第13話 認めるわけにはいかない失恋 香坂秀樹
香坂秀樹は、乗り付けたベンツから降りてパーティー会場へと足を踏み入れる
日本でも有数の名家の子息子女や経済界の重鎮たちが犇めき合う。まさに選ばれた者のみのためのセレブパーティー。
「秀樹、皆さまに挨拶しなさい」
お母様がよそ行きの笑みを浮かべて近づいてくると、秀樹を促す。
頷くといつもの爽やかな笑みを作り、社交界の輪の中に入って行く。
「秀樹、久しぶりじゃん?」
胸元を大きく開けた赤髪の美青年が、周囲の女性の輪をかき分けながらも秀樹のもとへ歩いてくる。
「やあ、ユージ、御無沙汰しているね」
彼は四葉雄二、幼少期から東都大時代まで一緒だった幼馴染だ。秀樹同様、四葉財閥の御曹司でありながら現在、タルトという芸能プロダクションでユージという芸名でアイドルをしている変人である。
ユージは秀樹の肩に右腕を絡めると、周囲の女性たちをグルリと眺めると、
(変わらずモテモテで羨ましいぜぇ)
ニヤニヤしながら耳元で囁く。
(どっちがさ。現役アイドルのお前が、それを口にするとイヤミにしか聞こえないよ)
(いやいや、結構本気で俺は言ってるんだけどな)
呆れたような顔でそうユージが呟いたとき、ひと際大きな騒めきが起きる。
まるで吸い寄せられるように、会場内の視線は今入ってきた純白のパーティードレスを着た人物へと固定されていた。
ウェーブのかかったブロンドの髪に、美しい碧眼、そして目、口、鼻が絶妙の形で配置された女神のごとき美しい相貌、壊れそうなほど華奢な身体。それは、まさに誰もが息を飲む絶世の美少女だった。
「あれ、誰だ?」
微動だにせずに彼女を凝視しながらもそんな疑問を口にするユージに、
「何言っているんだい。彼女は梓だよ」
「梓ぁ? あの雨宮梓か?」
「そう」
「ちょ、ちょっと待てって元々可愛かったけど、あれはいくらなんでも方向性が違いすぎんだろうがっ!」
秀樹の胸倉を掴み唾を飛ばすユージに、
「多分、選択した種族の関係なんだと思うよ」
その答えを口にする。
「マジかよ……」
「あまり、ひとの許嫁を凝視するもんじゃないよ」
「あ、ああ、そうだったな。悪い」
余裕の一切を失った表情で、ユージは何度か頷くと顔を背ける。そのどこか悔しそうなユージの顔を視界に入れ、秀樹はどこか強烈な優越感を覚えていた。
風貌がいくら変わろうと相変わらず人見知りなのは変わらないらしく、梓は強張った作り笑いをしながらも群がる男性たちに愛嬌を振りまいていた。
「やあ、梓」
秀樹が近づき右手を上げると、梓もほっとしたかのように安堵の表情を浮かべ右手を軽く振る。
「秀樹、この後少しいいかな。大事な話があるんだ」
梓は秀樹の傍まで来ると未だかつて見たことがない厳粛した顔でそう口にしたのだった。
梓は秀樹にとって幼い頃からの幼馴染であり、許嫁。よく遊んだし、喧嘩もした。そして、ぼんやりとだが、大人になったら彼女と添い遂げる。そう信じ疑ってはいなかった。
だからだろう。人気のないパーティー会場のテラスの隅に呼びだされ、彼女の口から発生られた言葉が暫く理解できず、
「は? え? それってどういうこと?」
聞き返したのだった。
「うん。突然でごめんよ。ボク、好きな人ができたんだ」
「好きなひと? それって僕のことでしょ?」
梓が好きな人は秀樹のはず。ずっと秀樹。そのはずだ。いや、そうでなくてはならない。
「秀樹、君はボクにとって大切な人さ。それは間違いない」
「だったら――」
「でもそれは、兄妹のような関係での好意だよ。異性としての好意じゃない」
「何を言っているのさ! 君が好きなのは僕だ!」
彼女は何を言っているんだ? 今まで同学年で秀樹に好意を持たない女などいない。今まで秀樹が優しく接するだけで容易く振り向いてくれた。例え他に好きな奴がいた女であってもその心は秀樹に移ったのだ。なのに、肝心の婚約者が秀樹を異性として見れない。そんなバカな話があってたまるか!
