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初めてだらけの入れ替わり

『アタシが僕になる!』の裏側ストーリーです。

登場人物は同じです。

女の子の身体と入れ替わった男の子が主人公なので、えっち度はこちらが上です(そうなるといいな)。


2024.1.25 四枝さんの身体の一番の特徴である胸の記述が少なかったので追加

「ふあぁあ……」


 僕はパチッと目を覚ますといつもの場所にあるスマホに手を伸ばし、上体を起こした。

 スマホの時計を見るとアラームが鳴るまであと少し。

 今朝も普段通り、アラームに起こされる前にしっかりと目を覚ますことが出来て、うんうんと心の中で頷く。

 夜更かししていても、大体いつも同じ時間に起きることが出来るのが僕の密かな自慢。アラームにどんな音を設定したのかすら忘れそうだ。

 昨夜だって夜中の1時過ぎまで起きてネットで深夜アニメの最速放送を見ていたけど、寝て起きたらこの通り、体も頭もスッキリ。

 これで昼間眠くなることもないんだから、何でも出来る気がしてくる。


「現実はそうもいかないんだけどね」


 現実ではいつも読んでいるライトノベルのように可愛い女の子と未知の冒険に行くこともなければ、剣や魔法を使うこともない。

 僕は独り言を呟きながら布団を畳んで押し入れにしまう。そして朝の準備をするために部屋を出た。


「おはよう母さん」


「おはよう」


 洗面所に行く途中、朝ご飯を作っている母さんと朝の挨拶を交わす。


「今洗面所は父さんが使ってるわよ」


「はーい」


 母さんの言うとおり、洗面所では父さんが髭を整えている最中だった。


「おはよう父さん」


「おう」


 そう言って父さんは僕のために少し右に移動してスペースを作ってくれる。

 僕はそのスペースに入ると顔を洗い始める。


「あんまり夜更かしはするんじゃないぞ」


 昨夜の行動を見透かされたような父さんの言葉に、僕は洗顔の手を止めずに父さんに言う。


「気をつけるよ」


「今は成長期なんだから体の成長にも悪いし、何より健康の大事さは失ってから分かるんだからな」


 夜更かしは毎日ではない。どうしても最速で見たいアニメなんてそう数は多くない。週に3つくらい?

