら出来ました」


「うーん。プライドがあるのかもしれないけど、そういうのは見せるべきときに見せないとね」


「だとしたら今だと思いました」


「そっか。じゃあ今日も頑張ってね」


 そう言って依織さんは一つ頷くと僕に笑いかけてから部屋を出て行った。






 今日の午前中もほとんど寝て過ごしていた。

 生理は大体一ヶ月周期らしいけど、先月の四枝さんを思い出してみても違和感を覚えた記憶がない。それほど四枝さんを気にしてはいなかったとはいえ、隣の席だから何かあれば気付いていると思う。

 この体調の悪さをおして普段通りに振るまえる四枝さんや女子たちに改めて尊敬の念を覚える。

 慣れ、なのかな。

 慣れたとしても月に数日不調の波が襲ってきたらパフォーマンスを十分に発揮出来ない。

 ああ。

 四枝さんが男子に憧れるのも分かる気がした。

 男子は何もない。

 男子の第二次性徴なんて骨格ががっしりして声が低くなってひげが生えたり毛深くなったりするだけだ。あとは性欲がサルになる。

 女子のように生理が始まったり胸が膨らんだりするわけではない。

 第二次性徴が始まった女子にもいいところがあるんだろうけど、僕は男子として異性の身体に対する好奇心を持っていたから楽しめただけで、女子本来の楽しみではない。ファッション? 恋愛? 女子四日目の僕にはどれもピンと来ない。

 このまま元に戻らなかったら……。男子として女子の身体への好奇心も満たされ切って、その先にある女子本来のファッションや恋愛に興味を持てるのだろうか。……男を好きになるのだろうか。


