バレました
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話の前後にご注意下さい。
依織さんが部屋を出て行き、見送る振る手を止めると気が抜けて僕はその場にへたり込んでしまった。
「まずは相談しないと……」
僕はのろのろと近くにあったスマホに手を伸ばすと四枝さんに依織さんとの言動について連絡を送る。
返信はすぐに返ってきた。
『使いたがった覚えはないなぁ。ただお姉ちゃんがお肌のお手入れしてて大変そうだなって見てたことはあるね』
『罠とかないでしょー。倉崎くんが普段のアタシより大人しいから気をつかってくれてるんじゃないかな?』
依織さんの言うことは否定。ただ依織さんが気を利かせてくれた可能性もある、と。
中学生で肌のお手入れ、はするんだろうか? 少なくとも僕は毎日の洗顔以外意識して手入れしたことはない。それとも女の子はお手入れするものなのだろうか?
『四枝さん、女子中学生ってもうお肌のお手入れしてるもの?』
思い切って聞いてみる。
『人によるなー。アタシは洗顔くらいだし。ニキビ出来たらケアするくらい。みりあも特に何もしてないんじゃないかな。他の子とはそういう話しないから分かんない』
『もしアタシじゃないかも?って疑われてるなって思ったら、行動は適当にしてくれたらいいと思う。適当なのがアタシらしいし、バレたらその時はその時で』
いやいや。
バレたらその時はその時、だなんて冗談じゃない。
自分の娘に違う人間が乗り移っている?だなんて四枝さんのご家族は心配するだろうし、そんな皆さんを見るのは僕もいたたまれない。でもだからといって入れ替わった原因も分からないのだからどうすることもできない。
どうすることもできないことを考えて不安になるくらいなら、四枝さんみたいなポジティブな考えで気にしないほうが確かに精神衛生上良いのだろう。そう言われてすぐ実行出来るならどんなに楽なことか。
『ありがとう。バレないように頑張ってみるね』
それでもバレないことに越したことはない。
『おやすみなさい四枝さん、また明日』
『おやすみなさい、倉崎くん。また明日ね』
こうしてスマホでのやり取りを終え、僕は立ち上がりベッドまで歩いていくとベッドの上に勢いよく背中から寝転ぶ。マットのスプリングが大きく僕を揺らしてそれに合わせて胸も揺れる。
明日の準備はすでに出来ている。
机の上には教科書やノートが入った白いスクールバッグと、プール用の水着と着替え、念のための運動服も入れた紺色のドラムバッグが置いてある。
寝ようとして目を瞑る。
視覚が遮断されてまぶたの裏には今日一日の出来事が思い出される。
昨日寝る時は男だった。だからまだ一日すら経っていない。
一日未満でこれまでの常識がひっくり返るほどの体験をしてしまった。
ブラジャーや下着、ブレザーやスカートを見たり触ったりするのも初めてなら、それを自分で着るのも初めて。
女の子の身体に触ったのも初めてだし、女子トイレに入ったり女の子と抱き合ったりも初めて。
女の子の身体で用を足すだなんて、男の体だと体験することのない、まさに未知の世界だ。
自分の性癖が歪んでいないことを祈りたい。このまま女の子生活が続いて身も心も女の子になって、男相手にときめいてしまったら……そう考えると吐き気がする。
「どうせなら女の子同士で……」
上浜さんと抱き合ったことを思い出す。上浜さんの柔らかい身体を四枝さんの柔らかい身体で受け止める。
今まで百合に対してよく分かっていなかったけど、自分が体験するならそれもありかな、そう思ってしまった。
と、
『百合の間に挟まる男は許されない』
百合好きの長谷川くんの言葉が脳裏をよぎる。あの時の長谷川くんは真剣だった。
中身男の女の子も許されないんだろうか。まあ許されないんだろう。だって上浜さんはともかく僕自身が自分を男だと思っているわけだし。