 それに健康と言われても今は健康そのものなのでいまいちピンとこない。


「うん」


 それでもそう答えた僕の返事に父さんは黙って頷くと洗面所を出て行く。一人になった洗面所で僕は顔を洗いながら考える。

 父さんは僕が家を出る前に家を出て、夜遅く帰ってくる。

 大人って大変だなぁ……。

 それでも体を壊すことなく健康だ。健康に気を付けていろいろしているんだろうなぁ。


 洗顔を終えた僕が居間に入ると同時に父さんが居間から出てきた。


「行ってくる」


「いってらっしゃい父さん。気を付けて」


「お前も気を付けてな」


 そう言って父さんは玄関に向かった。

 その後ろから母さんがぱたぱたと玄関まで見送りに父さんの後を追う。


 僕は居間のテーブルに座ると、準備された大盛りの和の朝食を前に手を合わせ、


「いただきます」


 温かいご飯を頬張った。






「いってきまーす」


「傘はどうするの?」


 母さんの言葉に僕は玄関から首を出して空を仰ぐ。

 今は梅雨の真っ最中だというのに全く雨の気配すらなく、ニュースでも大きく取り上げられているほどだ。

 今朝も雲一つない青空が広がっている。


「大丈夫だよ」


「そうよね、うん。それじゃいってらっしゃい、気を付けてね」


 母さんの玄関からの見送りに手を振り、僕は家を出てバス停へと向かう。


 たくさんの人が行き交っているけど、この辺りから僕の中学校に通う生徒は少ないのか、僕はバス通学をしている。この状況だときっと高校は電車通学になりそうだ。


 バスの中でゆっくり座れればいいんだけれど、この時間帯は通勤ラッシュと重なるため、座れることは滅多にない。

 だけど、だからと言って座るために時間帯をズラす気もない。


「!」


「!」


 やってきたバスに乗り込み、吊革に捕まって自分の立ち位置を確保する。そうして目を正面の座席に向けると、そこには座っている一人の女の子がいた。

 僕らはお互い目配せだけで一言も発しない。


 長い黒髪を丁寧に横で編み上げた、おとなしそうな子。

 名前は知らない。

 話したことすらない。

 うちの女子の制服とは違うからかろうじて同じ中学校ではないとだけ分かる。多分私立だと思う。

 そんな名前も知らない、話したこともない二人なのに、それでも僕らが意識しあっているのは。


 す……


 彼女は、彼女の両手に抱えた書店のカバーがかけられた文庫本を僕に差し出し、僕はすぐにそれを受け取り鞄の隙間にに放り込んだ。

 僕は小さく開けた鞄から先ほど受け取ったものとは違う、カバーのかけられていないライトノベルを取り出して彼女にだけ見えるように見せる。

 彼女は少し困ったような表情を浮かべて小さく首を縦に振る。


 持ってたかー。


 僕はライトノベルをしまうとあとはのんびりと吊革に掴まった。彼女も新しい文庫本を取り出してページを繰る。


 ちょっとした趣味の仲間。

 恋とすら呼べない一時の逢瀬。






 彼女との出会いはこの春のことだった。

 いつものように登校のバスの中で立ちながらライトノベルを読んでいると、近くで小さく「あ……」と声が聞こえた。


 どきりとした僕が慌てて文章から目を離し声の主を探してみると、目の前に今と同じように女の子が座ってカバーのかかった文庫本を読んでいた。

 彼女は僕と目が合うと赤くなりながらも、カバーを外して文庫本の表紙を僕に見せてくれた。

 それは僕が読んでいたものと全く同じ本だった。


「ああ……」


 僕が納得した声を上げると彼女は明らかにほっとした表情でぺこぺこと頭を下げた。


 オタク趣味は別に悪いことではない。

 教室でライトノベルをカバーなしで読んでいたって何か言われることもない。

 肌色面積の大きい女キャラのカラーイラストなんかは流石に恥ずかしいけど……。

 僕にはオタク友達が数人いるが女の子はいない。少なくとも僕はうちの学校でオタク趣味の女の子を知らない。


 そんな『レア』な同士が近くにいることを知って僕は嬉しくなったのだった。


 ある日の朝、彼女は僕が気になっていたけど買っていなかった新刊の表紙を僕に見せてくれた。

 僕は持っていなかったため首を横に振ると、彼女はあろうことかそれを僕に差し出してくれたのだ!!

 僕が困惑しながらも受け取ると彼女は照れたように笑った。その表情はとても僕の心を惹きつけた。


 お互い学生同士、趣味に回せるお金は少ない。

 僕と彼女がライトノベルの貸し借りを始めたのは必然だった。


 初めこそ彼女のことをもっと知りたくて、彼女にもっと近づきたくて、彼女に渡すライトノベルの間に手紙でも挟もうかと考えていたけど、流石にキモすぎると思い留まり。

 この心地良い関係を壊したくなくて、ただライトノベルの貸し借りを続けている。

 彼女からも特にアプローチはなく、これも僕がキモい行動に走らなくて正解だったことを示していた。






 今の彼女は手元のライトノベルに視線を落としている。

 そうすると彼女が座っていることもあり、彼女の頭のつむじが見えたりしてドキドキする。

 首筋や鎖骨はもちろん、ときおり胸元の素肌やその奥も見えてしまいそうで、見ていてドキドキが止まらなくなってしまうので、僕は吊革に掴まりながら彼女だけに視線が固定しないようそわそわと辺りを見渡すのだった。


 バスを降りるのは僕が先だ。

 彼女は僕より先に乗って僕より後に降りる。

 降りる間際、移動する前に彼女の方に小さく手を振ると、彼女は笑顔で目立たないように小さく手を振り返してくれた。


 くっ、可愛い……。


 これで憂鬱な月曜の朝も頑張れる。

 僕は人をかき分けながらバスを降りた。






「おはよう」


 僕が教室に入って挨拶すると周りの男子が口々に挨拶を返してくる。

 だけど中には横柄な感じで


「よ」


 としか返さない男子グループもいたりする。まあクラスの怖い子たちだけど、クラスにイジメとかはないし、僕自身何もされてないからあまり気にしない。

 ……あのグループには幼なじみがいたりするので少し気になるけど気にしない。


「おはよう倉崎」


「おはー」


 席に着くとオタク友達が挨拶しに来てくれた。


「おはよう、長谷川くん、長瀬くん」


「見た?」


「見た」


「最高」


「それな」


「まさかヒナリとニーサが百合だとは思わんじゃん」


 短い会話だけで話を進めていく僕たち。

 百合(女の子同士の恋愛)を鼻息荒く語るちょっとサイズが大きい彼は長谷川くん。


 今期のNo.1アニメとも名高い『せか恋~世界に一番恋してる!』の昨夜放送された最新話にて、主人公のヒロイン候補と目されていたヒナリとニーサという女の子たちがまさか主人公を差し置いて二人だけの恋の世界を作ったのだ。同時視聴のコメントも感想欄も大荒れだった。


