第5話 お清め
「それではこれより、異端審問を開始する!!」
そうしわがれ声で叫ぶのは、白い聖装を身に纏った司教。やせ細った体躯に、しわのある青白い顔。年は60を越えた辺りだろうか。
その司教のことを、民衆の中に紛れたベーグルらが睨みつけている。
「あのクソ野郎。ぶち殺してやるッ!!」
その中の1人、ジャールックが手に持つ鉄パイプを骨が軋むほど強く強く握りしめた。
この場に集まった同士は皆、異端審問で家族や友人を失った者ばかり。この町を制する司教に言いがかりをつけられ、目の前で首をはねられたのだ。
訴えを起こして助けてやりたかった。しかしそれはできない。新たに異端者とみなされ審問にかけられるのが自分だけならまだしも、その矛先は自分だけに留まらず大切な家族や友人にも向くからだ。
だから彼らは黙って見続けてきた。充血するほど眼をひん剥き、砕けるほど強く拳を握りしめ、割れるほど激しく歯を食いしばって、留まることを知らぬ涙を流し続けてきた。
その怒りを今日、彼らは開放する。
既に彼らは死ぬ覚悟ができていた。大切な者を失った日に、彼らの命もまた、失われたと同じなのだから。
「被告人、シェイラ・ベイカーは前へ――!!」
司教がいる場所とは少し離れた場所に立つ1人の司祭がそう言うと、ジャラジャラ鎖と鎖がぶつかり合う金属音が聞こえてくる。
衛兵が手に持つ鎖に連れられ現れたのは、白く細い両手に分厚い手枷をかけられた、白金色の髪をした少女。
「シェイラ……!!」
少女の元へ走り出そうとするダリル。その手首を掴み、ベーグルが短く言った。
「まだだ」
ダリルはベーグルを睨みつける。
「俺は我慢がならねぇんだ。司教をぶっ殺し、今すぐにでもアイツを助けにいくッ!」
だが。ベーグルは首を縦に振らない。少しの沈黙の後、再度低く呟いた。
「まだだッ!」
「――ッ」
ダリルは咄嗟に顔をしかめ、握られる腕を振り払った。手首には真っ赤な後がついている。
歯を食いしばりながら司教を睨み続けるベーグルを見て、「すいやせん」とダリルは落ち着きを取り戻した。
「それでは司教様」
進行を務める司祭が司教に向かって一礼をすると、「うむ」と言って司教が1歩前へでる。民衆の顔を眺め、司教はコホンとわざとらしく咳払いをしてから、
「この者シェイラ・ベイカーは、神の使徒たるこの司教の"清め"を拒絶し、私の尊厳を踏みにじった挙句、こともあろうに神の使徒たるこの司教に異を唱えた。
私に無礼を働くこと、それ即ち神に無礼を働くと同じこと。そのような者など異端者しか、――悪魔としか考えられん!!
以上である」
恨めしそうな司教に、重く目を伏せる司祭達。
「これに対し、被告人は何か……」
"清め"という儀式は本来『聖書』に書かれていないモノだ。これは司教が勝手に作った法である。
こんなことは間違っている。それが分かっているのだろう。進行の司祭の声には先程よりも力がない。
だが、司祭を責めないでやってほしい。司教が間違っていると思っても、自分よりも階級の高い司教には逆らえない。これは自衛の為ではない。『教会』の教えに背くことになるからだ。
故に司祭達は押し黙ることしかできない。
手枷をされた少女――シェイラは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
普通8割強が有罪判決となる異端審問だが、この町では過去8年間無罪になった者はいない。この8年という年月は、今の司教マルクス・セイクリットがこの町に配属されてからの年数と重なる。
つまり彼が司教を務めている現在、シェイラは既に有罪が確定していると言っても過言ではないのだ。
異端者となった彼女の末路は、裁判台の右に見える、あの断頭台で首を落とされること。
民衆も、司教も、そして彼女自身も、そのことを確信している。にも関わらず、彼女の深い藍緑色の瞳は光を失ってはいない。いや、彼女だけではない。この町で審問にかけられた者の多くがそうだった。
死にたくないと泣き叫ぶ者。生きたいと懇願する者。自分は異端者ではないと主張することが、他の町では当たり前だったとしても、この町だけは違う。
泣き叫び、惨めに懇願し、同情を誘って何になる? そのせいで家族や友人が声を上げ、司教マルクス・セイクリットが調子に乗るだけだ。
ならばいっそのこと、己が正義を貫き通し、信念を曲げずに格好良く逝こう。
司教マルクスがこの町にきてから早8年。それがこの町の、暗黙の誓いになっていた。
故に民衆は皆が皆顔を上げる。彼女と目を合わせることを恐れ、下を向く者など誰一人としていない。
