四話
部屋の中の、やけに大きなベッドの上で、私は静かに天蓋を見つめていた。
忘れよう。
全裸を見られたことは、忘れよう。
私はベッドの上でじっとしていたのだけれど、ふと気づく。
ここには私を監視して令嬢らしからぬ行為をすればすぐに咎めてくる侍女も、執事も、お父様もお母様もいないのである。
しかも体を起き上がらせてみれば、この部屋の中には誰もいない。
つまり、自由である。
そのことに気が付いた私は、小さく深呼吸を繰り返すと、ゆっくりと、ベッドにべたぁっと寝転がって、それからごろごろと転がった。
怒られない。
私はごろごろと大きなベッドを転がっていた時であった。不意に窓へと視線を向けると、空はもう暗くなり、星が輝きだそうとしていた。
そんな空に、何か巨大な生き物が飛んでいることに気が付く。
なんだろうかと思いながら体を起こして窓へと歩み寄って見上げると、巨大な竜が空を飛んでいた。
「わぁぁぁ。おっきぃ」
初めて見る竜というものにも驚いたけれど、私が一番驚いたのはそこではなかった。
私は急いでテラスへと出ると、そんな巨大な竜を見つめた。
もふもふしている。
普通竜と言えば頑丈な鱗を想像するのだけれど、その竜は白銀の毛皮を纏っていたのである。
毛先の方は黒く色がついているようだけれど、それがまた可愛らしく見える。
もふもふ。
私は、胸がきゅんと高鳴るのを感じた。
小さなころから、犬や猫、羊やウサギ、もふもふもこもことした生き物が大好きだった。
私はドキドキと高鳴る胸を押さえながら、思った。
あんな巨大な竜のもふもふをぎゅっとしたり、なでながら埋もれたりしたら、どれほど幸せであろうか。
公爵令嬢として王太子妃にいずれなるのだと頑張っていたころは、動物など一切触らせてもらえなかった。
けれど、もしかしたらこの国では許してもらえるのだろうか。
そんな甘い期待を抱いた時、空を飛んでいた竜と目が合ったような気がした。
「え?」
竜が空を旋回して、そしてこちらに向かって飛んでくるのが見える。
そう、こちらに向かってきているのだ。
私は驚き部屋の中へと逃げようと思ったのだけれど、恐怖から身動きが取れずにそのまま固まった。
竜が、こちらを見下ろしてくる。
私はその姿をじっと見つめていた。
きっと恐ろしい魔物なのかもしれない。赤い瞳はこちらをじっと見つめていて、その大きな口からのぞく八重歯は、私のことなど一噛みで殺してしまえるであろう。
なのに。
可愛い。
もふもふしたい。
私は自分の中に渦巻く感情に、自分でも混乱してしまうけれど、それでも、もし許されるのであれば、積年の夢であったもふもふに顔を埋めるという行為に及んでみたい。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
つい呼吸が荒くなってしまう。
私は手をそっと、ゆっくりとその竜に向かって伸ばした。
「あの……少しだけ、あの少しだけ。ちょっとだけ。ちょっとだけ触ってもいいでしょうか?」
懇願するようにそう告げると、竜が驚いたように目を見開いたのが分かった。
つまり言葉が通じているという事であり、意思疎通ができるのであればお願いするのみだと両手を組んでお願いをする。
「少しでいいのです。そのふわふわでもこもこの体に、触れることを許していただけませんか?」
すると、竜は困ったように首を揺らすが、こちらの瞳を見て、少し息を呑み、小さくため息をつくと、頭をゆっくりと下げてくれた。
頭をこれは、撫でてもいいということであろうか。
私はドキドキとしながら、そっとそのふわふわの毛に触れた。
「ふわぁぁっ」
ふわふわの絨毯、綿毛、マシュマロ。どれよりも触り心地の良いそれに、私は少し興奮しながら両手でふわふわと撫でた。
「ふわぁぁっ! あぁぁぁ。これは、なんて、なんて素敵なの」
夢に見ていたもふもふのあまりの心地よさに、私は、思わず顔を寄せて、頬をすりすりと寄せた。
「ああっぁぁぁっ。ここに、ここに幸せはあったのね。はぁぁぁっ。ずっと撫でていたいー」
私は無我夢中でふわふわに頬をすりすりしたり撫でたり、抱き着いたりしていたのだけれど、しばらく堪能した後に、はっと我を取り戻した。
「あ……ごめんなさい。あまりにも貴方がとても素敵なもふもふだったから……」
そう告げると、やっと終わったのかというように竜は顔をあげ恥ずかしそうにしている。そして私の顔をじっと見つめてきた。
私はちゃんとお礼を伝えようと、一礼をする。
「本当にありがとうございます。長年の夢が叶いましたわ」
そう告げると、竜は小首を傾げた後にまたじっと私を見つめてくる。
あまりにも可愛らしいその仕草に、私はきゅんと胸をときめかせた。
その瞬間に、何故か瞳からぽたりと涙が一筋落ちた。
竜は驚いたように目を丸くしておろおろとすると、もう一度頭を下げた。
それは泣くなと慰められているようで、私はくすくすと涙を流しながら笑ってしまう。
「ごめんなさい。違うのです……ここに来るまでに、色々ありすぎて、頭が追い付かなくて、それで……」
言葉を詰まらせた私に、竜は頭をぐいぐいと押し付けるような仕草をしてきて、まるで撫でてもいいぞと言ってくれているようであった。
可愛らしいなぁと思いながら、私はまたもふもふを撫で、そしてそのもふもふに顔を埋めた。
涙が、柔らかな毛に落ちてしまいそうで、慌ててハンカチで拭う。
今自分の中の感情がないまぜになってしまっているのを感じていた。
婚約破棄をされて、馬車にのせられて、飛んで、そして旦那様になるであろうユイン様に出会って、お風呂で裸を見られて……そしてもふもふしている。
なんて怒涛だったのだろうかと思いながら、私はゆっくりと深呼吸をすると、お日様の温かな匂いを竜から感じて、幸せな気持ちになった。
空を飛んでいたからだろうか。
ほかほかお日様のいい香りである。
私は涙をハンカチで拭くと、顔をあげた。
「すみません。少し情緒不安定でした。では、部屋に戻りますね。また、お会い出来たら嬉しいのですが……」
竜は小さく頷いてから空へと飛んで行ってしまった。
あっという間に小さくなっていくその姿を見送りながら、私は、本当にここはリュディガー王国ではないのだなということを実感した。
秋ですねぇ。最近あっという間に一年が流れていきます。
もう少しゆっくり流れてほしいです。
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