「当て馬と思われていた他のキャラにもチャンスが巡ってきた?」


「残り話数的にどうかな?」


 僕の質問に答えてくれたのは長瀬くん。背の高い痩せぎすな子だ。

 彼は百合厨(百合が好きな人)ではなく、アニメを含めたサブカル全般が好きらしい。


「原作なしでここまでヒットしたからな。背景世界は荒廃してるからここからグダグダな展開になっても驚かないよ」


 その後も僕らはせか恋について他愛のない会話を楽しんだ。






「おっ、おっぱい女だ!よ!」


「あっちいけサル」


 教室の入り口が少し騒がしくなる。


「ではまたあとで」

「それじゃ」


 二人はそれに気付くと良いタイミングだとばかりにそさくさと自分の席に戻っていった。


「おはよう四枝さん」


「おはよう倉崎くん」


 僕の隣の席にさっきの騒動の渦中の子がやってくる。


 四枝圭織さん。

 彼女は目立つ。小柄だがとても目立つ。

 言動は男子顔負けだしスポーツも得意。

 顔もとても整っていて美少女であることは間違いない。


 そして……先ほど言われてた、胸。

 これが一番目立つ。

 ただでさえ四枝さんは女子の平均より身長が低いらしいのに胸だけはクラスどころか学年でもトップクラスに大きいのだ。

 ウワサではこの学校一、とも言われているらしい。

 とにかく元気でよく体を動かすので、動きに合わせて胸が大きく弾む。

 悲しい男の性か、目を奪われそうになるからそのたびに視線を逸らすのが大変だ。

 ……まじまじ見れるものなら見てみたい。


 そしてその大きな胸を揶揄する男子グループ。

 四枝さんと男子グループがうちのクラスの火薬庫だ。

 男子たちはとにかく四枝さんの気を引きたいんだろうけど、さすがにストレートすぎるし、四枝さんも喧嘩腰すぎる。

 まあ『おっぱい女』とまで言われては引き下がれないのは分かるけど。




「今日はプールあるからそれでストレス発散しちゃおう」


 そう四枝さんに話しかけるのは上浜みりあさん。

 四枝さんの親友だ。いや、四枝さんとも上浜さんともちゃんと話したことはほとんどないから確実じゃないけど。

 二人はいつも一緒に行動しているので多分そうだし、隣の席にいるといやでも二人の姿や会話が視界に入ってくる。


 長谷川くんに言わせると

『リアル百合なんだよなあ』

 とのことだけど、女子が仲良くしてるだけで百合扱いはさすがにどうかと思う。もしかしたら女の子同士の仲良しと百合の間には僕の知らない境界があるのかもしれないけど、そこまで深みにはまるつもりは今のところない。


 上浜さんもとても可愛い。

 背は四枝さんより少し高く、胸は……クラスの女子より慎ましい、とだけ。

 元気で明るくて、四枝さんと上浜さんのおしゃべりは聞いていてとても楽しい。声優さんのラジオ感覚で楽しんでいる。

 時々四枝さんのことを『バカ』と言ってはいるが、言われている本人は気にしていないどころか納得してるし、言っている上浜さんも大げさに溜め息をつきながらなので冗談だと分かる。

 四枝さんとは違った元気と可愛らしさを持ってる女の子だと思う。


 結論。

 女の子は二次元も三次元もみんな可愛い。






「ただいまー」


「おかえりなさい」


 母さんに挨拶すると僕は自分の部屋に向かう。

 制服を脱いでラフな恰好になるとクーラーを入れて勉強を始める。


 僕は授業についてあまり困ったことはない。まだ地頭でついていける範囲なんだろう。


 宿題と勉強を終わらせると僕は棚にあったアニメ雑誌を取り出し、気に入っているイラストのページを開く。

 そしてスマホのイラストアプリを開いて挿し絵を見ながら指を動かし線を引き、絵を描いていく。

 絵といっても描くのは女の子キャラばかり。

 今日は『せか恋』のヒロインの一人、リリーナを選んだ。

 リリーナは胸が大きくて服の面積も極端に少ない、お色気担当キャラだ。

 そのくせ立ち位置は参謀キャラなのでよく分からない。

 服から零れんばかりの現実見ろと言わんばかりの巨乳。

 でも、制服や体操服姿以外見たことないけど、四枝さんもリリーナに負けてないんだろうなぁ……。

 アニメキャラにも負けてなさそうなんだよなぁ……。

 なんてことを悶々と考えながらも柔らかそうなマシュマロに色を付け終わる。


「いい感じ」


 誰に見せるわけでもないので自己満足だ。


 ……。

 母さんは買い物に行っていて今家にいるのは僕一人なのは確認済みだ。

 分かっていても音を立てないようにそっと足を進めてトイレに入った。



 ……。

 ……ふぅ。









「ん……」


 頭がまだぽやぽやしている。

 部屋の中はまだ少し暗い。


「んん……?」


 昨日は……ご飯食べてお風呂入ったあと特に夜更かしする理由もなかったので早く寝たんだけど……なんでこんなに頭の中まとまらないかな……おかしいな。


「はー……ん?」


 それでもなんとか上体を起こして伸びをしようとして、そこでようやく違和感に気付いた。

 胸が重い。ともすると身体がそのまま前に倒れそうだ。なんで?

