夜光虫のあいまい
「虫みたいだね」
「ウザったいからさ」
「耳がうっとおしいよ」
「ちょっと静かにね」
それを、何回聞いたことか。
それを、何回言われたことか。
それから、口数が減った。
動作も、最小限になった。
朝から夕方は、ずっと部屋にこもった。
太陽の光は、焼けるように熱いから。
夜は毎日、散歩をすることにした。
まあまあ、人のいる街だ。
だけど、深い夜に不快は少ない。
道に迷った。
何千回、歩いてきたのに。
道の記憶があいまいだった。
よく行く場所は、少ないから。
その場所と自宅を繋ぐ、最短ルートしか知らなかった。
なのに、知らない道に入ってしまった。
キョロキョロを通り越して、クルクルとしていた。
完全に迷い人だ。
「どうしたんですか?」
「あっ、道に迷いました」
女性の声だった。
持っていたライトを、その人にあてた。
綺麗なお姉さんだった。
「廣田くんだよね?」
「はい、えっ? そうですけど」
「中学の時に、同じクラスだった中野だけど」
「ああっ」
覚えていない。
学校の思い出も、あの日以来、あいまいにしていた。
わざと、ぼやけさせていた。
紙に描いたパステルを、指で擦るみたいに。
「覚えてないか。私は廣田くんが、一気に元気がなくなって、学校に来なくなってから、ずっと心配してたんだけどね」
「あ、ありがとうございます」
「記憶から私も、消しちゃったんだね」
「すみません」
「私、告白したんだけどな。元気がなくなったすぐ後に」
ハテナが溢れた。
そのお姉さんが、さらに輝いて見えた。
「そんなわけは、ありません」
「今、空いてる? よかったら、話さない?」
「はい」
この記憶が、あいまいな記憶になることは、きっとないだろう。