月光下の微笑7
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金と銀を混ぜ合わせたかのような美しい満月が、深い藍の空にまどろんでいた。
完全な闇とはいえない闇のなかで、彼は狙いを定めていた。
そのしずかな榛色の瞳に映っているのは、人通りの少ない道を足早に歩く若い女性だった。
ふいに、夏にそぐわない冷たい風が吹き抜けていく。小さな悲鳴という色を添えて。
顔をあげた彼の双眸は、見る者を金縛りにしてしまうほど冷ややかな光を湛えていた。
闇でこそ際立つ、異形の美しき姿。
闇の支配者に相応しい闇色の髪。獲物を睨む瞳は、月光のかげんによっては黄金にも見える榛色。
まさに冴え冴えとした美貌と呼ぶに相応しい彼の足もとで、文字通り灰となって崩れ落ちた女性の身が風に攫われてゆく。
そのときだった。
ひらりと、彼の目の前を銀青色の蝶がよぎった。
彼はその蝶に誘われるようにして、ゆっくりと後ろを振り返る。
背中にかかるほどの黒髪を夜風になびかせ、少女がこちらに歩いてくるのが見えた。
銀青色の蝶を視界の隅でとらえたまま、彼は少女のほうに向きなおる。
少女は微笑んだ。
「やっと見つけた」
少女は今にも泣きだしそうな表情で、穏やかに、うれしそうに微笑んで彼を見ていた。夜目の利く彼にはそれがはっきりとわかった。
「ずいぶん探したわ」
視界の隅でとらえていた銀青色の蝶がすっと動き、少女のほうに吸い寄せられていく。
そして、蝶はゆっくりと伸ばされた少女の手の中へと吸い込まれ、消えた。
「驚かないのね」
彼は答えなかった。
「早く私を殺したら?」
彼は動かない。
「私が怖いの?」
そのとき、はじめて彼の表情が動いた。口もとを引き上げ、冷たく笑う。
「おもしろいことを言うな。なぜおまえのような小娘を、この俺が怖がらねばならない? たとえおまえがミギリであろうと、俺には何の関係もない」
──ミギリ。
魔族を殺す血をもつ一族の人間。
銀青色の蝶は、ミギリの証。
だが、彼にとって、そんなものは脅威でもなんでもなかった。いくら魔族を殺す力を持っているとは言っても、所詮は人間。魔族の王たる彼のまえでは、児戯に等しい。
「おまえこそ、そんなに死にたいか」
少女は微笑みを崩さなかった。
「……ええ。早く殺して」
いとも穏やかに言う。
これには、さすがに彼も眉根をよせた。
「なんだと?」
「早く殺してよ」
そう言って、少女は微笑んだまま目を閉じた。彼はすぐには動けなかった。
「どうしたの? 怖気づいた? 私なんか怖くないんでしょう?」
明らかな挑発だった。
けれど、何かがおかしい。
ミギリは、その血を誇りにしている。
魔族を殺せるという己を、誇りにしている一族だ。
それゆえ、挑発する意味で魔族に向かって「殺してみろ」と言うことはあっても、「殺してくれ」などと言ったりはしないことを、ミギリの天敵たる彼は理解していた。
それに、彼女からはほんの少しの殺気も感じられない。まるで、ほんとうに殺されたがっているように見えた。