 なんとか姿勢を保とうともぞもぞと身体を動かしていると。


 胸が揺れた。

 まるで、右胸と左胸に別々の水風船をつけているかのように、胸が揺れた。


「!?」


 未知の感覚の衝撃に眠気が吹っ飛ぶ。

 慌てて両手で膨らんだらしい両胸の水風船を握りしめる。

 むにゅん。

 僕の手ではとうてい抱えきれない、零れ落ちそうな圧倒的な大きさと重量感。

 水風船とは似ても似つかない、とてつもなくなめらかで柔らかい質感と、どこまでも指が沈んでいきそうな触感、そして触られたという確かな感覚。

 それが同時に僕の脳に届く。


「何これ……え、だれ??」


 気付いてみれば声だって違う。

 自分が聞こえる声と他人に聞こえる声は違うというけど、そもそも自分に聞こえてくる声が違う。

 まるで女のような―――


「……」


 ここまでである程度の予想と覚悟はしていた。

 それでも僕は意を決して、見たこともない淡い青色のタオルケットの下、着た覚えのない黄色のパジャマの下半身部分に右手をゆっくりと差し入れる。

 入れる前から股間の感覚が違うことなんて分かっていたけど、それでも確かめずにはいられなかった。

 そこには。

 産まれてきたときからあったはずのものがなくなっていて、代わりに両足の間に一筋の凹みが感じられた。

 それ以上手を進めるのは恐怖を覚えてすぐに手を引き抜く。


「はあ……」


 大きく息を吐いて改めて認識する。

 僕女の子になっちゃった……。




 女体化というニッチなジャンルがあるのは知っている。

 でもまさか自分自身がそうなるだなんて夢にも思わなかった。

 女の子の身体には正直とても興味がある。見れるものなら見たいし、さわれるものならさわりたい。

 そんな憧れた女の子の胸とか今までは服の上から見ることすらはばかられたのに、まさか触ってしまうとか……。

 ましてや股間のアソコとか……。

 うずうずする。見たい。さわりたい。



 ダメだダメだ!!



 まずは状況確認が先だ。

 僕はかぶりを振って手を伸ばせばすぐ届く女体の誘惑からなんとか抜け出す。


 ここは少なくとも現代。

 パジャマやタオルケットがあるし、見慣れなくても普通の素材だ。

 僕が今までいた世界とそう変わらないように見える。

 僕はため息をつきながら寝た覚えのないベッドに足を崩してぺたんと座り直すと、見知らぬ部屋の中を見渡した。


 洋風の部屋。

 たくさんのポスターが貼ってあるけど、暗くてよくわからない。

 ベッドにはサッカーボール型の大きなクッションが二つ。

 パッと見、この部屋からはあまり女っ気は感じられない。

 かろうじて大きな姿見と壁にかけられた女子の制服、ブレザーとスカートがこの部屋の主が女の子なんだろうと思わせた。

 この制服、うちの制服ぽい?


 辺りを見渡すとヘッドボードの上にスマホがあるのを見つけた。

 充電用ケーブルが刺さったそれは、僕がいつも使っているものと同じ機種の色違いだった。

 試しに僕が指を添えると他人のスマホの指紋認証のロックはそれだけで解除された。

 この身体とこのスマホはセットということだ。


 ……これは女体化というか入れ替わり?


 僕は誰と入れ替わったのか、それは……。

 僕が普段より小さい手に少し戸惑いながらプロフィール画面を開くと、そこには―――








「もしもし!?」


 少しのコール音のあと、電話をかけた相手は慌てた声だったけど無事出てくれた。


「よかった、出てくれて」


 こんな状況、僕一人だけじゃ頭がおかしくなりそうだ。

 これは誰かとの入れ替わり。だから僕の体に入った、この女の子の身体の持ち主がいるはずだ。

 そう踏んで僕は自分の電話番号に電話をかけていた。


『もしもし、どちらさまですか?』


 言葉遣いは丁寧だけど、何か機嫌が悪そうな声だった。この身体の今朝の目覚めの悪さを考えると、どうやら彼女は朝に弱いのかもしれない。

 そんな彼女を刺激しないよう、僕は深呼吸をして落ち着いて声を出す。


「僕は倉崎です。……あなたもしかして四枝さんじゃないですか?」


『!』


 電話の向こうから男の子―――四枝さんが息をのむ様子が感じられた。


『く、倉崎くん!? この体倉崎くんの体なの!?』


 耳をつんざきそうな大きい声が僕の耳をうつ。うちはもう起きている頃だからそんな大声出したら大変だ。


「しーっ。声が大きいよ」


『ご、ごめん』


 おそらくこの電話で起きたんじゃないだろう、四枝さんはまだ状況を理解出来ていないのかもしれない。

 僕の部屋には姿見ないから誰と入れ替わったか分からなかったんだろう。


「どうして入れ替わったのか理屈は分からないけど、僕と四枝さんの精神が入れ替わったのは確かだと思う」


 僕は整理するように言う。


「とりあえずお互い情報交換を。まずは今日をやり過ごそう。そして―――」







 電話を切ったあと、僕はベッドの上に座り込んだまま四枝さんの言葉を思い返す。


『一人称はアタシで、家族はお父さん、お母さん、お姉ちゃん。衣類はそこの衣装タンスに入っているから好きなの着ちゃって。制服は壁に掛けてあるから。学校までは徒歩で道はマップで調べたほうが早いと思う。で、二つ目の交差点でみりあと会うの。待ち合わせは大体…時過ぎかな。そうそう、みりあのことはみりあって呼んでね。何か質問は?』


 僕が自分の朝のルーチンを話したあと、ようやく目と頭が冴えたらしい四枝さんはすごい勢いで彼女の朝のルーチンを教えてくれた。

 質問……。

 正直聞きたいことはたくさんある。

 どうしてパジャマの下は下着付けていないのかとか、ぶ、ブラジャーの付け方とか……。まあ今聞くべきことじゃないけど。

 でもこれだけは改めて確認したい。


「本当に僕が色々四枝さんの身体を……見たり触ったりしてもいいの?」


『いいよ?』


 あっけらかんと返されてしまう。え、これ僕が恥ずかしがっているだけなのかな?