「違うよ、秀樹。ボクは君以外に大好きな人がいる。彼だけは絶対に誰にも譲りたくはないんだ。たとえ何を犠牲にしたとしても!」
その彼女の蒼色の双眼の中には、今まだ見たこともない強烈な光があった。それはとても冗談をいうようなものではなく――。
「う、嘘だ……嘘だ! 嘘だ! 嘘だぁっ!!」
必死で否定の言葉を捲し立てる。テラスに出てきたゲストたちが怪訝な視線を秀樹たちに送る。
「ごめんよ。でも今はっきりさせるべきだと思ったのさ。ボクは時が来たら、お父様とお母様にこの件を正式に伝えるつもりだよ」
「君は嘘を言っている!」
そこからよく覚えていない。ただ必死に逃げるようにしてパーティー会場を飛び出していた。そして、街の雑踏をあてもなく彷徨っていたとき突然肩を掴まれる。
「香坂秀樹さんですね?」
振り返ると七三分けにした男が、薄気味悪い笑みを顔に張り付かせて佇んでいた。
「お前は?」
「私は久我。お見知りおきを」
「今僕は誰とも話す気分じゃない。放っておいてもらおう」
肩に乗せた手を振り払い歩き出すが、
「秀樹さん、貴方、婚約者の心を手に入れたくはないですか?」
その言葉に足は根が生えたように止まってしまう。
「心を手に入れる?」
「はーい。我らならばそれが可能です。もし、ご興味がありましたら、こちらへ」
隅に止めてあった黒塗りの車に右手を向ける。
通常ならこんな怪しいことこの上ない人物の言葉になど耳は貸さない。少なくても逡巡してしかるべきだ。
しかし、このとき秀樹には迷いはなかった。梓の心をもう一度この手に入れる。その甘言になんの躊躇いもなく受け入れ、開かれた後部座席に乗車していたのだ。
「では、ご案内いたします」
七三分けの男――久我が乗り込み、その車は動き出す。
そこは、山奥の広大な私有地だった。その周囲が森林に取り囲まれた巨大なサークル状の更地。その中心に鎮座する大きな建物。そこの建物の奥にある神殿の様な場所に秀樹は案内される。
そこで待つこと1時間ほどで、司祭のような純白の服を着た一人の白髪の男が部屋へと入ってくる。男は女性と見間違うほど美しく、その肌は血が通っているのが疑わしいくらい真っ白だった。そして、まるでその造り者のような現実離れした姿に秀樹はどこか、薄ら寒いものを感じていたのだ。
白髪の男は祭壇の前に立つと両手を広げて、
「迷える子羊よ。君の色濃くも純粋な欲望を伺おう!」
一点の綻びもない完璧極まりない笑みを浮かべ、そう上から目線で宣ってくる。
普通ならば、こんな無礼な態度をとる輩の言葉など耳を貸すことなど絶対にない。だが、この白髪の男の言葉には無視することができない妙な力があった。
「僕の幼馴染、雨宮梓の心を取り戻したい」
「うーん。それは不可能だよ」
「ふ、不可能!?」
「うん。まず前提として取り戻すには彼女の心が君になければならない。でもぉ、彼女の心は端から君にはない。だから、それはむーりぃ」
迷いもなく断定する白髪の男に、ふつふつと抑えがたい反発の気持ちが沸き上がり、
「ふざけるなっ! 梓は僕をずっと好きだったんだ! それをどこの骨ともわからないクズムシに唆され惑わされただけだっ!! そうでなければ、彼女が――」
声を荒げて叫ぶ。
「だからそれは君の勘違いさ。彼女も言ってなかったかい? 自分の気持ちはあくまで兄妹としての感情だと?」
