表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/119

月光下の微笑4

「……俺も、雪人みたいに上着を着て行こうかな」


 言いながら、昌輝はすぐそばに置かれている紺の上着を見やった。

 雪人は昔から肌の露出を嫌っていて、いつも必ず上着を羽織っていた。

 以前、昌輝が不思議に思って理由を尋ねると、「人に触れられるのは不快」という、そっけない答えが返ってきた。

 男らしい容貌をしているくせに、意外に神経質なやつだなと、昌輝はいつも笑っていたが、今回はその雪人の上着のおかげで怪我を隠し、人目を集めることなく無事に帰宅できたのだから、感謝しなければならない。

 今後も傷が治るまでは、薄手の上着は役に立つかもしれないと、昌輝は思った。

 鈴音の前で、これ見よがしに包帯を巻いている腕を出すのは、なんだか気が引けた。


「そういえば、雪人はなんでこんな時間にうろうろしてんだ? 授業は午前中までだし、俺みたいに部活があるわけでもないだろ?」


 昌輝たちの通う高校は土曜日でも隔週で授業があった。

 雪人は救急箱を脇に押しやると、そのまま床に腰を下ろし、麦茶の入ったグラスを呷って肩で息をついた。


「桜の使いっぱしりだよ。うちの店で売ってる葛餅が食べたいから、買ってこいってさ。そんで買いに行ったら、母親がうるさく話しかけてくるわ、あれこれ俺に食わせようとしてくるわで、あっという間にこの時間さ」


「それは普段、おまえが家に寄りつかないのがいけないんだろ?」


 昌輝は苦笑する。

 雪人にはちゃんと両親がいるのだが、彼は親がいる家のほうではなく、恋人の家のほうで寝泊まりしていた。社会人の彼女は一人暮らしをしているので、雪人が入り浸っていても、家の中に咎める人間はいない。


「おまえみたいな不良息子をもったおばさんが気の毒だよ。……というか、おまえが素直に桜子さんの言うことをきくなんて珍しいな」


「仕方ないだろ。あいつ、夏風邪なんてガラにもねぇもんひきやがって、ほとんど何も食べないんだから」


「でも、葛餅なら食べるって?」


 昌輝は笑った。

 心底迷惑そうに顔をしかめているが、なんだかんだ言いつつも恋人の願いを無下にしない雪人は、けっきょくのところ根はいいヤツなんだよなと、内心で呟きながら、昌輝はグラスに手を伸ばす。


 つい癖で右手を出してしまい、引き攣れるような痛みに、昌輝はあわてて左手でグラスをつかみなおした。

 知らず、溜息がこぼれる。


「そっか。しばらく連絡ないと思ったら、桜子さん風邪ひいてたのか」


「なんか不便してるか?」


「いや、大丈夫。桜子さん、もともと保存がきくようにいろいろ冷凍させてくれてるし、食べるものくらい、買いに行けばいくらでもあるしね」


 昌輝の両親は現在、仕事の都合で海外に住んでおり、桜子は一人暮らしをしている昌輝をなにかと気にかけて、よく食事をつくりに来てくれていた。

 桜子は雪人の恋人なのだが、昌輝にとっては面倒見のよい姉、あるいは母親のような存在だった。昌輝の家の合鍵も桜子が持っているほどに、その信頼は厚い。


「桜子さん、早くよくなるといいな。お大事にって、伝えといて。あ、こないだのすき煮、美味しかったよっていうのも一緒に」


「かわいいおまえにそう言ってもらえれば、桜も喜ぶよ」


「なに言ってんだよ。かわいいとか、男に言うセリフじゃないだろ」


 昌輝は眉をひそめる。

 まだ少しあどけなさを残す輪郭とぱっちりした目、その優しげな面差しを縁取る赤みがかった長めの黒髪のせいで、昌輝はいまだに女の子と間違えられることがあった。

 それが昌輝のひそかなコンプレックスでもあったので、かわいいと言われれば、くちびるを尖らせたくなっても仕方なかったろう。


 昌輝の心中を知ってか知らずか、雪人はクスクス笑う。


「じゃ、俺、そろそろ行くわ。いいかげん帰らないと、また桜がうるさいからな」


「……あ、ごめん。そうだな、ゆっくりしてる場合じゃないよな。今日はほんとありがと」


 立ち上がった雪人を追うようにして、昌輝も立ち上がる。


「いいって、いいって。俺とおまえの仲じゃん。気にするな。ああ、見送りはいらないぞ」


 雪人は昌輝に背中を向けたまま片手を上げてちいさく振り、さっさとリビングを出ていく。

 あまりにも素っ気ない友人の挨拶に苦笑いしながら、昌輝は遠くで閉まるドアの音を聞いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