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振り回される生活

 と、トイレ行きたい……。


 一限の途中からお腹から警報が伝わり始めた。

 上浜さんに身だしなみを整えてもらったついでに行けばよかったんだろうけど、ホームルームぎりぎりまでかかってしまったのとあの時はまだそこまで尿意を催してなかったのもあった。

 上浜さんはあのあとすぐ隣の個室に入って行ったので僕もその場でさっさと用を足せばよかったんだけど、さっきまで甲斐甲斐しく僕のお世話を焼いてくれた女の子が壁一枚へだてた向こうで……と考えてしまって、とてもじゃないけどその場にはいられなかった。




 そしてしなかった結果がこれだ。

 もう少し尿意は我慢できると思ってたけど、僕の予想よりも遥かに早く限界は訪れている。もしかして女の子はあんまり我慢出来ないんだろうか?


 僕は気を紛らわせようと辺りを見渡す。

 うちの学校は普通の公立なので、特に荒れているわけでもなければ全員が真面目に授業を受けているわけでもない。

 校内ではスマホの電源を切らなければいけないのでスマホを使っている子はいないけど、こっそり本を読んでいたりおしゃべりをしている子もいる。


 そういえば、と四枝さんを見る。

 彼女は背筋をピンと伸ばして姿勢良く授業を……聞いてない。

 うきうきした様子で周囲を見渡したかと思えば自分の体をこそこそパタパタ触ってたり……僕らの席は後ろのほうだからクラスのみんなには分かりにくいけど、とにかく怪しい。

 彼女は僕と視線が合うと何が嬉しいのか、にんまりと僕の顔で笑う。僕の顔でそんな表情は怖いから止めてほしい。


 僕も尿意に気を取られて授業は上の空だったが、ようやく一限が終わる。

 僕は膀胱を刺激しないよう、慌てずゆっくりと少しだけ速足でトイレへと向かう。


「……」


 女子トイレの周囲はすでに女子生徒たちの姿があった。

 入り口前で楽しそうにおしゃべりに興じる姿をかきわけて女子トイレに入ることに心理的な圧を感じるけど、中学生にもなって漏らすわけにはいかない。

 四枝さんの姿ならなおさらだ。

 そう、今の僕は誰から見ても四枝圭織さん。女子トイレに入ることを咎める人は心の中の僕以外誰一人としていない。

 さっきだって上浜さんに手を引かれてだけどもうこの空間に足を踏み入れている。

 僕は意を決して女子トイレに突入した。




 女子トイレに足を踏み入れるとそこでも女子がたむろしていた。

 手洗い場から見えた個室は全部ドアが閉まっていて、どうやら全て誰かが入っているようだった。

 個室の前には女子生徒が数人たむろっておしゃべりに興じているようで、一見して並んでいるようには思えなかった。

 男子禁制の場で話をしに来ているだけなのかな?

 そう思っている間に一つ個室が開いたのでそこに入ろうとすると、おしゃべりをしていた一人から声をかけられた。


「四枝さん、割り込みは良くないよ」


 これ並んでた!?