「ええと、ハダカとか下着とか……」


『あのねえ』


 四枝さんはわざとらしいため息をつくとかんで含めるように言う。


『さっきも言ったとおりお互い様だし。お互いの体の世話はお互いに任せるしかないよね。それに異性の体になれるなんて普通ないんだから、倉崎くんは気にせずオンナノコを楽しんで。アタシもアタシで気にせずオトコノコ楽しませてもらうからさ』


「う、うん……」


『オナニーもシていいけど処女は取っといてね』


「ぶっ!!??」


 ハダカも下着も軽く飛び越えた発言に僕は噴き出してしまう。


『アタシ大きい声出ちゃうから誰もいない時にシてね』


「いやいやいや」


 頭が痛い、痛すぎる。

 え、四枝さんって性的なことって嫌いじゃないの!? いつもからかわれてるじゃない。なんでこんなにあっけらかんなの??


『アタシだって恥ずかしいよ? でもアタシが倉崎くんの体で色々したいのに、倉崎くんはアタシの身体で色々するのはダメって、それはフェアじゃないよね。だからいいの、平等』


 確かに男女平等は大事だけど、男と女だと釣り合わないような……。いや、案外女の子も男の体に興味津々なのかもしれない。

 そっか……。僕も何か釘を刺すべきなんだろうか?


「……あまり変なことはしないでね?」


 でも何も思いつかず曖昧なお願いになってしまった。


『わかってるって。で倉崎くんはバスなんだよね?この時間に乗らなきゃいけないとかある?』


 色々しんどい話から切り替わって、そこでバスの彼女のことを思い出す。

 でも彼女とのやり取りはさすがに他人には説明しずらい。恥ずかしすぎる。


「普段乗っているバスの時間は…だよ』


 だからとりあえずそれだけ告げた。

 彼女のことはまたおいおい……。四枝さんの姿のままだと会うに会えないけど。


『そっか。……ん、それじゃそろそろ支度しないとだね。それじゃあまた学校で』


「うん」


 ブラジャーの付け方は聞きそびれてしまったけど適当でいい、はず。細かいことはまた後で聞こう。






 ベッドから降りると僕は立ち上がり、思い切ってパジャマを脱ぎ始める。上のパジャマ、ボタンが逆なんだけど……。


 パジャマを脱ぎ捨てると解放された胸が大きく弾む。

 わかってはいたけど下着は上下一切本当に身に着けていなかった。

 大きな姿見の中には一糸まとわぬ少女が恥ずかしそうに立っている。

 僕は鏡の中の少女と目が合うと罪悪感ですぐに視線を外した。外したけど大きな胸、バツグンのスタイル、翳りのない股間は一瞬で脳裏に焼き付けてしまった。


 やばいやばい!!!


 初めて見た女の子の全裸。

 しかも四枝さんという美少女の。

 少し身をよじらせただけでふるんと揺れる胸。

 もじもじする太ももの間には何もなく、太ももだけがこすれあう。

 知らずに握った手首はきめ細かくて瑞々しさに溢れていた。

 あまりの現実感のなさにドキマギしてしまう。いや入れ替わりには現実感なんてないんだけど!


「下着は……ここか」


 四枝さんに言われた衣装タンスの上の段を引き出すと、そこには色とりどりの下着が綺麗にまとめられて仕舞われていた。

 何も考えない、何も考えない。

 そこから手前にあったサイズが合ってないんじゃないかと錯覚するほど小さな白い下着を伸ばして足を入れ、腰まで上げて機械的に穿いていく。


「……」


 普段穿いている下着よりも深さがなくて心許ない。

 ブリーフを穿いていた時期もあったけど、それよりも密着度が高い。特に股間の―――


 僕は頭を振ると下着の入った段をしまいその下の段を引く。

 その中には大きな布地が使われた、まさに『ブラジャー』としかいいようのない形をしたモノが鎮座ましましていた。


「……」


 下着はまだいい。男だって穿く。

 だけど、だけども。

 さすがにブラジャーを着ける男は少ないのではないだろうか?

 仕舞う胸ないし。


 とりあえず同じ白色のブラジャーを取り出して広げてみる。

 本当にブラジャーだ……下着もだけど実物初めて見たよ……。


 あまりの背徳感の連続に頭がくらくらしてしまう。だけど数少ないオタクの知識だと、四枝さんほどのサイズの胸で日常生活でブラジャーをしないということはありえない。

 特に今は白カッターと夏ブレザーだけなので、動けば誰がどう見てもノーブラだとバレてしまう。


 とにかく今は準備だ。

 ホックは後ろ側に付いている。まずはホックの着脱の感覚を手の中で試す。布地の中のホックはとても付けにくそうだ。

 それでも付けなければいけない。

 ブラジャーの肩紐を肩にかけると胸がお椀型の布地の中に入るように前かがみになって調整する。


「いたた」


 布地とは思えない固い感触を胸の下で感じる。タンスに入っていた以上、サイズは間違ってないはずだからブラジャーというものはこういうものなんだろう。

 僕は違和感を覚えながらも今度は両手を背中に回し、ホックをかける。

 幸い四枝さんの身体はとても柔軟で思ったよりも簡単にホックをかけることが出来た。

 ズレていそうな所を伸ばしたり引っ張ったりしてなんとか整える。


「……違和感しかない」


 男だったら下着といえば下半身のパンツ。それだけなのに女の子は上半身にも下着をつける。ホックをすることで胴体を締め付けるような未経験の違和感。

 ……いやもうさ、ブラジャーつけること自体がおかしいんだから急ごう。


「でカッター着て……、あ、またボタンが逆だ」


 簡単だと思われた上着。ボタンが逆に付いていて思ったより時間がかかってしまった。


「あとはスカート履いて……スカート……いやいや」


 ここまででかなり時間が押している。

 さすがにもう何も考えずにスカートを履いた。

 そしてブレザーを上からひっかける。


 これで女子中学生四枝圭織の出来上がりっ!

