第19話 特例事項
死の間際、マルクスと目があった。
死の瞬間、マルクスは笑っていた。
俺が10年間待ちわびた一瞬は、驚くほどつまらないモノだった。
「――それではこれより、被告人レイル・カーターの異端審問を開始する!」
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元・司教マルクス・セイクリッドの異端審問が終わってからおよそ1時間後、この日二人目の被告人が審問台に姿を現した。
「……ガキだが、鼻の奴とはまるっきり顔が違ぇな」
目つきの悪いフードの男が、大きなため息をつく。
悪魔が異端審問にかけられると聞き、馬車を乗り継ぎ約5日。全ての仕事を後回しにし大急ぎで駆けつけたのに……。
今回情報にあったのは『鼻』の悪魔。奴とは一度顔を合わせたことがある。確か髪色は黒だった気がする。それにもっと背が高く、猫背でいけ好かない顔つきをしていたはずだ。
それがどうだ。目の前にいるのは金髪の男。
「あー、ったく。やっぱり無駄足だったじゃねぇかよ……」
また5日かけて元いた場所に帰り、溜まった仕事を片付けなければならない。今からもう憂鬱で憂鬱で……
「――って。おい。何してんだフェリル、とっとと帰んぞ?」
小柄な相方――フェリルが自分の後をついてきていないことに気づき、男は振り返る。
「ちょっと待って、ウェル」
「あん?」
フェリルは耳に手を当て目を瞑った。そうしてゆっくりと瞼を開きながら、呟いた。
「どうやら彼、本物みたいだよ」
ウェルと呼ばれた目つきの悪い男――ウェルガーが咄嗟に聞き返す。
「なに!? 本物っつーことはアレか! まぢなのか!」
「うん。普通の人間とは明らかに音が違う。ボクらと似通ってるね、どっちかって言うとさ」
「鼻じゃねーんなら、奴はいったいなんの『悪魔』だ?」
ウェルガーの問いに、フェリルは小さく首を振る。
「さぁ。そこまではボクの『耳』でもわかんないよ」
フェリルは審問台に立つ男を見る。
もしあの男が、本当に悪魔だったなら。もしかすれば、もしかするかもしれない。
かれこそ200年以上表世界に姿を現していない、ボクたち《終々者》が探し続けてきた悪魔かもしれない――。
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虚しさがあるだけで、恐怖はなかった。
当たり前のことながら、異端審問にかけられるのはこれが初めてだ。
異端審問が進む中、俺はぼけーっと空を眺めていた。
いつもはこの場に立つ者を見る側でしかなかったが、立ってみると案外いい眺めである。
珍しい物でも見るかのような民衆の視線がちとアレだが、高みから彼らを見下ろすのは非常に気分がよろしい。
でもアレだな。耳を掻きたいのに手枷が邪魔で掻きづらい。ああ、鬱陶しい。
最後の最後で己の運命を受け入れたマルクスの死が、あまりにも呆気なくて……正直なんだかなぁと思ってしまう俺ガイル。
俺の費やした10年間が、なんだかなぁと感じてしまうオレがいる。
命のかかった大事な場だというのに、緊張感が致命的にかけているのだろう。大きな欠伸が止まらない。かと言って止める気もないのだが……
ふあぁぁ〜あ。今日も良い天気だなぁ。
そんなこんなで、いつの間にか審問も大詰めに入っていた。
「――ではこれより審判に移りたいと思います。審判は聖書の法に乗っ取り、民衆による多数決とさせて頂きます。
それでは。被告人レイル・カーターが異端だと思う者は拍手を――!!」
俺は目を閉じた。見るまでもないだろう。
誰が"自分を悪魔だ"なんて言う頭のおかしな輩を擁護しようとする。俺なら絶対にしない。ありえない。
君子危うきに近寄らず。触らぬ神に祟りなし。
だから結果はわかりきっていた、……はずだった。
パチパチパチ。シェイラのときと同じように、最初はまばらに。しかしいくら時が経とうと、それ以上にはならなかった。
俺は耳を、いや眼を疑った。いくら待てども、拍手をする民衆は1割にも満たなかったからだ。いや、恐らくこの街の民衆で拍手している者はいない。拍手している者の全てが、他の街からの見物客である。
広間を見渡すと、彼ら彼女らは皆自信に溢れた顔で微笑んでいる。
司会を務める司祭モスカーも、晴れた顔で一度頷いてから、
「では続いて。被告人レイル・カーターが異端であることに反対の者は、拍手を――っ!!!」
その言葉を合図に、民衆の拍手と歓声が広間を埋め尽くした。
「よくやった、自称悪魔小僧!!」「ありがとう、あなたのおかげよ!!」「てめぇみてぇな奴が悪魔なわけねぇだろ!!」
「…………」
あまりの出来事に圧倒され、俺は言葉を失った。
おいおい、こりゃいったいどういう状況だ……?