「ご、ごめんね」


「ほいほい」


 気にしないで、とその子は手をひらひらさせながら空いた個室に入って行った。

 ダメだ。『女子トイレ』(ここ)のルールが分からない。

 今さらここにいる子たちに女子トイレのルールを聞くのは怪しまれるだろうし……。

 僕は何気ない風を装いながら女子トイレをあとにした。




 教室に戻ると、四枝さんは机にうつ伏せになって休んでいるようだった。


「ねえ」


「ん? どしたの?」


 僕の小声の呼びかけに姿勢を変えず声が返ってきた。姿見なくても四枝さんは自分の声って分かるんだね。


「トイレなんかルールある?」


「おしっこはちゃんと拭いて?」


「それは覚えてるよっ。……女子トイレを利用するルールある?」


 今日の朝だけで今まで知らなかった異性の秘密にたくさん触れてしまった。思春期の男にはどれも刺激が強すぎるんだけど四枝さんは分かっているんだろうか。


「特にないけど……あー」


 彼女は納得したように体を起こすとこちらを見ずに小声で教えてくれる。


「手洗いから奥、先にいるグループから入る、かな。それくらい」


「ありがとう」


 ならあのまま待っていれば良かったのか。

 でもいったん横入りしたと思われたままあの場所に居続けるのは、ちょっと気が引けた。

 時計を見ると今からトイレに行って用を足すのには微妙な時間だ。

 あと一限……頑張ろう。


 そうして気付く。

 あれ、じゃあどうして朝はさくっと個室に入れたんだろう……?


「はあ……体をぺたっと机に着けて寝れるのいいねえ。でも胸というクッションがないのも……でも毎回いるわけじゃないし……」


 彼女は彼女で僕の体を堪能しているようだ。

 そうか。

 この身体なら机にうつ伏せになるとき、胸がいい感じのクッションになるのか。

 ああ、この重い胸を机の上に置いておけたら重さも少しは軽減されるんじゃないだろうか。

 そして一限の休みは終わった。




 二限目は尿意との戦いだった。

 別に授業中でも先生に言えばトイレには行ける。

 でも今までそうやってトイレに行った子は数人ほどしかいないし、さすがにそれは『四枝香織』として悪目立ちしてしまう。

 一限目こそ背中をぴんと伸ばしていたけど、すでに意識は膀胱に。明らかに重い胸への意識は背中を曲げて胸を机に乗せるととても楽になったので、僕は太ももを擦り合わせるようにしてとにかく尿意を耐え忍ぶのだった。




 二限終了の鐘がなる。

 僕は先生の言葉が終わるやいなや、今度こそ用を足すべく女子トイレに入った。

 すると僕が入ってきたことに気付いた一人の女子が声をかけてきた。


「四枝さん、顔色悪いよ? 大丈夫?」


「ごめん、ちょっとトイレ我慢しすぎてて」


 心配してくれた子に正直に打ち明けると、「行こう」と手を取られた。

 そのまま数歩、奥に進むと個室前でたむろっていた女子たちが何気なく場所を開ける。


「さっさとすまそ」


「ありがとう」


 そう言われて僕はちょうど空いた個室に入ることが出来た。

 とにもかくにもまずは用を足すこと!

 僕は朝四枝さんに言われた通りに下着を下ろすとスカートをたくし上げて手と脇で押さえつける。

 そのままだと便座や床の思わぬところにスカートが当たって汚れてしまうかもしれない、だからこうして汚れないようにスカートをたくし上げるらしい。


「はあ……」


 ぷしゃあと我慢していたものを勢いよく身体から放出する快感、これは男も女も関係ない気持ちよさだと理解した。

 前からではなく身体の下から、ホースの先ではなく身体から押し出されるように出るのには相変わらず違和感を覚えるけど、それは朝家でも感じたことなのであまり気にしないことにする。