 その場でくるりと一回り。ふわりとスカートが舞い、ブラジャーで押さえつけられているはずの胸が大きく揺れる。


「うわ……」


 姿見の中の四枝さんが僕をジト目で見ているような気がして顔が赤くなる。

 テンションが変になってバカなことをしてしまった。


 それでもパッと見は問題ないように着れたと思う。


 まだ何も終わってない。これからが本番だ。

 これからこそ、僕は『四枝圭織』として彼女の家族や友達に気付かれないように過ごさなきゃいけないのだから。






 四枝さんの部屋は二階にあった。

 僕は足を滑らせないようにゆっくりとスリッパを進めていく。

 足を動かすたびにスカートが太ももにまとわりついてきてくすぐったい気持ちになる。

 スカートがひらりふわりと動くたびに気恥ずかしい。


 ようやく一階に着くと僕は洗面所に行く。場所は四枝さんから確認済だ。


「おはようお父さん」


「おはよう」


 洗面所にいた男性に朝の挨拶をする。


「……」


「……」


 洗面所に流れるしばしの沈黙。

 え、なんで?

 うう、逃げ出したいけど動けない。


「圭織、どうした?」


「へぇっ!?」


 水を止めた男性が不思議そうに尋ねてくる。


「この時間は父さんだろう?」


「あっ! ああーそうだったねごめんごめん!! 寝ぼけてた!!」


 男性の言葉で僕は弾かれるように洗面所を飛び出した。


 やばいやばい!!

 普段のクセで洗面所に来ちゃった!

 四枝さんはご飯食べてから洗面所使うはず!


 先ほどの洗面所の大きな鏡には僕の知らない男性と背の低い可愛い女の子が並んで写っていた。

 改めて、客観的に今の自分の姿が倉崎悠介ではないと実感した。





「おはよう、お母さんお姉ちゃん」


「おはよう」


「おはよ」


 慌てて移動したリビングにはやはり見知らぬ女性が二人。

 それでも僕は落ち着いて挨拶をすることが出来た。

 頭の中で四枝さんに教えてもらったことを思い出す。僕が座る場所はここ。

 その場所の椅子に座ると年配の女性、四枝さんのお母さんが僕の目の前にトーストとヨーグルト、そしてホットココアを持ってきてくれた。

 これが四枝さん、女子の食事かあ。ちょっと少ないような。


「いただきます」


 時計を見ながら食事を進める。

 普段朝は大盛りご飯派な自分にとってはやっぱりこの量は物足りない。

 まだ食べたいけど……これが普段の四枝さんなんだから仕方ない。


「アンタさあ」


 不意に隣に座っていた若い女性がいぶかしむように声をかけてきて僕は驚く。四枝さんのお姉さん、依織さんだ。

 何かおかしかった??