 食べ物を受け付けない胃に少しの食べ物を流し込み、薬を飲む。

 そして部屋に戻り横になる。


 ……。

 …………。


 階下のざわめきに目が覚める。

 スマホを手に取り時間を確認するとまだ放課後にもなっていない。

 聞こえてくる声はここ数日で聴き慣れたお母さんの声だ。

 どうやら早く帰ってきたらしい。


「ただいま!」


 依織さんの声が響く。声に焦りが混じっているような気がする。どうしたんだろう。

 薬で眠い目を擦りながら身体を起こしたのと階段を勢いよく駆け上がってきた依織さんが部屋に入ってきたのはほぼ同時だった。


「圭織! おばあちゃんが大変なの!」


 依織さんの切羽詰まった声で僕は眠気が吹っ飛ぶ。

 四枝さんのおばあさんは最近体調が芳しくなくて入院していた。だからお母さんはほぼ毎日おばあさんの病院へ行っていた。


「何があったんですか?」


 僕は努めて冷静に声を出す。

 そんな僕の姿に依織さんは目を瞬かせてやがて冷静さを取り戻す。そして弾かれたようにドアを閉め鍵をかけ小声で僕に語りかけた。


「倉崎くん、うちの祖母が危篤なの。私たちは病院へ行くわ。圭織は学校で拾う」


「はい」


 僕は立ち上がるとのろのろとパジャマを脱ぐ。依織さんが手渡してきたのは制服だ。


「親戚も集まるから」


 僕は頷いて制服を着始める。その間に依織さんは自分の部屋に戻って着替えを済ませて戻ってくる。


「お母さんはお父さんを迎えにもう病院に行ったわ。圭織を乗せるために私は私の車で貴方と行くわ」


 階段を下りながら依織さんがそう伝えてくる。

 玄関を出ると外は強い雨が降っていてカーポートに着くまでのわずかな時間でけっこう濡れてしまう。

 僕はあれで体調が悪いので後部座席で寝かせてもらう。今は体力を温存しないと。


「行くわよ」


 依織さんはそう言って僕の返事を待たず車を発進させた。






 四枝さんの家から学校までは徒歩で通学出来る距離だ。数分のドライブで学校に近づいたが。


「ああもうここ車で入れないじゃない。ちょっと別の道に行くわよ」


 そう言って依織さんは片側通行、侵入禁止の道を曲がれず違う道を模索する。

 依織さんの言動に余裕が見られない。

 僕だって後部座席で横になっているザマだ。

 それでも依織さんには落ち着いてもらわないと。


「そこ右に曲がってください。ここなら校門まで行けて車も止められる場所に出ます」


 依織さんの車にもナビは付いている。けれど近所で知っている場所ということで目的地に設定し忘れていたようだ。

 僕は脳内マップを頼りに依織さんをナビゲートする。


「ああ、ここなら校舎からも見えるわ。ありがと倉崎くん……悠介くん」


「っ、電話してみますね。電話お借りします」


 依織さんの名前呼びにドキマギしながら僕は四枝さんに電話を入れる。

 電話を借りたのはこの時間に依織さんから電話があれば四枝さんは異変を感じてくれるはず、という依織さんの見立てだ。

 電話はつながったが出てくれなかった。


「電話は出ませんでしたが通じたので着信履歴は残ったはずです」


 そう言って僕は身じろぎして後部座席にあったにゃんこクッションをお腹にあて横になったまま大きく息をつく。

 車内に会話がなくなり沈黙が降りる。


 がそんな時間は長くは続かなかった。

 勢いよく助手席のドアが開いたかと思うとびしょ濡れの男子学生が一人、乗り込んでくる。

 言うまでもない、僕の姿をした四枝さんだ。

 四枝さんがシートベルトをするやいなや、車が発進する。

 そんな中僕は数少ない準備品のタオルをびしょ濡れの四枝さんに手渡す。


「おばあちゃん危篤だって」


 依織さんがため息と共にそう呟く。四枝さんが息を飲む気配がする。やがて、


「アタシこの格好で会えるのかな?」


 やがてそう呟いた。

 この格好。

 そうだ、今四枝さんは僕、倉崎悠介の姿になっている。四枝圭織の姿ではない。


「二人で会いに行きなさい、倉崎くんは圭織の彼氏ってことで」


「「えっ」」


 二人して驚いてしまう。だけど


「みんなが納得いく説明なんて私思いつかなった! 圭織を迎えに行くだけでもやっとだったの!!」


 依織さんがハンドルを握りながら大声を出す。依織さんもいっぱいいっぱいだ。


 僕と四枝さんが恋人。

 四枝さんは危篤状態のおばあさんに会いたい。

 だけど倉崎悠介の姿では、おばあさんと無関係な人間の姿ではそんな緊張した病室に入れるわけがない。

 だから僕たちは恋人と嘘をつく。

 一瞬バスの子の悲しそうな顔が頭をよぎる。

 だけどこの状況でこれ以上良い案は今は思いつかない。


「倉崎くんごめん」


 と四枝さんが謝ってくる。四枝さんが謝ることじゃない。


「こんなときだから……でも、あ、僕は大丈夫」


 このカップルは今だけだ。昨日の今日で四枝さんも僕も人間関係の変化には少し過敏になっている。


 それきり車内の会話は途絶えてしまった。


「ちっ」


  時折響くのは依織さんの舌打ち。普段の依織さんはどちらかというとやんわりとした雰囲気なので、やはり気が焦っているんだろう。

 四枝さんはずっと黙って俯いている。

 僕は痛むお腹を押さえながら黙っていた。

 四枝さんの家の火急事。そんな場に場違いな僕が居なければいけないのは気が重い。







「あなた達は先に行って。307号室よ」


 病院の受付で依織さんは受付表を記入しながら僕たちに先を促す。

 頷いた四枝さんはふらつく僕の手を取ってエレベーターに向かう。


「倉崎くん、アタシの代わりにおばあちゃんの手を取って励ましてあげてね」


「うん……」


 四枝さんの表情が痛々しい。

 今の四枝さんの姿では弱っているおばあさんにすがりつくことも出来ない。


 三階に着くと僕と四枝さんは連れ添って病院独特の匂いが充満するリノリウムの廊下を歩く。