 出し終わってトイレットペーパーを少し切り取り股間の尿が出ていたと思しき柔らかい場所に当てる。

 ここら辺は男性にはない身体の作りなのでドキドキする。

 しばらく当てたあとトイレットペーパーを捨てると、僕は立ち上がりスカートを押さえていた手を離して下着を上げた。

 そして僕はトイレを流して外に出た。


「……」「……」


 個室の前は少し静かになっていたけど、僕はその理由を考えることもなく手を洗って女子トイレをあとにする。


「ちょっと四枝さん!!!」


 と、あとにした女子トイレから僕を呼ぶ大きな声が聞こえて振り返る。


「スカート巻き込んでる!!」


「……あ、あ!!」


 一瞬訳が分からなかったけど言われてみればお尻辺りが涼しい。それに気付いてから行動は速かった。すぐに下着の中からスカートを取り出す。

 個室で下着を上げたときスカートを巻き込んでしまって、結果として下着が丸見えになっていたのだ。

 下着は見えなくなったけど、慌てて取り出したせいで今度は下着がずれてしまい気になる。

 僕は周囲の奇異の視線から逃れるべく、後ずさりながら女子トイレに戻り、廊下から見えない位置でこっそりと下着を直したのだった。




「は、恥ずかしい……」


 教室に戻る道すがら。

 ネットなどでスカートを下着に巻き込んでしまってあられもない姿を人目に晒した女性がいるとか聞いてはいたけど、まさか僕自身がそうなってしまうなんて……。

 僕は男だった頃も下着姿を同性にすら見られるのは恥ずかしかった。それなのに女ものの下着を穿いたところを異性に見られるとか顔から火が出るくらい恥ずかしい。あと四枝さんに申し訳ない……。

 でもこういういわゆる男性にとってのラッキースケベはライトノベルには山のようにある。

 逆に考えれば僕はそういったハプニングを知識として知っているからこそ、これからは回避出来るはず。

 これからは落ち着いて行動しよう、そう心に誓った。


 そして心を落ち着かせて教室に戻って椅子に座って考える。

 女子トイレ、使用する順番は決まっているけど、誰かに手を引かれている子が来た場合は優先、なのかな?

 朝すぐに個室に入れた理由と今。

 僕が思い当たる共通点はそれくらいだけど、多分当たっていると思う。

 あまり口にしたくない理由で緊急でトイレを利用したい女子は多いだろう。

 男子トイレは小ならすぐに順番が回ってくるし、個室も授業休みの時間ならほとんど空いている。

 男子トイレの大小の総数と女子トイレの個室の総数だと男子トイレの方が多い。

 取り出して用を足すだけの男子と違って女子は小をするだけでも時間がかかる。

 高速道路やイベントで女子トイレが大混雑なのはこういうことなんだろうな、と身体で理解出来てしまった。


 まだまだ知らないことはたくさんある。朝の短い時間の情報交換だけじゃ足りない。

 いつもならオタク友達と一緒にお昼を食べるところだけど、しばらくは四枝さんと一緒に取ろうと決めた。






「圭織〜ご飯食べよ〜」


 僕が四枝さんに声をかけるより早く、上浜さんが小さな巾着袋を持ってとたとたと近寄ってきた。


「あー……みりあ、倉崎くんと三人でご飯でもいい?」


 僕の突拍子もない提案を聞くと、上浜さんは頭に疑問符を浮かべながら僕の顔をじっと見つめる。

 くりくりと大きな目で見られるとドキドキしてしまう。


「な、何……?」


 そしてうんうんと大きく頷く。


「圭織調子悪そうだもんね。隣にいる倉崎くんと仲良くなるのはいいことかも。いい人そうだし」


 と許可をいただいた。

 ありがとう、上浜さん。そして僕は四枝さんに声をかけた。


「あの、倉崎くんっ! ……一緒にご飯食べない?」


 僕の見慣れた弁当箱を持ってウキウキ開けようとしていた四枝さんは


「いいの?」


 と僕ではなく、上浜さんに問いかける。

 一方、いつも一緒に食べているオタク友達の長谷川くんと長瀬くんは、四枝さん(僕)が倉崎くん(四枝さん)に話しかけてるものだから、少し離れたところで立ち止まってこちらの様子を伺っている。


