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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

レフトアイズシャンプー

作者: 灰谷水面

 この作品に出会っていただきありがとうございます。


 今も、彼女は私の隣にいます。そのことがどれほど私の心のなかで大きなものになっているのかは私しか知らない。彼女のことは、好きでした。でも、たったのそれだけ、でした。




 

 美人ステレオタイプという言葉をご存知でしょうか。心理学の用語です。外見が魅力的な人は、内面的な能力も優れていると判断されがちだ、ということらしいのですが、こんな波及効果溜まったもんじゃないですよね。どうりで生きづらい社会なわけです。これが「世の中顔が全てだ。」と言われてしまう要因の一つなのだと、個人的には思います。


 その美人ステレオタイプに当てはまる人物は、私の周りには一人しかいません。時枝繭加(ときえだまゆか)。クラスメイトです。彼女とはたぶん仲が良いほうだと思います。以前は放課後や休日に一緒に遊ぶこともありました。彼女は非常に整った顔立ちをしています。艶のある長い黒髪、ぱっちりとした猫目、存在感のある睫毛、ニキビなんて縁がなさそうな肌、M字の唇、通った鼻筋。すべてのパーツが完璧。しかしどういうわけか恋人はいないようで、いわゆる高嶺の花なんだそうです。「私全然モテないよ~」と、少し困ったような笑顔を浮かべながら言うその言葉はあながち間違いではないそうで、高校に入学してから告白された経験はないとのこと。普通なら「こんな美人が。」と半ば条件反射で疑うと思いますが、彼女と関われば関わるほどそれがどんどん、飲み込みやすい液体へと変化していくようでした。彼女がモテない(という彼女自身の評価と周りからみた現実)のは容姿の美しさ故の近寄りがたさともう一つ、ある意味決定的な要因が折り重なって邪魔をしている結果だろうと感じたからです。何というか、彼女にはところどころ空気が読めないところがありました。



 冬休みが明けて2週間が経った。言うまでもなくダルい週明けの月曜。朝のHRが始まるまでの時間を自分の席に突っ伏して持て余す。今日の移動教室は何回だ。「(体育館や理科室まで)一緒に行こ~」と私の腕に触れながら誘ってくる繭加をどうやったらそれなりに上手くかわすことができるのか、未だに最適解がわからない。もっと気がかりなのは昼休みだ。どうせ今日も彼女と一緒に弁当を食べる羽目になるのだろう。あのグダグダした会話をするのがマジで嫌なんだよなあ。あの子は私と喋ることをうっとうしく思わないのだろうか。あー。正直めんどくさい。何で毎日毎日こんな心配をしないといけないんだよ。今更だけど、心に余裕がないと自分でも驚くほど口が悪くなるよね、私。まあそんなもんか。余計な期待はしない。そういうマインドじゃないと後々病むからね。



 6月の、梅雨の時期だったでしょうか。ある日、私と彼女と二人きりでカラオケに行ったことがありました。いつもなら他の友人たちも誘って4~5人になるのですが、その時は予定が合わないやらドタキャンされるやらで、残った二人で行くことになりました。実は彼女は歌が上手なカラオケ好きだと知ったときは驚いたものです。趣味は料理や裁縫、とでも言わんばかりの静かでやわらかい雰囲気からは想像できませんよね。そこがかえって彼女の人としての魅力を高めてしまっていることはお察しいただけた通りです。


 カラオケボックスという密室の中で、二人きりで彼女の歌を聴いたとき、この状況を成立させている全ての要素が一際価値のあるものに思えました。こんな美人が流行りのボカロ曲を歌っている瞬間、それを私だけが味わっている。クラスの中で目を惹く存在である彼女の歌声を私が独り占めしている。正直、彼女の歌声がどれほど美しいかなんて関係ありませんでした。歌が上手いとか下手だとか、そういうベクトルでは測れないのです。それほどあの日のカラオケ遊びは私に高揚と優越感をもたらしてくれました。「美しすぎて壊してしまいたい」などと思う余裕すらなかったのですから。マージナルな位置に置かれた彼女への気持ちが、やがてマイナスな方向に振れるなどとは思いもせずに梅雨のムシムシとした湿気を安易に嫌っていたものです。



