女神
一
雲一つない青空の中を戦闘機が隊をなして通過していく。男はそれをなんの感慨もなく見ている。
いや、見ているのかどうかさえ定かではない。焦点は戦闘機なのか青空なのか判然としない。
男は砂埃舞う地面に倒れていた。肩に対人用レーザーを受けて身動きが取れず、少しずつ意識が朦朧としてきているのだ。
男は兵士だった。歩兵団の中の一人だったがレーザーによる攻撃を受けてその場に倒れた。男の周辺には同じ部隊だった兵士達が男と同じ様に倒れている。
男と違う事は周りの兵士達はすでに息がなかった事だ。
男と息絶えた兵士達の横を戦車が通過していく、この戦場では使い物にならない命は見向きもされない。
確か宇宙での制空権による諍いで起こった戦争だったか。男はぼんやりとした頭で考えた。一兵士である男には上の人間の事情など関係ない。ましてや肩を撃たれてもうすぐ消える命の自分にとってもはやなんの意味があろう。
もし宇宙で死んだのなら永遠に宇宙に彷徨うことになるだろう。それに比べれば地球で果てる事は幾分か幸せだろうと思った。
戦車や兵士達が全て通過して砂埃も治まった。この大地に残っているのはかつて人間だった者達と辛うじて人間である男だけが残った。
戦闘機も通過して何もない青空が広がる。最後に見れる風景が青空で良かったと男は思った。
その青空に影が差した。見えていた太陽は影に遮られ、男の視界は暗くなった。
太陽を背にしたその影は人の姿をしている。髪が長い。その影はしゃがみ込んで男の頬に手を触れた。
暖かくきめ細かい細い指が頬に触れる。この戦場に場違いな感触だった。最後に見る幻かも知れない。とうとう迎えが来たか。
「女神…」
男は聞こえるか聞こえないかの掠れた声でそう呟くと意識を失った。
二
宇宙での制空権を懸けて戦争が行われたのはおよそ50年ほど前のことである。
宇宙へ進出したばかりの頃の人類の愚かな戦争だったと女は考えている。地球の中でならまだしも(地球だって人類のものと考えるのは愚かな考えだが)宇宙という広大な未開な空間まで人類の物と考えるのはエゴという他ない。
女の祖父がその戦争に兵士として出兵していたと知ったのは祖父が死んでから母から聞かされた。祖父は余り戦争のことを語ろうとはしなかったらしい。
祖父は戦争が終結してから祖母と出会い、母が生まれた。なので母も女も戦争のことは人伝にしか知らない。
ただ祖父は母から戦争の話をせがまれた時、一度だけ「女神にあった」と話したそうだ。祖父は饒舌な性格ではなかったのでそれ以上は語ろうとしなかったらしい。
女は祖父については余り思い出がない。女が幼い頃に死んだ事もあるし、女自体は寡黙でどこか影のある祖父に対して近付き難い印象を持っていた。
嫌いではなかったが取り立てて愛してもいなかった。
しかし母の語るところによると祖父は女が生まれた時は日頃見せない様な笑顔を見せて幼い女をとても愛していたらしい。
愛情とは伝わらないものなのか、それとも人の思い出は当てにできないものなのか。
女がある程度大きくなり、母が祖父が兵士であった事を女に教えてから女はこの地球がどのような歴史を築いて来たのかに興味を持った。女は様々な歴史を調べ始め、大学を卒業してすぐに歴史学者を名乗るようになっていた。その経歴は異例であり、知識量の多さでも女は学会の中でも稀有な存在だった。
そんな中で女に「文献などの知識は上辺だけしかわからない」と意を唱えたのは時間学者であった。今まで空想の産物とあらゆるSF小説で語られてきたタイムマシンを研究していた孤高の学者であった。
「ならどうしようと仰るの」女は学者に問い詰めた。
「実際に行けばいい。タイムマシンはもう出来ている」
衝撃的な発言だった。その場にいる学者の誰もが先ずは動揺し、そして学者を嘲笑した。
その中で女はひとり「面白いじゃないですか」と言った。「そのタイムマシンが本物かどうか、私に証明してくださいます?」
学者は了承した。そうして女は学者の研究施設に向かった。
タイムマシンは自家用ジェット機を改造した物だった。学者は「一度過去へ飛んだ。実証済みですよ。あなたが信じられないと言うのならあなたを望みの時代へ連れていきましょう」と言った。
「それでは50年前へ」女は言った。
「先の戦争を見たいのです」
三
「着きましたよ」と学者は言った。女が窓から外を覗くと目を見開いた。広陵とした大地に何台もの戦車が走り、上空には戦闘機が隊列をなしている。時折レーザーが行き交い、至る所に人が倒れていた。
女は学者が危険だと言うのも聞かずに外に出た。博物館や映像で見た戦車や戦闘機が沢山飛んでいる。タイムマシンは本当に過去に来たのだ。
「こんなに青い空なのに…」女は飛び交う戦闘機を見ながらそう思った。地球が、空が汚されていると感じた。
大地に目をやる。歩兵隊が一斉にレーザーで攻撃を受けてあっけなく全滅していた。女は呆然とした。女の目の前で簡単に命が失われていく。
女の目の前に広がる光景は文献や映像などの資料では感じ取ることのできない光景だった。否定する事も出来ず、かと言って肯定する事も出来なかった。
戦車や戦闘機が遠くに砂埃をあげて去っていく。後に残ったのは倒れた兵隊だけだった。女は側まで行きたいと思った。
「余り過去の時代に干渉してはいけない」と学者は言ったが女はそれを無視した。
兵隊達が倒れている場所に辿り着く。多くの兵士はすでに息絶えているようだった。この様な人の終わりを見るのは女にとって初めてのことだった。
その中に僅かに息をしている兵士がいた。よく見ないとわからなかったのだが辛うじて唇が動いていたのを確認したのである。
兵士は肩に致命傷ともいえる傷を負っていた。視線は定まっておらず、今にも命の火が燃え尽きそうだ。
女は兵士の側に立ち、混乱した頭で兵士を見下ろした。太陽に当たっていた兵士の顔は女の影に覆われた。
側に来ると兵士の状態が明瞭になった。唇が震えて紫色になっている。意識はあるのかもしれないが目は見えているのかどうかわからない。
女は自然としゃがみ込み、兵士の頬に手を当てた。兵士は少し意識を取り戻したようだった。
兵士は女の方に視線を向けて何か呟いた。声が小さく、震えているので辛うじて聞き取れる程度である。
女には「メグミ」と聞こえた。女はなぜ過去の人間が自分の名前を知っているのだろうと思った。
さらに女は気がついた。これは「メグミ」ではない。「女神」だと。朧げな意識の中で私を女神だと思ったのだと。
後から来た学者にメグミは「この人を助けます」と言った。
「歴史が変わる事はしてはいけない」と学者は言い返した。
「歴史は変わりません。これは歴史通りのことなんです。この人は私の祖父です」とメグミは力強い声で言った。