「あ」
そこまで考えて僕は今日が火曜日なのに気付く。今夜遅く、いつも見ているアニメの最新話がネットで配信される。
だけど、
「明日でいいや……」
今日は心身共に疲れた。それに最速で見たところで語る相手がいない。
僕はそのまま深い眠りについたのだった。
「……気持ち悪い」
翌朝の目覚めは最悪だった。
昨夜は早く寝ていつも通りの時間に起きたから睡眠時間に問題はないはずだ。なのになんだかめまいもするし吐き気もする。
僕はのろのろとベッドから立ち上がると部屋を出て階段を降りた。
「おはよう圭織。今日は早いのね」
「おはようお母さん。ちょっと気分悪くて。薬があれば欲しいな」
キッチンではお母さんがすでに朝食の準備を初めているところだった。
「あら風邪?」
お母さんは洗い物をやめて手を拭くとそのまま僕の額に手をやる。水にさらされていたお母さんの手は冷たくて気持ちがいい。
「熱はないわね。……ああ。圭織も大変ね」
何やら納得したように頷くと薬箱から薬を出して手渡してくれる。手渡された箱には『生理前の辛さに』と大きく表示されている。
この気分の悪さも生理関連なのか……生理も辛いらしいのに、生理前も辛いの? ええ……。
げんなりしてしまう。
改めて女の子の大変さを知る。だというのに普段女の子が辛そうにしてたりするのを見ることはない。わざわざ見よう知ろうとしないのもそうだけど、女の子同士隠してるんだろうなって思った。
隠していたとしてもこれだけ女の子は辛い思いを普段からしている。女の子ってすごい。これからは女の子には優しくしようと心に誓った。
「学校行けそう?」
「うん」
お母さんの問いに即答する。
今まで四枝さんが学校を休んでいるのを見たことはない。生理は辛いよ重いよと僕を脅かしつつ、ちゃんと通学してる。
ちゃんと頑張ってる四枝さんに対して僕がまだ生理も来てない前段階で休むのは気が引ける。
薬の外箱の用法欄には『食後』と書いてあった。
僕はふらつく足で部屋に戻ると朝食の時間まで、着替えの時間までベッドで横になった。
数十分後、僕はベッドから起き出して着替え始めた。
女体に対してまだまだドキドキはしているものの、まずはこの気分の悪さをおして着替えるのが先。
パジャマを脱いで制服に着替えていく。昨日上浜さんにトイレの中で指摘された箇所も姿見の前で直していく。
机にブラシが立てかけてあったのでそれを使って髪を梳いてみるが寝癖がすごい。そういえば昨日はお風呂上がりにお姉さんに驚かされてちゃんと髪を拭いていなかったのを思い出す。
やはり昨日はバタバタしていて普段自分でも出来ていたことが出来ていなかったようだ。思わずため息をついてしまう。
それでもしゃっきりしなきゃいけない。頑張れ僕!
心の中で喝を入れ、姿見の前で笑顔で大威張りのポーズをする。うん普段の四枝さんらしい。寝癖があるのもチャームポイントだ。
そして僕は二日目を始めた。
朝食を食べ薬を飲み、洗面台で顔を洗ったり寝癖を整えたりしていると依織さんが後ろにやって来た。
「後ろにもあるよ寝癖。昨日髪乾かさなかったの?」
「お姉ちゃんのせいでしょ」
なぜだかカチンときて言い返してしまう。鏡の向こうの依織さんは肩をすくめると
「はいはい、私が悪かったわね。圭織様、私めに朝のお手入れをさせて下さいませ」
「ありがとう」
勧められた椅子に腰掛けると、依織さんは鼻歌混じりに僕の髪の手入れを始めた。
昨日上浜さんにされたのもそうだけど、誰かに髪を丁寧に触ってもらうのは気持ちがいい。男だとこういう機会は散髪の時くらいだ。
ゆったりと寛いでいると
「顔もやったげる」
そう言って僕に洗顔を促した。
顔はもう洗ったけど、昨日の化粧品を使ってくれるのだろうか。使い方の実演してもらえるのは助かる。
「ありがとう」
「ちょいまて」
顔を洗ってごしごしと拭くと依織さんから待ったがかかった。顔洗って拭いただけだよ?