「私からもお願い!」


 上浜さんが両手を合わせて可愛らしくお願いする。こんなことされたら僕はすぐお願いを聞いちゃうだろう。


「それじゃあ」


 四枝さんもそう言って自分の机をこちらにくっつけてくれた。

 僕は所在なさげに立ち尽くして僕らを見ている彼らに、つい上浜さんのように両手を合わせてぺこりと頭を下げてみた。

 彼らはぶんぶんと首を横に振ってそのまま席に戻って行った。

 ごめん。この埋め合わせは必ずするから。






「今日はどうしたの?」


 四枝さんはお弁当をぱくつきながら僕に質問してきた。


「うえっ」


 自分が四枝圭織として上手く振る舞えていないのは自分でも分かっている。それどころか女の子としてさえ落第点だ。本当に申し訳ない。

 だから本当は四枝さんと二人で色々情報交換したかったけど、そのためにいつも四枝さんと二人で食べている上浜さんを除け者には出来なかった。

 僕はよい返事が思いつかなくて


「……なんとなく?」


 曖昧に誤魔化してしまった。その返事が納得いかなかったのか四枝さんは不満そうで、でも上浜さんはなぜか嬉しそうだった。


「ごめんねー。今日圭織いつにもましてバカみたいでさ」


 僕の代わりに上浜さんが話す。

 返す言葉もない……。


「そうなんだ」


「ば、バカって言うなー」


「ほらおかしい」


 普段の二人のやり取りを真似してみたのにおかしいと言われてしまった。

 四枝さんはそんな僕たちのやり取りをお弁当を美味しそうに食べながら聞いていた。

 いつも食べている母さんのお弁当。女子の視点から見ると今の僕には大きい。そんなお弁当を四枝さんはぱくぱくと食べ進めている。

 僕は手元の、両手でかかえて隠れてしまう彩り豊かなお弁当箱を見つめる。今の僕から見ても小さく可愛らしく見える。

 僕はミニトマトをフォークで取ると口に入れてゆっくりと噛みしめる。

 普段食べているそれよりも味に広がりが感じられる。

 女の子は甘いものが大好きと聞くし、やっぱり男性と女性では味覚も異なるんだろうか。


「席も隣だしさ、出来る範囲でいいから倉崎くん、ちょっと圭織助けてくれないかな?」


 と上浜さんが僕の姿をした四枝さんに頭を下げる。慌てて僕も頭を下げる。


「みり…上浜さんは、女に生まれて良かったって思う?」


 だけど四枝さんはそれには答えずに逆に変な質問をしてきた。


「セクハラぁ〜?」


 四枝さんの質問に頭を上げた上浜さんはそう言って少し意地の悪い表情を見せたかと思うとすぐに首をこてんと傾げて「うーん」と考え込んだ。

 そして


「あんまりそういうの考えたことないなぁ。人はどうして生きているのか?と同じくらい難しいね」


 と答えた。そして


「倉崎くんは? 男に生まれて良かった?」


 と同じ質問を四枝さんに返す。


「もちろん! 男に生まれて良かったよ」


 四枝さんはその質問に胸を張って誇らしげに答える。


 え……?

 確かに僕にとって女の子生活一日目は大変だけど、ずっと女の子だった四枝さんですら女の子は大変だと思ってるの?

 それとも今の男の子生活が楽しすぎるだけなの?

 僕は唖然とした顔で四枝さんを見つめてしまっていた。





 上浜さんからのお願いもあってか、午後からは教科書を借すふりをして四枝さんに色々助けてもらった。

 細かい指摘が多かったけど、それも女の子として、四枝圭織としてバレないようにするため。

 僕は小さく頷きながら覚えていった。

 一方四枝さんは思ったより勉強が出来ないようだった。

 テストがない時期なら問題ないけど、テストで普段そこそこ出来る僕が点数を大幅に落として、代わりに四枝さんが大幅に点数を上げたりしたら目立つことこの上ないだろう。

 ……倉崎悠介の点数はどうしようもないけど、四枝圭織の点数はあまり取りすぎないほうがいいのかもしれない。もしくは一緒に勉強会するのもいいのかもしれない。


 このように僕は出来るだけ目立たないことを考えていたけど、四枝さんはそうではなかったことをこのあと僕は思い知らされることになる。






 ロングホームルームが終わってトイレに行った帰り、すでに大騒動が廊下まで響いていた。教室の入り口にはやじ馬と思われる生徒が大勢集まっていた。

 騒動はうちのクラスで発生しているようだ。僕は慌てて教室へと戻ったが、出入り口の近くにはすでに人が集まっていて、四枝さんの小さな体では大声でなじる罵声は聞こえど姿は見えない。

 だから


「倉崎テメェ!!!」


 という罵声が聞こえてきた時、僕の心臓はキュッと鷲掴みにされたように痛みを覚えた。

 違う、僕じゃない。なら……四枝さん、何を……?


