二話
どれだけの時間が流れたのだろうか。
いつの間にかに私は眠ってしまったらしく、気が付けば馬車は止まっていた。
どうしたのだろうかと思っていると、馬車が青白く輝き、自分が転移魔法の中にいることに気が付いた。
なるほど。
馬車事ガルーシアの入り口まで魔法を使って送るつもりなのかと私は悟った。
あぁ、神様。
どうか神様がいるのであれば、次の婚約者様は浮気しない人でありますようにと私は祈りながら瞼を閉じた。
そして次の瞬間、空気が変わったことが分かる。
湿気のある空気はリュディガー王国のそれとは異なり、息を吸うたびに、胸の中がむっとするような感覚があった。
私は一体どうなるのであろうか。
馬車の中でうずくまっていると、外から獣の声が聞こえた。
魔物であろうかと思い、私は自分の体を出来るだけ小さくして息を殺す。
怖い。
下手をすれば即刻死亡エンドである。
私は一体どうなるのであろうかと唇をぐぐぐっと噛み、涙を堪えていると、馬車が浮き上がるような感覚に、私は悲鳴を上げた。
「ひゃぁぁぁぁぁっぁぁ」
飛んでいるような気がする。
外が見えないから何とも言えないけれど、馬車事空を飛んでいるかのような浮遊感がある。
気のせいだと思おうとした。
けれど、ふと視線を床へと落とし、気づいてしまった。
古い馬車であるから、つなぎ目の木と木の間に隙間がある。
「……あぁ……地面が……地面が遠い……」
私はよたよたとしながらどうにか馬車の椅子の上へと体を移動させると、隅っこの方でもう一度丸くなった。
空を飛んでいるのは明らかである。
何かに私は運ばれているらしい。
とにかく怖くて仕方がないけれど、現状私には何も出来ることがないので、小さな声で呟いた。
「……落ちませんように。どうか、どうか、揺れませんように」
すると、外から巨大な何かが吠える声が聞こえた。
「ぎゃぁぁぁぁっぁぁぉぉぉぉお!」
「ひぃぃぃぃぃ」
人間ではない。
巨大な何かの吠える声であり、私は失神寸前になりながらもどうにか意識を保ったのであった。
そして、一時間ほどであろうか、体感としては六時間くらい乗っていたような気がするが、巨大な何かが地面へと馬車が付いたのが分かった。
しかもかなり丁寧に地面へと着陸してくれた気がする。
少なくともこの馬車を運んでくれた何かについては、とても優しいのではないかと甘い期待をしてしまう。
そして、馬車の外側につけられていたであろう鍵が開けられる音がした。
ついに扉が開けられるのだろうかとドキドキとしていると、開かない。
一体どういう事なのだろうかと思いながら、私はおずおずと扉へと近づくと、外の様子をうかがう。
何の音もしない。
外に魔物がいて、扉から出た途端に食べられたらどうしようかという思いも抱くが、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。
私は、ゆっくりと、扉を少しだけあけて外を覗いてみた。
「っひ!?」
「っうわぁ!?」
少しだけ開けた扉の隙間から、私と同じようにこちらを覗き込んでいた瞳と視線があって、私は飛び上がると、そのまま後ろへとしりもちをつきそうになった。
「あ、危ないっ!」
「っひゃ」
腕を引かれ、その腕が私の腰へと回り倒れそうになっていた体を支えてくれているのが分かる。
白銀の髪の毛先は僅かに黒く、私を見つめる赤い瞳は猫目のように吊り上がっていた。口元には八重歯がちらりと見え、私は、自分の心臓の音がドキドキと高鳴るのを感じた。
ドストライクの見た目である。
私が固まっていると、その人は困ったように眉をひそめてから、私のことを抱き上げて馬車から降ろした。
「へ? えっと……」
一体誰なのだろうか。
魔物の国に連れてこられたと思っていたのだけれど、違うのだろうかと思っていると馬車を降りた途端に見えたその光景に、私はひっと声を漏らしてから、思わずその人に抱き着いてしまった。
そこには耳や尻尾の生えた獣人や、姿形が蛇のようなものであったり、毛むくじゃらの者であったりが一堂に整列してこちらを見つめていた。
「皆、下がれ」
「「「「「「「かしこまりました」」」」」」
私のことを抱きかかえている男性がそう告げるとともに、そこにさっきまでいた人達の姿が見えなくなり、私は辺りをきょろきょろと見回した。
けれど、誰もいない。
「あ、あの……先ほどまでいらっしゃった方々は……?」
思わずそう尋ねると、青年は私のことをじっと見つめて言った。
「花嫁殿を、怖がらせるつもりはなかったのだ。その……すまない」
花嫁。
花嫁殿?
頭の中でクエスチョンマークがたくさん飛び交っているけれど、今たしかにこの美丈夫はそう言った。
つまり、この男の人が私の旦那様となる人なのであろうか。
「……私の、旦那様になるのは貴方様ですか?」
「っ⁉ ……あ、う、その……しばし待て。場所を移す」
その美丈夫は足早に庭の方へと歩き進め、そしてガゼボのベンチへと私を下ろすと、私の隣に腰掛けた。
それからしばらくの間沈黙の後に、そわそわとし始めた。
なんだろうか。
なんだか可愛いななんてことを私は思いながら待っていると、ようやく口が開かれた。
「自己紹介をさせてほしい。俺の名前はユイン・ガルーシアと言う。この国の王子であり、時期国王の座に就く者だ。そして、リュディガー王国より花嫁に選ばれたそなたの結婚相手だ」
私は情報量の多いい言葉に、眉間にぐっとしわを寄せたのちに、カッと目を見開いてユイン様をじっと見つめた。
好みの顔、好みの声、そして逞しい体。
もてそうな美丈夫である。
猫目なのが大変可愛らしいし、しゃべるたびに口元からのぞく八重歯も大変好ましい。
言葉の通じない魔物であったならばどうやって浮気を防止したらいいだろうかと考えていたけれど、言葉が通じるのであれば、どうにかなるかもしれない。
私はユイン様の手をぎゅっと握ると言った。
「私の名前はレリア・ヒューバートンと申します! 公爵家の出身でございます。どうぞよろしくお願いいたしますね!」
私が少し食い気味でそう一気に伝えると、ユイン様は驚いたように目を丸くした。
「リュディガー王国では……ガルーシアのことを魔物の国と恐れていくと聞く。それに、この百年に一度の婚姻も……生贄のようだと言われているのも知っている。無理に、強がる必要はないぞ」
その言葉に、私は確かにリュディガー王国ではそのように語り継がれているなと思いながら、自分の中にあるガルーシアの情報が少なすぎることに顔を歪めた。
そんな私の様子に、ユイン様は私の手をぎゅっと握り返し、私の瞳をじっと見つめながら言った。
「たとえ泣いて叫ぼうが、もうそなたは俺の花嫁だ。逃げられるなどとは思わないことだ」
はっきりと告げられた言葉に、私は瞳を輝かせてしまう。
さらに嬉しい言葉をユイン様は告げた。
「これからしばらくは四六時中を共にする。この国からは逃げられないという事を理解するまでは離れんぞ」
えぇぇぇ。願ったりかなったりぃ~。
私は心の中でガッツポーズしながらこれでしばらくの間は浮気なんてものはできないぞとしめしめと思った。
魔物だろうとなんだろうと、旦那様になるのであれば絶対に浮気はさせないという決意を抱き、私は大きくうなずいた。
「よろしくお願いいたします!」
「……ん?」
私とユイン様との間に不思議な空気が流れたけれど、私のやる気は満ち満ちていた。