月光下の微笑8
「では、おまえは俺に代価を払うつもりがあるのか」
「え?」
「おまえは俺と契約するつもりなのかと問うているのだ。おまえは俺に挑んでいるわけではない。ただ殺されることだけを望んでいるのだろう。よもや人間の分際で、俺たち魔族の力を無償で利用しようと思っているのではあるまいな?」
「代価……。それを払えば、あなたは私の望みを叶えてくれるの? だったら、なんでもお望みのものをあげるわ。私には何も必要ないから」
少女のその声には、抑揚というものがなかった。
「代価は俺と契約を結んだ先にある命と時間のすべてだ」
「それはどういうこと? 死ぬことが私の望みなのに、契約を結んだ先の命と時間なんてないに等しいわ」
「おめでたい頭のヤツだな。俺と契約を結べば、生まれ変わっても俺に縛られるということだ」
ガラス玉のような少女の瞳には、少しの動揺も見られなかった。
「べつにかまわないわ。なんでもいいから早く私を殺して」
彼はすっと目をすがめた。
何もかもを諦めている者というのは、どうしてこうも興をそぐのか。彼はくだらないとでも言いたげに鼻を鳴らした。
手放すことを躊躇するからこそ、価値があるのだ。
苦悩し、それでも選び取るものだからこそ、たとえそれがどんな答えであったとしても、そこには気高かさがあり、心惹かれるのだ。
迷いがないというなら、それもいい。けれど、彼女の場合は最初からすべてがどうでもいいという姿勢があからさまに出ていた。
まったく生気というものを感じられない少女の瞳を視界に入れるのも不愉快だとばかりに、彼は踵を返した。
「ねえっ。待って! お願いだから!」
彼は見向きもしなかった。
「お願いだから私を殺して! さもなければ、私は命ある限りあなたを恨むわ。あなたはきっと後悔することになるわよ」
闇の王は、ふと立ち止まった。
記憶の糸が引かれる。
彼はかつて似たような言葉を耳にしたことがあった。
『私は魂あるかぎり、おまえの死を望む。この身に流れる血にかけてな。せいぜい後悔するがいい』
ゆっくりと振り返り、少女を見やる。
似ているだろうか、あの女と。
どこかに面影があるだろうかと、彼は少女を子細に眺めた。
けれど、すがるような目を向けてくる少女に、彼の探すようなものは何ひとつ見当たらなかった。
(だが、こやつはミギリ。確かめるだけの価値はあるか)
彼は改めて少女に向き直ると、まさに目にも止まらぬ速さで少女を掻っ攫い、その場から姿を消したのだった。