「先生は!?」


「もう呼びに行ってる!!」


 みんなの声が飛び交う中、僕には全く状況が理解できなかったので、近くにいた生徒に聞いてみた。


「何があったの?」


 声をかけられた男子生徒は、声をかけてきたのが四枝さんの姿をした僕だと気付いて、少し考え込むがすぐに教えてくれた。


「倉崎とお前が仲良いことをいつもの奴らがからかったら、倉崎がブチギレてあいつらとケンカしてる」


「は……?」


 どうやら今日の僕たちの様子をからかわれたらしい。

 確かに普段席こそ隣同士だけど、それほど会話もしたことがない。なのに今日はお昼を一緒に食べて午後は席もくっつけていた。からかわれるのには十分だ。

 四枝さんは常日頃から彼らに絡まれていてストレスが溜まっていたのは容易に想像できる。

 だけどまさか暴力にうって出るとは思わなかった。

 四枝さんは女の子だ。

 殴り合うケンカなんて慣れているとは思えない。大丈夫なんだろうか……。




 そのあとすぐに担任の先生が駆けつけてくれたため、ケンカは収まった。

 だけど人ごみをかき分けてようやく四枝さんたちの姿を見た僕は絶句した。

 四枝さんは笑っていた。

 夏服姿の彼らは体中をほこりだらけにしながらもなお飛びかからんとしていて、それぞれ生徒たちに取り押さえられていた。

 彼らは僕の姿をした四枝さんに敵意を向けていたけど、四枝さんは彼らのそんな視線を受け止めて不敵に笑っていた。


 僕が前に出るとみんなの視線が突き刺さる。

 四枝さんに声をかけるのをためらっていると、隣に来た上浜さんが心配そうに僕を手を握ってくれる。


「ちっ」


 僕を見た男子の一人があからさまに舌打ちをする。直接的な悪意に思わず身体が固まる。


「どういうことだ」


 そんな男子を手で制止しながら担任の先生が問う。


「男子が倉崎くんにからんで手を出してました」


「五人がかりで倉崎くん一人相手にケンカしてました」


 担任の言葉に周囲の女子たちから声が上がる。声を上げた女子たちを彼らは睨むが女子たちは臆さない。

 女子は一人一人は非力だけど集団になると強い。


「お前ら全員職員室に来い! あとは解散!」


 職員室に連れていかれる男子と四枝さん。

 立ち尽くす僕に四枝さんは横を通るときに小さな声で「ごめんね」と謝ってきた。

 僕は俯いていて彼女の顔は見れなかったけど、僕の心のもやもやは晴れなかった。






 みんなが帰ったあとも僕と上浜さんは教室に残っていた。

 ケンカの原因が僕なら四枝さんを待たないわけにはいかない。


「倉崎くんには申し訳ないことしたねえ」


 上浜さんが机に頬杖をつきながら言う。


「私たちが圭織のお世話のお願いしたことでケンカに巻き込まれちゃったんだから」


「そうだね……」


 僕は背中を椅子に預けながら上浜さんの言葉に同意する。


「でもさ、圭織のためだけじゃないだろうけどさ、ちょっと倉崎くんかっこよかったよね?」


 そう言って上浜さんは机にべたっと顔を付ける。


「暴力はもちろんキライだけどさ、ああやってイジメてくる男子たちに立ち向かってくれてちょっと胸がスカッとした」


「みりあありがとね」


 暴力が好きな人はいない。

 だけど四枝さんは毎日のようにセクハラな言葉を投げかけられていて、言葉を返しこそすれ、ずっと耐え忍んでいた。

 それを近くで見ていた上浜さんも辛いものがあったんだろう。

 だから四枝さんの姿をした僕が発端とはいえ、四枝さんと上浜さんにとって彼らがやり込められるのは胸がすく思いだったんだと思う。

 そんな四枝さんの心を代弁してくれた上浜さんの言葉に、僕はお礼を言った。