「な、何?」


「んー……ごめん、なんでもない」


「そっ」


 とりあえず危機はまぬがれたらしい。


「じゃ行ってくる」


「「いってらっしゃーい」」


 廊下から男性がそう言うと僕と依織さんは揃えたわけでもないのに揃ってしまった声で送り出した。


「ごちそうさま」


 そう言って僕は食器を持って流しに置く。


「あら珍しい」


 僕の行動にお母さんは笑顔で言う。


「たまにはね」


 お母さんにそう言うと僕は今度こそ洗面所に向かった。






「それじゃ行ってきまーす」


「いってらっしゃーい」


 リビングから依織さんとお母さんの声が響く。

 その声を背に僕は四枝さんの家を出た。


 本日も晴天。

 四枝さんの家なんだから仕方ないけど見知らぬ町並みが目の前に広がる。

 僕はあらかじめマップアプリで調べておいた通りに歩いていく。



 さほど歩かないうちに違和感を覚えた。


 まず視界が低い。

 家々の窓の高さや通り過ぎる人々。それが高く感じる。今すれ違ったランドセルを背負った女の子、小学生だよね? 彼女のほうが高かったんだけど……。


 次に大きく揺れる……胸。

 ブラでしっかり押さえつけているはずなのに歩くたびに動き回って存在感をこれでもかと僕に伝えてくる。

 両手を胸の下で組んで持ち上げられるほどずっしりと大きい四枝さんサイズだから覚悟はしていたけど、この胸重い。気を抜くと胸の重さに負けて前かがみになりそうになる。


 そしてそんな僕をねめつけるような他人の、男性の視線。

 倉崎悠介として歩いている時には全く気にならない、気にしない視線を感じる。

 しっかり見られているわけではないのに、常に見られているような視線。

 その視線は明らかに大きく弾む胸や左右に揺れるお尻、白い足に注がれていて、しかも舐め回すような……。

 普段感じられないこのぞわぞわした感覚は……気持ち悪い。吐き気がする。


 これが女性が男性から『性的に見られる』感覚なのか。


 四枝さんはまだ女子中学生だというのに、身長はそれこそ時には小学生より低いこともあるのに、穢らわしい視線は年代を越えあらゆる男性が見てくるように感じる。

 僕は男のとき、自分が男性という『性』を自発的に感じたことはあまりない。ぶっちゃけ小学生の頃から変わらない。

 せいぜいオナニーを覚えて女性を性的に見るようになったくらいだ。

 だけど同い年の女の子はもう『女性』として見られてしまうのか。『女』として見られてしまうのか。


 ……でも僕だって四枝さんを性的に見ている。この男性たちと一緒だ。


 気持ち悪いものを抱えながら僕は歩みを進めた。




「おはよー圭織!」


「みりあおはよー」


 だから笑顔の上浜さんに出迎えられた時はとても嬉しかった。

 どんよりとしていた気分を吹っ飛ばしてくれた。


「なんか元気ないね? 生理?」


「ぶっ」


「圭織! 大丈夫!?」


「だ、大丈夫大丈夫。まだだから大丈夫」


 いきなり女性特有の生理現象をぶっ込まれて吹き出してしまった。

 そうだよ、もうこの年頃の女性なら生理が来ていてもおかしくない。


「そっか。私は昨日で終わったよ。じゃあどしたのさ? なんかだらしなく見えるし」


 思いがけず同級生の生理事情を告白されてしまって罪悪感に押しつぶされそうになる。


「だ、だらしなく見える?」


「うん。髪も櫛入れてないしほら、胸元にパンくず乗ってる。イヤミかー!!」


「イヤミじゃないよ。ありがとう教えてくれて」


 そう言って足を止めて下を見ると……足元が見えない。大きな胸に視界が遮られている。その大きな胸に確かにパンくずが乗っていた。


「……」


 ありえない視界に呆然としながらも僕は極力胸に触らないようにしてパンくずを払った。

 これもしかして以前ネットで話題になっていた、何かを乗せることすら出来るんじゃ……。


「寝坊? 連絡してくれたらいいのに」


「ごめんちょっと慌ててて。頭が回らなかった」


 都合が良かったので上浜さんの勘違いに乗ることにした。朝バタバタしたのは事実だし……。


「圭織バカだからなー」


「はいはい」


「流すなー」


 学校までは宿題や授業のことで会話をつなぐことで何とかこれ以上ボロを出さずに済んだのだった。






「ちょ、ちょっと圭織! スカート!!」


 学校に着いて階段を登っていると隣を歩いていた上浜さんが慌てたように忠告してきた。


「!」


 制服のスカートの丈は学校指定なのでそれほど短いわけではないんだろうけど、登り階段なので気を抜いた振る舞いをしてしまうと後ろから登ってくる人に見えてしまってもおかしくない。