「顔を拭くときはごしごし拭かないの。こうやって押さえて水分を取るだけでいいの」
依織さんは僕の手からタオルと奪い取るとポンポンと顔を優しく押さえる。
「あとはこれから覚えなさいね」
そう言って依織さんが僕の顔に慣れたてつきで化粧水を塗り乳液をつけていく。その一つ一つの動作に説明があり、僕は心の中で頷きながら聞いていた。
言われていることはどれも理由があって納得がいく。
ニキビの処置以外は無頓着だったからとても助かる。
「はい終わり。次から一人で出来そう?」
「うん。ありがとうお姉ちゃん」
僕は心からの笑顔を浮かべて感謝を述べる。依織さんはうんうんと頷くと洗面所を出て行った。
鏡を見てみる。
そこには普段通りとても可愛い女の子がいた。でも言われて見れば肌の艶がいつもの四枝さんとは違う、ように見える。女の子は地道な努力をしてるんだなあ。
「いってきます!」
僕はそう言って家を出た。
相変わらず胸は弾むしスカートは揺れる。
背が低くてスタイルが良すぎる四枝さんの姿はどうやっても目立つ。
今日も男たちの無遠慮な視線が僕の全身を舐めるように見ていく。
ああ気持ち悪い。うざい。
自分だって昨日四枝さんの肢体に欲情していたクセに、他人のそれには耐えられない。
ワガママだって分かっているけどイライラする。
せっかく薬を飲んだのに気分は良くなるどころか悪くなる一方だ。
早く上浜さんに会おう。
上浜さんと一緒にいればこの気持ちも紛れるだろう。
それだけを考えてただ歩みを進めた。
「圭織おはー」
昨日のことなどなかったかのように、上浜さんは明るく僕を迎えてくれた。
「みりあおはー」
僕もそんな上浜さんに挨拶を返す。
二人並んで歩く通学路。
中学に上がってからはバス通学で基本的に一人で登校してたので、朝から同級生と一緒に学校に行くのは新鮮だ。
「ほんと雨降らないねえ」
上浜さんが歩きながら空を見上げる。
空は雲一つない青空。天気予報では梅雨なのに今週も雨の予定はないらしい。
「まあ雨降ると蒸し蒸ししちゃうから降らないほうがいいんだけどさ」
「確かにねえ」
「びしょ濡れだと白のブラウス透けちゃって下着見えちゃうからサイアクだよー」
「あー……そうだねえ、やだねえ」
道ゆく通行人に気持ち悪いとか、僕に言う資格はない。僕だって女子の夏服から透けるブラジャーに女を感じてドキドキしているのだから。四枝さんの身体を見て云々はそのままブーメランで僕に返ってくる。
それでもやはり自分が見られる立場になると話は別だ、不満だって言いたくなる。僕ってずるい。
「圭織もそろそろだね」
「何が?」
「生理」
「あー……」
「プール楽しみなのは分かるけど体調悪かったらちゃんと休むんだよ?」
「はいはい」
「圭織はすーぐ無茶をするんだから心配だよお姉さんとしては」
「誰がお姉さん?」
「私。圭織より早生まれだからねー」
「はいはいお姉さん心配してくれてありがとう」
「棒すぎる!!」
適当な会話をしながらも僕は胸の中でドキドキしていた。
他人の生理周期? 把握してるんだ……と。
確かにいつも一緒にいる友だちなら把握されても仕方ないのか。それでも今の僕にはとても恥ずかしい。
四枝さんも上浜さんの生理周期把握しているんだろう。いや、女子の生理事情なんて生々しい話、遠慮したい。でもこのまま入れ替わり生活が続いていけば、僕は四枝さんや上浜さんの生理周期をいやでも覚えてしまうのだろう。
げんなりしながら僕は学校まであたりさわりのない会話をして歩いていった。
「……」
「……おはよー」
教室の出入り口。
男子グループの会話が止まる。
僕は男子グループがいることを承知でクラスのみんなに挨拶する。
そんな僕の挨拶に教室から挨拶がぱらぱらと返ってくる。
男子グループは何も言わない。なので僕と上浜さんはその間を通って自分の席に着く。
「倉崎くんおはよう!」
「倉崎くんおはよう」
「……上浜さん四枝さんおはよう」
どうやら四枝さんの様子がおかしい。何かに耐えているような?
