第18話 辞世の句
いずれ罰を受ける日が来ることは、わかりきっていたことである。
しかしわかっていても、止められなかった。止まらなかった。抗えなかった。
何度辞めようと思ったことか。幾度辞めたいと思ったことか。
その都度、甘い果実の誘惑が頭から離れない。その度、甘い果実を身体が求めて仕方ない。
これは報いなのだ。
今まで自分が犯してきた蛮行を断罪するときなのだ。
マルクスはもう一度、自分の死を心の底から待ちわびる民衆を見渡した。
自分が今までに異端者のレッテルを貼り、殺してきた者達が目にしてきたであろう、恐ろしくおぞましい地獄を目に焼き付けた。
「――では最後に。なにか言い残すことはありますか?」
命の終わりに一言。詰まるところの『辞世の句』と言うやつだろう。
自分の侵し犯し続けてきた罪と過ちを振り返りながら、マルクスは考える。
マルクスが司教としてこの場に立たせた者の多くは、いわれなき罪で異端者にされた者達だ。
中には最後まで命乞いをする者もいたが、
『身体には気をつけて下さい』『新しい恋人を見つけて幸せになれよ』『あなたの子どもに産まれて幸せでした』
家族や恋人に言葉を残す者がほとんどだった。
その中でも、特に印象に残っている若夫婦がいる。
あれは10年以上昔のことだ。マルクスが司教となり初めて配属となった村。忘れるはずもない。あれほど美しく可憐な女性を目にしたことはなかった。
ひと目で惹かれ、いつもと同じような台詞を並べたて、マルクスは彼女に言い寄った。
しかしその女性は決して首を縦に振ろうとはしなかった。
"お清め"を女性に断られたことは初めてではなかったが、諦めきれずマルクスは初めて女性を強引に押し倒した。
押し倒すまでは良かったのだが、マルクスの貧弱な身体では無理があり、頬を張られてまんまと逃げられた。
マルクスの胸中には、怒りが込み上げる。
お清めを断られたショックより、頬を張れた痛みより、その女性が美しすぎたが故に、悔しくて悔しくて耐え難かったのだ。
その日初めて、マルクスはお清めを断った罪で異端審問を開いた。そして女性の婚約者もろとも、強引に異端者としてでっち上げた。
首を落とされて尚、笑顔を崩さなかった者は後にも先にも彼らだけだった。
当時は死に行くのに頭がおかしくなったものかと嘲笑したが、この場に立たされて初めてわかる。あの若夫婦がどれだけ強い者達だったのかを――。
名前……、名前はなんと言ったか。
確か………、…………。
彼らの名を思い出し、それでようやくマルクスは気づく。
…………ああ、そうか。そうだったのか。
すべてが繋がった気がした。いや、間違いなく繋がったのだ。
なぜ今の今まで気づけなかったのか。
あのとき村の隅から隅までくまなく探しても、結局見つからなかった少年。
急にマルクスの抵抗がなくなり、マルクスを抑えつける衛兵2人が目を見合わせる。
マルクスは力なく笑い、運命を受け入れた。
「……主よ。……ああ、我らが主よ」
彼らのように、自分には言葉を残す家族はいない。
孤独だった。ずっと、1人きりだったから。
マルクスは願う。もう二度と、自分のような愚か者が産まれぬことを。
「この美しき世界に産まれ落ちる全ての者に、どうか主の祝福があらんことを」
マルクスは祈る。もう二度と、彼らのように理不尽な死を迎える者がいなくなることを。
「主よ。ああ、我らが主よ。この麗しき世界に生きとし生ける全ての者に、どうか主の加護があらんことを」
マルクスは望む。できることなら、こんな愚かな自分を許さないで欲しいと。
「主よ。ああ、我らが主よ。この私めが侵し犯し続けてきた全ての過ちに、どうか主の断罪が降らんことを」
マルクスは求む。自らが殺めてきた者達を想って。
「主よ。ああ、我らが主よ。そして願わくば……。どうか、どうか私が審問にかけし全ての者に、主の救済があらんことを……」
そしてマルクスは天を仰ぎ、
「シュタラ・ラタータ。我は祈り願い、訴えたり……」
マルクスの言葉を最後まで聞き終え、ユリウスは儀式用の剣を鞘から抜き放つ。
「シュタラ・ラタータ。貴方の祈りが、どうか主に届かんことを――」
ユリウスの剣がマルクスの首に振り下ろされる間際、視界の端に濁った金髪をした少年の姿をマルクスは見た。
あのときいくら探せど見つけられなかった、あの若夫婦の子どもの成長した姿を見た。
うる覚えでしかないが、父親の面影がある。妬ましいほど勇ましい、最後の最後まで堂々とした笑顔で死んでいった、カルラ・カーターの面影がある。
目元は母親似か。手を伸ばせども届くことはなかった、最後の最後まで凛とした笑顔で死んでいった、フィーナ・カーターの瞳に、よく似ている――。
「なんともまぁ、親想いのガキだ」
その言葉が音になり喉から発されるよりも先に、『銀聖』の剣がマルクスの首を刎ねる方が速い。
消え去る視界の中、消えゆく意識の中で、マルクス・セイクリッドは思う。
ああ、主よ。
もし次があるのなら。
こんな私に次を恵んで下さるのならば。
次こそは、――心の底から感謝され、心の奥から涙される……そんな死に様を迎えたいものだ。
この小説に登場するキャラクター1人1人に、ちゃんとした物語を書いてあげたい。