 307号室にはすぐに着いた。


「失礼します」


 そう言って四枝さんが一足先に病室に足を進めた。やはり四枝さんも気がはやっているらしい。

 遅れて僕もそのあとに続く。

 広いとはいえない病室に居合わせた大人たちがいっせいに僕たちを目をやる。


「部屋をお間違いではないですか」


 疲れたお父さんが僕の姿をした四枝さんに告げる。一緒にいた僕より先に四枝さんは先に入ったのだ、普段なら何らかの推測もするんだろうけど今はそうもいかないらしい。


「あ、アタシの彼氏、おばあちゃんに会ってほしくて」


 僕は意を決してそう言い放ち、僕の姿をした四枝さんを紹介する。周囲の人たちの目が驚愕に見開かれる。


「圭織!?」


 お母さんが驚くが僕は黙って首をふるふると横に振る。


「アタシの手を引いてここまで連れてきてくれたの、だから何も言わないで」


 僕が生理の真っ只中なのはお母さんも承知だ。そんな僕をエスコートしてきたのだから。だから。


「おばあちゃん!」


 そこに依織さんが入ってきておばあさんを呼ぶ。


「おばあちゃんの様態は?」


「今は昏睡状態よ。でもだんだんと血圧が弱くなってて……」


 僕の問いにお母さんが泣きながらおばあさんの現状を伝える。


「あなた達もおばあちゃんを応援してあげてくれないかしら?」


 今の今までおばあさんの手を握っていた女性が気を利かせてくれたのか、僕と四枝さんの場所を空けてくれる。

 僕たちはベッドに近付き寄り添うと、横になっているおばあさんの力無く放り出された手を二人でそっと拾い上げて握る。


 血色の感じられない肌。

 やせ細った腕。

 細い指。

 こんなに……冷たいのか。僕の祖父母たちはどちらもまだ健康そのもので、こんな、弱々しい腕は、人は、見たことがない。


「おばあちゃん!」


 四枝さんが両手を使って僕の手ごと包み込みながらおばあさんに呼びかける。


「頑張って!頑張って!!」


 四枝さんが強く強く声をかける。


「おばあちゃん、アタシだよ……圭織だよ……」


 何故か溢れる涙を拭うこともなく、僕はそう言っておばあさんに語りかける。



 そのとき。


 今まで弱々しく瞑られていたおばあさんのまぶたが勢いよく開いたかと思うと


「なんじゃこりゃあ」


 そう叫んで病室の人たちに負けないくらい目をまん丸にした。

 一瞬遅れて病室の中は大パニックに陥った。







「母さん、一生のお願いと言われても」


「頼むよ、あの子たちと三人だけにしてくれ」


 目を覚ましたおばあさんは今までの昏睡状態がまるでなかったかのようにはきはきとお父さんと話していた。

 周囲にいた方々(親戚の方達らしい)は、おばあさんが目を覚まし今夜が峠ではないことをお医者さんから説明されると宿を探すためいったん解散となった。


「一刻を争うことがあるとしたらそれはあたしじゃないんだよ」


 お医者さんが言うにはまだ危ない状態から完全に抜け出してはいないらしい。

 だけれどもおばあさんは僕と四枝さんに大事な話があるようで、僕は病室の椅子にぐったりと座って、四枝さんは背筋をピンと伸ばして立ってお父さんとおばあさんの話が終わるのを待っていた。


「わかった、わかったよ母さん。したいことはちゃんとしてくれ」


「ありがとうなぁ」


 最後までおばあさんと話していたお父さんも出て行き、ついさっきまで大勢の人がいた病室に三人きりとなった。


「おばあちゃん目を覚ましてくれて良かったよ」


 三人きりになって僕は椅子をベッドに近付けて心から微笑む。


 が


「あんたらおかしなことになっとるな」


 とおばあさんが孫娘である四枝さんの姿をした僕ではなく、僕の姿をした四枝さんを見据えて言った。


「圭織の魂がそっちの彼氏に入っちょるな」


 そしてずばり今の僕たちの状態を言い当てた。そうか、身体と魂が入れ替わっているのか。


「どうしてわかったの??」


 四枝さんは僕を演じるのをやめておばあさんに尋ねる。


「あたしは昔からそういうのは強いんだよ。小さい頃は巫女をやっとったしの」


 そう言っておばあさんは話し始めた。






 おばあさんの話をまとめるとこうだった。


 四枝さんのおばあさんの家系は元々不思議な力を授かる一族で、山奥に神社もあるらしい。

 ただ不思議な力もどんどん衰えていって、おばあさんは感じる程度、お父さんは何も分からないそうだ。

 お父さんが小さい頃に家族ぐるみで山奥から出て来て、お父さんはそう言った話は何も聞いていないらしい。






「あまりにも長い間肉体と魂が離れているとな、その結びつきが薄れてな、元に戻れなくなるんや」


「あたしが目を覚ますことが出来たのは圭織、あんたの力が流れてきよったんや、二人の体からな」


「だから気付けたんよ」


 話を聞き終わるやいなや、僕は気もそぞろにおばあさんに質問をした。


「それでおばあさん」


「どうやったら僕たちは元に戻れますか?」


 僕たちは元に戻れる可能性がある。おばあさんは知っているかもしれない。いや、知っている。

 おばあさんは言っていた。

 一刻を争うことがあるとしたら、と。

 それはまさにこのことだ。元に戻る方法を僕たちに伝えるために人払いをしたんだ。

 おばあさんは眼光鋭く僕の目を見据え真面目な声で言葉少なに告げた。


「まぐわうしかなかろうて」


 まぐわう。

 男女でまぐわうとは。

 せっくすすることだ。


 ぼくが、


 おんなのからだで、


 ぼくのちんちんをこのからだにいれる?


「……」


 言われたことの内容のあまりの衝撃に、生理による体調不調をなんとか気力だけで持ち堪えていた僕の体からすっと力が抜け、そのまま椅子から転げ落ちた。

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