「四枝さんごめんね」


 四枝さんは職員室から戻ってくるとすぐに僕に謝罪した。


「どうして倉崎くんが謝るの? あ、アタシの悪口してたんだし。アタシこそありがとう」


「うんうん! 倉崎くん圭織のためにありがとう!!! 圭織と付き合うの許すよ!!!」


「いやいや」


 上浜さんがいつものように冗談を言うけど僕は上手く言葉を返せなかった。代わりに四枝さんが軽いノリで言葉をかわす。


「あ、トイレ」


 そう言って四枝さんはすぐ教室から出て行った。

 僕と上浜さんはそんな彼女を見送ってしまう。

 四枝さんは僕の体に入っても自分のペースで動いているようだった。


「なんか倉崎くん意外かも」


「そう?」


 上浜さんがドキリとすることを言う。


「もう少し大人しい人だと思ってたよ」


 幸い僕と四枝さんが入れ替わっているとは思っていないらしい。


「アタシのお世話がストレス与えてたかもしれないね」


「そうかなー? 倉崎くんも楽しそうに圭織とお話してたよ?」


 僕のため息まじりの声に上浜さんは言葉を返す。どうなんだろう、女の子らしくない、四枝圭織らしくない僕にイラついてないと言い切れるのだろうか。

 それとは別に男の子生活を楽しんでいることは間違いないので、四枝さんの中で上手くプラマイゼロになってるといいんだけど。








「はいこれ。今日のお礼だよ」


 僕たちはコンビニで買い物をしたあと、学校からほど近いところにあった公園に立ち寄っていた。

 僕は初めて来た場所だったが、こっそり四枝さんから聞いた話に寄ると最初に寄ったコンビニもこの公園もよく利用するらしい。


「ありがとう上浜さん」


 上浜さんが四枝さんにペットボトルのコーラを手渡す。

 僕は四枝さんが普段よく飲むという紅茶を、上浜さんはいちごジュースを持って木陰のベンチに並んで座った。

 出来るだけ不自然にならないよう、スカートをおしりの下に敷いて足を揃えて座る。

 四枝さんはそんな僕たちから少し離れた場所に立って上浜さんからもらったコーラを美味しそうに飲む。


「倉崎くん、ケガ大丈夫?」


 そんな四枝さんに僕はおずおずと声をかける。

 見た感じ、ケンカを絡まれたにしては堂々としていて、そんな姿が僕、倉崎悠介とは同じとは思えなかった。

 僕のように女の子の四枝圭織さんの足を引っ張るのではなく、僕よりも男らしい、倉崎悠介がそこにいるように思えた。


「大丈夫だよ。さすがに色々言われて頭に来たんだ」


 僕を安心させるようにニコッと笑う四枝さん。

 頼もしい……。

 僕が元に戻ったとして、今の四枝さんのように振る舞うことが出来るのか。たぶん出来ないだろう。

 性別関係なく、四枝さんはエネルギッシュで人を惹きつける魅力がある。


 すごいなぁ……。


 僕は下を向いて大きく嘆息しながら素直にそう思った。

 大きな胸が重い、だからではなく四枝さんが眩しかった。


「普段バカな圭織が、今日はもっとすごいバカになっちゃってたから、倉崎くんに助けてもらってたのに。なんか巻き込んじゃったね」


「もういいよ。済んだことだし」


 上浜さんが少ししょんぼりした様子で話す。それに対して四枝さんはなんでもないように話す。だけど上浜さんは続けて


「でも倉崎くん格好良かったよ」


 とさっき僕と二人きりで話していたことを四枝さんにも言ってしまっていた。


「え?」


 案の定四枝さんは親友から飛び出した発言に目を丸くしていた。


「いやホントホント。絡まれて言われ放題、そういうのがいつもだし。みんなそんな感じだし。倉崎くんが暴力振るったの、圭織のためだけじゃないかもしれないけど、私は格好良かったって思う」


