84話 諦めたって、逃げられるわけでもない!
【アクアラグーン訓練場グラウンド・ミカエル視点】
”堕天”すると決意してから、王国の勇者ルーシーに対し、私は自分でも驚くほど極めて大胆に振舞えるようになっていた。
騎士見習い訓練に参加することを許された私は、グラウンドでルーシーを待ち。彼女の姿を捉えると真っ先に彼女の元へ駆け寄った。
自分からルーシーに挨拶をし、意を決し手を差し伸べ、そして、やっと、その彼女の手に、触れることができた!
小さく、少しひんやりした柔らかなルーシーの手の感触と、私を見上げるその深い青い瞳。
こんなにも幸せな瞬間が今まであったであろうか。
背徳感に苛まれながらも、その深い青い瞳に私は心からの笑顔を返した。
そしたらルーシーが”クラっ”とふらついたので心配していると、”朝が弱い”と恥ずかしそうに私に教えてくれた。恥じらう様子もかわいらしい。
アイザックが、ルーシーに、「ふらついたのは私の”魅力”によるもの」だと言っていたが、本当にそうであったのなら良いのに……と、よこしまな望みが胸の奥に沸き上がった。
陣取り合戦で、捕虜として私のそばにいる時も、私はルーシーに対しドキドキしながらも、話しかけたわいもない会話をした。「勇者なんて…」と言いかけた彼女はきっと、”勇者になんてなりたくなかった”と言いたかったのだろう。「勇者じゃなかったら、もっと気楽だったのに」と、愁いを帯びた表情で答えたルーシーに「正直だね」と笑うと、彼女は焦った表情で遠くを見つめた。
ルーシーは、"勇者"になりたくて、なったものだと思っていた。
王国の未来を担う”勇者”という称号を与えられ、才能ある若く美しい女性騎士として、国王に愛され、王子と婚約し、前途洋々順風満帆な人生が待っているというのに。
それが、彼女にとって不本意なものであったとしたら……。
まだ15歳……。
王国の勇者として、晩餐会の挨拶にフォルネオス隊長との手合わせ、ノール帝国軍事協定関係の公務も立派にこなし。さらには勇者ルーシーを通して両国の親交を更に深めたと聞いている。晩餐会でルーシーと親しげに会話するノール帝国の王子に、嫉妬に似た感情を抱いたのも事実。妖精王の王子との婚約話も嘘であってほしいと願った。だが、実際に会ったその王子の素晴らしさに、私は納得し完敗を認めざるを得なかった。
だからせめて彼女の近くに居たいと願うことは、いけないことなのだろうか?
私のこの力で彼女を癒し、助け、支える事は出来ないのだろうか?
少し風が出てきた空に、大きな雲が流れていく。
すぐ隣には、真剣な表情で遠くの自陣を見つめる凛とした横顔。帽子からはみ出た長い赤い髪が、爽やかな風に吹かれ静かに揺れている。
「静かだね」
「は、はい」
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手を伸ばせば、すぐに届きそうな程ルーシーは近くにいて、話しかければ私に答え微笑んでくれる。
このまま時が止まればいいと願わずにはいられなかった。
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「何を話してたんだ?」
試合終了後、同じベンチに一緒に座り試合を観戦していたサミュエルが、私に尋ねた。
「たわいも無いことだよ」
「そうか、なんか楽しそうだったから」
「楽しかったよ」
「ふーん」
そっけなく返事をしたサミュエルは、小さなメモ帳を手にペンを走らせていた。
「何してるんだ?」
「ああ、気づいたことをメモってる」
「気づいたこと?」
「そうだな、こういう試合をしていると意外と素が出ちまうだろ。冷静だとか、粘り強いとか」
「サミュエル、先生みたいだね」
「まあな、一応、訓練官も兼ねてるからな。適正も見ないとならないし……こいつらも半年後には、実習部隊に配属されるからな」
「もう、戦場に行くのか?」
「いいや、まだそこまではいかないと思うが、南の海の状況次第だろうな」
