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偽り1

 オレンジ色のやわらかな明かりが、薄暗い店内を包みこんでいた。

 店の中央は白いテーブルクロスのかかったテーブルがいくつも並んでいるが、店の奥にはソファの席もあり、可愛らしいクッションがいくつも並んでいた。

 お洒落なパスタ料理店なのだが、ショッピングモールの中にある店ということもあり、少しも格式張ったところはなくて、ランチやディナーの時間帯にはいつも満席だった。客層も若く、店内はいつもにぎやかな話し声で満ちている。


「あ、早苗! こっち、こっち!」


 店の入り口に見覚えのある顔を見つけ、桜子は手を振って明るく声をかけた。

 癖のない明るい茶髪をした女性がすぐに桜子のほうを向き、肩をちぢこめると、手をこすり合わせながら桜子のほうへ歩み寄った。


「ごめん、ごめん。きのう遅くまで録画してたドラマ観てたら、うっかり寝坊しちゃって。ほんとごめんね?」


「いいって。あんたの遅刻には慣れっこだからね。それを見越してこの店にしたんだし」


 ここは桜子がよく通っている店で、ランチタイムには焼き立てのパンが食べ放題だった。

 今も遅刻してくる友人を待ちながら、とくにお気に入りのシナモンとレーズンのデニッシュを堪能していたところだ。


「さすが。桜さまはよく分かっていらっしゃる。そして、寛大!」


「いいから、二人とも座りなよ」


 屈託なく笑う早苗の後ろですこし遠慮がちに立っている女性に笑みを向けながら、桜子は椅子をすすめた。

 椅子に手をかけていた早苗は、「あっ」と声を上げ、後ろにいた女性を前に押しだした。


「先に紹介しておくね。会社の同期の原田香代ちゃん。こう見えて、すっごく仕事できるんだよ。いつもお世話になってるの。ふふ」


 早苗が「こう見えて」とわざわざ言うのも分からないではない気がした。

 原田香代というその女性は、ふっくらとしたあどけない輪郭をしていて、ぱっちりとした大きな目は上目遣いがとても似合っていた。きゅっとほんの少しすぼめられたくちびるは、花びらのようだと表現するのがいちばんしっくりする。

 一見して、お姫さま。そんな印象だった。


「香代ちゃん、この子が高校と大学いっしょだった友達で、九条桜子。まあ、ハチャメチャなやつだから、てきとうに付き合ってたほうがいいよ」


「早苗ぇ! なにその紹介の仕方!」


「あはは。うそうそ。とっても頼りになる美人さんだよ」


 笑いながら、早苗と香代は桜子の向かいの席に座った。


「それで、私に頼みたいことって何なの? 久しぶりの連絡が頼みごとってのは、いかにも早苗らしいけど」


 ゴミでも入ったのか、なんだか右目が痛み、桜子はぱちぱちとまばたきをしながら尋ねた。


「うん、それがね。明日合コンする予定なんだけど、参加予定だったコが急に用事入っちゃってさあ」


「……まさか私を誘う気じゃないでしょうね? 私、そんなの行かないわよ? 彼氏いるんだから」


「いやいや。ちゃんと話を聞いてよ。合コンってのはほんと形だけで、実際はこの香代ちゃんとワタルくんをくっつけるための舞台設定でしかないのよ。向こうの幹事もそれは理解してるから、大丈夫だって」


「ワタルくんって誰よ?」


「私の友達の友達。香代ちゃんの片思いの相手だって分かってね、それなら偶然を装って合コンでくっつけちゃえと。ねえ、いいでしょ? 協力してあげてよ」


「えー。うーん……。でも、雪人がな……」


 桜子は眉根を寄せて唸った。

 男友達と遊びに行くと言っても彼は怒らないし、合コンに誘われたと言っても、彼はべつに嫌な顔をしたりはしない。

「好きにしろよ」と、いつもあっさり言う。

 ただし、「桜に手を出したやつは殺すからな」というひと言がその後についてくるのだが。


(最高の脅し文句よね……)


 なにせ相手は本当に人間を殺すことがある魔族だ。冗談で片付けるには、その種族の名があまりにも重すぎる。


「もしかして、あんたまだユキくんと付き合ってたりするの?」


「なによ。文句ある?」


 意外だと言わんばかりの早苗の反応に、桜子はくちびるを尖らせた。


「べつに文句はないけど、あんた、ほんとに変わってるよね。桜って美人だしさ、彼氏はいるだろうと思ってたけど、その彼氏がまさかまだユキくんだとは思わなかった」


 早苗は、さっきから黙って座っているだけの香代のほうを向いた。

 香代は桜子に彼氏がいると聞いて、明らかに申し訳なさそうな顔になり、うつむいていた。その彼女の袖を、早苗がぐいぐいと引っぱる。


「ちょっと聞いてよ、香代ちゃん。ユキくんっていうのは、桜が高校のときから付き合ってる彼氏なんだけどね、これがまた桜より五つも年下なのよ」


「え?」


 思わずといった様子で香代は顔を上げて、まじまじと早苗を見つめ、そして、桜子を見つめる。穴が開きそうなほど。


「びっくりでしょ。高三のときからだっけ? 付き合ったの。そのときユキくん、まだ中一だよ? コドモと付き合ってなにが楽しいのかと思ったけど。ユキくん今は、えーと……高二になったのかな?」