 繭加と少し距離を置きたい。いつからかそんなふうに思うようになった。薄々感じていた違和感が確かなものとなったきっかけなどない。簡潔に言うと、繭加には少し空気が読めないところがあって、それと私との相性が良くないんだと思う。そんなことで、と思われるかもしれないが、私にとっては十分重さのあることなのでどこの誰かの一方的なヤジなど知ったこっちゃない。チリツモって恐ろしいもんだね、ハハハ。ごく些細な会話のなかで繭加が私に与えるズレを自分の中に上手く落とし込めない。私はひねくれ者なので器用にスルーすることも出来ない。だから姑息な手段で自衛する。繭加のことが嫌いなわけではない、今は私の心が追いついていないだけ。そんな淡い期待をこの期に及んでしぶとく抱いているからますます自分が嫌いになる。なんだかんだとそれっぽい言葉を並べても、結局私は繭加に執着しているらしい。距離を置きたい相手に執着しているなんて矛盾もいいところだ。自分でも理解できない。ただ「私は彼女に特別な意識が向いている」。その事実は割とすんなり自分の脳に落ちてくれた。その執着は彼女の容姿に対してなのか、彼女の存在まるごとにたいしてなのか。判断がつかないところが嫌味だね。



 自分の鼻をコンプレックスに思うようになったのは中学一年生のときからだ。至って単純な理由。当時のクラスメイトにからかわれた。彼がどういうつもりで私にそれを言い放ったのかはわからない。周りの人は「気にすることないよ。」って慰めてくれたけれど、私にはその励ましが他の誰でもない自分に対する憐れみとしか思えなくて。負のループに陥るには十分すぎる出来事だった。以来私は自分の顔を鏡で見る回数が異常に増えていった。車の後部座席に座っている時も、大きなショッピングセンターで買い物をしているときも、窓に反射したり全身鏡に映った自分の顔を見ては落胆し、「こんな顔で街に出歩いていたのか」とどうしようもなく自分を嫌いになっていくのだった。



 「美夜日(みやび)ちゃん、一緒に食べよ~」

 「うん。あ、机足りないね、山崎さんの借りよっか。」

 「そうだね。」


 後ろの席の山崎さんの机と自分の机とをくっつける。私と繭加の席はだいぶ離れているから、いつも近くの誰かの机を借りないと二人分の弁当を広げられない。この狭い教室に38人も群れているのだからみんな誰かの机を勝手に使っているし、それが暗黙の了解となっている。隣のクラスの人が出入りするのも、クラスの中心にいる男子グループがしょうもない会話を交わしているのも、鬱陶しい。昼休みは嫌いだ。授業を受けている時間のほうがよっぽど気が楽だとさえ思う。



 「あれ、繭加お弁当箱変えた?」

 「そうそう、前のは落としてヒビ入っちゃって。これは100円ショップでとりあえず買ったやつ。」

 「そっかそっか。」


 いささかの沈黙。会話こそないのだが繭加の視線がうるさい。こんなわかりやすくガン見してくるなんてそうあることじゃないだろう。彼女の視線を訝しみながら、気づかないフリをして弁当箱の中のブロッコリーを口に運ぶ。

 