「四枝さん?」
不気味な笑顔をたたえた四枝さんの笑みに僕の身体は思わずびくりと震える。
「学校で本読むのは楽しいよ。四枝さんも読んでみる?」
そう言って四枝さんは机の中からライトノベルを取り出し僕に手渡してきた。
「ん?」
タイトルは見覚えがある。
ああ、長谷川くんか長瀬くんから最新刊の貸し出しかな?
そう思ってパラパラとページをめくるとーー
「ッ!!?」
カラーページの挿絵にはいつものメンバーが温泉に入っているサービスシーン、つまり全裸だらけの女の子たちがこれでもかとばかりに描かれていた。
ご丁寧に今までは見えなかった乳首もこのタイミングで解禁されている。
うわあ。
これを四枝さんに、女の子に見られてしまった!?
僕は羞恥心に悶えながらもライトノベルを閉じてカバンにしまい込んだ。あとであの二人には文句言わないと!
「え?なになに?どうしたの?」
何も知らない上浜さんが僕たちの顔をキョロキョロと眺める。
「何でもないよ」
僕はそう言って上浜さんの頭をぽんぽんと叩く。
「こらー!」とか可愛い声をあげている上浜さんを適当にあしらう。
これを上浜さんに教えるわけにはいかない。……というか、どうして今僕はライトノベルをカバンにしまい込んだ!? 僕は今四枝さんだよ!?
そっと彼らに目を向けると案の定彼らは僕以上に慌てふためいていた。
それはそうだろう、倉崎が女の子にライトノベルを見せて、しかも肌色だらけの中身を見てカバンにしまい込んで女の子が自分たちの方を見ている。
彼らも事情が分からなくて混乱してしまうだろう。
あとで隙を見て四枝さんに返そう。
そうこうしてるうちにホームルームを告げる鐘の音が響き渡った。
四限の水泳の時間が近づくにつれて僕の心はどんどん重くなっていく。
つられて気分もどんどん悪くなっている気がする。
やっぱり僕の気持ちは変わらない。
四枝さんの身体はもう好きにする。だってこれはお互い『約束』したことだからだ。
でも僕たちの入れ替わりを知らない女子たちにとって、女子が普段男に見せ得ない姿を僕に見られるのは許せないだろう。卑怯すぎる。
例えタオルで隠していて全裸は見えないにしても、じゃあそこに男子がいたとしたら彼女たちは到底納得出来ないだろう。
やっぱりプールは無理だ。
「圭織?顔色悪いけど大丈夫?」
プールバッグを肩にかけた上浜さんが僕に心配そうに声をかけてくる。
「ええと……」
ちらりと四枝さんを盗み見る。と。四枝さんはしょうがないなあという顔で小さくため息をつくと上浜さんに告げた。
「上浜さん。四枝さん気分が悪そうだから保健室連れていこうと思うんだけど、いいかな?」
四枝さんから助け舟が出た。
自分で言えなかったのはダメだけどもういい仕方ない。
「え?あ、んーと」
考え込む上浜さん。どうしたんだろう。
「四枝さん大丈夫?」
上浜さんが考え込んでいる間にも四枝さんから声がかかる。上浜さんが何を考えているか分からないけど、この流れに乗っておくのが得策だろう。
「うん…。倉崎くん助けてもらっていいかな? みりあごめん。アタシ保健室行ってくる」
僕は上浜さんに謝る。
「圭織がそれで良いなら……。倉崎くんごめん、圭織よろしくね? 先生にはちゃんと言っておくから」
上浜さんは僕を心配げに見つつも教室を出て行く。
「立てる?」
四枝さんはそう言って手を差し出してくれる。僕はその手を握って立ち上がる。
僕の手が大きいのか四枝さんの手が小さいのか。
触れて初めてそのことに気付く。
よく考えたら入れ替わって自分の体を触るのは初めてだ。
力強く僕を立たせてくれる自分の姿を見て不思議な感覚になった。
「ありがとう…」
「おっぱい女今日も生理か?」
「やめとけ」
「さすがにあんな青い顔してる四枝を煽ってもつまらないぞ」
「騎士様もいるしな」
「……」
四枝さんに先導されて教室を出て行こうとすると、まだ教室に留まっていた男子グループがからかってきた。