 慌ててお尻を押さえて思わず後ろを振り返ると、僕の後ろにいた男子が数名さっと視線を逸らした。


「……」


 男子に下着見られた……男なのに女モノの下着穿いてるのを見られた……。

 屈辱と羞恥心でみるみるうちに顔が赤くなるのが自分でも分かった。


「悪かったよ」「気をつけなよ」「白かあ」


「こらあ!!」


 階段の途中で立ち止まってしまった僕を男子たちがすれ違いざまに色々言って通り過ぎる。

 上浜さんが怒ってくれたが、僕は怒る気力もわかなかった。

 だってこれはまず僕がスカートでの振る舞いとして気にしなきゃいけないことだから……。今考えたら分かるから……。

 僕だって思わず女子の下着が見えたら『ラッキー』って思ってしまう。四枝さんごめん。


「圭織も気にしない」


 上浜さんが立ち止まった僕のお尻をぱんぱんと叩いてくる。


「ここで立ち止まってるとみんなのジャマだし早く行こ」


「うん」


 そしてようやく僕は教室にたどり着いた。







 出入り口にはいつも通り、男子グループがたむろっていた。

 普段と同じ光景のはずなのに、視線が低いと……こんなに男子は大きいのか。


「ようおっぱい女」


「「……」」


 男子の投げやりな言葉に僕と上浜さんは反応することなく黙って通り過ぎる。

 今の僕は四枝さんだけど四枝さんじゃない。

 とてもじゃないけど普段の彼女のような立ち振る舞いは出来ない。


「なんだよあれ」


 男子たちの声が後ろから聞こえてくる。


「さっきパンツ見られたから落ち込んでるんじゃね?」


「「!!」」


 一人の男子が笑いながら言う。


「何色だった?」「やるじゃん」「俺にも見せろよ」


「……」


 上浜さんが僕の手をぎゅっと握り締めてきた。

 柔らかくて温かくて元気をくれる手。

 僕はその手の感覚だけを頼りになんとか四枝さんの席まで辿りついたのだった。






「お、おはよう倉崎くん」


「おはよ、四枝さん」


 いつもの時間より少し遅れて四枝さんは教室に現れた。

 挨拶を交わすと僕の席に着いた四枝さんは僕の顔を見て小さく頷きながら苦笑した。それに釣られて僕も苦笑してしまう。

 誰にも話せない秘密を抱えている共通の仲間。

 ありがたい。

 まだ入れ替わって何時間も経っていないというのに。

 僕は心の中で大きく安堵のため息をついた。

 と同時に。


 はあ。


 安堵とは程遠い、重いため息が四枝さんから聞こえてきた。

 なんだろう、何かあったのかな。

 と思ったら急にわたわたと自分の体を見渡しまさぐり始めた。


「?」


 四枝さんの突然の奇行に心の中で首をかしげていると、やがて落ち着いたのか、四枝さんが僕にだけ聞こえるような声でしゃべってきた。


「みりあを呼んで色々直してもらって」


「色々って?」


 四枝さんから見て今の僕の格好は何かおかしかったんだろうか?

 制服の着こなしにも四枝さんなりのこだわりがあるのかもしれない。でもさすがに今朝は無理。パンツとブラつけてスカート履いて女装して、様々な視線にさらされながらも学校まで辿り着けた僕をまずは褒めてほしい。


「色々!……トイレで身だしなみを整えてもらって」


 やっぱり身だしなみに苦言があるようだった。

 しかも四枝さん直々に、じゃなくて上浜さんに、ということは女の子から見て問題があるようだ。

 まあ僕の姿をした四枝さんが彼女の姿をした僕の身だしなみを整えだしたら教室は大騒ぎになってしまうんだけど。


「み、みりあー」


 ホームルーム前の朝のざわめきが大きい教室で、僕の声は決して大きいものではなかったが、ちらちらと僕の様子を伺っていた上浜さんはすぐに僕の席に駆けつけてくれた。


「どしたの!?」


 近い近い。

 一緒に歩いていたときも近かったけど僕が椅子に座っていて上浜さんが立っているから、上浜さんがほぼ密着しそうな距離にいる。この距離なら上浜さんの匂いや体温まで感じられそうだ。


「えっと……ちょっと頭がぽやぽやしてるから身だしなみ分かる範囲でいいから整えてもらってもいいかな?」


「もちろん! いこっ!」


 僕のとっさに考えついた言い訳に上浜さんはすぐに頷くと、僕の手を取って歩き出した。

 教室の出入り口には男子グループがいたが、上浜さんはずんずんとその中を通り過ぎて行く。

 男子たちは気を抜かれたように僕たちをすんなりと通してくれた。


 そしてそのまま女子トイレに突入する。


 は?


 普段ならその前で立ち止まるだけで不審者を見るような目でにらまれる場所に入ることにわずかに身体が硬直するも上浜さんの勢いは止まらない。

 ホームルーム前、手洗い場でおしゃべりしている女子たちを尻目に上浜さんはそのまま個室に僕を連れ込んでカギをかけた。

 そして有無を言わさず僕を便座に座らせる。


「ずっと圭織のこと気になってたんだけどさ、圭織にもプライドあるから私から言うのはなーって」


 上浜さんがそう言いながらも僕の全身をまさぐっていく。


「髪梳くね」


 そう言ってスカートから取り出した櫛で僕の髪を梳いていく。櫛は引っかかることなくすっ…すっ…と流れていく。

 男の僕はあまり髪が長いほうではないので髪を梳いてもらう体験は今までほとんど覚えがなかったけど、上浜さんが四枝さんの髪を扱う手つきは丁寧でとても気持ち良かった。

 しばらく上浜さんに身を任せていると


「なんで今日はセーター着てないのさ。ブラチラ見えしちゃってるよ、昨日圭織が自分でそう言ってたのに」


 ととんでも発言が飛び出した。

 上浜さんの言葉に僕は驚いて下を見るが、確かに胸の先、一番膨らんでいる部分のカッターの合わせ目が少し開いている。さっきパンくず落とした時は気付かなかった。上浜さんもあの時何も言わなかったということは見えたり見えなかったりするんだろう。

 セーターって。夏も目前だというのに暑くないの?


「足も開きっぱなし」


 言われて僕はすぐさま股を閉じる。いつものクセで足が開いていたけど今は股間には何もない。足を閉じても何の抵抗も感じられなかった。

 そうだよね、女の子は足は閉じているものだよね。


「背中曲がってる。なんか卑屈っぽいしおっぱい抱き抱えてるように見える。ケンカなら買うよ?」


「売らない売らない!」


 胸の話題になって上浜さんが剣呑な雰囲気を漂わせてきたので、慌てて僕は首を横に振る。

 打って変わって上浜さんが心配そうな表情で僕の顔を覗き込んでくる。


「どしたの? ベッドから落ちて頭でも打って小学生の頃に戻っちゃった?」


「えっと……」


 ああ……普段元気な姿の四枝さんから小学生の頃男勝りにぶいぶい言わせてる様子が容易に想像出来てしまった。


「女の子らしさを忘れちゃった」


 僕は普段四枝さんや上浜さんが話している感じで少しバカなセリフを言ってみた。

 案の定上浜さんは呆れたような視線で僕を見てこう言った。


「圭織。バカでもそこは忘れちゃダメだよ」

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