民衆の中に、見知った顔を見つけた。
スキンヘッドのよく似合う偉丈夫。その隣には涙を浮かべる白金色の髪の少女。――と、その肩を抱く金髪に檸檬色の瞳の……。
思考が停止した。
「は――――。嘘だろ……!?」
アイツはアレだ。7日前。確か、町中で絡んできた壁男。
え、距離近いんですけど。え、触れ合ってるんですけど。え、え……えぇぇ。
理解した。そして絶望した。
「おいおい……。恋人がいるなんて、聞いてねぇぞ……」
しかもなぜ、あんな筋肉だるま……。
ふらりと卒倒しかけた俺の肩を、咄嗟に衛兵が抑えてくれた。
冷めやらぬ歓声の中、誰がどこからどう見てもわかりきった審問の結果を発表するのは、進行であるモスカーの役割だ。
「賛成派大多数。よって、被告人レイル・カーターの異端審問は……!!」
そのときだった。一言も口を開かず俺の異端審問を審査していた司教カルロスが、黙って挙手をあげたのは。
「どうかなさいましたか、カルロス司教……?」
モスカーが問うと、カルロスは起立しにこりと笑う。
その貼り付けたような笑みがあまりにも作り物めいていて、逆に気味が悪い。
「あなたの眼は節穴ですか、司祭モスカー・エンブレン」
「それは、どういう……」
口ごもるモスカーを見て、カルロスは笑みを崩さぬまま、
「どうもこうもありませんよ。仕方ない。――もう一度です。もう一度、審判をやり直しなさい」
表情は笑顔で口調も優しかったが、その言葉には一切反論を許さぬ圧力が込められていた。
理由もわからぬままに、モスカーは命じられた通り再審を行った。
「……は、はい。では再度審判をやり直させて頂きます。それでは、被告人レイル・カーターが異端だと思う者は拍手を!!」
結果は変わらない。いや、むしろ良くなっていると言っていい。
手を叩いているのは数人だけで、広間の雰囲気に流され先程賛成派についていた連中は拍手しづらくなっている。
だが、この現状にカルロスは満足気な顔である。元々笑っているので変化があまりわからないだろうが、通常時よりも広角が8度吊り上がっている。
「これでわかりましたか? 司祭モスカー」
モスカーは、司教の意図がまったく理解できていない様子である。
「すみません、いったいどういうことでしょうか……。私としては、賛成派より反対派の方が多いように感じますが」
安心しろモスカー。アンタだけじゃない。ここに集まっている数万人の民衆も同じ意見である。
かくいう俺自身も、彼の言動を理解できていない1人であることに違いはない。
「数の問題ではないのです、司祭モスカー」
そう言って、カルロスは続ける。
「『聖書』第四条第九項"審判における特例事項"を暗唱して頂けますか――?」
聖書第四条第九項などと言われても、俺はあまり聖書に詳しくない。ここにいる大多数の民衆も同じだろう。
厚さ数千ページはある教本に、難しい文字がこれでもかという程びっしり詰め込まれているのだ。あんなモノを好き好んで読むのは教会の聖徒しかいない。
だから俺達にはわからずとも、教会の聖徒であるモスカーにはわかってしまう。
彼の顔がみるみる青ざめていくのがその証拠だ。
「どうなさいましたか司祭モスカー? まさか……忘れてしまわれたのですか? 聖徒皆に暗記が義務づけられている聖書を?」
「いえ、決してそういうわけでは……」
口ごもり、モスカーはたどたどし気にその重たい口を開いた。
「……異端審問の審判は"原則として"民衆による多数決とするが、《聖司教》並びに《聖騎士》もしくはより上位の官職の者が審問に同席した場合に置いてはその限りでなく、多数決の結果に関わらず彼らの判断により審判を執り行うものとする……」
賛成派に拍手をした司教カルロス・ヴァーリッツ。彼の隣席に座する《聖騎士》ユリウス・レイヴス。彼もまた、賛成派に拍手をした1人であった――。
《終わりを終わらせる者》略して終々者です。初めは終告者にしようか迷ったんやけどね。