「そうよ」


 桜子は水を飲みながら、つまらなさそうに答えた。


「でも、まだコドモよねぇ。桜ならもっといい男をいくらでもつかまえられるのに、ほんと変わってるとしか言いようがないわ」


 メニュー表をつかみ、それを早苗に向かってちいさく振りながら桜子は不敵に笑った。


「あのねぇ、言っておきますけど、雪人以上にいい男なんて、そうそういませんから」


「まあねぇ、たしかに顔はけっこう良かったと思うけど。でも、中学生とか高校生の坊やを男としては見られないな、私は」


「早苗は、でしょ。私には雪人しかいないの。他の男なんてありえないの」


 桜子が言いきると、早苗はプッと吹き出し、香代のほうを見た。


「……ね? 言ったでしょ? マニアックな世界に入り込んじゃったコだって」


「失礼ねぇ」


 顔をしかめてメニュー表を開いた桜子は、文字を追いながら、たしかに自分はマニアックといえばマニアックな世界に入り込んでしまってるのかもしれないと、ちらりと思った。

 それは早苗が思っているような、子供を恋愛対象にするというものではなく、人間ではない者を恋愛対象にしてしまったという意味で。しかも、自分の隣にいる男は、もはや彼しか考えられない。

 彼が自分の世界に戻ってから、まだ一日も経っていないというのに、なんだか半身が失くなってしまったような感覚に陥ってしまって、妙に落ち着かなかった。


(帰ってくるって言ったもの。雪人は嘘はつかない)


 彼が自分の世界に戻る間際に、耳もとで囁いた言葉を思い返し、桜子はクスッと笑った。


「やだ、ちょっと。桜ってば、なにひとりで思い出し笑いしてんのよ。やらしいなぁ」


「べつにいいじゃない。ほら、早く早苗たちもメニュー決めてよ」


 愛してるなんて、はじめて言われたのだ。少々頬の筋肉がゆるんだとしても仕方ないではないかと、桜子は内心でつぶやく。

 出会ってから五年。付き合ってから四年経つが、ほんとうにたったの一度もそういうことを言われたことはなかったのだ。

 まるで所有物のように、桜子のことを自分のものだと言うことはあっても、それ以上の言葉を彼が紡ぐことはなかった。

 向けられる穏やかな眼差し、優しく触れる指先、自分を呼ぶ甘やかな声。

 言葉がなくたって、伝わるものはある。

 それでも、言葉にされてはじめて伝わるものもある。

 桜子は、なんだか初めて両想いになれたような気分だった。


「それで、どうなの?」


「え? どうなのって?」


 幸せな夢の尾に脳を絡めとられたまま、桜子は目をしばたたいた。意識を現実に戻すのが、ほんの少しだけ恨めしかった。

 早苗はそんな桜子には構わず、テーブルに肘をついて身を乗りだした。


「だからあ、合コン! 来てくれるの?」


「えー。いや、だから、それは雪人が──」


「大丈夫。ユキくんの心配するようなことは何もないんだからさ。ただの人数合わせ。ほんとに! ねっ」


「いや、そういうことじゃなくて……」


 桜子が心配しているのは、相手の男性たちの命のことなのだが……、それはさすがに言えなかった。言ったところで、本気になどしないだろう。


(でもまあ、今は雪人いないし。平気か)


 チクチクとまだ痛みを訴えている右目をこすりながら、香代のほうを見やった。

 申し訳なさそうにうつむいている香代を見ていると、なんだか可哀相に思えてくる。

 いかにもか弱いお姫さまといった彼女には、幸せそうな笑顔こそが似合う。もしも、そのワタルくんとやらと一緒になることでその笑顔が浮かべられるなら協力してもいいかと、桜子は思った。

 自分が雪人のそばにいるときのことや、いま彼がそばにいなくてどこか空しい気持ちを抱えていることを考えると、なおさら桜子は香代を笑わせてあげたい気持ちになった。


「分かった。でも、ほんとにお飾りで行くだけだからね? ワタルくんって人以外には、ちゃんと私に彼氏がいること伝えといてよ?」


「うん、伝えとく伝えとく! さすが桜子! ありがと! よかったね、香代ちゃん」


「うん」と頷き、嬉しそうに笑う。


「無理を言ってすみません。ありがとうございます」


 ああ、可愛いなと、桜子は思った。

 当日は彼女とワタルくんがうまくいくようにできるだけ頑張ってあげようと、桜子は思うのだった。


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