男子は着替えるの早いからね。
だけど四枝さんは何も言わず、僕も黙って手を引かれるまま教室を出た。
ざわめく廊下で僕はぼそぼそと四枝さんに心情を吐露する。
「四枝さんごめんね。色々考えてたら怖くなっちゃった」
「いいよいいよ。倉崎くんが良くも悪くもマトモな人っていうのは分かったから」
四枝さんはそう言って振り返り笑ってくれる。
マトモ、かなあ。四枝さんの身体にドキドキしっぱなしなんだけどな。でもその笑顔で僕はほっとしたのだった。
「山下先生いますか?」
四枝さんが保健室の扉をノックして中に入る。
中はエアコンが効いていて少し肌寒い。
「あら……四枝さん、どうしたの?」
保険の先生が椅子を回転させてこちらを向く。
「彼女辛そうだったので連れてきました」
「あらありがとう。助かるわ。あとは私が診るからあなたは教室に戻りなさい」
「はい」
僕がベッドに腰掛けると四枝さんは先生に頭を下げて保健室を出て行く。
「倉崎くんありがとうね……」
「で、生理?」
先生は男子姿の四枝さんがいなくなると僕に向き直ってストレートに聞いてきた。
「せ、生理はまだなんですけどっ、気分が悪くて……」
生理、という単語を口に出すのはまだまだ恥ずかしい。
「あなたいつも辛そうだものね。とりあえず寝てなさいな。温度はどう? 寒い?」
先生の言葉に僕は保健室のベッドにゆるゆると潜り込みシーツを被る。だけどシーツもすっかり冷やされていてとにかく冷たい。
「寒いです」
「そう。少し上げておくわね。先生ちょっと用事があるから少し留守にするわね」
そして先生は保健室を出て行く。
気が付くと休憩時間も終わったのか廊下のざわめきはすっかり消えて、窓の向こうから時おり声が聞こえてくる。
何だか自分だけ世界に取り残されたような気持ちになる。
僕はただ天井を見つめて気分の悪さと戦っていた。
座っているよりかは寝ているほうが楽だけど、やっぱりどんどん気分が悪くなってくるのは変わらない。
辛い……。
「ただいま。気分はどう?」
しばらくして先生が戻ってきて体調を尋ねてくる。
「良くないです」
僕は素直に自身の体調を伝える。気分どころか本当に体調も悪くなってきた。もうなんなんだろう。
「帰れるうちに帰った方がいいわね。お友達にカバンとか取ってきてもらいなさいな」
「今プールで……」
「あら。じゃあ私と一緒に教室に行きましょう。鍵を持ってくるからちょっと待ってなさい」
早退することになってしまった。でも正直助かる。ここに来た時より気分が悪くなっているし歩けるうちに家に帰らないと帰れなくなってしまう。
僕は保険の先生と一緒に教室に戻って荷物を取ると、そのまま帰宅したのだった。
「ただいま……」
「おかえりなさい。早退したのね」
なんとかかんとか家に帰り着くとお母さんがそう言って出迎えてくれた。
「ちょっと無理だった……」
「顔色悪いわね。お昼食べてないわよね。何か食べる?」
「食欲ない……」
「でも薬飲むためには何か食べないと。じゃあゼリーはどう?」
「ゼリーなら大丈夫かも」
そしてテーブルでゼリーをなんとか流し込む。そして薬を飲んで僕は二階に上がった。
「辛い……」
部屋に戻った僕はなんとか制服を脱ぎ、慣れない締め付けが不愉快なブラジャーも外しパジャマを着込む。
そしてベッドに潜り込んでサッカーボール型のクッションを抱える。
どうして僕は四枝さんと入れ替わってしまったんだろう。
女の子の身体に年相応の興味はあれど、入れ替わりたいなんて思ったことはない。
昨日こそ女の子の身体で色々楽しんでしまったけど、それももうお腹いっぱいだ。今元に戻っても何の悔いもない。
急に女の子になって知らない人たちと家族になって気が抜けない。
依織さんは僕を疑っているかもしれなくて。バレたらどうなるのか想像もつかない。
クッションを抱き抱える手に力が入る。身体に押し付ければ押し付けるほど大きい胸が形を変えて存在を主張してくる。