「そうか……」
南のジェダイド帝国への牽制として締結されたノール帝国との軍事協定。
思惑通り、牽制となり王国への進軍を阻止できれば良いのだが、果たして、読み通りに行くものか……。あの帝国の氷の魔女の恐ろしさは底知れぬゆえ、予断を許さない状況が続いている。
今頃、国王べリアスより、ノール帝国海軍への協力要請を受けた天使界の軍部”能天使”が動き出しているはずだ。
本来なら、私も”能天使”と共にノール帝国海軍との代表者に会い、今回の軍事協力に対しての感謝の意を伝え、協力体制の拡充を図る事を約束せねばならない、それに、日曜日には、先月生まれた子どもたちの洗礼と、来週には”主天使”の叙階(任命)も控えている。
ここまで来てしまったのに、やり残してきた仕事や、それに携わる多くの者たちの顔が次々と思い浮かんだ。
「それよりも、エリック。日に焼けたな」
サミュエルが屈託なく笑いかけてきた。
「そ、そうか…」
もう戻らぬと決めているのに、こんなにも気持ちが落ち着かぬ。
「どうした?」
そんな心内が表情に出てしまっていたのかサミュエルが心配そうに聞いてきた。
「な……なんでもない。サミュエル……ルーシーは、いい子だな」
ぐらつく気持ちを抑えるように話題をルーシーに変えた。ルーシーの事を考えれば迷いは消える。
「だろっ! あそこで味方を助ける奴はそうそうないぞ!」
「あの時か。私は、はじめから助けに来たのだと思ったぞ」
「ハハハっ、エリック、お前がルーシーに何か言ったんだろ」
「フフっ、ああ、そういえば、私の”ささやきにのせられた”って、ルーシーが悔しがってた」
「ヘえー、エリックやるなぁ」
「正直にいうと、基礎訓練で疲れて動けなくて、口だけでどうにか……」
「ぶっ、ハハっ」
「おかげでルーシーと話ができた」
「良かったな」
「ああ」
ルーシーの事を考えるだけで幸せな気持ちになったが、彼女の憂いを帯びた表情が少し気になった。
「お、もうこんな時間か……そろそろジュードさん起こさないとな」
サミュエルが、ジュード殿を起こしに木陰に走って行った。
私から遠く離れたベンチには、私の元執事ダニエルが神妙な顔でこちらを見つめている。もう私の事など諦め、さっさと次の”長”に仕えてくれればよいものを……。
+++++
【アクアラグーン訓練場グラウンド・ルーシー視点】
「よろしくお願いします!」
全身黒づくめのジュード団長補佐が、気怠そうに木刀を手に私の前に立ちはだかった。威圧感にも慣れ、今日はどんなふうに攻めようかと考える余裕もちょっとだけ出てきた。
「今日は、怠ぃからさっさと終わらせるぞ」
怠ぃから……二日酔いかな。
なんて考える隙さえ与える気もないのか、一気に間合いを詰めて斬りかかってきた。
怖い!怖い!怖い!怖いっ!!!
斬撃をガードした後、低い位置で蹴りが飛んできてそれをジャンプでかわし、すかさず私も斬りかかると、ガキィィィィン!と、木刀で弾き飛ばされた。
ドザッツ!
とっさのことで受け身が取れず、思いっきり背中を強打した。
「っ! ごほっ! ……ゲホッ」
痛みとめまいが同時に襲ってきた。油断したー!くそっ!
それに、木刀の手合わせで”蹴り”なんて聞いてない!
「休みボケか、なめ腐りやがって」
ジュード団長補佐がギロリと私を見下ろし睨みつけた。
「大丈夫か!?」
駆け付けてくれたサミュエル副隊長が、顔を覗き込んだ。
「……い、いた……」
声出すだけでも痛い泣きたい。
「あ、ええと。ここで治癒する為に、触れてもいいか? いいな!」
返事を待たずにサミュエル副隊長は、私の頬を手で包み込んだ。
心配そうな顔で見つめるサミュエル副隊長の顔をボンヤリ見ながら、光に包まれ痛みが徐々に引いていった。
どうしようもないくらいの安心感で満たされる感覚と、立ち向かわなければならない恐怖の狭間で、このまま死んだふりしてれば逃れられるかな、なんて考えおもむろに目を閉じた。
はぁーっ、気持ちいい、天国! ”癒しの光”最っ高!