彼ら彼女らは全員、堂々とシェイラの生き様を見守っている。
その民衆の視線を静かに見つめ返し、震える声で力強くシェイラは言った。
「全て司教様の仰る通りです。司教様のお言葉に、間違いはありません。わたしは司教様の"お清め"を拒みました」
一度強く下唇を噛み締める。でないと今にも泣き出しそうだったから。
それは駄目だ。我慢だシェイラ。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら、シェイラは続ける。
「7年前。生前最後に、母がわたしにこう言いました。
世の中は我慢の連続です。寒い日も、暑い日も。お腹が空いても我慢です。
それはとても辛いことかもしれません。それはとても苦しいことかもしれません。
……でもね、シェイラ。雨はずっとは降らないの。いつか必ずお天道様がシェイラを照らしてくれます。
だから、身体だけは大事にしなさいと言われました。お金のためや、お父さん達のために、男の人に身体を許してはいけないと言われました。
性行為は自分の全てを捧げてもいいと思える相手となさい。例え司教様にお清めを強要されたとしても、それだけは我慢してはなりません、と」
その姿を民衆の中から見つめるベーグル。
「なぁリア、見てるか? お前そっくりのいい女に育ったよ。俺たちの宝物はよ……」
愛する女が産んだ最愛の娘の立派な姿に、ベーグルの頬を一筋の雫が伝った。
「その母の言葉が間違っているとしても、異端になるものだったとしても……」
シェイラは振り返り、司教マルクスを正面から見据えて言い放つ。
「わたしはお母さんとの約束は破らない。絶対に――ッ!!」
「くッ――!!」
司教マルクスは歯を食いしばり、頬をピクピクと痙攣させた。
シェイラはくるりと司祭の方を向き、
「わたしからは以上です」
と、涙を堪え、無理やり微笑んでみせた。
司祭が司教の方に目を送ると、司教は首をクイックイッと動かす。きっと早く『審判』を始めろと言いたいのだろう、司祭はその意を察した。
「それではこれより、審判に移りたいと思います。審判は聖書の法に乗っ取り、民衆による多数決とさせて頂きます。
ではまず、被告人シェイラ・ベイカーが異端だと思う者は拍手を――!!」
パチパチ。最初はまばらに。
パチパチパチパチ。拍手は次第に音を増していく。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチ。そして遂には広間にいる民衆9割以上が手を叩き賛成を示した。
彼ら彼女らの顔は賛成をしているようにはとても見えないが、少なくとも手を叩くという行為に至っては賛成を示している。
「賛成派が過半数を超えていることから、よって被告人シェイラ・ベイカーを『異端者』とする――!!」
その様を満足そうに見つめる司教が、シェイラの臀部を見て吐き捨てるように言った。
「ふんッ。親も親なら子も子か。せっかく18になるまで待ってやったと言うのに――ッ」
審判を見届け、手枷の鎖を握る衛兵が、シェイラの後ろに待機している2人の衛兵に頷きかけた。2人の衛兵は納得の行かない表情を浮かべているが『衛兵』という名の職は『司祭』よりも下、『司習』と同格なのだ。彼らに発言の権限はない。
広間に響き渡る民衆の拍手。審問台を取り囲むように警備する数十人の衛兵は皆難しい表情を浮かべている。
――そう。ベーグルはこの瞬間を待っていた。
「行くぞ、てめぇら――」
今なら少しの悲鳴などは拍手がかき消してくれる。普段通りの状況で油断している衛兵は、判断が遅れ対処に隙ができる。
今だ。今しかないのだ。
7年前のあの日、最愛の妻を助けられなかったあの日。そのことを後悔しない日はない。だから今度こそ、大切な家族を守ってみせる。絶対に娘だけは助けてみせる。
ベーグル達が行動を開始しかけた、正にその時だった。
「――その審問、意義あーり!」
どこかから聞こえた若い声。それに驚いた民衆の拍手が次第に止んでいく。
民衆の渦の中から姿を現した、濁った金髪の少年。いち早くその少年を見つけたダリルが驚きの声を上げた。
「アイツはさっきの……!」
ベーグルもその少年のことを知っていた。忘れるはずもない。
記念すべき最後の客にして、リアの創作したベルリアン・シェリルを初めて美味いと言ってくれた少年――。
「坊主……」
だからベーグルは、これから起こる最悪の結末を予想し、立ち尽くす他なかった。
察しのいい方は気づいてしまったかな???