太ももをこすり合わせればそこには何もなく。
環境も身体も。違うことに耐えるのに疲れてくる。
不意に涙が溢れる。
「うー……」
涙を拭うことなく僕はただクッションを抱きしめる。そして溢れる感情のままに四枝さんに文字を送る。
『居場所がない』
そして僕はただ時間が過ぎるのを待つのだった。
『アタシの部屋じゃダメ?』
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中。
薬の効果か少し眠り、ぼーっとしていると家に帰ってきたらしい四枝さんからメッセージが返ってきた。時計を見ようと顔を上げて、いつも通りのところにないことにまた心が落ち込む。
『ここは僕の部屋じゃないし、家に帰りたい』
僕は今唯一全てを話せる四枝さんに告げる。
家に帰りたい。元に戻りたい。この入れ替わりがなかったことになってほしい。
でも原因が分からないんだから四枝さんに言っても困らせるだけ。そう分かっていても無茶なことを書いてしまう。
『こっちに遊びに来る?』
四枝さんがそう提案する。
こっちというのは僕の家。だけど四枝さんの姿で戻っても意味はない。実の家族に自分を偽って接しなければならない。自分を偽るのももう疲れた。
それに。
『動けない』
薬を飲んでも良くなった気配はない。
バス通学するくらいここから僕の家は遠い。
今の体調で家まで行けないし、体調不良の人間が何しに行くの?って話だ。
『お母さんいない?』
『お婆さんの病院に出掛けてる』
あのあとお母さんはおばあさんの病院に行ってしまった。今この家には僕一人だ。
『おばあちゃんの具合聞いてる?』
四枝さんから心配そうな文章が来る。
だけれど僕から吉報を送ることは出来ない。
『おばさんからあんまり良い話は聞かないね』
そう書き込むと四枝さんからのメッセージが止まる。
不安な、悲しい気持ちのまま文章を打ってしまう。
『僕たちこれからどうなるんだろう』
『どうしたら元に戻れるんだろう』
四枝さんにこんなこと言ったって無意味なのに。彼女を困らせるだけなのに。
だけどしばらくして彼女から返信は来た。
『あのね』
『関係ないかもなんだけど』
『実は』
身体が成長して大好きだったサッカーが出来なくなったこと。
力強い男の子に憧れていたこと。
入れ替わる前日に流れ星に『男の子になりたい』と願いをかけたこと。
そして翌日僕と四枝さんは入れ替わったこと。
こんな内容の文章が一気に流れてきた。
僕は長い文章の中で溢れる四枝さんの想いや願いや後悔を見ながらスマホを放り出してしばらく放心していた。
強引にこじつければ四枝さんが原因かもしれない。
だけど普通流れ星にお祈りしたところでこんな突拍子もないことが起こるわけがない。四枝さんが魔法を使えるにしたって思い通りになっていないし今までだってサッカーが出来る身体になりたいとか何度も願ったに違いない。
でも、現実に僕と四枝さんは入れ替わっている……。二人で流れ星に願いをかければ元に戻れる? それはいつ? いつまで僕たちはこのままなのか……。
「圭織?」
カーテンを閉め切って薄暗い部屋の中、画面が煌々と輝くスマホを僕の枕元から依織さんがひょいと取り上げた。
思考の海に沈んでいたからか体調不良が甚だしいからなのか、僕には依織さんが部屋に入ってきたことに全く気付けなかった。
「ダメ!!」
起き上がってスマホを取り返そうとするが、身体は怠く思うように動いてくれない。依織さんはロックの解除されたスマホを操作しようとして動きが止まる。
「何これ?」
み、見られてしまった……。僕と四枝さんの会話を見られてしまった……。
僕は目の前が真っ暗になる。
「えっと……これはどういう?」
混乱した様子の依織さんが僕に尋ねる。
だけど僕だって頭がぐるぐると回って混乱していて言葉が出ない。