 「あれ、美夜日ちゃん今日目が腫れてない?大丈夫?」

 そういうことか。

 「ああ大丈夫大丈夫。昨日夜ご飯食べ過ぎたから浮腫んじゃったかな~?ははは。」

 触れないでほしい。

 「あはは、美夜日ちゃんも食べ過ぎることあるんだ~」

 「そりゃあるよ、昨日だけじゃないしね。」

 「なんか意外。美夜日ちゃんってかわいいし脚も細いし身長高くてスラっとしてるから、体重管理厳しくしてるのかなって思ってた。」

 「クラス一の美人が何を言いますかい」

 「もうやめてよ~、そんなんじゃないって。 私美夜日ちゃんの顔に憧れてるんだよ?」

 「・・・え、どこが?」

 「うーん、鼻とか。綺麗なバランスしてるよね。美夜日ちゃんの顔ってパーツの配置が整ってるから羨ましいな~」

 「・・・・・ありがとう。」


 「あ、佐野さーん、香川先生があとで職員室に来てって言って・・・」



 それから誰と何を話してどうやって残りの時間を潰していたのか、覚えていない。何もかもが掌の網をくぐり抜けていったというのに、ただ一つ、彼女の純粋な瞳から刺さる眼差しがやけにはっきりとした核をもっていたという事実だけは私から離れてくれなかった。



 美夜日ちゃんは私にとって大切な人だ。そう、大切な。


 自分が他の友達とは少し違っていることに気づかされたのは唐突ではなかった。気が付くと周りから人が離れていく。女子からも男子からも、最初はそれなりに声をかけてもらえるのにみんな私に飽きる。いや、嫌悪される。それがやがて敵意に変わることだって珍しくはなかった。高校に入学するときだって、自分が上手くやり過ごせる自信はなかったからどうせまた独りになるのだろうと諦めに近いものを感じていた。でも正直、自分の何がそこまで他人を不快にされるのかは今もわからない。それがわかったら随分楽になれるのにな。周りに溶け込もうと自分なりの努力はした。それが悉く空回りしていくのだ。潔さを感じさせるほどに。


 美夜日ちゃんははじめて私を受け入れてくれた。そこがいちばん好き。



 もう繭加と一緒にいることは出来ない。無理だ。もうめんどくさいの。私が一番怖いものに容赦なく踏み込んで、正攻法で壊した。私がどれだけ自分の容姿を嫌っているのかわかりもしないのだ、彼女は。最初に繭加と仲良くなれたときは嬉しかった。こんなかわいい子と一緒にいたら気が紛れるだろうと、少しは自尊心が保たれるだろうと思ったからだ。でも違った。真逆だ。繭加といると自分が惨めになる。彼女の空気の読めなさを疎んじている理由にして、盾にして、見えないふりをしていたけれどこれでよく分かったじゃないか。彼女は美しい。自分は醜い。どうしても比べてしまうのだ、近くにいればなおさら。だから彼女と関わることを避けたいと願うようになった。こんな単純なことにどうして気が付かなかった?これが人間の健全な自己防衛だ。最初に彼女に近づいたのは私だというのに。バカだ。バカで愚かで醜い。これが私なんだ。


※※※

 「時枝さんって、ほんとに美人だよね~。みんなそう言ってるしさ。」

 「そんなことないよ。でも、ありがとう。」

 「私、時枝さんと仲良くなりたいなってずっと思ってたんよ。」

 「ほんとに?」

 「うん。そんだけ整った顔してるから最初声かけるとき緊張したわ~。でも実際話してみると、結構柔らかい雰囲気なんだな~とか思ったり。」

 「・・・そっか。ありがとう。」

 

 「佐野さん、あのね。」

 「うん。」

 「美夜日ちゃんって呼んでいい?」

 「もちろーん。ってかいちいち確認とるなんて律儀だね~。じゃあ私もこれからは下の名前で呼ぶわ。」

 「うん。 ありがとう。」


 なんだかそれがきっかけのような気がする。この子には遠慮しないで甘えられたらと思った。寄りかかりたい、と。


※※※


  先週から美夜日ちゃんと一緒に体育館に行く回数が減った。一緒に行こうと誘うと、「ごめん、先に行ってて。」と断られてしまう。最初は何とも思わなかったのだが、鈍感な私でもわかるくらい最近の美夜日ちゃんはそっけない。というかそもそも他の友達と喋っていることが多くてなかなか話しかける機会がないのだ。美夜日ちゃん以外の友達なんて私にはいないから、その輪の中に自分から踏み込む勇気はない。