「て、照れるなぁ」


 そう言って四枝さんが冗談のように大袈裟に頭をかくけど顔が赤くなっていた。


「倉崎くん、()()()()()()()とても格好良かった」


 僕もこの空気にあてられて口から言葉がついて出る。胸が痛い。でも本当のこと。


「四枝さんも早く調子が良くなるといいね」


 四枝さんはどこまでも明るく、優しかった。






「今日はうちにおいで」


 四枝さんと別れたあと。

 半ば強引に上浜さんの家に連れて行かれてしまった。そしてそのまま上浜さんの部屋に案内されてしまう。

 上浜さんも四枝さん心配だもんね。ごめんね、心配かけて。


「!?」


 座って座って、と勧められたベッドに腰掛けて僕はふと顔を上げると、上浜さんが制服を脱いでいるところだった。

 四枝さんのハダカとは違う、さっきまで一緒に話していた女の子の下着姿。

 後ろを向いた上浜さんの淡いピンクの下着につつまれたおしりがふりふりと揺れる。


 ごくり……。


 僕は息を飲んでしまう。目が離せない。

 ブラジャーは僕が着けているものと違って同じ色合いのシンプルな形状だった。ちらちらと腕の隙間から見える小さいけど確かな胸の膨らみが女の子らしさを強調させる。

 だけどそんなシーンはすぐに終わり。上浜さんはワンピースを身に纏うと僕の隣りにすとんと座り込んだ。


「で? 本当に今日はどうしたのさ?」


 僕の顔を間近で覗き込む整った顔つきの女の子。

 僕は着替えを見ていたこともあり気恥ずかしくなってわずかに身をよじる。


「んー??」


 そんな僕の仕草に上浜さんは一瞬頭に疑問符を浮かべるが、すぐにもっと僕に近寄ってきた。彼女の腕と僕の腕はとうに密着してて、身体すらくっつきそうだ。


「近い近い」


「私にも言えないのかー? ということは生理じゃないと。んじゃ恋とか!?」


「ないない」


「白状しなー!!」


 どんどん近寄って来た上浜さんはついに僕の身体に手を伸ばしてきた。思わず身をすくめるけど、上浜さんの手は僕の脇にするりと伸びてくすぐり始める。


「ほーら早く言わないとこちょぐりの刑だぞー」


「ひゃっ、はっ、ははははははは、ちょっちょっとやめてう、みりあ、やめてよあははははは」


 上浜さんの手が四枝さんの身体の弱いところを的確にうごめく。

 僕は身体をよじりながら必死に上浜さんの手から逃れようとする。だけれど上浜さんの追求の手は止まらない。

 僕の身体にのしかかりながら脇に足に首にくすぐりを仕掛けてくる。

 上浜さんの身体が密着してくるけど感触を気にする余裕が全くない。


「ほらほらほらー」


「あはははははははははははは、やめっやめっ、ごほっだめぇあははははははは」


 どれくらい経っただろうか。

 数秒だったかもしれないし数分だったかもしれない。

 ようやく止まった手から僕はベッドの上を転げて逃がれて、壁際で肩で大きく息をする。


「はーっはーっはーっ……し、死ぬかと思った」


「圭織昔からくすぐり弱いもんねー?」


 そう言いながら上浜さんは身体を起こして両手をわきわきさせる。それを見た僕はこれ以上逃げられないにもかかわらずベッドの上を後ずさりしてしまった。


「これでも口割らないなんて……でもさ、元気になったね?」


「え?」


 からかう口調とはうって変わって優しい口調になった上浜さんは笑顔を浮かべながら僕を見つめる。