「おいっ! どうした!?」
サミュエル副隊長が、頬を”むぎゅっ”とつねった。
「ゔ……」
仕方なく恐る恐る目を開けると、サミュエル副隊長が心配そうな顔で覗き込んでいた。
「まだどこか、痛むのか?」
今度は焦った様子で頭や首筋に”癒しの光”を当てながら、サミュエル副隊長が悲痛な面持ちで聞いてきた。
ああああどうしよう、めちゃくちゃ心配してくれてる!
ちょっと”死んだふりしてた”って言える状況じゃないよ。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
少し笑って起き上がろうとすると「待て」と言い、また顔を近づけて怖いくらい真剣な表情で聞いてきた。
「本当か? 気ぃ使うんじゃねえぞ、本当に大丈夫か? 無理してねぇか?」
うわぁぁ、顔怖くなってるけど、優しい~。ごめんなさい。もうしません。
心の中で叫んだ。
「はっ、はい、大丈夫です」
ゆっくり起きあがり、肩と首を動かしてみた。うん完璧に治ってる!
「いけそうか」
サミュエル副隊長が少し笑った。
「はい!」
仕方なく立ち上がり、ジュード団長補佐を睨みつけた。
動きが見えるようになってはいたけど、力には敵わないって事すっかり忘れてた。
完璧に、油断してた。正面から行ってはダメだ!
「ったく。男前の天使様がいるからって浮かれやがって!」
怒鳴り声が響いた。
「は!?」
「すっとぼけんじゃねぇ! まるわかりだ!」
ジュード団長補佐が、真正面から飛びかかってきた。
「浮かれてませんっ!」
それを右にかわし、さっきの仕返しとばかりに膝裏に蹴りを入れた。
カックン!
「グォっ!」
まさかの”膝カックン”が決まり、ジュード団長補佐がバランスを崩したところをすかさず、背後から木刀でぶん殴った。
ゴツッ!
「あ、やっちゃった!」
てっきり避けられると思っていたので、こっちが驚いた。
「やりやがったな」
ノールックで後頭部に当たった木刀を左手で掴み、振り返りギラリと赤い目を光らせた。
ヒュッ……
ジュード団長補佐の右手に握られた木刀が、真横に飛んでくるのが見え、自分の木刀から手を放し身をかわした。
「ああっ!?」
ニヤニヤしながら立ち上がったジュード団長補佐は、二本の木刀を手に、私に向って斬りかかってきた。
私、丸腰じゃん!
「え、あ、ずるい!」
「逃げるんじゃねぇ!うわハハハハハハハ!」
逃げ惑う私を、容赦なく追いかけてくるジュード団長補佐。
悔しいが、どうしていいのか分からない。
足には自信があるので、このまま攻撃をかわし団長補佐が疲れるまで逃げ続けようとするも、一向に疲れる様子を見せない。
今日は怠いんじゃなかったの!?
バケモノじゃん!
双剣のバケモノ!!!
「逃げてばかりじゃ終わらねぇぞ! かかって来い!」
怒鳴り声をあげ、立ち止まった。
「どうやって!?」
「考えろ!」
「考えろって、その木刀を私に返してくれれば済むのに!」
「戦場でも同じことが言えんのか?」
「戦場だったら、逃げて武器さがします」
「屁理屈ぬかすんじゃねぇ! かかって来い!」
縦社会……。理不尽。パワハラ。
「うっ、」
ただでさえ隙のないジュード団長補佐が、木刀二本持ちで私が丸腰。
そんなバケモノに、のこのこ手ぶらで向かって行くなんて、自ら嬲られに行くようなもの……。
これは、あの手を使うか……上手くいくといいんだけど。
深呼吸。頬に当たる風を意識しタイミングを見計らって、息を止め一気に間合いへ近づいた。
ザッ……砂を蹴り上げた。
ブワッ
風にあおられた砂がジュード団長補佐の目を直撃した。
「クッ」
団長補佐の右手から繰り出される斬撃をかわし、次いで左手からの振り降ろされた木刀を真横にかわした。そのタイミングで、振り降ろされた左手甲の骨を狙い、思いっきり手刀を叩きつけた。
バシッ!
カラン
やった!