「普段の圭織とは違うなって思ってたから怪しんでたけど、まさか本当に中身が違うだなんて……。精々恋に落ちたとか友達の影響とかだと……」
「昨日も風呂上がりにブラしてたし。あの子寝る前ブラしないのに」
普段の四枝さんと様子が違うから怪しまれていた。それはそうだ。
そういえば昨日の朝入れ替わった時もブラジャーしてなかったかも。
「それ、信じるの?」
僕はそう依織さんに言葉を投げかけると、依織さんは小首を傾げつつ天井を見上げる。
「方法や途中経過は分からないけど結果は信じるしかないんじゃない? ここにそうあの子が書いてるんだし」
そう言って依織さんは僕の目を覗き込みながら尋ねてくる。
「君は倉崎くん?でいいの?」
「……はい」
僕は声に出して認める。隠し事を認めたら少しだけ気持ちが楽になった。
「僕をどうする気ですか」
ただ相変わらず気分は悪いし身体も怠い。何かもうどうでもいい。何かされても僕の身体は四枝圭織さんのものなんだし死ぬことはないだろう。死ぬほど恥ずかしい目には遭うことはあるかもしれないけど。
「どうするっていうか……大変だったね」
そう言って依織さんはベッドに腰掛けると僕の頭を撫でてくれる。
「??」
思ってもみなかった依織さんの行動に僕は訳が分からず混乱してしまう。
そんな僕の様子を見た依織さんは困ったような笑顔を浮かべる。
「君が企んだわけじゃないし、入れ替わったあともとてもいい子だったし。慣れない女の子生活お疲れ様。倉崎くんよく頑張ったね」
そう言って依織さんは僕を抱き起こすとぎゅうと抱きしめてくれた。
僕の頭は急展開についていけずされるがままだ。
「私が疑ったことも君の負担になっていたんだね。ごめんね。私が不思議に思ってたことも解決したし私は貴方たちの味方になるよ」
そう言って依織さんは僕を抱きしめる腕に力を込める。
「感情を吐き出すのはいいことだよ。ふふっ私の胸で泣きな」
「それ男の台詞ですよ……」
そう言って満足げな依織さんの様子に僕は笑いながらも安堵感に包まれて涙が溢れてきた。そんな僕に依織さんが優しく背中をぽんぽんと叩いてくれるのも心をほぐすのに十分だった。
数分ほど(ほんの数分!!)泣いた僕が落ち着くと、依織さんは自分のスマホで僕から聞いた僕の電話番号に、つまり四枝さんに電話をかけた。
「あ、圭織? 元気してる?」
のっけから飛ばしている。
しばらく四枝さんと会話した依織さんは僕にスマホを渡してきた。
「四枝さん……ごめんね」
僕は開口一番、四枝さんに謝る。
「うん……え?」
頭を捻ってそうな四枝さんの声。
「お姉さんに見つかっちゃった」
「ううん、アタシが証拠残したのが失敗だったし、バレても今のところ問題ないでしょ?」
確かに問題はなかったけど結果オーライすぎる。
「隠し事がバレたら怖くない?」
「バレたものはしょうがない。これから気を付けよう。お姉ちゃんは仲間にしよう」
「四枝さんは強いね」
四枝さんは本当タフだ。僕にはまだまだ真似出来ない。
でも秘密を共有出来る人が増えるのは本当に心強い。特に今みたいに心が弱っている今は。
そして僕は大事なことを自分の言葉で伝える。
「流れ星は関係ないと思う。だから入れ替わったのは四枝さんのせいじゃないよ」
誰のせいでもないのだ。願い事が叶ったからってそれを四枝さんのせいにするのは間違っている。
「でも次流れ星見つけたら元に戻れるようお願いしたいな」
これから夜は流れ星を探すのが日課になりそうだ。
スマホを依織さんに返す。
「とりあえずこっちの可愛らしい圭織の世話は私がするから、アンタはあまり倉崎くん?彼の生活を乱さないようにね」
普段の四枝さんと様子が違うのを可愛らしいと言われるのは気恥ずかしい。
「何も。でもアンタ普段から暴れん坊だし。それに今の返答でもう分かった。大人しくしろ」
四枝さんの返答で依織さんは何か察したらしい。さすが姉妹。
「アンタもしっかりね」
そう言って依織さんは四枝さんとの会話を終えた。