「今朝から元気ないしバカだしなんかケンカまで起きちゃって。普段の圭織ならさ、アタシも混ぜろーくらいな勢いだけどあの時は震えていたし」


 手を握っていてくれたあの時気付いたんだろう。


「私もバカだからこれくらいしか思いつかなかったけど。まあ悩んでても仕方ないじゃん? 元気なくても前向きに行こう!」


 そう言って上浜さんは膝立ちのまま両手を横に上げて曲げる。男だったら「ふん!」と言わんばかりの勇ましいポーズだけど、上浜さんがやるととても可愛らしい。もちろん半袖から見える二の腕には全く筋肉は見えない。


「てりゃ」


 上浜さんの微笑ましい姿に気を取られていると、急に上浜さんが僕に覆いかぶさってきた。突然のことに僕は避けられず全身で上浜さんを受け止めてしまう。


「な……」


 声をあげようとした僕は上浜さんの優しい抱擁に何も言えなくなってしまった。

 普段の僕から見たら小さい上浜さん。

 だけど四枝さんの身体になるとその体格はほとんど変わらない。

 身体は女の子になったけど、他の女の子にここまで接触されたのは初めてだ。

 四枝さんの大きい胸は柔らかくつぶれ、上浜さんを迎え入れる。上浜さんの小さい胸の柔らかさも確かに伝わってくる。

 上浜さんからかすかに甘い匂いが漂ってくる。

 制服のスカートからはみ出た僕の足とワンピースから伸びる上浜さんの足が触れ合う。

 子どもの頃こそ男女関係なく体を密着させて遊んだりもしていたけれど、思春期になってからはない。

 なめらかな肌同士がこすれ合い、くすぐったさと同時に何かいけない気持ちになってくる。


 僕の顔の左に上浜さんの顔がある。

 僕の肩に隠れてその表情は見えないけれど、四枝さんを心配していることはよくわかる。

 僕は抱きしめ返したい気持ちを理性を総動員して押しとどめ、上浜さんの背中をぽんぽんと叩く。


「みりあのおかげで元気回復出来たよ。ありがとね」


「よかったー」


 そう言って少し身体を起こし僕の顔を見つめてくる上浜さん。

 今までで一番近い。

 大きな瞳からは四枝さんを心の底から心配している様子が伺える。

 そして吸い込まれそうな小さく開いた唇。

 僕は身体をベッドの上で上浜さんごと横に半回転し、身体の位置を入れ替える。

 そして身体を起こす。

 そして何気なく言ってしまった。


「これで攻守逆転だね?」


「きゃー」


 そう言ってわざとらしい声を上げて身をよじる上浜さん。

 だけど僕は声に出したことを後悔していた。

 だって……ベッドに仰向けになった女の子に馬乗りになっているこの体勢。乱れた髪、薄いワンピースを盛り上げる胸、否が応でも性行為を思い起こしてしまう。

 僕は動揺を悟られないように上浜さんの身体の上からつぶさないようにゆっくりと身体を下ろす。


「うそうそ。みりあの胸じゃなー」


 そして僕は禁断の言葉、四枝さんの身体で上浜さんの胸について言及する。

 効果はてきめんだった。


「圭織、それ言ったなー! 言ったなー!!!」


 身体を素早く起こし再び襲いかかってくる上浜さん。その両手はうごめくことなく、ただ僕の胸に狙いを定めている。

 これは四枝さんの親友、上浜さんでえっちな気分になってしまった罰。無抵抗で受け入れよう。




 上浜さんの部屋から僕の絶叫が響き渡った。

暗黙の了解を知らないと大変ですよね。

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