全て見透かされている。その事実に堪えようのない獰猛な憤りが沸き上がる。しかし、そんな感情と相反するように、口は堅く閉口し視線は次第に俯き気味となり、両手を固く握りしめていた。
「君は負け犬ではないよ。だって勝負のレールにすら乗れていなかったんだから」
白髪の男は透き通ったような抑揚のない声を上げて秀樹に近づくと耳元でそう呟く。
「黙れ……」
「どうだい? 大層、悔しいよねぇ? うん、わかるよぉ。今迄全てを手に入れてきた君が結局、一番手に入れたいものだけには届かない。それは多分世界一、滑稽で、惨めだもの」
秀樹を覗き込む白髪の青年の顔は、悪戯を目論む幼児のように無邪気に微笑んでいた。
「黙れぇよぉ」
失望と絶望、そして思い通りにならぬこの世界に対する激しい憤りに、必死に拒絶の言葉を吐き出すが、青年はさらに笑みを深くする。
「これは君にとって最後のチャンス」
「最後の……チャンス?」
オウム返しに繰り返す秀樹を白髪の青年はその紅に染まった瞳で射抜きながらも、口端を耳元まで不自然に吊り上げて狂気の表情を作り上げる。
まるで蛇に睨まれた蛙。ただ指先一つ動かせず、横目で白髪の青年の異様な風貌を眺めるのみ。
「うん。今の君には二つの選択肢がある。このまま黙ってどこの馬の骨かもわからない駄馬に取られるか。もしくは、人をやめて彼女を我が物にするか」
「人をやめるとは?」
少し前ならば、たとえこの青年がどれほど異様で不可思議であってもこんな与太話に耳を貸さなかったことだろう。だが、既に秀樹を取り巻く世界は種族の選定などというオカルトチックな事態に変貌してしまっており、嘘、偽りと断言することなどできはしなかった。
「神水をここに」
白髪の青年の言葉に、背後に控えていたやはり真っ白な民族衣装をきた美しい女性が、ゆっくりと秀樹の前までくると、血のように真っ赤な液体の入ったグラスを渡してくる。
「それを飲めば、君は真の意味で人という種をやめられる」
「人を辞めれば梓を取り戻せるのかっ!?」
大切な幼馴染の心は他の男の元へ移ってしまっている。梓を他の男に取られてしまう。
ダメだ!それはダメだ! それだけは許容できない! 例えそれが――人を辞めることになろうとも。
「それは君次第さぁ! さあ、選び給え。この安楽な日常にとどまるか、人をやめて最も愛しい人を手に入れるのか否かを!」
両腕を広げ、建物を震わせんばかりの大声を上げる白髪の青年に導かれるように、秀樹の震える手はグラスを掴む。そして、グラスを口に近づけていく。
「ぐがっ!!?」
身体の芯が燃えるように熱くなり、胸を押さえようとするが――。
「ひっ!?」
その右腕の皮膚がポロポロと崩れていく。そして始まる言い現わしようのない大激痛。
「……っ!!」
叫ぼうとするが喉から出たのは、ヒューヒューという空気の摩擦音のみ。
「うひぃっ!!?」
己の身体を確認すべく顎を引いて、小さな悲鳴を上げる。
さもありなん。秀樹の全身は真っ赤に発色し、いくつもの太い血管がドクンドクンと大きく脈動していたのだから。
「おめでとう! ようこそ! 新たな僕らの同胞よっ!」
薄れゆく意識の中で白髪の男のやけに熱の籠った声が鼓膜を震わせていた。
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