第15話 狂気の幼馴染 雨宮梓
伝えた。伝えてしまった。これでもう後戻りはできない。結果がどう転ぼうと今までのような心地よい関係ではいられない。なのにどうしてだろう。梓は後悔だけはしていなかった。
最近、会社内でビッチだとか、淫乱だとか、以前の梓なら赤面して動けなくなってしまうような噂を流されてしまっていたが、それでも子供としてみなされるよりかはよほどいい。
むしろ、少しは先輩の理想に近づけた。その事実を実感し、僅かな手ごたえのようなものを感じていたのだ。
(断られても構わない!)
どうせ諦められそうもないし、何度断られても食らいついていくつもりだ。先輩は梓と同じく、他人の好意に慣れていない。だから、気持ち悪がられたり、強い拒絶まではされない。遠ざけられない。その打算もあった。
(ふふ、少し変な感じ)
これではある意味、悪女という評価は至極全うなんじゃないだろうか。少なくとも、以前の梓なら絶対にしない思考だ。それでも以前のネガティブ思考の自分よりは例え情けなくても梓にはよほどいいように思えていた。
丁度、実家の前まで到着したとき表札前に知った顔がいつもの爽やかな笑顔を浮かべながら佇んでいる。
「やあ、梓」
「あ……秀樹……」
秀樹には先日、明確に拒絶の言葉を伝えている。秀樹は親同士が決めた許嫁。確かに幼い頃は大人になったら秀樹と結婚するんだと信じていた。
しかし、良くも悪くも梓は現代人。そんな親同士の決めた古めかしい約束ごとの優先順位などさして高くない。それに梓は自身の好きな研究さえできれば幸せな人間失格な朴念仁。なぜ、好き好んでデートや結婚のようなくだらないもので自分の大切な時間を制限されなければならないのかと割と本気で考えていた。
だからこそ、梓にとって秀樹との婚約の事実など大した重要性もなく日常の繁忙に完全に埋もれていたのだ。
だが、今回先輩への恋心を明確に認識し、自分の今まで放置してきた許しがたい怠惰をはっきりと自覚していた。だからこそ、先輩への告白をした今晩、その旨を家族に伝えようと思っていたのだ。
「君に話しがある」
「ごめん、伝えた通り。ボクには好きな人がいるよ」
「知っている。藤村とかいう、あの五流大の平社員だろう?」
「うん」
「僕にはあんな冴えないおっさんのどこがいいのかまったく理解できないよ。人相も悪く、低学歴で、人付き合いも悪い。どうせ、そのうちリストラされて路頭に迷う。そんな社会でも最底辺なゴミだよ?」
秀樹は肩を竦めると大きなため息を吐く。
「ボクにとっては世界で一番、大好きな人さ」
その梓の断言に秀樹は奥歯をギリッと強く噛みしめていたが直ぐに、
「まさかと思ってたけど、梓、君はどうやら奴に洗脳されているようだね。君の変化は種族の決定とも合致するし、クソがっ! 何て卑劣な奴だ!」
増悪の表情でそんな頓珍漢なことを吐き捨てる。
「洗脳? 違うよ。ボクは――」
「言わなくてもいい。君が僕以外の男を好きになるはずなどないんだ」
秀樹は右の掌を向けて梓の言葉を遮り、そう言い切った。
「だから少しはボクの話を聞いて欲しい。ボクが君に抱くのは恋愛感情ではなく兄妹愛。ボクが好きなのは――」
「ああ、可哀そうに洗脳状態にあるんだね。今、元の状態に戻してあげるよ」
「秀樹?」
先ほどとは一転、爽やかな笑顔を浮かべて梓に近づいてくる秀樹に、梓はどこか普段の彼にはない狂気じみた気配を感じ一歩後退っていた。
「大丈夫。直ぐに僕のことしか考えられなくしてあげるぅ」
(何か、変!)