 時々ふと寂しくなるときがあった。私には美夜日ちゃんしかいないのに、彼女にとって私は、大勢いる友達の中の一人にすぎない。昼休みは二人きりの空間で過ごすけれど、いつからかお弁当を食べ終わるとすぐにトイレに行ったり小テストの勉強をするからと自分の席に戻っていってしまうようになった。それでも美夜日ちゃんと一緒にいたくて、そばにいたくて、私から距離を置くことはしなかった。むしろ彼女に少しでも近づくことができるように行動した。


 私は空気が読めない。らしい。中学のとき、同じクラスの女の子たちがそう話していた。空気を読むってどういうこと?どれだけ考えてもわからなかった。わからないのだけれど、それと同時に何か捉えどころのないザワザワした液体が血液と一緒に身体を巡っている感覚がしたのをよく覚えている。





 繭加から声をかけられたのは次の木曜だった。彼女にしてははっきりとした口調で、少し言葉に重みがあるように感じた。当然のことながら思い当たる節がありまくりだったので、必然的に「これは避けられない」と察する。ちゃんと向き合わないと繭加に失礼だ。それくらいはわかる。当然のことながら、怖いけれど。



 最寄り駅までの道のりを二人で歩く。繭加は自転車を押しながら、私はバカみたいに重たいリュックを背負いながら。まだまだ1月の寒さが身に染みこんでくる時期だ。繭加との間に流れる気まずさへの防衛反応をとる間もなく、彼女は唐突に言い放った。


「あのね。」


「私さ、美夜日ちゃんのこと好きなの。」


「だから、美夜日ちゃんとこれからも一緒にいたい。なんだか最近、あまり話せてないけど、なんていうか、」


「何か怒らせるようなことしたなら謝るし、私に悪いところがあるなら直すから言ってほしいの。」


いつもより早口で一気だった。思った3倍くらいは直球で来た。


 「え、あ、いやその、」

 「なんて言ったらいいのかわからないけど、繭加に直してほしいところがあるとかそんなんじゃなくて。」


 逃げるな。

 彼女の勇気に対等に向き合わないと。

 思った3倍以上、素直にならないと。


「繭加といるのが嫌なんじゃなくて、私の心が追い付かないの。繭加といるとさ、どうしても自分と比べちゃうんだよ。それで情けなくなって。」


「私自分の顔が好きじゃないの。ずっとコンプレックスだったし昔から容姿のことでずっと悩んできた。これ以上繭加といるとどんどん自分の外見も中身も嫌いになっていくばかりだから、その、上手く言えないけど」


 彼女は眼をそらさないでいてくれた。相も変わらず長い睫毛の猫目。


 しばらくお互いになにも言えなかった。でもその沈黙は、昼休みに彼女とお弁当を食べているときのそれより、幾ばくか馴染みやすいものだった。




「そっか。」


「今まで美夜日ちゃんがたくさん悩んできたことを気づかないでごめんね。」


「あのさ、今まで容姿のことで悩んできたならさ、その分の時間を私にくれない・・・?どうせ悩むなら、私のことで悩んでよ。」


「楽しいこととか悲しいこととか、もっとたくさん美夜日ちゃんと共有したい。それでぶつかることもあるだろうけど、私を想ってくれる時間が増えたらさ、美夜日ちゃんがコンプレックスで悩む時間減るんじゃないかって。私美夜日ちゃんのこと大好きだよ、だって救ってもらったから。はじめて受け入れてくれたんだもん。」




「こんな気持ちでいたらダメ?余計に困らせちゃうかな。」



 人は嬉しくて泣くとき、右目から涙を流すらしい。



Add something beautiful tonight = Restart.


 最後までお読みいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。

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