急いで木刀に手を伸ばすそうとすると、ジュード団長補佐の右手からの斬撃の気配に気付き飛びのいた。
危ない。この前、木刀を拾うのに集中してぶちのめされたんだっけ……。
「っ……てえぇな」
左手を振りながらジュード団長補佐が、唾をペッと吐いた。口にも砂が入ったみたい。
木刀は落とせた。
でも状況は何も変わっていない。木刀は、まだジュード団長補佐の足元だ。
その時、ジュード団長補佐が、木刀を拾うため屈んだ。
ザッ!
その隙をついて、ジュード団長補佐の右手へ回り込み、木刀を持った右手の手首を両手で掴み自身の左肘を乗せ、全体重をかけ固定し、木刀を掴んでいる指を思いっきり引っ張り上げた。これで、右手から木刀を奪えば……
「ん?んん???」
ビクともしない。
鉄か!? と思えるくらいガッチリと動かない指に絶望した。
っていうか、ジュード団長補佐は既に立ち上がっていて、私の足は地面を離れ宙ぶらりんに浮いていて、顔を上げると黒い眼帯の悪魔が物凄い形相で「ぐはっ!」と笑った。
ひぃぃぃぃぃぃっ!
バッ! と、すぐさま腕から離れた途端、また瞬時に斬りかかってきた。
逃げながら避け。かわしながら逃げ。隙をついて足を蹴ってもあまりの硬さに、逆にこっちの足が痛くなるし、勝機なんて全く見えない。それどころか追い詰められてる。
「わハハハハハハハ! もう終わりか?」
くっそー。
でも幸いにも、足をくじくことも、顔面強打もしていない。
まだ、やれる!
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
声を挙げてみたが、思いつく策はだいたいやってしまった。
どうしよう。
そもそも、双剣相手に武器無しで戦って、無傷なままでいられるわけがない。
恐らく、一太刀浴びる覚悟で挑まなければ勝てないだろう。
勝てるのか!?
そういや、勝ちってなんだ?
この手合わせからの解放?
普段、手合わせが終わるときは、私がコテンパンにされてサミュエル副隊長のストップがかかるか、私が流血したり、とっさに”勇者の剣”を召喚したりして解放されていた。
いざとなったら”勇者の剣”もいる。
だけど、それは本当に最後の手段。感情に任せて”勇者の剣”を暴発させ、ジュード団長補佐を返り討ちにしてしまったら後味悪い。
「来ねぇのか? じゃあこっちから行くぞ!」
しびれを切らしたジュード団長補佐が間合いを一気に詰め、木刀を振り上げた。
避けても同じか、じゃあ……一歩大きく踏み出した。
ダッ……
がら空きのジュード団長補佐の懐に入り込み、振り上げた右手に飛びついた。
そのまま勢いに任せて、膝蹴りをジュード団長補佐の腹部に”ドスッ”と一発! きれいに決まった。
「うっ…」ジュード団長補佐の表情が歪んだ。
意外に効いてる!? やった!
ベシッ!
もう片方の木刀で薙ぎ払われ、地面に叩きつけられ、私は大の字で仰向けに寝転がった。
痛いし、疲れたし、精神的にもう無理、動けない。追撃が来たら、避けきれない。
サミュエル副隊長、お願い、早くストップかけて! カモン、マイエンジェル!
疲れて叫ぶ気力も湧かない。
ああ、空が青いな……。
「うっ、気持ち悪りぃ……う……」
ジュード団長補佐が、口を押え訓練棟の方へ走り出した。
え? これって!?。
ジュード団長補佐と入れ違いに、サミュエル副隊長とレイ兄さんとミカエル様が駆け付け、私の顔を覗きこんだ。
「よく頑張ったな! 大丈夫か?」
サミュエル副隊長の笑顔に首を横に振りながら笑い、ホッとしてそのまま目を閉じた。
恐怖は消え去り、今日は頑張ったご褒美なのか、温かい金色の光がキラキラ輝いて、ああ、これは本当に天国にいるような、なんとも形容しがたい気持のいい浮遊感に身をゆだねた。
”癒しの光”最っ高!
やっと、やっと、やっと、一矢報えた……のかな。