初めて目にする異様な秀樹の姿に警笛がうるさいくらい頭の中に反響し、秀樹に背中を向け全力で我が家の玄関に逃げ込もうとするが、
「だーめ。逃がさないよ」
秀樹の左腕で首をロックされてしまう。
「ちょ、は、離してっ! ――っ!?」
その腕から逃れようともがきつつも、その秀樹の顔を見上げたとき、口から小さな悲鳴が漏れる。さもありなん。秀樹の両眼は紅に染まっており、その口端はまるで蛇のように耳元まで裂けていたのだから。
「嫌だっ!!」
梓の額に秀樹の右の掌が伸びてくる。あの右手に触れられたらマズい。
「アキト先輩ぃぃっ!」
あらん限りに梓のヒーローの名を叫ぶのと、秀樹の右手が梓の額に触れるのは同時だった。
そして、梓の抵抗むなしくその意識はプツンとブラックアウトする。
◇◆◇◆◇◆
濃密な黒色の霧の海の中を梓は漂っていた。
梓はすこぶる暗闇が苦手なはずなのに、ここは恐怖を感じるどころかすごく温かく心が安らいだ。
「やあ、こんにちは」
気が付くと眼前に浮遊する小袿を着ている女神のごとく美しい黒髪の女性が微笑を浮かべて梓に右手を軽く振っていた。
平安コスってやつだろうか。最近その手のアニメでも流行っているのかな。
「君は誰だい?」
「わたし? わたしは君。君はわたし。おわかり?」
「いや、まったく意味がわからないんだけど」
当惑気味に返答した。だって、本当に発言の意図がわからないし。
「だよねぇーー。まっ、仕方ないかな。じゃあ、もう一つの君の心だとでも理解しておいてよ」
「もう一つのボクの心?」
「うん。君の意識が深層に捕らわれたから話せるようになったってわけ。あくまで、深層意識に過ぎないから、ここで話したことは君が正気を取り戻したら綺麗さっぱり忘れるんだけどね」
「そんな非科学的なこと――いや、今更か……」
種族特性やスキルに魔石、もはや、非科学的と断じることなどできない。多分、この現象も梓が選んだあの種族の選定にあるんだろう。
「うん、今更だよ。じゃあ、自己紹介も済んだところだし、さっそく本題よ。
君の幼馴染の香坂秀樹により君の心はこの領域に囚われてしまったわけだけど、それって覚えてる?」
「心が囚われた? どういうことっ?」
女性は形の良い顎に触れながら暫し思案していたが、
「そう、忘れてしまっているんだ。なるほどね」
納得したように何度か頷く。
「勝手に一人で納得しないで欲しい!」
「うん。君には報告事項があるんだ」
梓の言葉などガン無視して女性は会話を続ける。随分、イライラさせる人だ。
「その報告事項って?」
「君の肉体に何等かの危害が及びそうになったら全力で抵抗させてもらうってこと」
それは梓にとっての望むところだけど、通常、わざわざ報告するまでもないこと。だとすると――。
「なぜ、ボクに報告するの?」
「君の心がこの深層領域にある限り、わたしならこの程度の呪い直ぐにでも解除できるの。でもね、それをすると主導権が完全にわたしに移ってしまう。つまり――」
「君がボクの肉体の主になると?」
「うんうん、理解力が高くてよろしい、よろしい」
腰を両手に当てながらも満足そうに、頷く。
要するに、この人は梓を慮って主導権を保留してくれているってこと。もちろん、この人が嘘を言っていることも考えられるが、それならわざわざ宣言などする必要がない。そもそも、この宣言自体不要な行為なのだから。
「なぜ、ボクに気を使ってくれるの?」
「別に君のためではないわ。ただ、わたしは――んーん、なんでもない」
言いかけた口を慌てて閉じて、黒髪の女性は梓に近づきそっと抱き締めてくる。
「あ、あの?」
「大丈夫、香坂秀樹も自分の変質を自覚していないみたいだし、主導権が変わらない程度で上手くやるわ。だから――」
まるで子供をあやすように耳元で囁きながらも、梓の後頭部をそっと撫でる。突如、視界がグニャリと歪み、突然瞼が重くなる。
「少しだけお休み」
とびっきりの安堵感の中、梓は暫しの眠りについた。
お読みいただきありがとうございます。
多分、モヤモヤとする話だと思うので本日中にもう一話行きます。
※本物語で登場するヒロインは苦難はあっても酷い目にあうことはないです。ですので、どうぞ引き続き安心してお読みください。(^^)/
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